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浅見淳子

マスクを外したい人向けプチ連載 その2

連載その2では「人目」を取り上げましょう。
逆に私から外せない皆さんにききたいのですが、人目を気にするのはなぜですか?

うちの母は一向にマスクしない私のことを「いつか誰かに殴られるのでは」と心配したこともあったようです。
私は「ないない」と言っていました。
ノーマスクを咎める人に因縁つけられて殴られたりしたらそれは実害が生じる。その実害を恐れてマスクを外せない、ならわかるのです。
でもそれはほとんどありえないのです。
万が一殴りかかってきたら逃げればいいし
間に合わなかったら護道構えを使ってみましょうか(笑)。
もし被害を受けてしまったとしても(避けたいことは避けたいですが)私が怪我かなんかしても悪いのはあちら、警察につかまるのはあちらであってこちらにはなんの罪もありません。マスクは義務化されていませんから。
そもそも法的根拠もなければ科学的根拠もないand/orでっちあげのマスクをじっと言われるがままにしているような人たちがマスク警察になっていると思われるので、他人を殴るほどの活動量はないと推定されます。

マスクなしで歩いている人を見て「面白くない」と思う人もいるでしょう。
鈍いので気づきませんが、にらまれていることもあるかもしれません。
でもそれって何か不利益あります?
なんにもありません。
一方で口と鼻をずっと布で塞いでいることには確実に不利益があります。
だったら口と鼻は解放し、美味しい空気と今ならかぐわしい花のにおいを吸い込む方を私は選ぶのですが。
というわけで「人目が気になって外せない」人の気持ちが私は逆にわからないのです。何を怖がっているのでしょうか。わかる方いたら教えて下さい。

そもそもこっちだって向こうを見ているのです。
女性だったら「あらあの人すてき」と思うこともあればその逆もあるでしょう。
男性だって同じでしょう。
でもそこで見知らぬ人の内心で何か評価されていても不利益はありますか?
ありませんね。

顔布なしで歩いている私を見て「いけないんだ~」と咎めている人もいるかもしれませんが、こっちに絡んでこない・殴りかかってこない限り実害はゼロですから、自由な呼吸を選ぶ。
ついでに言うとこっちも行き交う人を自然に評価しながら歩いているわけです。

58歳のおばさんがマスクなしで歩いているのにいやそうに鼻マスクで歩いている図体のでかい若い男。弱虫だなあ。
二重マスク。頭おかしいな。
養蜂でもやりそうなかっこで歩いているおばあさん。ぼけてるのかな。きっとワイドショーばっかり見ている情弱なんだろうな。
幼児に不織布マスク。バカ親。
いやがる子どもに忖度マスクを強いている父親。やだやだ。子どももかわいそうだけど、ああいう男と結婚すると女は不幸だな。
お揃いマスクの若いカップル。バカップル。
昼時に蕎麦屋に並ぶ不織布マスクの群れ。社畜は哀れだなあ。33歳で独立して、苦労もしたけどあの群れの一員にならなくてよかったよ。なんだかんだこの年までやってこられてよかった。

等々。

そうやってこっちも色々な思いを脳によぎらせながら歩いています。別にあっちだけがこっちを評価しているわけではない。
こっちだって勝手な連想しながら歩いているのですから、あっちだってこっちを面白く思わない自由はあるし、お互いそれを行動化しない限り社会の秩序は保たれています。

いざその人たちとかかわりを持てば、にこやかに接します。
アヒルマスクの人に「接種会場どこですか?」ときかれたら教えてあげます。
「アヒルマスクかっこ悪い上に高いみたいだな~そのうえ注射もうちに行くなんてご苦労さん」と思いながら、親切に教えてあげます。

私を内心咎めている人も同じでしょう。
つまりマスクつけなくて内心ひんしゅく買っているかもしれないことは、なんの妨げにもならないのです。

逆にききたいのです。
マスク外せない人は、人目をなぜ気にしているのですか?

なんか言われるから?

次回はその「なんか」への対応について書きましょうか。

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シア

私は「お願いを聞いてマスクをちゃんとしてますよ~」(だからあなた方の敵じゃないですよ)怪しいものじゃありませんよと言う「つきあい」でマスクをしていたと思います。

人目が気になる…と言うのは「自分自身の目」なのかもしれません。

マスクは政府でも配られたしみんなで掲げたスローガン・道徳の類だと思っていました。
何かうしろめたい・マスクして空気読んでる人ごめんなさい🙇と思いつつマスクを外しているのです。

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シア

だから「何か」言われるとしたら…。

「マスクしなきゃダメじゃないか。」

だと思っています。
或いは「マスクしてないなんてダメや奴だ。」「モラルのない奴だ」「マナーやお願いを聞かない奴だ」
そのような(心の)声です。

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シア

私は「悪いけどいい加減オレは新鮮な空気が吸いたい」派なので「マスクなんてしてる奴は馬鹿だ」と言いたいわけじゃないんです。

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浅見淳子

なるほど。
だったら後ろめたいでしょうね。

私は2020年5月にマスクしていた人は別にバカじゃなかったと思います。
今しているのは(花粉症の人とか職場で強制の人とか除いて)バカだと思います。
マスク民はうんざりしますが、それはマスクを外してほしいというより、私の生まれた日本にはこんなにバカが多かったと思うからです。

