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就活のお部屋

就活について現実を語り合いましょう

299 COMMENTS

ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第81回
第1部体験編_最終回
第9章_活動の教訓
その3_運を掴むには

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11828

この記事を持ちまして、第1部体験編は終了です。

■運を掴むには

私が今の職業人生に辿り着いた要因として、大きな要因は運とタイミングです。そういう点で、今の職場とは縁があったと思います。

時系列で言うと、私がエージェントP及びR、そしてGに登録したあたりで、今の職場がちょうど障害者採用を始めました。社員数が●00人あたりになってきた頃です。企業は従業員数が●00人程度になってくると障害者採用を始めますから、これは偶然の一致です。

私はエージェントPで、カウンセリング担当から今の職場の求人票が提示された瞬間に「受けます」と即答しました。それは私のいるニッチ業界限定で、誰もが知る企業でした。まさか受かるとは思いませんでしたが、それは二の次でした。

人材市場においては、一定数の求人票が常時沸いて出てきて、一定数の求人票は募集を終えて消えていきます。求人票が沸いては消え、沸いては消えという生々流転を繰り返しています。

だから準備を整えつつ活動をしていると、高くはないにせよ一定の確率で自分に見合った求人票に出会えることになります。その求人票の企業に入社ができた場合は「運が良かった」「縁があった」と事後解釈されます。

つまり人材市場において、自分がそれなりに準備をした上で活動を継続すると、一定の確率で運を掴むことができるということになります。

もちろん障害者の人材市場には、それなりの企業に内定できた少数の人々の後ろに、市場に塩漬けにされて怨嗟の声を上げているたくさんの人々が沈んでいます。

インターネットでは、それなりの企業に障害者採用で入社した、障害当事者の人の輝かしい物語と、行き所がない人の呻き声の両方を観測することができます。

それは障害者人材市場の現実です。私にはまるで蓮の花の池のように見えます。底の泥と、水面から遠く離れて咲く花と。凄惨なコントラストです。そういう点でここでも世の中の流れの通り、二極化が起きていると推測します。

■身体アプロ―チは運が良くなる

身体アプロ―チでは認知と実行機能が伸びます。「身体アプロ―チは運が良くなる」とは浅見さんの弁でしたが、それは就活にも言えます。

運がまわってくる、すなわち自分に見合った求人票に気付くのは認知の問題です。運を掴むために動けるかは実行機能の問題です。

このように身体アプローチは、人材市場において運を掴む土台を造れます。そして活動の成果が出るか否かは、こういう事も全て含めた総合的な事前準備にかかっています。

今回は以上です。

第一部体験編はこれを持ちまして完結です。ここまで継続してお読み頂いた方は、誠にありがとうございました。

連載は第二部分析編へと続きます。

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ブルー

ここまでで、連載の第1部体験編は完結です。

第2部からは分析編です。何を分析するかというと障害者人材市場そのものです。これがどういう構造になっているかという話です。

一応、下原稿は7割くらいできていますが、第1部の執筆の経験も踏まえ、原稿をリライトした上でお届けします。

第1部体験編は80回前後の大作でしたが、第2部は20回前後だと思います。だから連載前にお伝えした通り、全体としては概ね100回程度の連載になると予測しています。

これから少しの間、原稿のリライト作業に入ります。ひょっとすると幕間の催し物として、第2部の前に少しコラムめいた記事を出すかも知れません。

ともあれ、私が本当に言いたかったことはこの第2部の内容です。

詳しくはまた連載にて。しばらくしたらまた戻ってきます。
それでは、よろしくお願い致します。

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第80回
第1部体験編
第9章_活動の教訓
その2_全然受からない

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11776

■障害者採用も全然受からない

第一部体験編の教訓として、繰り返しお伝えした話をもう一度繰り返す事となりました。ある程度以上の企業の障害者採用は、何社受験しても全然受かりません。少なくとも私自身はそうでした。

この場合の「ある程度」というのは、多少なりとも合理的配慮を用意することができて、それなりに民度が保たれた社員の中で、少し苦しくとも頑張ればギリギリ自立できそうな給与を出せる水準の企業です。

それは一般の人が「障害者雇用」と聞いてなんとなくイメージするような世界観と思って頂ければいいです。

またある程度の水準というのは、私の偏見では口コミサイト「オープンワーク」において総合評点3.0以上であることもお伝えしました。※

■両眼を見開く

「障害者採用は多少のことなら片目をつぶってもらえる。だから受かりやすい」

ということはもちろんありません。

それは事態を逆に捉えています。実際には障害者採用こそ、企業はよくよく人を観てきます。両眼を見開いて入念に観てきます。

そのため、書類選考からしてなかなか通りません。私も書類選考では随分落ちました。そして内定を頂いたのは今の会社だけです。つまり面接でもよく落ちます。これは能力面もさることながら、やれる仕事やカルチャーフィット等の全人的なマッチングが考慮されるからです。定型の採用と同じです。

結局、私は業界を変えることなく、仕事の内容もそれほど変えることなく転職しました。単に業界内で移動しただけです。今いる業界が好きだったということもあります。私は可能であれば、今の業界に留まりたいという希望を持っていました。だからなおさら異なる業界には受からなくもなります。

今回は以上です。

※参考:企業のレベル感と障害者採用について

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-1/#comment-9243

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-2/#comment-9270

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シア

人事は企業の戦力を求めると同時にその人が幸福になれるかも考慮しています。
本音のところ社員全員が満足度の高い仕事ができることを一定の水準以上の企業なら求めていると思います。
それによって会社自体が優良になれるからでしょう。
人事部には「YGテスト」などの心理テストや客観的な指標が人事考課で採用されますがそれを見ると「防衛反応」が強すぎる社員は異動の対象になることがあります。
防衛反応は行動心理学で採用された指標なので労使現場で観測できるのです。
「ご縁がなかった」と言うのは人事部がよく使う言葉ですね。

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シア

離職を避けたいのももちろんあるでしょうね。(;^_^A

これは人を育てるのに研修などが必要でとてもコストがかかります。
だからその業界で働いた経験のある人の方がそのコストもかなり浮くでしょうし未経験の中途採用は避けますよね。

若い人ならみっちり仕込んで戦力になってもらおうと思いますがちょっと畑のちがう業界で磨かれてきた人なら「よその方がよくないか?」と考えるでしょう。

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シア

就活ベーシックテクニック
その①
『お礼』をしよう。

学生時代にはなく社会人になってから重宝する習慣が『お礼』です。
文章にしてお世話になった人にお礼をすると円滑です。
就活エージェントの担当者・ハローワークの担当者などにも『お礼』がてら報告をしましょう。
公務員は物品を受け取れないのでハローワークの方などはメールで『お礼』もよいかもしれません。
文面を練り簡潔に〆ましょう。
それによって何か新しい情報が得られることもあるかもしれません。
学生時代にはない弁えの習慣を身に着けていくことは第一歩です。

その②
面接で「何か質問は?」と聞かれたら複数回答する。

面接官に「何か質問は?」と聞かれたとき「特にありません。」と言うのは心理学的にも相手に興味や関心がないと受け取られてしまいます。
質問を複数投げかけることができると積極性を印象付けることができます。
質問はいくつかテンプレートを用意し事前に暗記しておきそこから選んで投げかけるとスムーズです。

その③
企業に訪問するときはその会社のパンフレット・リーフレット「以外」の情報を収集しておきましょう。

面接官や担当者は広報用のパンフレット・リーフレットの内容をまるっと聞くと「うんざり」します。
そのため面接で差をつけるためにもパンフレット・リーフレット「以外」の情報を収集して置いて「この人は良く調べてくれている」と印象付けましょう。

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第79回
第1部体験編
第9章_活動の教訓
その1_資質を活かすための場の選択

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11724

■上司とのやりとり

入社して数年たった頃でしょうか。当時の上司と1対1で面談をしていた際に、上司はこんなことを言ってくださいました。

上司(当時)
「私たちのチームにおいて、ブルーさんは仕事と資質がよく合っていると思います」

当時の私は入社してから日が浅く、契約社員でした。私はこのやりとりのさらに数年後に正社員になりました。

この上司は私が正社員化するにあたって大きな尽力をして頂きました。上司は私が見えないところで人事や経営会議にも話を通してくださいました。一方の私に対しては、正社員化するにあたりクリアすべき要求水準と必要な能力を御提示頂きました。

つまり私の正社員化は、この上司との二人三脚でなし得たのです。それでも世の中の通例通り数年かかりました。今でもこの方には深く感謝しています。

障害者雇用におけるゴールは内定ではなく職場定着です。特に発達障害の人にとって職場定着は最重要です。そして可能ならば正社員化まで持っていきたいところです。

このやりとりから年月がずいぶん経過しましたが、相変わらず私はこの職場に勤務しています。これは職場定着の達成ですから、私の資質と職場や仕事を上手くマッチングさせることができたと言えます。そこでこの記事では資質に関して考えます。

■資質について

当事者は、なんのために自分を治し発達させようとするのでしょうか。それは究極的には資質を活かして自分らしく生きていくためだと思います。

私が手帳を使って転職活動をしようと思ったときに、最初に立てたのが人材市場を使って自分を適切な場所におくというコンセプトでした。それを達成するためには人材市場を使うのが一番有効かつ正確だと思いました。

どんな資質や強みも適切でない場に置かれたら活きません。特に当事者は自分にとって適した場所に置かれているか否かで結果が180度変わることがあります。

例えば就労なら「ADHDの人が事務をやっていたら全然ダメだったが、営業をやったらトップ営業になってしまった」みたいな話をSNSでちらほら見かけます。凸凹の大きい人達ですから、できる限り凸を使えて凹が露呈しない場にいたいところです。

ちなみに強み、すなわち凸というのは資質の一部です。言いかえると、一部にすぎません。つまり資質を活かしていくことの中に必要に応じて凸を活かすことも含まれています。

ただし根本的には凹を埋めて人間の土台をしっかりさせることにより、むやみに凸にこだわらなくても土台で仕事が回るようになる方が現実的です。人材としての汎用性も高まります。

