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雑談のお部屋

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2,971 COMMENTS

浅見淳子

あえて雑談コーナーに書きます。

昨日は午前午後と花風社セミナーがあり、ネットとかテレビとかあまり見ない日でしたが、今朝になって昨日の都内の人出がすごかったことを知りました。街ゆく人のインタビューとか見て、「あ、もうみんなぷっつんしたんだな」と思い、去年のGW開けの延長の時の自分の態度の切り替えを思い出しました。あのときの延長を見て、あ、これは従っていたら政府も医療もつけあがるな、と思ったし、そもそも無策だし、健康な人の健康には興味ないことを知りました。そしてその後医療を観察していて、なぜ医療が健康な人の健康に興味がないか考察を深めていきました。それには題材に事欠かない一年でした。たとえば昨日の栗本さんの視点とか、医療の内部からは持ち得ないものですし。
そうやってこちらから無策だと見抜いて見限って、去年のGW開けからマスクは外したわけですが、そのときと同じような「見限り」を(まだ多くの人はマスクはしていますが政府や医療に対しては)今回の無意味な二週間の延長でしたんだな、と思いました。

「打つ手なし」ということですが、元々医療逼迫を避けることが理由だったのだから(言い訳だったのかもしれませんが)肝心の医療が自分勝手をやめて協力しないと打つ手なんかあるわけがないのです。これからまた波が来たり引いたりするのでしょうが、次回の波では一寸は医療にも努力してもらいたいものです。「打つ手なし」とまで言わせるまで自粛を自粛した首都圏民は賞賛に値します(含私)。

一方で医療従事者の皆様は不自由な思いをされ、たまに飲み会とかやってしまって感染してしまうと一般人よりひどく責められるようですが、基本的にそれは医療ギョーカイ内部の労務管理の問題です。妊婦にマスクさせるような人権意識が内部に向くと、中で働いている人もつらいめにあうのは想像できます。ただそれは医療内部で解決すべき問題であり、非医療の民間人(毎月毎月使いもしない保険証にお金払っている)が医療従事者の不自由さに巻き込まれる謂われもないわけですね。

この一年でわかったことは健康の大事さです。逆に言うと、医療にかからないで済む状態を保つことの大事さです。医療は独特のパターナリズムで人権侵害をします。どうしてもの時はしょうがないですがなるべく世話にならないといいですね。これまで手術も入院も長期的な服薬も経験してこなかった自分は幸せだなと思いました。

以上ランチタイムの雑談でした。

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智ママ

鉄道関係にのる外出が絡むと、俄然、やる気になる7歳・多発奇形の息子ですが、最近、母親に「〇〇に、行きたい」と一文で表現するのではなく、「自宅を出て、駅まで言って、地下鉄に乗って、そこから乗り換えて、〇〇に行くの」というようになりました。順序立てて、脳内視界の動きに合わせて、シュミレーションしながら言葉を口にしているようです。

まだ、「おかあさん、いこうよ。顔、作ってください」くらいしか、お願いで言えませんが、「おかあさん、準備に時間がかかるから、あんまり行きたくないなぁ。おうちにいない?」と言ってみせると「行きたくないじゃないよー、行くの!行ってください!待ってあげるから!」と、いろいろ反応して、応答して、機嫌もとろうとして、なんとかして母親も行かせようとするようになってきました。
「おかあさん、お財布持った?お茶は?おにぎりは?」と出発前に、時々、確認もするようになりました。
毎朝、声かけだけにしているの母親のマネをしているようです。

今日、初めて、自分でハンカチを持っていないことに気づいて、「ハンカチを、ください」といいながら、自分でハンカチを探してポケットに入れていました。
自分で水筒を探そうとして、いつもの場所に見つからず、しょぼんとしていました。
ようやく中身が、幼稚園年中か、幼稚園年長に近づいてきたような気がします。

ことごとく母親の言動を真似して覚えて、覚えた言葉を使って、なんとかして自分の有利になる条件(乗り物に乗る体験をプライベートでもする)を引き出そうとするので、「人間って、こうして発達していくんだなあ」「子は、親の鏡って、本当なんだなあ」と感心しているところです。

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智ママ

外出先の行動の手順を、くどいほど相手に話して聞かせるのは、自宅ではそれほど繰り返し言っていなかったので、多分、小学校の先生の影響だと思います。
神経発達症の子にわかりやすいように、一回一回、言葉にして段階をふんで伝えているのでしょう。そして、『自分にされたことは、他の人にもするもので、してあげるべきものなのだ』と思って、そのとおりにしているようです。
手を替え、品を変えて、気が乗らない母親を説得するのに、息子がよく使っている手法です。

今度から、「周りの大人には、そこまで丁寧に段階をふんでお話しなくてもいいよ?」と教えないとかな。と思います。

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智ママ

浅見社長
コメントありがとうございます。
ある程度、発達が進んで、なおかつ母親にもそれを観察して、それがどういうことなのかわかるだけの時間と気持ちにゆとりがあるときにのみ、このことに気づけるようになるようです。

白エビ県で頑張ってくれている夫の智パパに感謝でもあります。

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智ママ

発熱疑惑での長期休みになっている7歳息子の、その後の報告です。

朝7時半から「ねつ、ある?」と、さり気なく体温高いよ?アピールしていた7歳の息子は、残念ながら30分おきの計測でも、毎回37.3の体温だったので、新ルールにて登校できることになり、「おねつ、はかる」の再計測も虚しく、登校決定になりました。