アベノマスクが配られたのはマスク不足で、しかもあのころはマスクが効果あるかもしれなかったからです。
これだけみんながつけ続けも感染止まらないという事実を多くの人が見ていないみたいなのが面白いです。

「マスクしなきゃだめじゃないか」とはまず言われないし、言われたとしてもきく必要は全くありませんよね。
人それぞれが決めることです。
病院とかは違うでしょう。
私でも病院に行くときはすると思います。
だから病院に行かなくて済むように生活しています。
86歳の母すら病院に用事がない一家なので、それがありがたいですね。

普通ドラッグストアに行くときはマスクしませんが、先日頼まれて調剤薬局に行ったときは不織布マスクをしました。
5分くらいでしたけど。すぐ捨てました。もう使わないので。

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シア

>浅見社長
そうですね。
イロイロごっちゃになっているのもそうです。
他人より自分の方が頭がよくて判断力があると思えるから他人がバカだと思えるんじゃないでしょうか。
マスクに関してはバカな選択をしている人が多いのかもしれない。
しかしその人たちのそれぞれがそれなりの技術を持って真面目に生活をしている人たちです。
だからつい私なんかは自分が知らない正しい理由があるのかもしれないと思ってしまうのです。
弱者性は捨てたつもりでしたが知的障害と言われたり相対的に他人より遅れていると言われていた時期が長いので「他人より自分の方が賢い選択をしている」と言う風にはあまり思った経験がありません。
ただマスクに関してはバカな選択をしている人が多いのかもしれません。
しかし日本人が教育もあってそれでもおバカな選択をしている理由は何故でしょうね。。

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浅見淳子

シアさん

マスクをしている人の中には優れた仕事をしている人ももちろんいます。でもみんな自由じゃないんだなと思うし、その自由を私は手にしたんだな、それでいてきちんと自分で自分の生活を成り立たせているな、とそこは誇らしいです。

それと、シアさんの場合には何か言われても「スルー」もしくは「聞こえないふり」で通じると思います。私は弁が立つのでいくらでも言い返せますが、まずするのは「スルー」もしくは「スルー&こっちからちらりと冷たい視線を投げる」です。マスク警察をやるような人は同調圧力から抜けられない弱虫だからそれで充分であることが多いです。

シアさんなんかは「聞こえないふり」もうまいこと使えると思います。自閉のりちぎさが足を引っ張るかもしれませんが、試してみてください。まあそうそう誰かに何かを言われることはないですけど。

目的は「自由な呼吸」です。別に呼吸が不自由でもいい人は放っておきますが、私は人が人に呼吸の制限を呼び掛けることは人権侵害だと思っているのであくまでマスクはしません。

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シア

ありがとうございます。
「聞こえてないふり」は使えると思います。
マスクを外して少しずつ行動範囲を広げています。
公園のそばを通ると花の匂いって確かにしますし土や砂やコンクリートの匂いもします。
住宅街を通るとお料理の匂いもします。
キッチンのカチャカチャなる音もしてイロイロ「つながって」きます。
マスクを外すと嗅覚刺激がありいろいろ「つながる」はずです。

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浅見淳子

マスクを外したい人向けプチ連載 その1

某所でシアさんから「人目が気になってマスクを外せない」という書き込みがありました。
雑談のお部屋に書き込んでください、と言ったら書き込んでくれました。

私からのマジレスとしては「人目が気になって外せない人は外さなくていいんじゃないの」でした。
これは本心です。
人目が気になる人が無理に外してもかえってストレスじゃないでしょうか。
私は子ども達をはじめとする義務化されている人が任意になるように、外せる人は外すべきだとは思いますが、あくまで一人一人の自由なので、したい人は一生していればいいと思います。
他人の自由を縛る人の存在は許せません。
だから私もしていたい人に外せと言うことはありえないのです。
これは自閉圏の人にとても理解しがたいことかもしれません。
特定アンチあたりは私が「ノーマスクを煽っている」と嘘を言いふらしていましたが、私が主張しているのは「それぞれの選択」であり「ノーマスク」ではないのです。

そもそも私としては、これほど多くの人が(義務化されている職場はともかく)外でしているのが不思議なので、マスク警察に合ったら逆に「なんでしているのか」きこうと思っているのですが、何しろマスク警察という人たちがネット上にしかいないようなので、きくチャンスがないのです。
本気でマスクで何かが防げると思っている人もいると思います。
また、花粉症の人も多い時期ですね。

でもシアさんの場合には、本当は外したいらしい。
ので人目につかない場所では外したりしているらしい。
でも人目が気になって自分が外したいほど外せないらしい。

ということで、ほぼ完全ノーマスクの立場からプチ連載することにしました。

まず提言したいのは、心構えとかなんとかではなく、ツールです。
私はわりとこういうの(写真参照)を持ち歩いています。
スカスカマスクにマスクストラップです。

このマスクストラップってやつ、とても便利なのに、意外と使う人がいませんね。

私がほぼ唯一マスクをするのは(鼻だけど)飛行機ですが、空港はだいたいこれでマスクを首から吊る下げているだけです。
よく戸外の公園等で「自分はマスクするつもりあるんですよ」というアピールなのか肘とかにつけている人がいますが、肌に触れない分こっちの方がいい気がします。