このように市場を使って自分の資質が活きる場へと自らを運ぶことが転職活動の目的と考えました。そして市場をそのように使うためには年単位の準備が必要です。

しかし現実には、とにかく収入を得なくてはいけないとか、そもそも居住地域に仕事が少ないなどの個別事情により、資質のことを考えている場合ではないこともあります。

障害者雇用においても、当事者の方によっては「毎日無理なく安定して働けること」、人事にとっては「仕事のパフォーマンス以前に、きちんと毎日会社に来て欲しい」すなわち勤怠の安定を最優先するケースもあるとのことです。(この件は第2部分析編でも掘り下げる予定です)

今になって思えば、手帳を使った転職活動において自分の資質まで考慮して活動できたこと自体が、極めて贅沢なことであったと思います。

それは連載の最初に前提として述べた通り、この活動がそもそも大都市圏を舞台としていることと、私が大卒であったこと、正確には高卒でなかったことが大きく影響しています。つまり親ガチャや出生地ガチャを当てたことにより、人生の選択肢がそれなりにある境遇だったからです。

そして何よりも、私は勤怠の安定がほぼ達成できていました。障害者の人材市場において勤怠の安定は発達障害の人の強みとして知られています。

この活動の間も私はずっと身体や神経系の治療を行っており、自らのコンディショニングを行っていました。自分の安定性をさらに強化しつづけていたのです。

自分の心身の状態像、及び学歴や職歴などの経歴、そして居住地域といった個別事情によって、各人の転職活動は様相を変えます。就職や転職にどのような目的を持つか、あるいは持たないのかも各人によって多様と思われます。特に発達障害の当事者ならなおさらです。

この連載でもいろいろと体験を書いてきましたが、少なくとも私の場合はこうだったということです。

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第78回
第1部体験編
第8章_転職成功の共通プロセス
その6_個人的持論「短縮できない」

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11661

■はじめに

はじめに明記しておくべきことがあります。

それは今回の記事は、長年に渡り慢性疾患で苦しんでおられる方の「早く治りたい」というお気持ちを攻撃するものではないということです。苦しみから早く逃れたいのは当然の人情です。

ただし、私はある意図から、友人に対してそれと違った発言を始めます。それは何故なのか、お読みになってみてください。

■転職成功後:カフェにて

そこは都市部にある大きな公園に併設されたカフェでした。友人と私はお茶を飲みながら、友人の転職活動を振り返っていました。友人は20年かけてほぼ完治まで持っていった慢性疾患の治療を振り返りました。

友人:
「ぶっちゃけ、あれは薬害だったと思う。治療の過程で、最初の転機になったのは藤川先生の栄養療法」

ブルー:
「それと、あの徒手の達人の先生のところにはずっと通い続けたよね。あの先生がベースを整えていたことは、様々な試行錯誤の後押しになったと思う」

友人:
「そして、最後にブルー君に紹介してもらった、あの■■分野の専門家の●さん」

友人は、ある分野の専門家の名前を出しました。この方は発達関係ではないので、このサイトでは取り上げません。

私はその方の専門分野における施術能力を、地球上でも有数のものだと評価していました。そこで、友人のベースを少しでも整えてあげたくて、この人を紹介したのです。

友人:
「●さんの施術を受けた後のブルー君が、明らかに変わっていて衝撃だったんだよ。だから以前からブルー君に紹介されていた、●さんに会いに行った。そのおかげで、心身の最後の課題が取れた」

ブルー:
「それは、心や意識の奥底の、マイナス思考だのメンタルブロックだのといったものだね」

友人:
「そう。●さんのおかげで大幅に削除できた。すると身体症状が劇的に良くなっていって、完治へ向かっていった。その頃はもう完治まであと1割というところだったから、●さんの施術が突破口になった」

ブルー:
「そういうトラウマやマイナス思考は、10年近く前に別の専門家にも指摘されたよね。確かに君はずっとそれを抱えていた。お人柄はいいけど、抱え込んでいるものがあった」

友人が慢性疾患を完治させる際に乗り越えた最後の課題は、心理的なものでした。もう少し言うと、潜在意識の領域のものでした。それは10年以上前に、別の専門家からも指摘されていたことでした。私も彼と接する中で、それを感じていました。

ブルー:
「そこで劇的に良くなったのは、それまでの20年近い努力があったからだよ。●さんの施術は最後の一撃だったんだね。その20年なしに、●さんの施術だけやってもダメだ」

友人
「その時間を短縮したいよね」

ブルー:
「そこは短縮できない」

私が友人に言ったこのセリフが、今回の記事のポイントです。また冒頭で、慢性疾患に現在苦しんでおられる方への文を載せたのもこのためです。

それでは、さらに続きをお読みください。

ブルー:
「20年の間に学んだことを後世に残してあげることはできる。もちろん、俺が20年苦労したのだから若いお前も20年苦労しろ、というのは老害だよ。でもその時間の短縮はできない。もし時間を短縮しようとすると、その短縮した分のプロセスが足らないから結果が出ない」

私は友人の20年の苦闘を思いました。あの苦闘の日々は、友人にとって全て必要な試行錯誤プロセスに思えました。役に立たない専門職に出くわしたことも含めて、一つでも抜かしたら完治まで持っていけないように思いました。つまり一切短縮できないと考えて、私は友人にそう言いました。

しかしながら、結果が出るまでの期間を短縮できないということは、プロセスに一切の無駄がないとも言えます。

■どうしても時間がいる

この話はおそらく分かる人と分からない人がいると推測します。

世の中の多くの人は、結果が出るまでの時間を必死に短縮しようとして、必要なプロセスを飛ばします。特に土台固めを省きたがります。だからこそ結果が出ません。考え方を変えない限り、おそらく一生結果が出ません。

これは上達論における、プラトーにも似た考え方です。プラトー期間があるからその先に飛躍があります。ただし、これが慢性疾患の治療に全て当てはまるのかどうかが分かりません。だから友人に限定して、私は個人的持論という形をとって伝えました。

ただし、発達障害に対してはかなり似たようなことが言えるとは思います。上達も発達も突き詰めれば同じような事象だからです。発達するにはどうしても時間が必要です。

■最後にもう一度

何度も強調しますが、今回の記事は、慢性疾患に苦しむ人が「早く治りたい」と願うお気持ちを攻撃するものではありません。

友人の苦闘の20年間は全て必要なプロセスだと思われるということが、この記事のポイントです。

これは言い方を変えると、友人は例え20年かかったとしても、最短で早く治っています。専門職の選択の失敗や、所属コミュニティの選択の失敗も含めて、無駄なプロセスがないと考えられるからです。

おそらく、なんとかしたい成人当事者の人生も似たようなものだと感じます。

今回は以上です。

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ブルー

友人のエピソードの章はこれにて終了です。

次回以降、第1部体験編における全体の教訓をまとめます。それが体験編の最終章です。
分量は多くありません。補足的な位置づけです。3回程度を予定しています。
第1部体験編が終わったら、第2部分析編に入ります。

よろしくお願い致します。

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第77回
第1部体験編
第8章_転職成功の共通プロセス
その5_結果における共通点(3)

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11197

友人と私の転職活動における、結果における共通点の3回目です。

■心身のカタがつくと人生が開ける

よく言われますが、心と体は一つにつながっています。

また私の個人的な考えとして、自分自身と自分の人生もつながっています。ここでいう自分自身というのは、自分一人に限定した話です。自分の人生となると、自分以外の存在も視野に入ってきます。大きくは時代なども自分の人生の構成要素だと考えています。

友人と私は双方とも、心と身体の治療が終わると同時に人生も次のステージに移行しました。つまり治療終了と内定が同時期でした。

友人も私も、心身の問題と仕事の問題とが、同時に解決したのです。

■血が滲むような20年

友人は新卒で就職したあたりから慢性疾患が悪化し、そこから20年以上苦しみました。しかし転職の前の1年で、残っていた最後の課題を解決してほぼ完治の状態まで持っていけました。そして心身が完治すると同時に、転職を成功させました。

血の滲むような努力という表現がありますが、友人がもっともひどいコンディションだった時代は、本当に体に血が滲んでいました。私が見ても分かりました。それはそれは痛々しいものでした。

また、メンタル的にも危うかった時期がありました。これは詳細を書きませんが、友人は「つらい」「生き地獄だ」と私に弱音をこぼした時もありました。

それでも友人は働きながら、自らの心身に20年近く向き合いました。そして転職の1年前には、心身もだいぶ回復していました。その段階は友人いわく「9割は治って、完治まであと1割といったところだった」と言っていました。

■転職活動と同時にトラウマ処理をする

友人は、転職活動と同時並行で、自分の過去のトラウマを解決する取り組みを行いました。

友人は自分が過去、生きていた場所へもう一度身体を運びました。あるいは、当時の知り合いに再会したりもしたそうです。また、毎日のように内観を行い、自分の内面を見直したりもしたそうです。そうやって、過去のつらいトラウマを解除していきました。

私はこの話を知った時に、しみじみと納得しました。私も転職活動をしていた1年間、同じようなことをずっとやっていたからです。この件も連載には書きましたね。

■心身と人生が同時に治る

「私の治った自慢」のお部屋に「徒手系治療家との日々」という私の体験記があります。この時の治療はちょうど1年をかけています。その1年は転職活動をやっていた時期ときれいに重なります。

すなわち「徒手系治療家との日々」と「人材市場サバイバル」は、ほぼ同じ時期のエピソードなのです。そして治療が終了するのと、転職先が決まるのもほぼ同じ時期でした。

友人も私も、身体と心と人生が同時に治りました。もう少し言うと、心身が治ったから人生も治ったのです。当たり前の話ではあるのですが、つくづく実感します。

私は友人が新しい職場に内定した後、

「君と僕は全く同じプロセスで転職しているよ」

と言ったことを覚えています。全く同じプロセスを経て成果を出したということは、そこに普遍性があるかも知れないですから、こうしてサイトに残しているのです。

(つづく)