自宅にいると、結構好き放題できていたし、にんじんジュースも普通のジュースも飲み放題でしたし、おもちゃはそこにあるし、母親が食料調達などの用事で自転車で外出するときにはYou Tubeが1時間くらい見られるし、給食よりランクは下がるけど、ごはんは出てくるし。で、息子にとっては子宮以上に天国な場所だったので、自覚症状がほとんどない発熱だったこともあって、まだ母親が外出しがち気味な療養生活を、息子なりにゆるりと楽しみたかったらしいです。

ランドセルを背負って、帽子をかぶるまではぐずぐずしていましたが、「いくよー!」と声かけすると、スイッチが切り替わったのか、「まんまんさん、する」と登校途中のお堂に挨拶をするのを楽しみに、普通の足取りで出かけていきました。
あとは、授業開始からお昼までに体温が規定以上に上がらなければ、登校を維持できます。
母親はひとまず自宅待機ですが、このままいってくれたらいいな、と思います。

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智ママ

結局、過剰なコロナ警戒で登校可能ラインを37度に設定していたために、平熱高めの息子がたまたま、ちょっと体温が高いだけでも休まなければならなくなり、味をしめた息子が、体温を意図的に調節して10日間近くのリトルバカンスを設定できてしまった。ということになりそうです。

小学校としては、1年生から不登校になられると大変なので、連続欠席が1周間過ぎたあたりから、担任の先生が訪問されたり、電話をかけてこられたりして、なかなか不登校にならないよう気を使っておられました。
新型コロナは怖いので休んでほしいけれど、不登校は困る。というダブルバインドにはこちらもちょっと困りましたが、現状打開のために37.4までは登校を認めるという健全な形になって、少しホッとしています。

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智ママ

息子の高体温による連続欠席についての、その後です。

担任の先生に電話をして、
コロナ相談室からコロナではない風邪である可能性が高い、と指摘を受けたこと、
小児科にかかるには体温が低すぎて、元気がありすぎること、

以前、なんとなく行きしぶりのように見えたときには、「それなら、自宅から中学校に行けるように、バリバリ勉強しようね」とスパルタ式な自宅学習を展開したところ、ハードさに涙目になって「(こんなに課題が多いなら)しょうがっこう、いく・・・」となったので、また、スパルタ式の家庭学習をしないとかしら??
と告げると、「お母さん!それ、それです!それ、お願いします!ご自宅での学習をまた、してみてください!」と、担任の先生がスパルタ式自宅学習の件を、非常に勧めていました。

息子が医師から「医学的には37.5からが発熱なので、平熱から5分高いまでは、平熱扱いしてもかまいませんよ」と言われていることを告げ、管理職の先生と保健室教諭と担任の先生とが協議した結果、何も症状がないとき限定で、母親も元気なときに限り、37.4までは体温があっても登校してもいいことになりました。

ひとまず、一回あたり、自宅でのひらがな書き取りをドリル5ページくらいさせて、数字の書き取りから集合と数の一致までを2,3ページくらいさせて、朝夕で2回学習させてみようかと思っています。
(健常のクラスは普通に課題をバンバン解いていっているので、これでも全然足りないのですが、育成クラスは直線引きを2ページに一筆書きを1ページくらいしか進めていないようなので、これでも息子には多めの課題です)

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シア

久しぶりに昔の友人に会うと…ああ私にも友人がいたのだなぁって思うんです。 友人がいなかったのではなくて相手はこちらを友人だと思っていたようです。 ただこちらの気持ちがそれを理解できていなかった。 そしてそのことをちょっと申し訳なく思うと病気のことは知ってたけどそんなのに負けるなよって言われた。 いいやつだなと思いました。

理解されたい!とか私の病気は○○で~などと言っていた私は友人の気持ちが全く分かっていなかったんです。 でも今はそのことが自覚できます。

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智ママ

先週の木曜日から、息子が奇妙な発熱の波を繰り返して、小学校を休んでいます。
風邪の症状らしい症状がなく、ただ、体温が4分〜8分ほど高いだけというものです。
そして、休みだとなると、1時間ほどで体温が普通に戻り、3時間サイクルで37.5くらいの体温になって平熱に戻る、という状態が続いています。
いつもならある鼻水・咳がないので、首を傾げています。

息子の平熱が36.8なので、小学校のコロナ防止ルール(37.0超えたら一律に小学校に登校させない)に抵触しやすい息子は、しょっちゅう小学校を休まなくてはならなくなり、一方で、小児科では、グッタリしていないので37.5を超えていないと相手にはしてもらえない(医学的には、微熱は37.5からだから)というダブルバインドなことに陥っています。

あまりに頻繁に休みが多いと、いくら校長裁量での、欠席にはならない休みになるとは言え、子どもの誤学習には条件が良すぎるらしく、ここ数日は、朝から「やすみ?今日も、やすみ?」と嬉しそうに言うようになってきたので、かなり焦っています。

小学校「発熱があって37.0以上なら登校できません」
病院「元気なら37.5以上ないと診られません」
小学校「発熱が続くので、心臓のこともあるし、病院にかかってみてはいかがでしょうか」
コロナ相談室「あきらかにコロナとは言いにくい症状です。一般の小児科をお勧めいたします。念の為に、電話してから行ってください」
小児科「37.5以上ないなら、在宅で様子見するだけで大丈夫ですよ」
責任逃れのたらい回しされているような気がするのですが。