ただ今のほぼ完全ノーマスクの私は、空港以外では首からもかけません。
必要あるときのために持ち歩いているだけです。

必要あるときとは、

・人に道をきくとき
・化粧室を借りる等こちらが恩義になる場面でどこか屋内に入るとき
・電車ですでに座っている他人の隣に座るとき

というところです。
電車は基本しませんし、ガラガラのとき席が空いていたらノーマスクで座ります。ただ自分がマスクの人の隣に座りたいときだけこれが出動します。

ちなみに普段はバッグに入れてあり、首からはかけていません。
そして銀行等で「マスクお持ちですか」ときかれたときは「持っていません」と答えます。
持っていると言ったらしてくださいと言われてめんどくさいからです。

それでも着脱をひんぱんにしたい人には、マスクストラップは便利だと思います。
もっと普及すればいいのにな~と思っています。
街中の雑貨屋等でも色々売っていますし、Amazonでも買えます。

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シア

マスクなし生活リスタート記第一回
第一日目

おはようございます。
マスクなし生活をリスタートしたので連載開始です。

・初日の今日は早朝マスクをしないで歩いてみる。
・早朝のコンビニは他にお客さんがいないので入ってみる。→マスクなしで飲み物だけ購入。

本日ここまでクリアできました。

感想・気づいたこと
歩いていてもなるべく人がいない時間帯・コンビニまですれ違っても一人か二人。
そしてコンビニも店員さんが早朝は一人だけで他にお客さんがいないのでハードルが低かった。

不安解消のためポケットに一枚ウレタンマスクを入れておいていつでも出せるようにしていたのがよかった。(少しでも不安がある場合やリスタート初日はあるとよい)

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浅見淳子

シアさん

よかったです。

コンビニ系はローソン厳しめ、ファミマ緩めです。
そして店員によると思います。
いきなり「マスクしてください」と高圧的に言われるというより「次回からお願いします」のパターンが多いようです。
ならばにっこり無言で次回からよそを使えばいいだけですね。

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シア

こんにちは。
マスク外している人多くなってきました。
用事でマスクなしで宅配を送りに行ったのですが私の他にノーマスクの人店舗では4~5人。
半数近くがノーマスクでした。
顔見知りの人の前ではマスクを外している人が多そうです。
暖かくなってきたしタイミング的にマスクを外している人が多いのかもしれません。
それでもN区の地元9割マスクしてると思います。
ただマスクしてない人は増えた印象。
他人にマスクしたらとかしないでいいかもと言うつもりないと言うのがわかります。

~マスクを外してみて呼吸が楽で新鮮な空気を吸えて快適だと思うだけです。~

電車でマスクを外すのは(マスクをしていた人は)ハードルが高いと思いますが少しずつクリアしていけるかもしれないと考えています。

にスーパーの駐輪場で「素顔」の人がいてそういう人を見て自分も外そうと思う人がいるみたいでできる人は少しずつ外していくと外したい人が外せる社会になると思いました。

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浅見淳子

シアさんからマスク問題に関し、別のところで呼びかけがありました。
人目が気になって外せないというのです。

私は「雑談のお部屋に書いてください。でもマジレスすると人目が気になる人は外さなくていいと思いますよ」と答えました。
それが私の本音です。
私は任意でいいと思っています。でも任意じゃない人が多いです。だから任意の人を増やしたいです。とくに子どもたち。

そうしたらシアさんの本音としては外したいということで
このサイトでも色々書き込んでくださっています。

外したい人が外すにはどうすればいいか
プチ連載をしてみようかと思います。

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シア

マスク外したいんだけどむつかしいです。
最初マスクしてませんでした。
マスクをするようになったのはマスクを強制されてしまったからです。
マスクをしないといけないよと言う指導がありました。
それでマスクを渋々してましたが嫌なのでやめられるならやめたいです。
実際何が正しくて何が正しくないかってどう決まっているんだろう。
「コレが正しい」と主張したって叩かれてきてKYと言われてきてしまう。
それが続いているので自分が正しいと思ってもそれが正しくないかもしれないと思う。

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シア

アルコールだって手が荒れるので極力つけてません。
代わりに手袋をしていたりします。
手が荒れるからと説明するのが面倒くさい。
でもうっかり素手で人目があるときは手にアルコールをつけるふりをします。
人目に負けた気がして情けなく惨めです。
そう思う理由は正々堂々としていない自分がダサく思えるからです。
不合理な理由でいやいややっていることを突っぱねられないなんて意志が弱く思える。
だけどそれが今の自分です。

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シア

本当のことを言ってしまえば…コソコソマスク外してるでしょ?
おうちではマスクしてないでしょ?
人目がないところでは実は多くの人がマスクを外しているしアルコールだって変なにおいのする原液が入っているところもあって皆さんやってなかったりするでしょ?
でもコソコソそうやっているのが本当の自分の本心なのに表向き正しいとされていることはマスクしましょうアルコール消毒しましょう。
人によってはコロナで重篤化しないような人までワクチンしましょう…。
自分らしく生きてない人が自分らしく生きましょうとか宣伝すると嘘くさすぎる。