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第76回
第1部体験編
第8章_転職成功の共通プロセス
その4_結果における共通点(2)

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11181

前回に引き続き、友人と私の転職活動における、結果における共通点の2回目です。

■前のステージの崩壊が起きていた

私と友人には共通して、「前のステージの崩壊」が起きていました。前のステージの崩壊というのは、次の職業人生に行く前に、現在の職業人生の様々なファクターが不思議と終わりを迎えていくことです。

実は私も友人も転職にはかなり慎重だった方で、この「ステージ崩壊」に押し出されないと転職活動を開始できなかったのが実際のところです。つまり、お互いに人生の転機だったわけです。

私の場合は、前の職場が(放送自粛)でした。友人の場合は、リーダーとして取り組んでいたプロジェクトが、不思議と手離れしてしまったそうです。そして自然と社内フリーの立場になってしまったそうです。だから何も気にすることなく転職しました。

■市場に塩漬けにされなかった

私も友人も、本格的に活動を始めてから次を決めるまでにかかった時間は3か月以内です。市場「外」での準備期間は長かったですが、市場「内」に飛び込んでからはあっという間です。

なおここでいう「市場内に飛び込む」というのは、企業に対して応募書類を投函するタイミングをそう表現しています。つまり入念な準備はこの瞬間のためだとも言えます。

市場に塩漬けにされないことは重要です。塩漬けというのは、エージェントからの紹介案件があまりない、もしくはあってもぱっとしないとか、面接をいくら受けても全然受からないなど、活動が市場内で長期停滞することを指します。

人材市場の内側に入ったにも関わらず、活動が長期化あるいは停滞すると苦しくなります。実際にSNSでは、市場に塩漬けにされている当事者の怨嗟の声を見かけることもあります。

ただし私も友人も、活動の早期決着は狙ってやったわけでもありません。私も友人も、市場内での活動時には慎重に動いています。主観的にはむしろゆっくり動いているくらいです。しかし後から振り返ると「早く決まったナ」と感じているということです。

■天の配剤という感覚

ここまで述べた「前のステージの崩壊」に押し出されるように人材市場を走り抜け、第一志望の企業から「トントン拍子」に内定が出るまでの流れを彼は

・天の配剤としか思えない

と表現していました。転職にはこういう少々人智を超えたところがあるように思っています。一般的にはこれを縁だとかタイミングなどと言うようです。

つまり二人とも、自分という人間の努力だけでは転職できず、縁とタイミングに結果として助けられたという実感を持っています。ただし途中のプロセスではそれを期待していません。完全に自助努力の感覚で活動をしています。「天の配剤」は、結果を出した後に振り返って思うことです。

■得た経験をシェアしたこと

私は友人に適宜、転職のアドバイスをしていました。友人も転職後、前の職場にいた同僚に転職アドバイスをしていました。つまり自分が経験から得たノウハウを次の人に渡していることもまた共通です。

結果の出方に関する友人と私の共通点は以上です。

■次回以降

次回以降、心身の問題がテーマになります。特にクラスタ内の成人当事者各位には深くご理解頂ける内容だと思っております。

少し具体的に言うと、友人の場合は手強かった慢性疾患の話です。私の場合は周産期の内部損傷の治療と、心身に渡る解毒の件を扱います。

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第75回
第1部体験編
第8章_転職成功の共通プロセス
その3_結果における共通点(1)

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11142

前回は私と友人の準備段階における共通点を列挙しました。今回は結果が出た後から振り返った共通点です。つまり「振り返れば結果としてこうだった」という点です。これも友人と私は共通点が多くあります。

■業界を変えていない

友人も私も、結果として同業界の転職でした。だから上手く行ったのが現実です。私は30代後半、友人に至っては40代前半の転職だったということも影響していると思います。

また、私は事務職オープンポジションの求人に応募することが多かったですが、友人はエンジニアのため、職種も変えていません。スキルを片手に働く場所だけ移動したのです。

■選抜プロセスにおいて無失点であった

友人も私も、選抜プロセスを通じてほぼ無失点でした。ただし、私に限れば2次面接で一瞬ヒヤリとした話をしました。

他方、友人は面接において(おそらく)無失点です。私は電話越しに、友人の最終面接のやりとりに関して相談を受けたことがあります。最終面接が終わったが、こういうやりとりであった。ブルー君はどう思うかと。

それに関する私の応答は

「電話で聞くやりとりの範疇においては落ちる要素がない。だからニュートラルな気持ちで結果を待てばいい。ダメだったら次」

でした。その何日か後、友人はその企業に内定しました。

私が友人越しにやりとりを聞いたのは最終面接だけでした。しかし友人の面接対応力から推測するに、また内定したという結果を考えるに、友人は面接でまったく失点をしていないと推測します。考えてみると、40代前半の専門職を採用するにあたり、そもそも失点のある人を採用するとは思えません。

障害者採用は中途採用とよく似たフィールドで「一定レベル以上(オープンワーク評点3.0以上)の企業の場合、失点があると受からない」ということはこの連載でもお伝えしています。

障害者採用なので、もちろん障害はあっていいです。しかし選抜プロセスで失点があるとNGです。これはエージェントPの模擬面接のくだりで述べました。マネージャーに一発でもボコられる内は受からない、というあのくだりです。

■受かった企業に関しては「トントン拍子」であった

友人も私も、準備期間は長かったです。しかしご縁のある企業に巡り合ってからは、選抜プロセスをトントン拍子で通過していきました。

これは結果として、次回に述べる「市場に塩漬け」を回避することができていたということにつながります。

(続く)

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第74回
第1部体験編
第8章_転職成功の共通プロセス
その2_転職準備

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-11095

友人が転職する前に勤めていた勤務先は傾いていました。そんな中でも友人はプロジェクトリーダーとして踏ん張り、勤務先を支えていました。とはいえ限度もありますからずっと前から転職の準備はしていました。

私も折に触れ友人の転職相談に乗っていました。彼が用意した職務経歴書をちらっと斜め読みしたこともあります。

そもそも私と友人は、友人になるくらいですから属性にある程度の共通点があります。よって転職準備の内容にも共通点が多くなります。それでは友人と私の転職準備について、共通点を俯瞰してみましょう。

■転職準備の共通点

1.数年に渡る準備

友人は慎重な人でした。私も彼に対して、慌てて転職をすることは戒めていました。ただ、踏ん切りがつかなくてなかなか転職に踏み切れなかったとも言えるのですが。

結果として彼も、数年に渡っていろいろな準備をすることになりました。結果としてそれが功を奏しました。

2.専門家の確保

友人もまた、自分自身の治療の過程で専門家の使いこなしを自然と体得していた人でした。だから彼とは専門家を紹介し合う仲でもありました。

この転職において友人は、2名の専門家を確保していました。

1人目は、エンジニア転職専門のヘッドハンターです。エンジニアを専門に扱う人材紹介会社に勤務する人でした。友人は応募書類のブラッシュアップをこの人に依頼し、長期間にわたるお付き合いをしていました。

2人目は社労士です。私は社労士までは用意しませんでした。私が彼にこの件でアドバイスしたのはむしろ転職先に内定した後でした。「今の職場を円満に辞めること」「法的に分からないことがあったら、そこで社労士を頼ること」とアドバイスしました。

友人はさらに専門家を増やそうとしたこともありますが、私から「もういらない」「活動が横スベリしている印象」と止めました。

3.直接紹介案件(コネ)の確保

この連載で私は、ヘッドハンター経由で某企業の社長に直接会わせて頂いた話をしました。

友人もまた、直接紹介案件(コネ)を確保していました。それは自分の業界に関係のある専門職経由の紹介案件でした。

私は人材市場のマッチング機能を使うこと自体を、転職活動の目的としていました。つまり紹介案件を重視していませんでした。だから友人が確保した紹介案件の確度についてアドバイスを求められた時は、たいしたことを言えませんでした。

4.書類と面接対応力(コミュ力)の完成

友人もまた数年に渡るヘッドハンターとのお付き合いで、応募書類の完成度は完璧になっていました。書類をきちんと仕上げられるということは、頭の中が整理されているということです。だから面接の受け答えにも破綻がなくなります。

書類と面接に関して、友人はヘッドハンターのお墨付きをもらえるレベルまで達していました。前にも述べたように、人材紹介会社の人は「0次面接官」的能力を持っています。友人はその能力を利用して選抜のリングに上がれる状態まで仕上げていました。

5.エージェントを複数使う

これは都市部ならではの転職ノウハウです。私は友人にこのノウハウを詳細に伝えました。

まず、Pの面接対策力と求人票確保力(営業力)、そしてRの求人票確保力を必ず使うように伝えました。

そして複数のエージェントを比較するため、3~4社程度はあたってみることもアドバイスしました。このくらいあたれば各エージェントの強みも分かるし、必要な求人票も確保できるであろうという算段です。

その上で、どのエージェントに求人票が集中しているか、あるいはそうではないのか、エージェント間の求人票の分布状況を観察するように言いました。そして彼の職種の求人票開拓に本当に強いエージェントはどこなのか、割り出すように伝えました。

そうすると友人の職種においては求人票の集中独占は起きていませんでした。どこのエージェントも、それなりに友人に必要な求人票を持っていました。結局、友人は4社程度のエージェントを使いました。そしてその内の1社が持っていた求人票を第一志望としました。

■相違点

他方、友人と私の転職活動において、相違点もありました。それは口コミサイト「オープンワーク」をそれほど気にしないことです。

この連載で私が述べた「テキトー指標」も、一応は彼に伝えました。実際、傾いていた友人の前の職場も、評点2.99以下でした。しかし彼はエンジニアであり、スキルがポータブルです。だからスキル主体で職場を決めます。