もし私が息子の立場だったら、小学校の授業が一年間、「し」「く」「つ」「へ」の書き取りと数字の歌の歌唱だけで、ひたすら図工と体育と育成級の畑の世話だけで終わってしまったら、退屈でキレるか、小学校のカリキュラムをなめてかかるかすると思うので、風邪以外に、学校に行きたくなくなってきて発熱していることも考えられるけれど、これはどうしたものかな?と思案しているところです。

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智ママ

一方で、不登校が心配な担任の先生が、玄関先での面会にやってくるようになったので、
もしコロナだったら対応しないといけないけれど、不登校だったら早めに対処しないとらしいので、どちらかハッキリさせるために「病院へ!」となるらしいのですが、小児科は息子の感染リスクもあり「37.5以下なら平熱だから、様子見てて」となり、中途半端な発熱?の息子は、ひたすら在宅する、という状態です。

自宅でドリルをさせていっていますが、喜んで解いています。
学校って、病院って、何なんだろう。と思いながら、たまに目を痒くてこすっている春です。

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浅見淳子

智ママさん

私は平熱高めなので、夏はどこに入るにもビクビクしながら検温されてました。

冬は逆にマスクしないで自転車とか乗ってるので顔の検温だと低く出ることがあり手首で測ってもらうようにしてます。

発達と同じで一律だと馬鹿らしいですね。

お大事に。きっと大したことなさそうですが。

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智ママ

浅見社長
お返事ありがとうございます。
明らかに見た目も元気なので、学校を休むのにこんなに簡単でいいのだろうかと思っていましたが、「おかあさん、今日、たいおんたかい?やすむ?」と休む気満々で検温をお願いするようになってきたので、誤学習が早いなあ。と驚き呆れているところです。
小学校には、今朝、通常の平熱から5分高いくらいだと、平熱にカウントされるのですが・・・と申し出てみたところ、「学校のルールがありますから」で却下されました。

一方で、不登校対策のために、発熱がなくて様子見の休みのときには訪問されて受診を強く勧められるか、自宅での様子見をひたすら勧められるので、そろそろ外出して誰も通っていなさそうな道を歩かせないと、足が弱って、一種の軟禁と同じことになってしまうなあ。と考えています。

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智ママ

『うっ◯いわ』という歌が子どもたちの間に流行っていると読んで、ごく軽い発熱のため、小学校を休んでいる息子の傍らで、試しに検索して、歌詞を読んで、「どこがいいのか、よくわからないけれど・・・メロディーと歌声がいいのかな???」と、自分が聴いてみようとつけてみました。

陰々滅々なイントロダクションの間に、読んでいた絵本からぱっと顔を上げて「いやだ!」「消して!」「聴かない!」「とめて!」となった、7歳の息子。
まだ1フレーズしか聴いていないのに、You Tubeを止めました。
息子の感受性には、怨念系の暗い曲調は、全く合わなかったようです。
そして、怨念みたいなものは、まだ息子の中には根付いていないようでした。

私も、歌にこめられたあまりの怨念パワーにうんざりしてしまって「その感覚、・・・早く治るといいね」と思いながら検索ページをそのまま閉じました。
朝にラインで主人に報告すると「当たり前だよ」と呆れコメントが返ってきました。

息子に、健全な感覚がきちんと育っていることがわかって、嬉しいお昼でした。

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シア

こんばんは。
自分と同じようなタイプの自閉症の人はあまり見たことがなかったのですが今日は違いました。
まだ10代の方のようですがその方は自分と似ている感じがしたので客観的に周囲の人と様子や行動がどう違うのか・観察してみたんです。
私も振り返ってみて「地に足がついていない」ウロウロする…と言うことは以前から気になっていて体が動いてしまうのは花風社でも学んでました。
それが土台とか根っこなのかな…と思いますが私が今日気づいた感じでは「立ち位置」「ホームポジション」の問題が出てきていると言う見方もできると気づいたんです。
多くの人が電車の中でならばじっと動かず自分の立ち位置を持っていると思います。
定型の人はあまり動き回ったりしませんね。
ところが自閉の人はうろうろ落ち着きがなかったり電話で家に連絡するときは携帯電話を片手にその場を回りながら連絡したりする様子が見られます。
比較的自閉のハッキリわかる人は学校の演劇に出てみても「立ち位置」が定まりません。
集団で移動するとき以外は群れで行動する生き物は自分のポジションが分かっているはずです。
自閉症の人は皆が落ち着いているところでも立ち位置が定まらずまた集団で移動するときにも「足並みがそろわない」のですね。
土台や根っこがしっかりして地に足が着くといいのですがそれ以外にも立ち位置が間違っていると言うか場違いなために出入り口の前に立ち止まっていたりするのもよく見られます。
空気が読めないと言うのは例えれば周囲の様子(風景ではなく人の様子)がほぼ見えていません。
人の振り見て我が振り直せと言いますが彼を見ているとわが身を見るようだったのです。
たとえ立ち位置がすぐにわからなかったり落ち着かないとしても土台や根っこでぐらつかない今は余裕ができているので多少なりとも周りを見ることができ彼の行動を観察する余裕があったのです。
それによって自閉症の群れの中でのホームポジションがわかりづらいと言う表現がすっと入ってきました。
役割行動なども群れてする行動が孤立型の人はわかりづらいはずです。
立ち位置が定まってもそれが適切かどうかはある程度検討する必要がありますが出入り口の前に立っては(他人の)「邪魔」になるなというように現実の他人の視点を想像するてがかりは身体の疲れが取れている状態だと学習しやすいはずです。
コンディショニングも大事だと思えるのは身体に余裕がある方が体性感覚以外にも感覚器官で周囲の情報を見るリソースが増えるからでもあります。
簡単に言えば身体が楽な方が学びやすいし育ちやすいのは当たり前ではありますね。