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yasu

アルコール消毒はシカトしてますけど、注意されたことはないですね。
まれに店員が吹きかけてくるところがあって、面倒くさいので応じてしまいましたが後悔しています。今後、手が荒れるからノンアルもってこいよと言って、無いと言われたらその店には入らないようにしようと思っています。医療機関にもアルコール消毒は置いてありますけど使わなくても誰も見ちゃいないところが面白いです(笑)。皮膚科でも置いているか興味あるところですが、マグネシウム服用+入浴のおかげか皮膚科に通う必要が無くなってしまったので確認できずにいます。

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シア

マスク😷グダグダ言っても仕方ないので少しずつ外すことにします。
誰も見てない、yasuさんの言うとおりかもしれない。
ありがとうございます。

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yasu

はい、駅前でチラシやティッシュを配る人、選挙のチラシを配る人、街頭アンケートの人、マスクをしているしていないに関らず寄ってきますね。

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シア

【生徒と教師の関係はむつかしい】(ややこしい)

同じ目線に立って。
対等の関係で。
信頼関係を持ちパートナーシップで。

言うは易く行うは難し

そう教えてくれたのは私の学生時代に起こったある事件です。
中学生の時にその年齢相当に「荒れた」生徒が教師と喧嘩になったことがあります。
教師と言っても新人と言うかルーキーであり非常勤でバイトで講師をしているスタッフでした。
その「先生」は真面目な人でしたが

生徒を信じるとか同じ目線に立ってとか対等に向き合う…といった新人らしい理想主義があったようで相手の「荒れた」生徒とまともに喧嘩になってしまったのです。

中学生ですから大人の教師に理屈では敵わないし…かといって感情的に自分を批判されてしまって立場がなくなり追い込まれた生徒は学校に来なくなってしまいました。
そこでいつものように「反省会」が教室や職員室であったようで…そこで話し合われたのは「大人と子供の力の差があると言うことはまともに喧嘩をしてはならない」それでは生徒の立つ瀬や特に荒れた子は逃げ場がない…と言うことなんです。

児童生徒の人格形成にはもちろん影響するでしょうが社会に出るまでの道徳教育とか付け焼刃の指導はあるべくしてあるように思います。

それは中学までしか勉強しないで卒業してしまう人もいると言うことなんですよ。
だからそういう子供のことも考えて義務教育はパッケージ化されていてぎゅっと詰め込んでいると思われます。
そこに無理があるのは承知できます。
高校・大学と高等教育を受けるのが「当たり前ではない」ですし哲学を履修したり論文を書くのも当たり前ではないそのような機会のない人もいます。
ただそのような人もいつでも学問に戻ることもできる~社会に出ても積極的に学び続ける~と言うのが学校の理想として掲げていることだろうと私は思っています。

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シア

こんにちは。

責任のある人は不自由だなと思います。

最近は身体的直観に従って自分には事なきを得たものの他人にソレを勧めるのは運任せなので自重してるんですよ。

運任せで物事やっていいのは自己責任だからですよね。

自分の自己責任って言うのは他人にまで及びませんから。

人に迷惑が掛かっても付いてきた人のせいでしょと言うのは責任がない人の言い分です。

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シア

ただし医療従事者の言うことは運気がよくない文脈が多い。

福祉関係者の言葉はさらに運を呼ばない。

一般論で運を呼ぶ言葉や行動をしてくれる人もいますが…。

福祉や医療に関わって運を削りたくないと言う人は早々に治って離れて行けばいいと思います。

一般にこうすると運がよくなると言う行動や経験則には多くの人が従い運がよくなっています。

それは科学ではなくて知恵ですがね。

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シア

発達障害って診断を真に受けたときから不運な方向に向かっています。

毎日発達障害だとか自閉だとか自分は○○病だとか弱者だとか考えない方がいい。

ある程度治ったらそういうことは最低限度にする。

自分の弱点ばかり眺めて全体的に弱者だと考え続けると本当に運がよくならない。

先生は言ってますよ「自分を障害の型にはめて考えない。」「病気なんてないと思っていっていい段階だよ。」

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シア

程度問題でしかなく多くの人がいきづらかったりいきやすかったりするんだな。

「私だってそれくらいのことはある」「ソレって普通じゃない?」「そんなことを言ったらみんな障碍者になっちゃうよ。」というような意見に「でも…」と思わずにいられるようになっているんです。

一般人の中に自分を入れたと言うか。

それをお伝えしようと思いました。

返信する
浅見淳子

シアさん

お久しぶりです。

相変わらず何言ってるかよくわからないけど、シアさんの書き込みを見て思い出したこと。

たとえばコロナ問題でもウクライナ問題でも、テレビばっかり見ている人は偏った情報を得ています。

そしてあっちから見ると、ネットから情報拾っている人(含私)は偏っているとみられることもある。

でもネットから情報拾っている人(含私)は別に一面的な情報拾っているわけではなく、コロナ怖いワクチンマストみたいな人がいることも、テレビや政府が接種煽ったりしていることも知りつつ、じゃあこのmRNAワクチンはどういう機序なのかとか、先行して打ってる国の感染は本当に収まっているのかとか、そういうことを調べた上で自分の態度を決定しているわけです。

そういう意味で「調べろ」とは思いますが「打つな」とは思わないんですよね(私の場合)。ただ、これだけなんでも調べられる中で自分の身体に何を入れるかわからずに打つ人はそれは自己責任だと思います。