私は事務職オープンポジションだったし、障害者採用でした。だからやりたい仕事だけではなく、環境面も非常に重視していました。だから私はオープンワークもある程度参照はしました。

■まとめ:準備の徹底

友人はそもそも、私が転職する姿を見ていました。特に、第一志望(今の勤務先)に内定するプロセスは逐一知っています。私が内定した時も自分のことのように喜んでくれました。しかも、私のために神社に行って、内定祈願のお参りまでしてくれました。

だから友人に対しては転職後に、準備のプロセスもそれなりに伝えてありました。その過程で友人からは

「ブルー君は、僕の想像以上に転職に労力をかけたのだね」

という言葉をもらったことがあります。

つまり準備を徹底することそのものを友人に伝えてありました。それが友人の転職の数年前のことです。そして実際に彼も自分の転職で準備をやり切ったということです。

今回は以上です。

■次回以降の予告

友人の転職の詳細な結果は次回に扱います。そして次々回に、慢性疾患や心身の問題に関して扱う予定です。先に予告をしておくと、この慢性疾患や心身の問題に方が付いたことが友人の転職成功に決定的な影響を与えていますので、これだけで一回分の記事を予定しています。

(つづく)

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第73回
第1部体験編
第8章_転職成功の共通プロセス
その1_前提編:友人の属性

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-10998

この章は体験編のまとめも兼ねて、私と友人における転職の共通プロセスを扱います。

「は?ブルーさんの体験談じゃないの?」

はい、あえてこの友人を登場させる意図があります。今回の記事を最後までお読みになってみてください。

■共通という単語について

この章のタイトルは「転職成功の共通プロセス」です。

ポイントは「共通」という単語です。「普遍」や「必勝」ではありません。ですから万人に当てはまるプロセスでは多分ありません。そもそも私の友人ですから私と属性に共通点があり、結果として共通したプロセスを経て転職をしたということです。

友人は私が今の職場に来た数年後に転職をしました。その転職において私もアドバイスをしています。だからプロセスが似るのも当然といえば当然です。

■前提

まずは前提として、友人の属性です。個人情報が特定できない範疇にしすが、それでも私といくつか共通項があります。

<友人と私の共通項>
・年齢が私と同じです。学年も同じです。就職氷河期世代、ロスジェネ世代です。
・私がいる大都市圏に生まれ育っています。つまり都市部が舞台です。
・転職回数が多くありません。日本社会における「履歴書が荒れていない」人です。
・転職前の職場が傾いていて、脱出しないと危ない状態でした。

私の転職前の状況は(放送自粛)ですが、友人も私も職場を脱出してサバイバルせざるを得なかったところが共通しています。以上が私と友人の共通項です。

次に相違点、つまり友人固有の特徴は以下です。これはこの章を記載するにあたり必要になるので記載します。

<友人固有の特徴>
・エンジニアです。手に職があります。ここは事務系の私と違います。
・エンジニアにありがちですが、理系の修士号を持っています。私より学歴が上です。

さらに友人の重要な属性として

・ある慢性疾患に20年近く苦しんだ過去があります。「過去」と書いたのは、現在はその疾患は完治しているからです。

友人は発達障害ではありません。しかし、心身の慢性的な疾患に対して長い時間をかけてそれを完治させた経験において、このサイトに集う成人当事者の皆様とよく似た経験を持っています。つまり友人もまた、自分で自分の心身を治して人生を切り開いた人なのです。

■職業人生突破の要因

この章ではあえて友人を登場させることにより、「長い間、慢性的なものを抱えていた成人」が、それを克服して人材市場を突破していくための必要事項を復習します。

ただしN数が2しかないので、ここで扱う事項が普遍的な事なのかは不明です。共通の前提を持つ、似たような属性の人々の、転職活動における共通項を抽出するだけです。

しかしその作業は結果として、第一部体験編のポイント整理になります。だから友人を登場させたというわけです。

(つづく)

追伸:

友人は、私自身の治った自慢にも一瞬登場します。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-14/#comment-8439

記事の真ん中からやや後ろあたり、「■友人の言葉」のくだりで登場する「友人」が、この章で扱う人です。ただし彼も当時はまだ道の途上で、転職もしていないし、慢性疾患も完治はしていませんでした。

返信する
浅見淳子

ブルーさん

これは興味深いお話です。
20年くらい病んだ人がどうやって社会で活躍していくのか、という意味で。
ぜひ、私の身内の女性(先日鹿児島に連れて行った人)にも読ませたいです。
彼女はあの旅について私が書いたブログは何度も読んでくれて、周囲にも見せてくれたみたいなので、この連載のことも言っておきますね。

それにしても、世の中の人手不足もあり、一回病んだり引きこもったりドロップアウトした人が活躍できる社会になっていることはいいと思うし
そこから立ち上がろうとした人が報われるのは気持のいいことですね。

返信する
ブルー

浅見さん

そうですね、正確に言うと、友人は就労と活躍そのものはできていました。エンジニアですから、手(及びアタマ)に職がある強みがありました。また念のため明記しますと、友人は手帳を取ったことがありません。慢性疾患を抱えていたとはいえ、健常者だと思います。

それでも慢性疾患は実に手強かったですね。なんというか、対外的なことはできるのですが、心身に地獄を抱えていた感じです。症状がひどい時期は実に痛々しかったです。完治した今でも、友人の身体にはわずかにその時代の痕跡が残っています。

ですので、お身内の方と友人は状態像はだいぶ違うかも知れません。それでもこの章が何かのご参考になれば幸いです。

>一回病んだり引きこもったりドロップアウトした人が活躍できる社会になっていることは>いいと思うし
>そこから立ち上がろうとした人が報われるのは気持のいいこと

→社会にも問題点はいろいろあると思いますし、一見閉塞的な状況に見えるかも知れませんが、突破口を開ける余地はいろいろとあるように思います。

よろしくお願い致します。

返信する
川添紀子

:「職場のカラーを逸脱」について:

どっとこむに書き込むのはどっとこむが開設されたときにご挨拶して以来です。
4年ぶりということになります。

浅見社長のツイート(ポスト)とドットコムと双方ずっと拝見しておりましたが、
休みはほぼ日曜日だけという4年間で、
治ったにしても仕事のことにしてもコメントに落とす余裕を持つことが出来ませんでした。

ブルーさんの就活についての連載をとても興味深く拝見し、
自分の来し方と引き比べて答え合わせをするように読み、
先々のキャリアを考える上で参考にしておりました。

が、私は、直近の連載のブルーさんの言葉を借りていえば
「職場のカラーを逸脱」してしまい、独立して起業するに至ってしまいました。

2022年9月に創業し、先月で1期を無事に終え、
今日は決算用の書類を書き上げたばかりです。
2期目の仕事の見通しもついており、
何とかやっていけそうな感触をつかんでいるところです。

ブルーさんの連載の中身的にタイムリーかな、と思い、
「職場のカラー」と「逸脱」について書いてみようかと思いました。

長いですが、1回限りの記事と考えていますのでご容赦ください。

私についてですが、17歳から10年を超える引きこもり期間を経て、
発達障害前提の就労支援につながり、
33歳になる年に初めて就職らしい就職をしました。
最終学歴は通信制大学の大卒です。
引きこもり期間中はアルバイトやパートをしたことも個人事業主をしたこともあります。
結婚しており、夫とは退職した職場で出会いました。

:就業した11年の経緯:

私は11年前に前職の職場に入社し、勤務した10年中最後の5年は管理職になっていました。
管理職といっても従業員20人弱の、かつ特殊な製造業の中小企業でしたので、
個別部門のプレイイングマネージャーでプロジェクトリーダーを兼ねる感じでした。

今は起業して社長ですがいわゆる「建築の一人親方」的な個人事業主とほとんど変わりなくて
プレイイングマネージャーとプロジェクトリーダーに経営の仕事が加わった感じです。

これらは自慢でもなんでもなくて、ひとえに「職場のカラー」から逸脱した、
最終的な帰結が独立になっただけなのです。
会社作っても社長になっても偉くなった実感など微塵もないです。

叶うなら前職場で勤務を続けたかったですが、製造業として特殊なポジションにあるものの、
時代の変化に合わせて業界全体が変化を要求されており、
経営判断として私がいた部署は閉じられることになりました。

:「職場のカラー」から逸脱しないことは大事か:

私は残る別部署への転属を強く希望していましたが、
経営上の理由と「職場のカラー」的な判断から、慰留されず、
かわりに私が率いていた部署の仕事を引き継ぐ形での独立を打診されることになりました。

私は職場結婚をしており、夫と二人での起業になりました。
夫も同じ部署であったし、別部署への慰留の打診はありませんでした。

二人とも解雇は解雇でしたが職場は独立についてかなり有利な状況で送り出してくれました。
退職に当たってのあらゆる交渉に応じてもくれました。

そうしてくれた理由はいくつかあります。
ひとつは、前職場は失くした部署の仕事を表向きは続けていきたい意向があるから。
ふたつは、選択と集中により、失くした部署の仕事に割く人員が無いから。
みっつは、失くした部署の製作ノウハウが失くした部署の人員にしか(事実上)ないから。
よっつは、二人とも勤続年数10年を超えており、仕事の中身は評価していたから。

つまり、前職場は表向き引き受けた仕事を独立させた私たちに委託することを提案し、
私たちもそれを引き受けたという事になります。

花風社の読者の方々のなかには、上記の流れから、
私と夫ともに発達系の気質があることを読み取れる方がいらっしゃると思います。

また、こういった独立の仕方が特殊で特異なケースではないという事も。
ああ、そんな流れあるよね、と。

私たち二人は選択と集中で前職場が選んだ「職場のカラー」から逸脱した人員になっていました。
しかし、選択と集中の前に職場の代表者が希望していた職場とは、
「多彩であること」だったと私は受け取りましたし、実際もそうでした。
この部門はこの色、この部門はこの色、といったように。
つまり、私たち二人がいた部署は「多彩なカラー」の一つを独立して形作っていたのでした。

