ホーム全て会議室いま会議室で話していること 雑談のお部屋 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE なんでも雑談コーナーです。 発達障害に関係あってもなくても可。 楽しくおしゃべりしましょう! 2,971 COMMENTS シア 2024年3月17日 最近ひろい公園に通っているのですが大きな川のそばです。 そして隣の県なので自然が豊かなところです。 最初のころは底に行っても勝手がわかりませんでした。 例えば腰を掛けようにも「どこに座ったらいいかわからない」のです。 しかし適当な切り株を見つけて座ってみたり「ここは敷物を敷いて横になるのに相応しそうだ」と目星を付けていくようになりました。 自然の中では構造化はされていませんから「椅子が用意されていてそこに座れば済む」と言うことにはなりません。 都会に住んでいると森のような場所に行っても何が何だか勝手がわからず最初はうまくいかないかもしれません。 しかし空気はおいしいし直感に従って創意工夫してなんとか居場所を見つけるようになるものですね。 ここまで来れるようになったのも身体アプローチで体の声を聴くようになっていたから…言葉以前の世界に飛び込める気がするのです。 感謝して筆をおきます。 ありがとうございます。 返信する yasu 2024年3月17日 ブルーさん、ありがとうございます。 そうですか、振武館の黒田先生がお亡くなりになられましたか。。。 ご冥福をお祈りいたします。 返信する ブルー 2024年3月18日 yasuさん はい、大変残念です。 既に宗家は黒田先生の生前から、息子さんが継がれているご様子でした。 振武館もそのまま引き継がれているはずです。 引き続き通って稽古されている方々も多くおられるようで 黒田先生の遺されたものは不滅だと信じたいです。 返信する ブルー 2024年3月17日 【軸は常に・・・】 黒田鉄山先生が今月初めに逝去されたとの報道が、武術メディアでなされた。また一人、達人がこの世を去ってしまった。実に寂しい。本当に残念だ。 https://www.youtube.com/watch?v=AXX8FUVA108 このニュースは武術系の方は全員ご存知の事と思う。私は武術系ではないが、高校生くらいの頃からずっと武術を参考にしてきた。黒田先生の事もその頃から存じ上げていた。 黒田先生のご冥福をお祈りいたします。そして、改めてその技に敬意を表します。 ここで、私のPCの中に保存されていた原稿を少しリライトしてUPしてみたい。 ・ ■軸は常に・・・ かつて大久保さんは「軸は常に定型に置く」とブログに書いた。 http://terakkojyuku.blogspot.com/2019/04/blog-post_12.html 定型発達を軸に置くから、発達凸凹の人が何をどのように取り組んだ方がいいか気がつける。どこをどう育てるべきか分かるようになる。ところが発達障害概念を軸に置くと、その範疇で終わってしまう。先程のリンク先は支援者向けの文章だが、成人当事者にもそのままあてはまる。 この話には、さらに個人的発展版がある。 私は個人的に、軸を常に達人に置く。 達人は、心身に渡って人として正しいあり方をしている。身を持ってこの世の真理に到達している。生涯発達における究極のお手本が達人である。 また、現代は定型の人達、特に日本人の身体性が大変に心もとない。それに関連して、日本の定型の人たちの成熟度合もだいぶ心もとなくなりつつある。 だから私はいつの間にか自らの発達や成熟に関して、特に身体性と精神性に関して、達人を軸におくようになっていた。 米国の自己啓発書などは、こういう事を「マスタリー」と表現したりしている。 体験的に思うが、成人当事者にとって成熟の2文字は難敵だ。それでもずっと自らの生涯発達を考えざるを得ない人生だ。だから自然と、究極に成熟した人達をお手本とすることになった。 ただし、これは絶望と隣り合わせの道だ。 なぜならば達人は一般人の延長にはいないから。同じ人間でありながら、普通の人達が思う以上に達人と一般人の距離は大きい。達人は一般人が思うよりもはるかにレベルが高い。だからあまり世の中にいない。 しかも達人はわけが分からない。