私が言っている自己責任とはそういう意味なんです。

障害にこだわるなと言われると、それはそうだと思うのですが、自己責任がわかりにくい認知特性を持っているASDの人は多いと思っています。

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シア

私はあんまり真面目に精進してません。

厳密に何かしたわけでもなく特別なことをせずに時間が解決してきています。

マルチビタミンとか朝ライドちょっとやってるだけで変わってきてしまった。

当社比で状態がそれでよくなったんです。
花風社・浅見社長・皆様方ありがとうございます。

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ブルー

<治療院にて>

■施術中

ブルー:
「ゼンテー・・・ドーガンハンシャ?」

徒手系の先生(神経学派)
「はい、前の庭に、動く眼の反射です。」

ブルー:
「あ~はい、分かりました。前庭動眼反射、ですね」

徒手系の先生(神経学派)
「この反射は首が動く方向とは逆に眼を動かすことによって、常に眼の中心視野で対象物を捉えるためのものです」

「前庭系に首が傾いた情報が入ると、そこから眼に指令が行ってこの反射が起こります」

「ですので、ちょっとこの動きをですね、やってみてください」
(※先生が動きのお手本を見せる。これが私の次回までの宿題)

ブルー:
「これが上手くいくと、だいぶ体験世界が安定しますね。視界が安定するわけだから」

徒手系の先生(神経学派)
「そうなんです!」
「ブルーさんの場合、首を・・・(略)」

■帰り際、料金の支払いや次回の予約の際に

ブルー:
「なんというか、当事者の課題というのは首や脊椎や背中といったところに常に表現されますね」
「課題の蛇口が脊椎というか」
「課題は毎回違うのだけれど、いつも表出するのは首や脊椎、みたいな」

「それとさっきの前庭動眼反射の時もそうですが、先生は神経系はご専門ですものね」

徒手系の先生(神経学派):
「ただ、神経系と言っても分かっていないことが多いのですよ。でも、分かっているものにあてはめようとして考える人が多いのです。それで特定の「〇〇〇メソッドは凄いのダー」みたいになります」

            ・
            ・
            ・

ブルー:
「今日はありがとうございました」
(施術室から出る。扉を閉めながら先生に頭を下げる)

徒手系の先生:
「ありがとうございました」

返信する
浅見淳子

ブルーさん

前庭動眼反射。なるほどあるでしょうねそれ。じゃないと視界がぶれるはずです。あとASD圏の人の動作の特徴として、首と身体を切り離さずに方向を変えるというのがあります(私調べ)。この動作をやっているとASDかなと思います。

結局人体として神経系が集まっているところに課題があるというか、そこに神経が集まっているというか、そういうことなんでしょうね。貴重な情報です。ありがとうございます。

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ブルー

浅見さん

コメントをありがとうございます。

前庭動眼反射は姿勢反射ですから、原始反射と違って「しっかりと使える状態」になっておきたいところですね。

成人当事者って背中が丸かったり、首が傾いている人もいたりして、姿勢制御に問題がある人をよく見かけますよね。原始反射だけでなく、姿勢反射にも課題がある人が多いような気がします。

>ASD圏の人の動作の特徴として、首と身体を切り離さずに方向を変えるというのがあります(私調べ)。この動作をやっているとASDかなと思います

→おそらく、首だけを横に向ける運動が安定的にできないのと、眼球が正面を向いていないと上手くモノが見られないのではないかと思います。だから首は常に真正面になると。

つまりは

・首周りの運動発達と
・眼球運動の課題が

隠れていそうです。

この前庭動眼反射もそうなのですが、確かにこの先生との取り組みにおいては首の課題と眼球運動の課題をセットで取り組むことが多いですね。

>人体として神経系が集まっているところに課題があるというか、そこに神経が集まっているというか

→はい、姿勢反射の中枢も延髄~脊椎といった「人間脳の根っこ」にあるそうです。どうしても神経系の課題をやるとそこに話が行ってしまうというのはあると思います。

つまりはこの話も「人間脳の根っこを育てる」話なわけですね。

今後とも宜しくお願い致します。

返信する
浅見淳子

我が家の夕食は、結構構造化されてます。サラダ、温野菜一品、肉一品、海の幸一品です。お酒飲むので主食はなし、お味噌汁は朝用に作っておきます。ここまで決めとくと献立考えるのは意外と簡単ですね。

神奈川県で妖精さん🧚‍♀️になった場合の隔離施設の食費は一日四千五百円で、大阪のように中抜きもされず、豪華だと評判です(あ、これ我々みんなと子どもたちが将来にわたり払うお金ですよ)。でもうちは一日四千五百円かかってなくても、療養施設よりはるかによい食生活をしています。

すっかり春になり、😷もわくにゃんもなしに冬を乗り切るという人体実験もフィナーレです。尾身株は近づきもせず、どうやら勝負に勝ったと思いますわ。よく食べてよく動いてよく寝ました。そういう人には息苦しい😷も中長期的に免疫抑制するわくにゃんも不要です。

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智ママ

ブルーさんへのお礼の報告を、ここに書きます。

智ママです。いつも、ブルーさんのアンチ対策連載シリーズを、楽しみに読んで、非常に勉強させていただいております。
わざわざ詳しく書いていただいて、ありがとうございます。