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シア

他人の導線に立たないと言うこともできるようになってました。 他人が向かってくることに気づいてどいて邪魔にならないスキルはついていたんです。

今日の立ち位置・自分の(社会的)ホームポジションがおぼろげながら見えてきた最近自分自身に役割があるとかそういう社会生活にも関連があったのかもしれません。

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シア

「感覚過敏は治りますか?」を読み返してみました。
耳と言うのはいろいろな機能を持つようですね。

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浅見淳子

シアさん

そうですね。

私はいくつか社会性の定義を持っていて、そのうちの一つがシンプルに人の動線を邪魔しないことです。人の動線邪魔すると実際うざがられる。
これができるのは耳が発達してからね。だから耳が発達すればひとつうざいと思われる要素が減る。自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく、です。

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智ママ

数年前に息子と同じ療育園に通っていた、発達児とその母親(元ママ友)に、数ヶ月前、大学病院で遭遇しました。

5歳のお子さんはまだ1語文の状態で、確実に歩けるようになったところでした。
同じ療育園に通っていたときには、言葉がほぼ出ていなかった6歳の息子は、受診までの待ち時間に飽きてしまって、私を相手にひっきりなしにおしゃべりをしていました。
元ママ友は、私の息子のおしゃべりを聞くなり憤然として、完全無視状態で、お子さんの手をひどく引っ張って足早に歩いていかれたので、お子さんがほぼ引きずられていました。

花風社の身体アプローチ+栄養療法の2年半と、それなしの通常の療育のみの差が歴然としていて、驚きました。

「他の元ママ友からもきかれたとき(2年前)に、2回、ざっくりとではあったけれど、みんなに教えて差し上げたんだけどなあ・・・」
「やってたら、伸びたかもしれないのに。花風社クラスタの中では、うちはまだまだの部類なのに」と、残念には思いましたが、彼女には、しない自由もあるし。と流して、受診に向かいました。

息子は少しずつ伸びていますが、何もしていなくて療育だけのご家庭のお子さんはほとんど伸びていないので、結果として、息子が一部追いつき、追いつかれたお子さんのママから私ごと嫌われて、ある日を境に縁遠くなる、ということが数回繰り返されています。
息子ができていたことが、自分の子より低レベルだと関係が良かったのですが、多発奇形出身の息子が自分の子に一部追いついたことだけでも、許せなくなるようです。『母親のプライド』の逆鱗に触れてしまったのでしょう。
『地方での障害児関係は狭いから、(よくなることで)敵を作っても、子どもが将来苦しむばかりなのに』『心臓の悪い子にタンパク質ばかり与えるなんて』とラインで陰口を叩かれていたこともあります。

障害児ママの中にある、『あの子(智くん)より、うちの子はまだまし』のものさしが揺らいできたとき、ママ友としての関係はかなり終了に近くなるようです。
哀れみの対象だった子が、我が子を追い抜いていくのが耐えられないのでしょう。
それでも、よくなることは、息子の将来の可能性を開きたいから、止められませんし、譲る気はありません。

人の中にある黒い気持ちがよくわかる体験が、半年以内に3件あったので、馴れ合うだけのママ友なら、もういいや。と思ったことでした。

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智ママ

浅見社長

コメントありがとうございます。
「伸び切ってしまったら、そんなことにいちいちかまわれなくなるわよ」と身内は申しております。かまわれなくなるのを待つより、自分が気にしない強さを身に着けたいものだと思っております。

「うちの子は、『治らない教』の信者からすると、自分の至らなさを思い知らされる(遺伝子異常から来ると思われる多発奇形の息子さえも発達するから、そうでないお子さんは、たぶんもっと発達すると推測されるのに、あえてしなかった。そして現在の状況になった。ということを思い知らされる)、痛い痛い目の上のたんこぶみたいなものだから、他のアプローチをしていない母親たちは、息子を見ていて、気が気でなくなるのだろうね」と主人は分析しています。

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ヨヨ子

我が県は一都三県に含まれる県です。

しかも下の画像にもありますが、この冊子が置かれていた市は田舎ではありません。

関東在住の方ならご存知かもしれませんが、この市は県庁所在地です。

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こじはるファン

画像に出ている市の市民ですが、笑いました。
早く花風社が発達障害とは関係のない世間に知れ渡るといいですね。

あえて駅名は出しませんが、その市の新幹線駅徒歩圏内の本屋は日に日に花風社の本が増えてますよ。図書館でも花風社本は人気なようです。私は働いている人間なので、さっさと治したいので、花風社本を数冊購入しましたが…。

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智ママ

今週、小学校の作品展に出されていた、被るタイプの『鬼の面』です。
この写真を見て「おれは、おにだぞー!」と、怖がらせるセリフを口にして私を脅かしていますが、息子のキャラがキャラなので、全く怖くありません。

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智ママ

浅見社長

コメントありがとうございます。
見てのとおりで、どちらかと言うと可愛らしい、愛嬌のある鬼です。
コロナ以前にデパートに来ていた『なまはげ』を模倣していたらしく、
布団の中でも「おにだぞー」(??)「うぉーーー」(これはたぶん『なまはげ』由来)とやっていたので、(見た目、鬼の面なので、息子の頭ではわからなかったらしいです)
今度また模倣したら「それは鬼の形をした神様だから、真似したらいかんよ?」と教えておこうと思います。