なぜそんな技が使えるのか、いくら見てもさっぱり分からない。どうしてそんな境地に至れるのかも、さっぱり分からない。 さらにさらに困ったことに、一般人が達人を表面的にモノマネするとロクなことにはならない。かえっておかしくなる。 しかし、何か優れたものや、高い目標があった時に、憧れたり絶望したりするのはご法度である。それは、その境地に至れないことを前提にした、ニュートラルでない思考回路だからだ。 返信する シア 2024年3月17日 ブルーさん。 惜しまれる方が亡くなりましたね。 「軸」とか「お手本」とか「考え方」と言うのは広い世界を知っている人の方が視野が広がるようなものだと思うんです。 上には上があると思えばこそ侮らないで挑んでいきますし挑戦していくと思います。 「常に上を目指す」気持ちでない人はどんどん落ちていくだけだと思いませんか? 返信する ブルー 2024年3月18日 シアさん >「常に上を目指す」気持ちでない人はどんどん落ちていくだけ これは空手関係なのですが、極真(きょくしん)会館の松井章奎館長は、 「停滞は後退」 と仰ったことがあります。 周りには常に上達する人がいるから、同じ場所に留まっていると相対的に後退する、といった趣旨だったはずです。 よって武術の達人は生涯に渡って身体を変え続けて進化していきます。 この「生涯に渡って身体を変え続ける」というのは、我々成人当事者も同じですよね。だからこそ私はずっと武術の達人を観続けています。 こうして書いてみると、身体アプローチによる発達援助と武術の修行は、身体及び言葉以前の領域(=無意識や身体意識)をガイドラインにした生涯発達の営みという点において本質が同じものであると思います。 返信する 過去のコメントを表示 たかすぎ へ返信する コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
シア 2024年3月17日 最近ひろい公園に通っているのですが大きな川のそばです。 そして隣の県なので自然が豊かなところです。 最初のころは底に行っても勝手がわかりませんでした。 例えば腰を掛けようにも「どこに座ったらいいかわからない」のです。 しかし適当な切り株を見つけて座ってみたり「ここは敷物を敷いて横になるのに相応しそうだ」と目星を付けていくようになりました。 自然の中では構造化はされていませんから「椅子が用意されていてそこに座れば済む」と言うことにはなりません。 都会に住んでいると森のような場所に行っても何が何だか勝手がわからず最初はうまくいかないかもしれません。 しかし空気はおいしいし直感に従って創意工夫してなんとか居場所を見つけるようになるものですね。 ここまで来れるようになったのも身体アプローチで体の声を聴くようになっていたから…言葉以前の世界に飛び込める気がするのです。 感謝して筆をおきます。 ありがとうございます。 返信する
ブルー 2024年3月18日 yasuさん はい、大変残念です。 既に宗家は黒田先生の生前から、息子さんが継がれているご様子でした。 振武館もそのまま引き継がれているはずです。 引き続き通って稽古されている方々も多くおられるようで 黒田先生の遺されたものは不滅だと信じたいです。 返信する
ブルー 2024年3月17日 【軸は常に・・・】 黒田鉄山先生が今月初めに逝去されたとの報道が、武術メディアでなされた。また一人、達人がこの世を去ってしまった。実に寂しい。本当に残念だ。 https://www.youtube.com/watch?v=AXX8FUVA108 このニュースは武術系の方は全員ご存知の事と思う。私は武術系ではないが、高校生くらいの頃からずっと武術を参考にしてきた。黒田先生の事もその頃から存じ上げていた。 黒田先生のご冥福をお祈りいたします。そして、改めてその技に敬意を表します。 ここで、私のPCの中に保存されていた原稿を少しリライトしてUPしてみたい。 ・ ■軸は常に・・・ かつて大久保さんは「軸は常に定型に置く」とブログに書いた。 http://terakkojyuku.blogspot.com/2019/04/blog-post_12.html 定型発達を軸に置くから、発達凸凹の人が何をどのように取り組んだ方がいいか気がつける。