先日(木曜日夕方)、息子と外出中に、とある難病で寝たきりの20代女性のTweetを見かけまして、
『そんなに結婚したいのなら、こうすればいいやん』と思ったアドバイスをリプライで送ってみたところ、『私は難病ですから!介護がないと生きていけませんから!夫となる人には、なにもできません!』と難病女性から逆ギレされました。

「いや、そうじゃなくて、この思考法だと、よくない男性としか出会えないから、現状把握して、対策を立てて、『自分は対策があるから!』と説得材料を積み重ねて、反対されうるお相手のご家族を説得できるようにしておけばいいんじゃない?」
と現実的に建設的な指摘をTweetすると、
『私は難病なんです!攻撃しないでください!』(こちらは一切攻撃していません。指摘はしましたが)となぜか被害妄想に陥ったのか、泣き喚いたらしく、自分の難病を盾にして喚いたあと、Tweetのアカウントを閉じて逃げてしまいました。

あの・・・私も難病児の母親なんですが。
自分の耳に痛い指摘を逃げるのに『難病ですから!』なんて恥ずかしいセリフ、8歳の息子でも絶対に口にしませんよ?
(息子の場合は『多発奇形ですから!』『心疾患に発達と知的もありますから!』になるんだろうなあ)

と、淡々と生活していたら、木曜日の夜に、件の女性の嘆き友達である、正義感のやたらに強い難病友達が、私に煽りTweetのリプライで挑発してきました。

ちょうど暇だったので、最初の女性にぶつけたかった、結婚に際しての不安点
(夫となる人への負担の軽減・子どもがほしいならば、妊娠出産対策・育児対策、服薬によって発達障害児が生まれた際の育児負担はどうするか、両親の老後の介護費用負担・夫側の介護の費用、夫が倒れたときの各種手続きの手間、それら諸々の、恋愛結婚に関して発生しうる問題点についての、難病女性側の、対策の有無の確認)

について、『貴方は、どう対策を立てられていますか?』と、現状認識を促す一環も兼ねて、疑問をTweetにて質問で送ってみました。

私に攻撃してきた、同じく20代前半の、正義感あふれる、難病の寝たきりの友達女性は、現状認識の辛さに逃げ出して、
『誹謗中傷を受けた〜!Tweetやめます!』とご自分のTweetで叫んでいました。
(いや、難病で寝たきりの妙齢の女性が、本当に結婚したいならば、現実の検討と問題点への備えは必須ですよね?)

「・・・なに、このお花畑的な発想??」
「『夢見る夢子ちゃん』や、『恋に恋するお年頃』の年でもあるまいに。」
「本当に難病でも結婚したいなら、覚悟を持って望んだほうがよくない?婚活市場ではうちの子同様に『ランク外』なんだから。8歳息子の母親の私でさえ、息子の今後が気がかりで対策してるのに、20代前半がアレじゃ、ダメでしょ。大丈夫?」
と、私が早婚していれば、彼女たちと同じ年頃の娘がいてもおかしくなかったので、心配して眠りにつきました。

翌朝、息子を小学校に送り届けたあと、スマホを見たら、今度は、同じく難病男性と、同じ難病の寝たきり娘がいる母親が、電凸ならぬTweet凸をしてきていました。

金曜日は暇だし。と、話をしてみましたが、男性も都合が悪くなると『結婚を夢見るぐらい、いいではないですか!彼女の権利を侵害していますよ!』と叫ぶばかりで話にならず、難病の寝たきり娘の母親に至っては、5時間に渡り、なんとかして、どうにかして、こちらから謝罪を引き出そうと躍起でした。

せっかくですので、息子を生んだときからいろいろ不愉快な経験もしてきたので、それについても疑問に感じていることを、その難病の娘をもつ母親に、全て質問としてぶつけてみました。
・結婚市場では難病者はランク外なこと
・難病の子どもでさえ、ベビーカーで移動中に、福祉を使ってばかりの「社会のお荷物」と謗られることが、外出すると普通にあったこと
・結婚に関しての不安点・問題点の解消対策
・結婚生活維持費をどうするか
・両親の老後対策はどうするか
・不幸にして服薬したままの妊娠と出産の結果、発達障害児またはその他の障害児を授かった場合、誰がその面倒をみるのか
・その治療費用に手術費・付き添い負担など、人材のやりくりも含めて、どうするのか
・子どもの教育費と育児に関する手間暇と人手の捻出方法
・そもそも難病遺伝子を持つ人の子どもを持ちたい人はいないという事実

などなど・・。
ほとんど、私の生活体験していく上で
『息子の結婚は、できれば希望する。だけど、これらの点があるから、非常に厳しいよね・・・』と、脳内シュミレーションして気づき、対策を密かにたてていた点を、比較的、娘のために準備しているその母親に向かって、議論しながら質問をぶつけてみました。

当初は『難病者をいじめる、健常者の不心得者を懲らしめに参上した、正義の味方』として突撃してきた難病者の母親は、議論をかわすうちに、私が『難病息子の結婚は、条件が叶えば、させたい派』であり、私自身も難病児の母親であることがわかると、同士討ちの愚を犯していることに気づき、うろたえていました。

それでも私に謝罪させたくて、しかし振り上げた拳を下ろす場所がなくなったからか、発達アンチよろしく、あげ足取りとこちらを差別主義者に仕立てようと罵り、それでも議論(あちらは罵倒、こちらは受け流しながら質問と問題提起)の合間に質問がどんどん来るので、応戦しかねたのか、終いには、