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智ママ

あまり明るい話ではないので、申し訳ないのですが、書きます。

現在7歳の息子がまだ生後1ヶ月と少しだったとき、息子の入っていたGCUに、無脳症児が入院してきました。

GCUで、これから帝王切開が行われて、その子がやってくること、親御さんはその子の治療を希望していること、通常1日、長くても3日ほどでいなくなるけれど、みんなはベストを尽くして看護にあたってほしいことなどが、医師から看護師に車座で指示として出されていました。
「なんで生んだの?宗教的理由?すぐ、いなくなるのに」
「わからないけれど、入ってくる以上、やるしかないでしょう」
そう、看護師同士でひそひそ会話をしているのを、息子を抱っこしたりミルクをやったりしながら、私は見て、聞いてしていました。

赤ちゃんが運ばれてきて、呼吸と脈拍が安定するのを待って、帝王切開を終えたばかりの母親が、GCUに運ばれてきました。
「お母さんに、やっと会えたね。たまたま、お母さんを守るために、ちょっと体の一部が足りない状態で生まれてきたけれど、ちゃんと会えたね。可愛い女の子ですよ」
と、周産期の看護師が、寝たまま、生んだ我が子にやっと会えたと涙する母親に語りかけていました。手術直後なので、あまり長いことはいられないらしく、母親は運ばれていき、赤ちゃんとお母さんは、それきりの別れになりました。

その代わりに、父親らしい男性が、夜になると、その子の入っている保育器の傍らに、ずっと佇んでいました。

帝王切開すると、一週間はほとんど寝たままです。
無脳症の赤ちゃんは、だいたい3日生きれば、奇跡的に経過がいいほうなのだそうです。

どう頑張っても、赤ちゃんはお母さんに抱っこされることなく、この世から去ることになるわけです。

赤ちゃんは毛糸の帽子をかぶったまま、酸素を吸入しながら、こんこんと眠っていましたが、ちょっとだけ母親が編んでくれた帽子がずれて、ほとんど形成されていない頭の一部分が、赤く見える時がありました。
「帽子、ずれてます」と看護師さんにそっと伝えると、慌てて、看護師さんが保育器の中に手を差し伸べて、直していました。

赤ちゃんは、頭こそほとんど形成されていなかったですが、可愛らしい顔をしていました。
「可愛い顔をしてますねえ」と看護師さんに声をかけると、ちょっと驚いたような表情を浮かべて「可愛い?この子が?本当に?」と聞き返されたので、
「可愛い顔をしてるじゃないですか。帽子も似合うし。いつも寝てるけど」と言うと、受け持ちの看護師はたいそう喜んで
「よかったなあ!お母さんお父さん以外に、あんたのこと、『可愛い』って言ってくれる人、おったで!お母さんの編んでくれた帽子も、似合うって!」
「あんた、生まれてきて、ここ(GCU)に入って、よかったなあ!ほんま短いけれど、この世の、いい思い出になるで!この言葉、もっていきや!私の声、聞こえてるか?〇〇ちゃん、生んでくれたお母さんに、ほんまに感謝やなあ!智ちゃんのお母さんにも、感謝やで!」と言っていました。

その子が生まれてGCUに入ってくるまで、私は、息子がGCUで一番から二番目に重い障害のある子なんだろうと、ある意味、思い上がっていて、今後のことで途方に暮れていました。
しかし、その無脳症のお嬢さんが、私の中に芽生えていた、ちっちゃなくだらないものを、全部吹っ飛ばしていってくれました。

無脳症ですから、泣き声は一切発せません。
呼吸も脈拍も時々乱れて、医師と看護師が緊張した面持ちで駆けつけることも、短い面会時間中に、多々あっていました。
それでも、そのお嬢さんは、無言で、ものすごいインパクトのある、大切なことを、現実を、私達GCUに子どもが入院している母親に、叩きつけていきました。

お嬢さんがこの世の空気を吸ってから3日目、いつもの時間に息子に面会に行ったら、もうお嬢さんはいませんでした。
GCUは、いつもの平穏さを取り戻していました。

おそらく、無脳症のお嬢さんは、奇跡的に3日間、もったあと、とうとう亡くなったと思われます。

息子は、まだ周りのことはわかりませんから、「あ、また、いつもの人(おかあさん)、きた」と言った様子で、私の方をじっと見上げていました。
「脳みそ、他の子より、全然ないけど(産後すぐに、主人から、息子に大きな脳室拡大があると知らされていた)、まだ生きてるだけ、ありがたいんだよねえ・・・よかったね、母親からがっかりされっぱなしじゃなくて。あの子(無脳症のお嬢さん)に、感謝だね」と言いながら息子を抱っこすると、息子担当の看護師は「あの子はあの子で、役割があったんやなあ・・・」といい、「でもね、お母さん。智ちゃん、きいてますよ」と小さく叱られました。

7年経って、「ぴょんぴょん」と言いながら2回跳ねるようになった息子ですが、たぶんあのときのGCUの同窓生のことは、全く覚えていないと思います。
私は、息子を寝かしつけたあとに、たまに、ふと、あの無脳症のお嬢さんのことを思い出すことがあります。