どこをどう育てるべきか分かるようになる。ところが発達障害概念を軸に置くと、その範疇で終わってしまう。先程のリンク先は支援者向けの文章だが、成人当事者にもそのままあてはまる。 この話には、さらに個人的発展版がある。 私は個人的に、軸を常に達人に置く。 達人は、心身に渡って人として正しいあり方をしている。身を持ってこの世の真理に到達している。生涯発達における究極のお手本が達人である。 また、現代は定型の人達、特に日本人の身体性が大変に心もとない。それに関連して、日本の定型の人たちの成熟度合もだいぶ心もとなくなりつつある。 だから私はいつの間にか自らの発達や成熟に関して、特に身体性と精神性に関して、達人を軸におくようになっていた。 米国の自己啓発書などは、こういう事を「マスタリー」と表現したりしている。 体験的に思うが、成人当事者にとって成熟の2文字は難敵だ。それでもずっと自らの生涯発達を考えざるを得ない人生だ。だから自然と、究極に成熟した人達をお手本とすることになった。 ただし、これは絶望と隣り合わせの道だ。 なぜならば達人は一般人の延長にはいないから。同じ人間でありながら、普通の人達が思う以上に達人と一般人の距離は大きい。達人は一般人が思うよりもはるかにレベルが高い。だからあまり世の中にいない。 しかも達人はわけが分からない。なぜそんな技が使えるのか、いくら見てもさっぱり分からない。どうしてそんな境地に至れるのかも、さっぱり分からない。 さらにさらに困ったことに、一般人が達人を表面的にモノマネするとロクなことにはならない。かえっておかしくなる。 しかし、何か優れたものや、高い目標があった時に、憧れたり絶望したりするのはご法度である。それは、その境地に至れないことを前提にした、ニュートラルでない思考回路だからだ。 返信する
シア 2024年3月17日 ブルーさん。 惜しまれる方が亡くなりましたね。 「軸」とか「お手本」とか「考え方」と言うのは広い世界を知っている人の方が視野が広がるようなものだと思うんです。 上には上があると思えばこそ侮らないで挑んでいきますし挑戦していくと思います。 「常に上を目指す」気持ちでない人はどんどん落ちていくだけだと思いませんか? 返信する
ブルー 2024年3月18日 シアさん >「常に上を目指す」気持ちでない人はどんどん落ちていくだけ これは空手関係なのですが、極真(きょくしん)会館の松井章奎館長は、 「停滞は後退」 と仰ったことがあります。 周りには常に上達する人がいるから、同じ場所に留まっていると相対的に後退する、といった趣旨だったはずです。 よって武術の達人は生涯に渡って身体を変え続けて進化していきます。 この「生涯に渡って身体を変え続ける」というのは、我々成人当事者も同じですよね。だからこそ私はずっと武術の達人を観続けています。 こうして書いてみると、身体アプローチによる発達援助と武術の修行は、身体及び言葉以前の領域(=無意識や身体意識)をガイドラインにした生涯発達の営みという点において本質が同じものであると思います。 返信する
最近ひろい公園に通っているのですが大きな川のそばです。
そして隣の県なので自然が豊かなところです。
最初のころは底に行っても勝手がわかりませんでした。
例えば腰を掛けようにも「どこに座ったらいいかわからない」のです。
しかし適当な切り株を見つけて座ってみたり「ここは敷物を敷いて横になるのに相応しそうだ」と目星を付けていくようになりました。
自然の中では構造化はされていませんから「椅子が用意されていてそこに座れば済む」と言うことにはなりません。
都会に住んでいると森のような場所に行っても何が何だか勝手がわからず最初はうまくいかないかもしれません。
しかし空気はおいしいし直感に従って創意工夫してなんとか居場所を見つけるようになるものですね。
ここまで来れるようになったのも身体アプローチで体の声を聴くようになっていたから…言葉以前の世界に飛び込める気がするのです。
感謝して筆をおきます。
ありがとうございます。
ブルーさん、ありがとうございます。
そうですか、振武館の黒田先生がお亡くなりになられましたか。。。
ご冥福をお祈りいたします。