『神に祈ればいいではないですか!祈れば、結婚の願いも神様が聞き入れてくださいますよ!』と、返ってきたので、非常に脱力してコケました。

いや、神様に頼ったって、何とかならんもんは、なんとかならんのですが・・・

そのうちに私のことを精神病者扱いして、精神科受診を誹りながら煽ってきたので、15−30分待って、
『◯◯さん(ハンドルネーム)。それ、名誉毀損ですからね?』とTweetで静かに指摘すると、寝たきり難病娘を持つ母親は、全ての大義名分が崩壊したことと、ついうっかり感情的なTweetが過ぎて、私を謗った結果、『法を犯して罰金刑の罪に問われかねない』と瞬時に理解して、即座にTweetを全部消して逃亡しました。

「逃亡、4人目かあ・・。9時から14時まで5時間、粘着されてたなあ」

8年間、ずっと不安に抱えていた疑問を、議論に紛らせて、明かして、相手にぶつけてみることで、返ってきた答えの数々を総合的に検討してみた結果、

『自力で情報を集めて試行錯誤して歩く以外に、自分たちの人生を良くする方法の王道はない』

『福祉に絡め取られると自助努力を怠りやすくなり、堕落した結果、特に難病で寝たきりの場合は、一般的な社会通念から乖離して、とんでもないお花畑で生きるしかなくなる人が多い』
(私の息子も、寝たきり予定宣告を、生後2ヶ月のときに受けたので、心疾患が悪化して寝たきりになり得ることもあり、他人事ではありません。)

という結論に行き着き、結果にはそれなりに納得して、息子の学用品(スティック水のり2本)を買いに、100均まで自転車に乗って外出しました。
外の風が気持ちよかったです。

難病で寝たきりの娘の母親は、何かと娘のために蓄財して手配もしてあげて、なかなか対策を立てられていたので感心しましたが、
『弱者ダー』『結婚を希望するのは当然の権利ダー』『指摘は誹謗中傷ダー、だから私達に謝れ!』という論旨の攻撃を続けたので、内心「ブルーさんのアンチ対策があって、よかったなあ。」と感謝しながら、延々と続く議論(という名の攻撃をいなしつつ質問する)合戦を楽しんでいました。

「5時間も、寝たきり娘さんと家事を放置して、私と議論するなんて、向こうもよっぽど暇なのね」とも分析してもいました。

金曜日のお昼過ぎに戦いは終わりましたが、私はアンチ大戦を見ていたのと、ブルーさんのアンチ対策についての考察を読んでおいたおかげで、心理的にはほとんど無傷で済みました。

ブルーさん、ありがとうございました。
また、続きを楽しみに読みたいと思います。

以上で、報告を終わります。

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智ママ

『難病』を『発達障害』に変えると、よく見ていた世界の出来事になるので、既視感がすごかったです。

自分の立ち位置を確認して、自分の価値を識ることは、とても大切なことで、これは、難病者だろうが、発達者だろうが、同じことだと思いました。

息子を社会で生かしていくのに、良い材料を得る体験となりました。

ブルーさん、重ね重ね、ありがとうございました。

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ブルー

智ママさん

こちらこそありがとうございます。
お役に立てたのなら何よりです。

>自分の立ち位置を確認して、自分の価値を識ることは、とても大切なことで、これは、難病者だろうが、発達者だろうが、同じことだと思いました。

→はい、自分の価値・・・は現実的には市場価値と考えます。

大半の人は市場で大した価値がつきませんので、これは大変つらい営みになることもあります。そういうわけで日本人の7割は自由市場が嫌いです。

でも、特に「なんとかしたい」自閉の人は自分の市場価値という現実を定型よりも率直に受け入れられるような気がします。

むしろそこは文句言ってる定型よりも強みがあるのではないかと思います。

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智ママ

ブルーさん
お返事ありがとうございます。

私は、結婚してだいぶ経ってから息子を授かりましたが、それまでの夫婦二人での生活と、出産してからの育児で、『結婚とは共同生活であり、双方の協力またはギブ&テイクがないと続けられないこと、育児とは同族の哺乳類を育てることであり、かつ人間の基本の大切な部分を構築していくためのお手伝いをすること』だと学びました。

そして、介護なしに生きていけないほどの重度の難病の方に、その結婚する自由に伴う義務が簡単に果たせるのか、大いに疑問を感じました。

配偶者にも人生や家族があること、
子どもの人格の基礎をつくる際のケア不足は、その子にその後の人生で大きな支障となりうるということが、
まったく認識・予測できないレベルの方が、結婚や子育てをすることは、非常に厳しい困難を伴います。
(そもそも寝たきりではおむつも替えてやれないし、抱いて寝かしつけもできませんよね。それでも福祉の力を借りて、施設に、生んだ子どもを幼児期だけ預けて、夫婦と、訪問する親と、ヘルパーさんらで子育てする、脳性麻痺の夫婦は福岡にいてはりますが)