そして、反省します。まだ、無脳症で生まれたあの子の頑張りに見合うだけの頑張りは、まだ私達親子は生んでいないな。と。

長々と書きました。読んでくださって、ありがとうございます。

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智ママ

上に書いたように、どんな子どもでも、親が面会に来てくれる子どもは、幸せで、親の気持ちを受け取っていきました。

『親心が、その子のもって生まれた唯一の財産だ』ということは、本当に言えると思います。

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ヨヨ子

智ママさん。

なんで産んだの?と言った看護師のくだりを読んでいて、父が亡くなった時のことを思い出しました。
父は癌治療中、薬剤性消化管出血で亡くなったのですが、死亡後父の検体を拒否したら主治医が霊安室に来ず帰宅してしまったんだそうです。
こういう時は主治医は霊安室に顔出すみたいなんですけどね。
東京の中央部の偉そうな病院が密集している場所にある大学病院での話です。

私たち家族は医師と看護師の前では患者の家族は無能ということだけしか教わりませんでした。

私が10年くらい前に働いていたクリニックでも、看護学生兼看護助手の四十路女が「末期医療の実習してるとこの人達なんで生きてるんだろう?って思う」と言ってました。ギャルならまだしも不惑女が。
当時の私は唖然・茫然・嫌な予感。
そして私の嫌な予感は的中。
看護学校卒業後クリニックで正式に准看護師として雇われた彼女が最初に病棟でやらかしたのが「高齢入院患者のオムツを1日1回しか取り替えない」。
しかし私が知る限りでは5年近くは同じ場所で働いていたつまりクビにならなかった。
看護師って、ちょっとやそっとじゃクビにならないんです。医師も前科持ちになっても働けるみたいですし。

しかしICUの看護師までそんなだとは智ママさんの投稿を見るまで知りませんでした。

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智ママ

ヨヨ子さん

コメントありがとうございます。
体力のあまりない、普通体型〜華奢めの若い看護師さんが、意外な言葉(NICU/GCUではありえない言葉)を口にする率が高かったです。
新生児育児は、たとえ8時間労働でも、かなり厳しい条件の労働の部類に入るので、華奢な方は、たとえ若くても、体が持たずにやめていく方が多かったようです。

「自分たちは給料をもらって働く内容として乳児育児しているのに!『あなたは、乳児育児をしなくていいから、ラクでいいわね』と平気で言えるなんて、信じられない!」とNICUのロッカールームで言っていたり、ロッカーのドアをガン!と叩きながら泣いている初産の母親を見かけたときがあります。

これが、小児専門のICUであるPICUになると、患者の両親や他科の医師が頻繁に出入りするからか、看護師の態度が全然変わって、患者の家族にきちんと接してくださるようになるので、不思議に思ったことでした。

NICU/GCUの看護師の中でも、中年に近い年齢の方は、きちんと赤ちゃんにも母親にも対応ができていたように思います。無脳症の赤ちゃんに担当としてついていたのも、最古参の中年看護師でした。一生懸命、空いた時間を見つけては、無脳症のお嬢さんに話しかけてあげていたのを、まだ覚えています。

小児科でも、息子はおとなしくて、ミルクもよく飲む、ほとんど手がかからない子だったので、「やったー!今日の担当は、智ちゃんだ!今日は天国!」と言いながら正面のナースセンターから入室してきて「今日も、よろしくおねがいします!」と喜ぶ若手の看護師の姿が、よく見られました。

小児・新生児・PICUと、いろいろな看護師に当たったので、別な意味で勉強になった入院生活でした。

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智ママ

廣木さんの新刊本に、閉鎖的な場では虐待が起きやすい、ということが書かれていましたが、NICUでは、普通に、面会に来た母親への嫌味やあてつけが看護師から行われていました。

「養育医療で自己負担はほとんどないんだから、乳児育児もしなくていいから、これくらい言ってもかまわないだろう」というのが、看護師側の言い分でした。

障害児または障害が残るとされている子を授かって、暗澹としている母親の気持ちは、使い終わったオムツ以下の扱いで、「試練に耐えられなかった」で済まされていました。
閉鎖的で働くスタッフに多大な負担がかかる場所では、福祉の現場だろうが、大学病院の医療の最前線だろうが、心理的・身体的な虐待行為が行われてしまいやすいようです。
保護者は、子どもが人質に取られているので、辛い目にあっても、何も言えず、我慢するばかりでした。

このしくみは、なんとかしないといけないのではないかと思います。

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浅見淳子

智ママさん

それこそ知識です。社会の仕組みに関する知識が力になります。
看護師は国民が雇っている公僕です。7割負担ですから。そして障害のあるお子さんの場合国庫の負担は大きいわけで、そこから報酬をもらっているのです。
国民が雇っているのです。その中には当然お母さん達も含まれます。医療従事者も底辺層になるとこのへんの知識すらないようですが、医療従事者が公僕であることはたしかなので、堂々としていればいいのにな、というのが医療と無縁でやってこられた一社会人の素直な感想なのですが。
私なら無礼な看護師にはそう言い返してやります。そして病院にクレームを入れます。地域の厚生局にクレームを入れます。

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智ママ

浅見社長

良いお知恵をありがとうございます。
息子が乳児期に、病院の意見箱に1回だけ「なんとかならないものか」と投書して退院しましたが、その後、そこの病棟にはお世話になっていないので、その後、どうなったのかはわかりません。

医療ミスになったときの証拠対策に、手術の説明を録音させないために、医師が突然やってきて、そのまま説明を始めるように、病院側は証拠を残さないように対策されていました。
病室内のラインも最初は控えるよう言われていましたが、その後ママたちは対策として、いくら禁止してもラインで情報をやり取りするので、病院側としては諦めたようでした。