しかし、特殊ではありますが業界の状況が技術の進歩その他諸々の事情でここ10年で変わり続け、
「多彩であること」を維持することが厳しくなりました。
これも特殊でなくとも一般的な製造業界あるあるだと思います。

ある一つの企業で活躍を続けるには「職場のカラー」から逸脱しないことはとても大事です。

一方で、「職場のカラー」から逸脱していない人材であっても職場の状況が万全でなければ、
出ていく決断を迫られることは普通にあります。
また、逸脱しないまま別の職場へ転職の希望が生まれて自ら出ていくこともあります。
これらはまた別の話なので、ひとまずおきます。

:「職場のカラー」からの“逸脱”した先に何があるか:

解雇されることが判ってから私が一番に考えたことは、
「どうしたら会社を起こしながら顧客に迷惑をかけずに受注分を捌いていけるか」ということだけでした。
最終的に「職場のカラー」から「逸脱していた」ために「解雇の対象になった事」
に対する後悔などは微塵もありませんでした。

思えば、私が11年前に就職したての時も、
配属された現場はキャパオーバー状態で回っており、(だからこそ求人が出ていたわけです)
「どうしたら顧客に迷惑をかけずに受注分を捌いていけるだろうか」
という事を1から考えていかなくてはならない状況に放り込まれたものです。

43歳にしてもう一度スタートラインに立ったのだなと思うと笑えました。

11年前と違うのは、仕事の課題設定に関しては受け身でいられないどころか、
ゼロから設定して取り組み、失敗も成功も自分の責任で引き受ける事になった点です。

私にとってはこれは思いがけずワクワクする事となりました。
手袋越しでなく素手で社会に触れ、
色眼鏡越しでなく裸眼で社会と対面している実感があります。
何となく先々も何とかなるだろう。という気がしています。
何の根拠もないのですが。

何の根拠もないといいつつそれだけでは言いっぱなしになってしまうので、
次のように考えてみました。

私は発達障害系の就労支援から就職に至ったクチです。
対人コミュニケーションについては当初困難があり、今も得意とはいえません。
苦手な場面は避けています。
体の運び方も随分良くなりましたが、まだ割とギクシャクするほうだと思います。

ただし、就職が叶ってからは、
仕事に限ってはどんな苦手な場面でも相手でも不思議と
逃げよう避けようと思ったことがないのです。

何故かと理由を考えるなら、
ひとつ仕事をしようとして困難に直面し、ひとりではどうしようもない事について、
適格な場所や人に助けを求めると、わりと親切に親身に応えてくれる。
そういう経験を入社した時から繰り返し体験することになったからかなと思います。

自分が出来る限りの努力をしていること、その努力の中身が適格だと
評価されていることは大前提になるのですが。

ものをつくっていくプロセスでは、職場の内と外で臆せずいろんな立場の人に声掛けし、
したいことを表明し、具体的な助力を求め、交渉をし、
期日や価格、ものの精度について落としどころを探るということを積極的にしたほうが、
当たり前ではありますが、望ましい結果が出ます。

勤め人だった10年は、その繰り返しで、失敗もありましたが繰り返す都度、
出来るもののレベルが上がったり、難度の高いプロジェクトの成功度合が上がったり、
自分と、部署とが成長をしている実感がありました。
(ただこれまでは、失敗については職場が責任を負っていたわけで、
これからは全部自己責任になります。)

独立してからは努力の中身に経営の要素が加わります。
が、これについては思ったほどの困難にはなりませんでした。

創業時に契約した士業の方々、融資を受けた金融機関、
あと、国や地方自治体、商工会、その他機関と、創業や経営に関しては
想像以上に助けを得ることができました。拍子抜けしたほどでした。

日本という国は国を挙げて、製造業だけでなく、ありとあらゆる業界に向けて、
逸脱してしまった、状況に押し流されて逸脱した、逸脱を決意して逸脱した、
そこから創業を志す人間への支援をしている。

労働者の立場でかけていた色眼鏡が外れてから裸眼で見えた、
日本の姿でした。

その狙いや目的は考えるまでもなく国の発展だと思います。

仮に、私が前の職場で「職場のカラー」を逸脱しない人材になることを目的とし、
雇用され続けることを目的として仕事をしていたとしたらどうなったでしょうか。

結局、解雇される現実はやってきたでしょう。
理由ははっきりしています。

ひとつ、10年勤務していて技能も上がっており、管理職になっていなくても給与が高い。
ふたつ、時代の変化に対応する時期はどんな企業にも到来する。
みっつ、職場の規模の再編が手段として選ばれ、私よりも育てたい若手が控えている。
よっつ、「多彩なカラー」を望んでいた職場代表の意向を汲むこともしないまま10年過ごした。

労働者として雇用されることを望んでも、独立した経営者として働くことを選んでも、
資本主義が是とされる社会では、時代の変化に合わせて変わるということは、
万人に訪れる転機で、逃げることは出来ません。

労働者を続けたければ培ってきた強みを生かした職場への転職を考える必要に迫られますし、
実力が備わっていれば独立して創業するという選択肢が見えてきます。

経営者として転機が訪れたなら、廃業、新機軸の発明・発掘、業態の変革、などなど、
いろんな選択と変化を試行錯誤していくことを要求されます。

私は去年訪れた転機で、当初労働者としてあることを望んでいましたが、
状況に鑑みて独立という選択肢を選びました。
前職場で「多彩なカラー」の一翼を担う力があったからこその独立になりました。
これが私の「職場のカラー」からの逸脱の結果になります。

「職場のカラー」からの“逸脱”をした先に何があるか。

どういうどういう結果が到来するかはもう、千人十色、ひとそれぞれということです。
良い事と考えるか悪い事と考えるかはその人次第です。

わりと無責任な結論になりましたね。ごめんなさい。

:花風社と私:

ここまで読まれた文章からは信じてもらえないかもしれませんが、
私は32歳での試用期間を経た正社員登用が初めての就職で、それまでが大変でした。
10代でバイトやパートとして働いていた時期はありましたが、
引きこもりのメンタルを仕事に持ち込んでしまい、
その結果起きた更なるメンタルの不調から辞めてしまいました。
そこからまた働こうとしても20代ではバイトやパートの面接すら通らず、
家でも出来ることをと思って個人事業主としてイラストレーターなどをしていた時期もあります。

劇的な転機になったのは、花風社の初期の発達障害系の本に出合ったことです。
ニキさん、藤家さん、大地君の本が私の心身に起きていた状況を言語化してくれ、
状況を改善するとっかかりを与えてくれたことによります。

その後も浅見社長が発達系の課題について芋づる式に発見し、矢継ぎ早に発刊されていったこと、
それが当時の私の抱えるテーマにいちいち合っていたこと、自分の事として捉えることができたこと、
そのおかげて私は自分を治していくことが出来ました。

私が正社員登用を果たしたころには、
花風社の本の治そうという方向性がかっちり固まっていました。

それらの本を通して、今現在の私の課題を見つけたり、
私の過去にある原因を見つけたり、と、
読むだけで自分が自分を治していっている実感を持つことが出来る本を、
都度都度、提供していただいていると感じる今に至ります。

本だけではありません。
どっとこむを通して、育児するお母さまがたの奮闘と子どもさんと向き合う姿から、
私は過去の私と向き合い、私を弱らせたもの、強くしたものの正体を発見しては、
勝手に癒されていました。

今の私を生かしているものの正体について知ることが出来ました。

ちなみに、私たち夫婦にはこどもがありません。
二人が子育てを通して自身の課題に直面するという機会はもうなさそうなので、
どっとこむという場は私にとって奇跡のように思えます。

この場を借りてお礼を言わせてください。
花風社の浅見社長、読者の皆様、本当にありがとうございます。

どっとこむが良き場として維持されるとともに、
発達やメンタル不調は治るが当たり前になっていき、
いつか不要になる日本になることを願っています。

追記:画像は今一緒に暮らしている猫です。子供のころからの猫アレルギーは栄養療法が登場したころに治しました。

返信する
ブルー

川添 様

連載をお読み頂いていたとのことで、ありがとうございます。

川添さんのような方にお読み頂けると大変励みになります。
そして、仰っていることいちいち共感と納得を致します。

あの連載を最も理解できるのは民間企業の経営者と自営業者、
すなわち「給料を払う側の人(自営は自分に対して)」です。
ですので今後もお忙しいとは思いますが、
お手すきの時にでもお読み頂けると幸いです。

また、私は川添さんの書き込みを「治った自慢」としても拝読させて頂きました。
(自慢なさった覚えはないかも知れませんが)
その意味でも当事者として大変学びになりました。

なお余談ですが、
ビジネスの世界では「ポジティブな逸脱」という研究が
話題になったことがあります。
まさに川添さんのことだと思って投稿を拝読しておりました。

私は経営者の経験はないのですが、思うに
サラリーマンとしての優秀さと、
経営者としての優秀さは質が違うように思います。

あのマネージャーのように組織で上に行く人もいれば、
川添さんのようにスピンアウトして起業する人もいます。

ドロップアウトが多かった私に比べると
どちらも種類は違えど優秀で凄いなと思っております。

お忙しいでしょうからご返信は不要です。
この度は多くの学びをありがとうございました。

川添さんの今後のご活躍を祈念しております。

返信する
川添紀子

ブルーさん

コメントをありがとうございます。

そうですね、治った自慢も兼ねてますね。

私の場合、治ったのは運良くタイミングよく浅見社長の花風社の本に出合うことが出来たのが大きかったです。
それ以外に真っ新な眼差しで発達に向き合い、治るよと発信してくださる方(発信大事!)は居なかったですから。