yasuさん
はい、大変残念です。
既に宗家は黒田先生の生前から、息子さんが継がれているご様子でした。
振武館もそのまま引き継がれているはずです。
引き続き通って稽古されている方々も多くおられるようで
黒田先生の遺されたものは不滅だと信じたいです。
【軸は常に・・・】
黒田鉄山先生が今月初めに逝去されたとの報道が、武術メディアでなされた。また一人、達人がこの世を去ってしまった。実に寂しい。本当に残念だ。
https://www.youtube.com/watch?v=AXX8FUVA108
このニュースは武術系の方は全員ご存知の事と思う。私は武術系ではないが、高校生くらいの頃からずっと武術を参考にしてきた。黒田先生の事もその頃から存じ上げていた。
黒田先生のご冥福をお祈りいたします。そして、改めてその技に敬意を表します。
ここで、私のPCの中に保存されていた原稿を少しリライトしてUPしてみたい。
・
■軸は常に・・・
かつて大久保さんは「軸は常に定型に置く」とブログに書いた。
http://terakkojyuku.blogspot.com/2019/04/blog-post_12.html
定型発達を軸に置くから、発達凸凹の人が何をどのように取り組んだ方がいいか気がつける。どこをどう育てるべきか分かるようになる。ところが発達障害概念を軸に置くと、その範疇で終わってしまう。先程のリンク先は支援者向けの文章だが、成人当事者にもそのままあてはまる。
この話には、さらに個人的発展版がある。
私は個人的に、軸を常に達人に置く。
達人は、心身に渡って人として正しいあり方をしている。身を持ってこの世の真理に到達している。生涯発達における究極のお手本が達人である。
また、現代は定型の人達、特に日本人の身体性が大変に心もとない。それに関連して、日本の定型の人たちの成熟度合もだいぶ心もとなくなりつつある。
だから私はいつの間にか自らの発達や成熟に関して、特に身体性と精神性に関して、達人を軸におくようになっていた。
米国の自己啓発書などは、こういう事を「マスタリー」と表現したりしている。
体験的に思うが、成人当事者にとって成熟の2文字は難敵だ。それでもずっと自らの生涯発達を考えざるを得ない人生だ。だから自然と、究極に成熟した人達をお手本とすることになった。
ただし、これは絶望と隣り合わせの道だ。
なぜならば達人は一般人の延長にはいないから。同じ人間でありながら、普通の人達が思う以上に達人と一般人の距離は大きい。達人は一般人が思うよりもはるかにレベルが高い。だからあまり世の中にいない。
しかも達人はわけが分からない。なぜそんな技が使えるのか、いくら見てもさっぱり分からない。どうしてそんな境地に至れるのかも、さっぱり分からない。
さらにさらに困ったことに、一般人が達人を表面的にモノマネするとロクなことにはならない。かえっておかしくなる。
しかし、何か優れたものや、高い目標があった時に、憧れたり絶望したりするのはご法度である。それは、その境地に至れないことを前提にした、ニュートラルでない思考回路だからだ。
ブルーさん。
惜しまれる方が亡くなりましたね。
「軸」とか「お手本」とか「考え方」と言うのは広い世界を知っている人の方が視野が広がるようなものだと思うんです。
上には上があると思えばこそ侮らないで挑んでいきますし挑戦していくと思います。
「常に上を目指す」気持ちでない人はどんどん落ちていくだけだと思いませんか?
シアさん
>「常に上を目指す」気持ちでない人はどんどん落ちていくだけ
これは空手関係なのですが、極真(きょくしん)会館の松井章奎館長は、
「停滞は後退」
と仰ったことがあります。
周りには常に上達する人がいるから、同じ場所に留まっていると相対的に後退する、といった趣旨だったはずです。
よって武術の達人は生涯に渡って身体を変え続けて進化していきます。
この「生涯に渡って身体を変え続ける」というのは、我々成人当事者も同じですよね。だからこそ私はずっと武術の達人を観続けています。
こうして書いてみると、身体アプローチによる発達援助と武術の修行は、身体及び言葉以前の領域(=無意識や身体意識)をガイドラインにした生涯発達の営みという点において本質が同じものであると思います。