根本的に、クレームを入れて、厚生局にも連絡をしておくということは考えつきませんでした。
今度からその手法を使おうと思います。

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シア

社会は弱肉強食・誰も助けてくれないと教わり他人は人を取って食うと信じてました。 漫画でよくある「臓器を売れ」は鍋でもされる?から死んだほうがましと思ってしまった。 借金返せなかったら煮て焼いて食われると信じてたんです。 信じなくていいものを信じると生きづらいから治った方がいい。 

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シア

借金があったら少しずつ返す。 破産手続きをする。 そして再起を図っていくと言うそう言うステップとかは学校で教わりませんからね。

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浅見淳子

シアさん

動画3で発達障害啓発バブルについて触れましたが、当事者の皆さんにむしろ悲観的な世界観を植え付けたのが啓発運動だったと思っています。未だにその洗脳から解放されていない人もいると思います。気の毒です。

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yasu

うちの小3娘にも先日のZOOM講座で愛甲先生からバッチフラワーレメディをお勧めされたので導入しました。スターオブベツレヘムとロックフラワーの2種類を、キャベツツリーさんとほぼ同時期から開始しています。その他にも五本指良い子と母おんぶもお勧めされ、五本指良い子は毎日、母おんぶは時々やっているという状況です。

バッチフラワーについてはアマゾン適当に検索し下記の本を購入し、これを見て、1日2-3回、2滴/回を使っています。
『De.バッチのフラワー療法』、ジェレミー・ハーウッド著、産調出版(2004)

栄養療法も同時にやっていますが、少し前からプロテインとEAAどちらも嫌がるようになったので両方中止しています。

ZOOM講座の少し前からモノに当たるのは減ってはいたのですが、ここ最近はゼロになりました。学校でイライラすることは減ったようで、特にマスク警察(これがクラスに複数人いて、最近は更にうるさいとのこと)があまり気にならなくなってきたようで、これは大変有難いですね。栄養療法(ナイアシンの増量)でもここはなかなか改善しなかったですから。バッチフラワー開始から少ししてナイアシンは減量しています。

他にも、プリントを綺麗に持って帰るようになったとか、漢字が綺麗に書けるようになったり、算数でわからない問題があってもイライラしなくなったので、集中速習の効率も上がるのではと期待しています。

面白いのが、生卵が上手く割れなかった時、さっと器の上に移動させて卵がテーブルの上に広がらないようにできたこと。まあこれは身体コンディショニングで手首のワークも平行してやっているんでこちらの成果かもしれません(笑)

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浅見淳子

yasuさん

レス遅くて申し訳ありません。先日大阪の津田さん講座で事例検討会があり、栗本さんのアドバイスに基づいた実践をしたかたがたからご報告がありました。参考になりました。うちでは後日のご様子は次の会でご報告受けることが多かったのですが、このように書き込んでいただけますと助かります。ありがとうございます。

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智ママ

神経発達症のお子さんに、表面的な対応(大脳皮質に働きかけるいろいろな手法)をしてみても、結果は短期間ではあるように見えるものの、長期的に見て素晴らしい、恒久的な進歩が見られるわけではないようです。
確実に伸びて、後戻りしないのは、私の知ってる限りでは、大脳ではなくもっと中の方に働きかける花風社の手法+栄養療法の手法でした。

最近、息子が「お肉は、いらない。キムチが、いい」と、やたらにキムチを食べたがるようになったので、心臓の都合から、一回に大量には食べさせていませんが、耐塩性乳酸菌が絶えず少量は体内に入るようにはして、食べさせています。味噌汁も大好きになってきました。
(なぜか乳酸菌のチュアブルは嫌がるので、私がポリポリ食べています)

自然と腸活するようになった息子に、野生のカンがあるのだろうか・・・と思いながら育児をさせてもらっています。

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浅見淳子

智ママさん

肉食への偏りは確実に腸内環境を悪くします。大人はロイテリとかに(一時的に)手を出したりします。ヨーグルト増やしたり。ですから智くんのやっていることは正しいです。
身体アプローチもやっている健全な花風社クラスタの皆さんは栄養療法にどこかで飽きます。そしてまた採り入れたり臨機応変にやっています。栄養のみの人は色々大変そうです。身体で判断できるためにも身体アプローチが大事ですね。

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智ママ

浅見社長

コメントありがとうございます。
菌活は、自然なことなんですね。

半年くらい前から、息子のお肉を食べる量が普通くらいになり、ぷちぷちのもち麦ごはんとか、小麦のブランいりビスケットなどを食べるようになってきていました。
気が向けば肉は食べますが、肉だけ、ということはなくなりました。
心臓の都合で、ずっと栄養療法を続けるわけにはいかないので、どこかでやめないと、と迷っていたこともあり、最近は、お肉ばかりはやめて、好きにさせています。

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ヨヨ子

智ママさん。

栄養療法は、いらなくなると体が拒絶するようです。今の智くんは酵素とかが足りてるんでしょうきっと。

私も去年からビタミンB6を60〜100mgくらい取ってましたが、今月になって体がチクチクする唾液が粘っこくなるという症状に見舞われ40mgに減らしました。

鉄もプロテインもそんな感じでやめました。
水溶性ビタミンのサプリメントやプロテインは禁断症状がないので急にゼロにしても平気です。

焼酎風呂もそうでした。
元々下戸だったせいもあるのでしょうが、女性用携帯化粧水入れから5滴垂らしただけでも身体がヒンヤリするようになった時、「やめ時だなぁ」と思い今では湯船には何も入れてません。
しかし1番気功がしやすいのは湯船の中、というのは不思議と変わりません。