もうひとつ、運が良かったのは、
12年前に就労支援に当たってくれた支援センターの担当の方(私が就労を果たしてすぐ異動されたそうです)が、
基本仕事が出来る純真な人で、発達障害支援の基本理念を真に受けて実践する人だった事です。
私に対しては30歳過ぎても全然間にあうよ、と、はっきり仰って下さり、実習の現場(無報酬で被支援者が労働する民間の現場)
と交渉するなど体当たりで支援するタイプの人でした。

前職でも、
顧客に迷惑かけないように仕事出来れば余計なコメントをしてこない代表のおかげで、
基本的にはしたいことをしたいように出来たという運の良さがありあました。
(従業員間の仕事をめぐる確執はあったということです)

的確な努力したうえで、戦う、交渉する、フェアである、ことを辞さない生き方のお手本になる人々が、
絶えず目の前に現れ続けてくれたこと。

これが私の性に合ったことは本当に幸運だったと思います。

優秀と仰ってくださいますが、性に合うことしかしてこなかった結果が結果なだけなのではないかなと。

これって、当初、発達支援の掲げた目的の建前そのものだと思うのですが。
今現在は10年以上かけて既得権維持のためのめんどり維持目的が構造化してしまっていますが。
あの頃私が出会った支援の現場は構造化するとこまで進んでなかったのだと思います。

ドロップアウトは17歳の時から10年以上していたのでおあいこです。
私は結局サラリーマンは性に合ってなかったのでしょう。

私は業績の見通しが立てば、やがて人を雇用することになるかもしれず、
ますますブルーさんの連載から目が離せなくなりました。
これからも楽しみにしています。お体に気を付けて。

返信する
ブルー

川添さん

お忙しいところご返信をありがとうございました。

>ますますブルーさんの連載から目が離せなくなりました。

経営者である川添さんにそう仰って頂けると、
大変励みになると同時に、身の引き締まる思いです。

今後ともよろしくお願い致します。

返信する
いぬこ

ブルーさん

お久しぶりです。
素晴らしいご投稿をいつも、ありがとう
ございます。
私も激務で、ブルーさんの記事をなかなかゆっくり拝読する時間が無く、今日が久々のお休みです✨
私は、障害を持たずに生まれてきましたが、企業の人事、障害者雇用には、
非常に深い知識を持っております。

そして、現場において、何人もの障害者雇用枠の若い子を、常に指導?言い方が
失礼ですね。育ててきました。
パートの時も、準社員の時も、正社員の
時も、なぜか私に担当を任されます☺️

ブルーさんは、確か…同じ氷河期出身と
記憶しています(誤りがあったら失礼)
私は1972年生です。

ブルーさん、早く手帳をご返納されたら
よかったのに。。でも、今はキャリアを
積まれて、誰よりも強い方かと存じます。
そして、私達が日本を変えていく必要があります。ブルーさんならわかって頂けるかと。体験を通して、更なる高みを目指しましょう!

私は実際にそれを実現するために、
既に、すごいスピードで動いております。
ブルーさん、共にがんばりましょう。

遅れましたが、治った自慢大会には
素晴らしい書評をありがとうございました。ブルーさんらしく、該当ページ数まで書いて頂いたこと、一生忘れません。
治り切った、いや、治ったどころか
素晴らしい17歳となり(早生まれ)
娘は高3の夏休みを終え、首都圏私立大学志望校に向け、一生懸命がんばって
いますよ!
モビングの素晴らしい分析から、
ここまで丁寧に、いつもアップして下さり、ありがとうございます。きっと、お忙しいのに…😢

もし、23区にお住まいでしたら、
一度お会いしたいです。
お互い、お名刺を交換しませんか?

と、言っても、この2日で、名刺を配りまくって、今、至急発注かけましたが笑

ブルーさん、ありがとうございます!
お互いがんばりましょう。我々が
日本を変えていくのです!

返信する
ブルー

いぬこさん

こちらこそ、ご無沙汰しております。
そしてご投稿をありがとうございました。

障害者雇用枠の若手の方を育成されることを必ず任せられるとのことで、うっすらといぬこさんの人となりが想像できるような気がしました。育成側の御経験が深いのですね。

私も氷河期世代で、40代半ばになろうとしています。そして、世の中の人々を強引に二分すれば、「世の中を維持する人」と「世の中を変える人」の2種類がいると思っています。この2つの人種に優劣はなく、両方が必要だと思っています。ただし、私は「変える人」の側にいると思っています。

ただし私はそんなに強くないです(恐縮)。自分の数少ない強い側面しかどっとこむに書かないから多分そう見えるのだと思います。

しかし何しろ私はHSPでもあるので、唖然とするほどヨワヨワの側面を確実に持っています。ここではニーズがないので書きませんが。ただしそのヨワヨワがあっても根がぐらつかないという実感があるのも確かです。

それと書評でも触れましたが、娘さんについての素晴らしいお話をお聴かせいただき、こちらこそありがとうございました。そして娘さんがますますお元気そうで本当に素晴らしいです。

お会いする件ですが、まず、浅見さんからいぬこさんに私の本名が届きます。そのうえでいぬこさんに私が話かけるように致します。いきなり知らない男性から話しかけられると気持ち悪いだろうと考え、この方式を浅見さんにお願い致しました。

この度は、こちらこそお声がけありがとうございました。
お互いに頑張りましょう。世の中を変える側の人間として。

返信する
ブルー

シアさんへ

改めましてこんにちは。
いつも連載を読んで頂いてありがとうございます。

そして文章へのご指摘もありがとうございます。この件のご指摘を受けるのは2度目ですね。確か連載の開始当初も「過剰演出じゃないか」とご指摘を受けました。

シアさんがそう感じるということは、おそらくクラスタ各位の中にも同じような事を感じている方がちらほらおられると思います。

ですが皆さん読書家で賢いですから、そこを差し引いて連載から上手くエッセンスを抽出頂いているような気がしています。だから正面切って指摘してくれるのはシアさんだけになっているのではないかと思い、返信を差し上げる次第です。

■文章の書き方について

この返信は長いので、結論から先にお伝えします。今後、この連載の文章構成に関して以下の2つに留意するように心がけます。

1. 主観と客観の書き分けを明確にするようにする
2. 全体構造と部分要素の描写バランスに留意する

です。

■主観と客観の書き分けを明確にするようにする

おそらくシアさんがお感じになっておられることは

1. 個人の体験談なのだから、主観や感情が入ることは理解しているけれど
2. 客観的な観察や分析をしているはずの文体の記述においても
3. >毎度どうも誇張や推測が入り込んでいるような気がしている
4. だから読者としては客観的な情報を得たいはずの
5. >日常業務の様子から乖離しているような(印象を受ける)

と受け取りました。

細かいですが「誇張」はおそらく私が強く感情を揺さぶられた場面のことだと受け取りました。「推測」は、私が統計や定量情報に当たらずに、自分の仮説と定性分析だけを使わざるを得なかった情報に関することと思っています。

もう少し詳しく言うと、「誇張」は手記において客観的な視点で記しているはずのくだりであっても、私の強い感情に記述内容が引っ張られている状態です。

「推測」は定量情報や統計情報に当たっていない、私の仮説と推測に基づく定性分析にも関わらず、あたかも定量的なデータに基づく客観情報のような文章表現になっている状態です。

つまり当初の結論1に関連して

★客観と主観の書き分けを上手くやり切れておらず、混ざってしまっている場面がある
→(手記ではあるけれど、それでも)もう少しなんとかならないの?

というのがシアさんのご指摘のコアだと受け止めました。
(間違っていたら遠慮なく指摘してください)。

もうこれは私の文章力と知的水準の問題なので、「今後頑張ります」としか言えません。特に私の感情が強く揺さぶられている場面については、結論の2にあるように客観的な全体構造の描写と、主観的印象の描写量のバランスを取ることを心がけます。これによってシアさんのご懸念をある程度払拭できるのではないかと考えています。

また「推測」に関しても先に述べたように、この連載における定性分析はほぼ全て私の見方と仮説、すなわち主観に基づくのでそこもよく明記するようにします。

■シアさんと私の違い

それとご指摘を受けて、シアさんと私の違いについて気がついたことがあります。

シアさんは確か、大手総合商社の人事部や人材派遣会社にお勤めの時代があったと記憶しています。つまり採用する側の実務経験をお持ちです。

対して私は、採用業務に関してはかろうじて採用コンサルティングのプロジェクトの参加経験があるくらいです。でもこれはあくまでコンサルなので、「会社の外(ソト)の人」の経験です。シアさんのように採用業務における「中の人」の経験がありません。残るは自分が求職者だった時の経験しかありません。派遣の人に対して面接官をやったことはありますが、それはその時だけです。

採用選抜においては、採る側が圧倒的に情報を持っていると考えます。求職者は採用側の本音は分かりません。人事データも採用する側が膨大に持っています。各企業における採用選抜の場面において、求職者の持ち得る情報は企業側に比べたら実に微々たるものだと思っています。つまり採用側と求職者の間で、情報の非対称性が強く働いていると考えます。

よって企業の採用実務において、シアさんと私は触れてきたデータ量が違うと思います。私は採用側にいたことがないので、データ量や経験でシアさんに及ばないと思います。

だから私の連載をお読みになってシアさんが

「この文章はちょっとアレだ」

というように違和感があったとしたら、それは文章の表現法もあると思うのですが、加えて私とシアさんの採用業務に関する経験量の差がもたらしている事だとも思います。

この違和感は採用周りの実務経験者のものですから、この連載にとっては極めて貴重です。だから何かをお感じになったとしたら、今後もどうか遠慮なくご指摘頂ければと思っています。

■求職者という立場から

そしてこれは言い訳になりますけど、連載においては推測がどうしても多くなると思っています。それは前段落でも述べたように、私が企業に比べたら圧倒的に情報量の少ない求職者側の立場にいたからです。

求職者にとっては企業の本音が分からない採用選抜という場面において、当時の私は仮説と推測に基づく分析を多用して乗り切らざるを得ませんでした。

そのため今後は結論1にも書いたように、これはあくまで個人の仮説と分析に基づく推測(=主観)である、とできる限り明記するようにもします。

往々にして私の文章は、仮説にも関わらず自覚なく断言口調になったりする事もあると思われ、そういうところをシアさんは違和感として感じておられるのかなと思いました。

■全体構造と部分要素の描写バランスに留意する

それと今回のシアさんのご指摘で、改めて構成を考えなくてはならないのは第2部分析編だと感じました。

第2部は、ただでさえ当事者をまとめてフルボッコにする内容だというのに、内容以外のところで誤解が生じるようではNGだと思います。それでも大切な内容ではあるので、例えどっとこむが炎上・バクハツしようと連載をやらなくてはならないと思っています。

第2部は人材市場の分析です。とはいえ、やはりそれは私の仮説と推測に基づいています。定量的な統計に基づく情報としては、エージェントがどのように市場分析しているかも紹介しますが、私のパートはあくまで私の個人的考察にすぎません。

ここにおいては、結論の2にあるように、全体と部分の書き分けをきっちり行い、かつそれぞれの描写量に気を配らなくてはならないと思っております。

個人の体験や見解というのは、例えば人材市場などの社会構造に比べれば常に部分的なものと言えます。部分に関する記述について私の感情が強く入り、かつ全体への言及が足りなくなったりすると、あらぬ方向へ印象操作していることになります。

先日の事例ですと、マネージャーのキャラクター全体への記載が甘い状態で、その志や気迫という部分的要素に感銘を受けた話ばかり強調すると、あの通り歪んで伝わります。

第2部は人材市場や社会構造という全体的なものを扱います。しかしあくまで私の観える範囲は「部分」的なものですし、そもそも私の「主観」に基づく定性分析がメインです。だからお伝えしている2つの結論に関してなおさら気を配らなければならないと思いました。

シアさんのご指摘で考えさせられたことは以上です。

この度はご指摘をありがとうございました。この連載にとって採用周りの実務を経験しているシアさんの御指摘は貴重です。今後も何か連載に関してご意見があれば忌憚なく仰って頂けると幸いです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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シア

ブルーさん

ご説明、ありがとうございました。
私自身、あまり細かいことだったかなと思いましたけど、少し迷ったのですが、指摘させていただいたのです。

私自身言葉の間違いなど、事務的一般常識においては水準が低いところがあるので、その他気づいたことがありましたらご指摘いただけると幸いです。

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ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第72回
第1部体験編
第7章_エージェントP_その後
その2_マネージャーの過去

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-7/#comment-10959

■マネージャーの気迫の由来

私はエージェントPに通っていた時代に、社員の方とこんな話をしたことがあります。

———————————————————————————
ブルー:
「マネージャーは凄い気迫ですね。職場だと相当厳しいんじゃないですかね(笑)」

P社員の方:
「はい(笑)。それはもう、一番長時間働いている人です」

ブルー:
「なんか、凄く志を感じるんですよね。マネージャーからは」

P社員の方:
「これは個人情報になりますので・・・。『自分が同じ経験をした』とだけ」
——————————————————————————–

私はこの会話の記憶を墓場まで持っていくつもりでした。しかし現在のPのホームページでは、その「同じ経験をした」というくだりについてマネージャー自身が語っています。

■マネージャーのインタビュー

エージェントPのHPによると、かつてマネージャー自身がメンタル疾患を患い、休職していた時代があったのだそうです。そこから復職後、まずは社外に出ないバックオフィス業務で数年程、治療をしながら少しずつ職場に自分を慣らしていったのだそうです。

ここで、転職活動セミナー&模擬面接の様子を思い返すと分かることがあります。あの時マネージャーは、成人当事者達にむかって「会社を休むのは1.5日 ※1」と言って据わった眼で凄んできました。全身から青白い闘気を出しながら。

これはHPに書かれていることではなくてあくまでも私の推測ですが、これはマネージャー自身が通り抜けてきた道だと思われます。復職後の数年間、治療をしながら少しづつ自分を仕事に慣らしていた時代に「会社を休むのは1.5日」と自分に言い聞かせていたのではないかと推測します。

だから実体験を伴って、そして実は共感しながら成人当事者達に凄むことができたのです。

■完治してこそ

その後、マネージャーはメンタル疾患が完治した後、精神・発達障害専門のキャリアアドバイザーになったとのことでした。自らの経験を活かしたかったとのことでした。

これは刮目すべきことなのですが、「完治」とPのHPには明確に書かれています。つまり、完治していない人が精神疾患や発達障害の人を扱ってはいけないという見識がエージェントPにもきちんとあるということです。寛解ではだめです。完治でなければなりません。

これはエージェントKの創業者も言っていたことでした※2。「心理系の専門職は採用しない。自分がしんどい人が多いから。溺れる人を助けるには2人前泳げなくてはならない」と。

こういうことは民間企業の方が余程分かっているように思います。かつ、どこかの誰かさん達のような「精神疾患には完治はなくて寛解しかないノダー」という人々を相手にしないという事でもあります。

大企業PのHPですから、アクセス数は物凄く多いでしょう。その中には「寛解ガー」が多少は紛れ込むこともあるでしょう。それもおそらくは承知の上でエージェントPはHPに堂々と完治という単語を出しているのです。

これは当事者からすると当然です。当事者は、心身ともに健康かつ健全な専門職以外を頼ることはできません。完治はその前提です。繰り返しますが寛解ではダメです。

エージェントKの創業者も言うように、当事者は病んでいる専門職を選んではいけません。もし病んでいる人を頼ると、当事者はその人の自己治療の道具に使われます。この件も繰り返しこのサイトに書いてきました。

実際に入社1年後のインタビューの場においても、マネージャーは健康的かつ健全なエネルギーを全身から発散していました。表情は柔和でしたが、見るからにエネルギーが強くて健康な人でした。

■マネージャー以外の人々

これらの件に加えて、別のP社員からは「自分の子供が発達グレーで、Lのデイを使っています」というお話を伺ったりしました。

エージェントPはそもそもPグループの特例子会社です。だから社員の7割近くは障害者の人達です。つまりマネージャーだけではなく、Pで働く人の多くにとって障害者雇用は自分事です。こういったこともPの競争優位の源泉だと感じました。

エージェントPの1年後の話は以上です。次回からまた章が変わります。

(つづく)

※1
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-4/#comment-9954

※2
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-2/#comment-9432

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シア

ブルーさん

こんにちは。
数千人の派遣現業員やそれ+数千人の正社員の個人情報を扱っていたことがありますが、様々な疾患を抱えている人がいます。
それぞれのご事情があって、仕事をしているので、そんな苛烈な人ばかりでもないと思います。
私のいたのが、もっと緩い感じの現場だったからかもしれませんが。
私は仕事はこなしさえすればいいので特別なテンションも必要ないと言う人が多かった気がします。

職場により様々であり、属人性のあまりにも高い職場をたくさん見ました。
あまり能力が高かったり、スキルや情熱も高いと大きな組織ではそんなに有用ではありません。
うつ病になったりする人の弱点は、「仕事は仕事」という割り切りができず、「俺がやらなきゃ」と言う気持ちが強すぎるところがあります。

もちろんそれは悪いことばかりではないですが、組織的なプロ集団と言うのは個が強すぎない方がうまくいくのです。
これはYGテスト(矢田部ギルフォード性格検査)でも分析され、人事考課に書かれてしまいます。
「出る杭すぎるから注意すべし」というふうに。

超人的な人はむしろ中小の経営者に向きますでしょうけど、身を削って融資を断られて云々悲劇的な結末を迎えるのもそのような人です。
しかしそのせがれは金融機関に勤めるようになって勝ち残っていくと言うドラマがあります。
半沢直樹シリーズのあらすじですが、ドラマでは出る杭は打たれると言う風に最後に主人公が「出向」させられてしまう描写があったと思います。

あのドラマの仕掛けは、出る杭は打たれる…やっぱりなぁ、と考えて、組織のサラリーマンが溜飲を下すと言う仕掛けもあるようなのです。
その方が話の流れとして上司もその他の部下も平穏でしょう。

ただまぁ、お話としては、そういう熱い人が頑張る仕事場があったらいいなっては思いますがねぇ。
そういう職場はインセンティブが高かったりはしますがあまり民度が高いのを見たことがありません。
社員が熱くて鬼百訓のあるところ、またはビッグモーターのようなところが多いです。
会社規模にもよるのかもしれませんが大手ではあまり見ません。
大企業は事務的でマニュアルが多く、きっと今ならDXやリモートも取り入れてもっとリフレックスな感じなのではないでしょうか。

つまり今後の流れは組織においては属人化ではないと言うのが私の考えです。

返信する
シア

ブルーさん。
私の書き方がまずかったです。

ただ「仕事は仕事」と割り切ってやっていくのが普通の仕事なのかなと私は思っています。
頭から湯気が出ていたり、特別そのような雰囲気ではなく、普通の人が普通に働いているのが企業だと思うんですよ。

毎度どうも誇張や推測が入り込んでいるような気がしているんですよ、それで日常業務の様子から乖離しているような。

返信する
yasu

ブルーさん

勢い人が頑張る仕事場。。理系の職場だとその手の要素があったり、考えを取り入れたりしているところはあるかもしれません。研究開発にはお金がかかるので、中小企業だと資金に余裕が無くそこまで手が回らないのかもしれませんが。。

もうずいぶん昔ですけど、島津製作所の技術者の方がノーベル賞を受賞しましたけど、あそこはまさにそういう企業風土があるのかもしれません。

ただ、勢いと(その職場、職種における)有能さは必ずしも相関しないんですね・・
方向のずれたことを勢いよくやり続けられると、組織が持たないのでどこかの時点でご退場願わないといけなくなる、というのはあります。

返信する
ブルー

シアさん
yasuさん
(及び、浅見さん、クラスタ各位)