栄養療法や身体アプローチや気功は卒業する日が来るみたいです。
生涯にわたる支援とやらと違って。

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智ママ

ヨヨ子さん
コメントありがとうございます。
もしそうだとすると、息子の高タンパク質・中程度のビタミン・身体的アプローチ時代は約2年半となりそうです。

目一杯、食品からの高タンパク質をしていて、一番急激に伸びたのが始めて3ヶ月から半年にかけて(身体的アプローチは欠かさずしていました)、伸びは緩やかになったものの、言語は増え続けたのが半年から2年くらいでした。

最近は、私のほうがビタミングミの石油臭さ?か、一種独特の匂いが、なぜか気になって、味がトゲトゲしてきたように感じるようになったので、あまり食べなくなりました。

栄養療法を始めるときに「いったいいつまで、このタンパク質づくしの食事を続ければいいのだろう??」と思った時期があったので、大体の伸びやすい期間がはっきり出てきたら、あとから身体的アプローチと併用する人の目安になるかと思います。

メインは、息子を伸ばすために始めたことでしたが、同じものを出して食べていた私達夫婦にも、2年間で、
・踏ん張りが効くようになる(体力がついたようです)
・特に私は自分金魚と組み合わせると不眠がちだったのが安眠しやすくなり、トラウマ処理に使う体力気力ができて助かる
・(身体的アプローチ併用で)頭の中が騒がしくなくなるので物事に取り組みやすくなる
・ポチャ体型だった主人は、体が締まって、単身赴任先で雪かきをしてもへばらなくなる
・集中力がつく(集中できる時間が大幅に伸びた)
・花粉症が軽くなった(外出できる時間が増えて、ビタミンDをたくさん作れたようです)
というオマケが付いて、助かりました。

栄養療法には卒業がある、特に身体的アプローチと組み合わせるとだいぶ違う、ということを知るのとそうでないのとは、始めるときの気持ちのハードルがだいぶ違うので、ここに記録していこうと思います。

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座波

智ママさん、ヨヨ子さん、浅見さん

横から失礼します。

栄養療法については根本的な課題として、咀嚼から始まる食べ物から栄養を消化吸収する運動をショートカットすることになりますので、ある局面においては発達を妨げる可能性があることを理解しておく必要があると考えています。
智くんの無意識は「楽させないでちゃんと消化吸収させてよ」「今、必要なのはコレ」と訴えているのかもしれません。

また、身体アプローチや気功については少しニュアンスが異なるかなと考えています。
というのも、発達のヌケを埋めるだけでなく、レベルを上げるための方法論にもなるからです。レベルを上げるというのは大きく分けて2つ、運動・動作の精度を上げることと、その運動・動作に必要とするエネルギーや負荷を減らすこと、となります。そして、身体アプローチや気功はそれをしようと時間や場所を用意するものではなく、生活の端々に「あ、今、身体アプローチになってたな、気功してたな」といった類のものになっていきます。

ただし、外的ストレスが過大になってきたり、体調不良の時などは、意図的に身体アプローチや気功をしていただくのがおススメです。意図的に特定の運動・動作のレベルを上げようとする場合も同様です。意識が日ごろお世話になっている無意識をフォロー・サポートするイメージです。
続けることで種火が維持される、そんな感じもあります。

身体アプローチや気功というものは、なかなか奥深い世界のようです。僕もまだまだまだまだです。
ちなみに、栄養療法は高齢になるとまたお世話になるかな、なんてことも考えていたりします。
ご参考まで。

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浅見淳子

座波さん

ありがとうございます。
藤川先生はサラダ非推奨でしたけれど、うちはどうしても山盛りサラダを毎日食べていました。今の野菜に栄養はない、というご意見にはなるほどと思いますが、やはり咀嚼の大事さをどこかでわかっていたのだと思います。そして咀嚼もまた立派な運動ですからね。

最初の頃栗本さんに指摘されてなるほどと思った「自閉症等の子は伸びをしない」などの知見も、改めて読者の方に知らせておきたいです。たしかにそうです。赤本段階では藤家さんいはくしゃみさえ自然にはできないことでした。

疲れたときう~んと自然に伸びをするようになったら、それで一つ身体機能が上がったことになるんですよね。

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智ママ

座波さん
コメントありがとうございます。新しいご指摘に驚きました。

息子は赤ちゃんのときには、伸びをしていましたが、1歳を過ぎた頃から伸びをしなくなりました。今も、起きてくるときには伸びをしません。
たしかに、療育園の子どもさんは、どの子もどこかヘンに緊張していて、伸びをしていませんでした。

私は、比較的元気なときは、疲れを感じると伸びをしますが、かなり疲れが溜まってくると、気持ちも体もカチコチになって、伸びどころではなくなります。
もし息子が私と同じような体質ならば、緊張や疲れが溜まって、伸びどころでない状態が5,6年続いていることになるので、あまりよくないですね。

現在の息子は、気を許した相手から擦られると、嬉しそうな顔をして触られています。以前の、触覚過敏で、雰囲気と表情と、体のどこかを固まらせていた2歳3歳時のときよりは、リラックスできているように見えます。
これからも緩むことができれば、もっと伸びそうな気がします。

リラックスをして自分を取り戻す方法が、手や足をひらひらさせる以外に、猫や犬やサルのグルーミングのように、自然に自分にできるようになると、もっと息子は暮らしやすくなるかもしれません。
もう少し、息子の中の野性味を楽しんでみようと思います。

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