今、少し多忙にて、細かい返信は明日の夜以降にさせて頂きます。

ただし、緊急でこの1点だけはお伝えします。

私の文章力の不足により、マネージャーの人物像が間違って伝わっている様子です。マネージャーはシアさんやyasuさんが想像するような人ではありません。

何か、職場のカラーを逸脱し、アタマから湯気出して勢いよく働く(チョットアレな)モーレツ社員みたいに受け取られているようです。もちろんそのような誤解を招いたのは私の書き方に由来します。

断じて違います。

エージェントPのような極めて優秀な企業で、そのようなズレた人物がマネージャーのマネージャーという、いわば現場の頂点に出世することはありません。

マネージャーはズレているどころか、正しく現場の模範となっている人物です。実際、エージェントPのHPにて、このマネージャーはキャリアアドバイザーの筆頭格の位置に顔写真があります。彼の正確な職位は「マネージャーのマネージャー」ですから、現場を束ね、代表する人です。

私はこのマネージャーと2度接していますが、「サラリーマンの範疇において」極めて優秀な人物です。ズレているどころか、バランスが取れて紳士的な、模範ど真ん中の人物です。確かに熱心に働いている人だとは思います。しかし基本は理知的でさわやかで、何よりも表情が柔和です。

だったらそういうこともちゃんと書けよ・・・という話ですよね。だからシアさんの指摘はやはり合っているのです。↓

>毎度どうも誇張や推測が入り込んでいるような気がしているんですよ、それで日常業務の様子から乖離しているような。

→これに関してはまた明日の晩に詳しく返信します。ポイントだけお伝えすると、

・やはり私の文章の書き方に関するご指摘は合っているので、受け入れます。
・ご指摘により、シアさんと私の違いで気が付いたことがあります。
・言い訳になりますが、お伝えしたいことがあります。
 それは「推測」の件と、これから始まる第二部分析編に関してです。

これらの件に関しましては、また明日の晩に。

この度は誤解を招くような書き方ですみませんでした。そしてご指摘をありがとうございます。

第一部体験編もあと少しなのですが、本当の炎上案件は第二部分析編です。だから分析編の前にご指摘を受けて良かったです。そして今後も何か気が付いた点があったら忌憚なく仰って頂けると幸いです。

それではまた後ほど、よろしくお願い致します。

返信する
浅見淳子

ブルーさん、シアさん、yasuさん

こちらも旅先でiPhoneぽちぽちなので帰ってまた詳しく書きますが
私はいつもの癖で素直に受け取っていました。

今使っている本に関係してくるのですが
病んだ人が元に戻るだけではまた再発します。
つまり再発しないためには前より成長しなければならず
今度の本では成長医療、卒業医療ということを提案しますので
件の方はまさにそれに当てはまるのではないかと思った次第です。
また詳しく書きますね。

返信する
yasu

ブルーさん、コメントありがとうございます。

> 職場のカラーを逸脱し、アタマから湯気出して勢いよく働く(チョットアレな)モーレツ社員

こういう人は今やTVドラマや小説の中でしかお目にかかったことはないですね(^^;
はるか上の先輩から、その先輩の上司の武勇伝として近い話は聞いたことがありますけどかなり脚色されていて信頼性は著しく低いと思っています。

ところで、ブルーさんは国会議員の方とリアルでお会いして話したことはあるでしょうか?(市会議員ではなくて国会議員です) 私は過去1度だけあるのですが(TVで話題になるような有名な方ではないです)、ブルーさんが描かれたマネージャーに近かったような印象でした。

返信する
ブルー

yasuさん

こちらこそお忙しいところ、コメントをありがとうございます。

これは私の偏見ですが、激務の業界にわざわざ自分で飛び込む人を除いては、モーレツ社員をやれるほどのエネルギーがおおかたの日本人に残っていないような印象を受けています。

それと私は国会議員と話をしたことはありませんね・・・。

お会いしたり、お話をさせて頂いたのは地方自治体の「市長」が最高格です。ただし、この市長に対しては宴席へのご案内と同席のみで、会話をしていません。

あとは、中央省庁のキャリア官僚と勉強会で同席したことがあるくらいです。この人からは連載で扱っているマネージャーのような高い志を感じました。

ただしその志を霞が関で実現するのはだいぶ難しいような印象もあって、それがその方のお悩みでもありました。民間に転職した方が良さそうだなと思ったのを覚えています。

今後ともよろしくお願い致します。

返信する
ブルー

先の投稿には間違いがありまして

×お会いしたり、お話をさせて頂いたのは
〇お会いしたのは

です。繰り返しますがその市長とは会話をしていません。

無駄にツリーを使って申し訳ございませんでした。

返信する
yasu

ブルーさん

会社で新事業を立ち上げる時に参加者を募ったら、現在の仕事に不満があって新天地を求める人が結構応募してきたという話を、昔、先輩から聞いたことがあります。何か面白そうな匂いを感じて、それを今の不満が後押しした形ですね。それから七転八倒ありましたけどその事業は立派に大きくなりました。

私は、大部分の人にはエネルギーはあるんじゃないかと思いますが、その出し方は以前より難しくなっているようには思います。その理由の一つが仕事の中で細かく分業が進んだからだと思っています。

中央省庁のキャリア官僚ですが、志高い方はおられますし総じて皆さん問題の把握力や理解力は非常に高くて、さすがキャリア官僚だといつも感心しています(笑)

しかしここでも細分化があって、例えば創薬や薬の製造技術の研究開発を推進する部署と、薬の値段を付ける部署は違うわけです。なので前者が積極的に研究支援を打ち出したとしても、後者で値段が抑えられてしまうと、メーカーとしては採算が取れない懸念があるので慎重にならざるを得ません。

私個人としては、最終的にはお金で評価されると思っているので、いくら褒めてくれても値段が安いとそういうことなのね、と思います(笑)。

返信する
ブルー

<人材市場サバイバル>
連載第71回
第1部体験編
第7章_エージェントP_その後
その1_入社1年後のインタビュー

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/1126/comment-page-6/#comment-10836

第一部体験編はもう少し続きます。ここからは活動から得た教訓的な内容がメインとなります。ご興味のある方はお付き合い頂けますと幸いです。

さて、この章では入社後1年後のエージェントPによるインタビューのエピソードを扱います。そしてあの模擬面接で成人当事者達を鍛え上げた、マネージャーの過去についても述べます。

■発達障害者と離職率

これはエージェント「K」の統計だったと記憶していますが、発達障害の人は健常者に比べて職場定着が難しいのだそうです。

特に発達障害の人と健常者で違うのは、離職率のグラフの形です。一般的に健常者の離職率は、職場にいる期間が長くなるほど下がります。縦軸に離職率、横軸に就労年数を取ると、右肩下がりのグラフとなります。

ところがKの集計によると、発達障害の人の場合はこのグラフが横一線だったのだそうです。つまり就労の年数を重ねても離職率が下がらないのだそうです。

Kの社長の推測では「発達障害の人は、配置変更などの職場の環境変化の影響を受けやすく、それは何年就労しても同じだからではないか」とのことでした。

この統計が示すことは、特に発達障害者の就職活動においては職場定着までがゴールであることを示しています。「家に帰るまでが遠足」と言ったりしますが、「ハッタツは職場定着までが就活」なのです。それがなかなか大変なことであることをKの統計は示していました。

このように入社1年後にもその職場に定着していることは、健常者以上にハッタツの人にとっては貴重なことです。このことは当時から自覚していました。だから入社1年後のインタビューに臨めること自体がありがたいと思っていました。

■マネージャーと再会

その日、インタビューのためにPに赴いた私を出迎えたのは2人の専門家でした。

一人は模擬面接を担当したマネージャーでした。もちろんこの日は闘気を出していませんでした。マネージャーは本来のキャラクターである、柔和な笑顔で迎えてくれました。

私は「マネージャーの模擬面接のおかげで受かりました」と頭を下げました。これは社交辞令ではなく、本心からでした。

もう一人は、Pが外注した精神保健福祉士でした。この人が主体となって私にインタビューを行い、マネージャーは監修者的な立場として陪席するというスタイルでした。

■インタビュー

インタビューにおいては、あらためて私の転職の経緯や、新しい職場に来てからのエピソードを話しました。インタビューは終始和やかに進みました。内容的には、過去にこのサイトで私が折に触れて書いてきたことが主体ですので省略します。

■帰り際に

ヒアリングを終えて帰り際、マネージャーはまた柔和な笑顔で私にこう言いました。

マネージャー:
「ブルーさんは、職場で大変ご活躍されていると企業様から伺っております」

私は再びマネージャーに頭を下げました。これも儀礼的なものではありませんでした。私はマネージャーにオフィスビルのエレベーターまで送って頂いて、Pを後にしました。

私はこのマネージャーがいる限り、日本の企業社会の障害者採用は多分大丈夫(←?)であろうと勝手に思い込んでいます。それ程に優秀極まりない人でした。

■マネージャーの過去

時は流れて。

この連載を始めてから、エージェントPのHPを久しぶりに観ました。

もちろんマネージャーは相変わらずPに勤務しておられます。そして当然ですが出世していました。立場としては「マネージャーのマネージャー」になっていました。私がお会いした頃よりも一段上の職位ですね。

そして私は、PのHPに掲載されているマネージャーのインタビューを読んで、「ぬおお」と声を上げました。もちろんいい意味でです。それは当時、個人情報として公開されていなかったマネージャーの過去が堂々と語られていたからでした。

活動当時の私は、Pの社内でマネージャーの過去を少しだけ聴いていました。でも個人情報ですから、その情報は墓場まで持っていくつもりでした。

しかしマネージャーご本人がネット上に公開されましたので、ようやくこの話を書くことができます。それは対人援助職の原則を踏まえた内容であり、かつPの覚悟と見識をも感じる内容でした。

マネージャーの過去とは何か。そして私が感じたエージェントPの覚悟と見識とは。詳しくは次回に。

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