それを知っていただけに、簡単に『介護する両親でなく、一緒にいてくれる男性と、結婚がしたいなあ』『子どもも好きだから、ほしいなあ』と呟いて夢見る若い女性に「ちょっとまって、それ、違うんじゃないの?」
「それでも結婚したいなら、これこれの支障は考えられるけど、それをクリアできる対策は貴方にあるの?」
と既婚者で厳しい育児をしているものとしては、思った次第です。
その条件がクリアできる技量の女性なら、お相手の家族を説得して、恋愛結婚できる余地がありますから。(もし対策プランありなら、応援するつもりでした)

でも、残念ながらそうではなく、ただの甘いお花畑の夢を呟いて、傷心にひたって嘆いてみせたいだけだったようです。
「おいおい、もう20代前半に、しかも寝たきり難病なのに、結婚したいって書いてるのに、ノープランじゃ、結婚活動も結婚も、危険だよ!」と思って指摘したら、
『私は難病ですから!(だから優しくして!)』と逆ギレしていました。

普通の人なら「ハハハ、お花畑がバカいってるわ」と思いすらせず、相手にしないで離れることが多いTweetの事案ですが、私は難病児の息子の母親でもあり、その問題点を痛感していたことから、看過できませんでした。

そして、金曜日に戦った、難病寝たきりの娘をもつ母親でさえも、現実を見ることがなくお花畑全開で、「健常者のエリート(または医師か医療者)と、難病寝たきりの娘が、恋愛結婚できて、結婚生活をつつがなく送れて、つつがなく出産できて、健常児の優秀な孫も抱ける」と本気で信じ込んで、私を論破しにきていました。

おいおいおい、それ、昔の少女コミックの中でしかありえない話ですから。
本気であれがあると信じ込んでいること自体が、恐怖ですけど・・・。
現実を見てくださいよ、お母さん。親までお花畑で、どうするんです。

同じような難病児の母親である私は、心底、呆れました。
発達障害も含め、障害者の結婚は、お相手が必ず健常者とは限りません。
条件や苦労を知っている者同士で、「話が合うから。」と、障害者同士での結婚をすることがわりと多いです。障害の程度にもよりますが。

まだ発達障害ならば、ある程度または完全に近いところまで治して、普通に近い人生を送らせ、結婚も育児も適宜サポートしてやれれば、幸せな結婚生活で、人生で貴重な経験を積んでいけることも、大いに有り得る話です。

ですが、心ある発達男性は、できる人であればあるほど、自分の特性が配偶者の女性を苦しめうると容易に自覚できるので、軽率な結婚を控えます。
それだけの思いやりを他者にもてるから、そうなさるのだと思います。

婚活も、自分の価値を識ることから始まります。
そして、それは、楽ではありません。
私は恋愛結婚でしたが、それでも、結婚生活は順風満帆とはいきませんでした。
お互いに支え合いながら生活ができないのなら、結婚という人間関係は、すぐに破綻します。

それは、健常者だろうが、発達だろうが、難病で寝たきりだろうが、関係ありません。

それを想像できずに、一方的に介護を受けるだけの身で、覚悟もなく、プランも立てず『介護の両親だけじゃなくて、一緒にいてくれる男性と、結婚したい』とは。
「介護する親のきつさと辛さ、わかってます?20代前半ですよね?」とカチンと来て、それでも極力、他人事と思わずに優しく指摘しました。泣いて逃げられましたが。

いま8歳の発達息子が、将来「結婚したい」と言ってきたら、お相手のお嬢さんに過剰な負担が来ないか、そのために完全に老いる前の親が何がしてやれるか、よく検討して、手立てをうって、それで大丈夫そうなら、結婚してもらいたいと思います。
最初から、お相手の女性に、負担を丸投げにするわけにはいきませんから。

妄想だといわれるかもしれませんが、親としては、息子を託せる、または一緒に成長していけるお嬢さんに、夫婦二人で関係を築いていっていただきたいと思っています。親としては、の希望ですが。

子どもが発達だということがわかって、いろいろなことを諦める親御さんはとても多いです。私はたまたま、諦めが悪かっただけです。

たとえ厳しすぎるとは思っても、脳内でもいいからコツコツ準備しておくと、そのために必要な事柄が、向こうから転がってきたり、降ってきたりします。
それを知っているから、件の女性に指摘を送ったのですが。
却下されて残念です。

でも、仕事をしていれば、そんなことはお相手の都合一番でもあることですし、よくあることです。結婚も、お相手の人生がかかってきます。
親がお花畑になっていたら、現状を見る目が曇ります。

親はいつか、先に、子どもをおいて死ぬことが多いです。
その時のために、コツコツ準備して、生きていけるように育てておくことが、一番の子どもへのプレゼントだと思っています。

難病系の多発奇形の発達・知的の子の母親として、結婚生活と人生について、真面目に考えて書きました。

現状での自分の位置・今、希望を叶えるために自分でできること・望む相手に選ばれるだけの価値。
それらを把握できる知性を、磨きつつ持ちたいと思います。

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ブルー

結婚に関しては
これまた私にコメントできることがほとんどないので
かろうじて私にコメントできるところを探しますと

>たとえ厳しすぎるとは思っても、脳内でもいいからコツコツ準備しておくと、そのために必要な事柄が、向こうから転がってきたり、降ってきたりします。
それを知っている

→はい、準備しておくと運が時折つかめますね。

ただしそれを体験で掴んでいる人は限られるでしょうね。
全員ではないはずです。
「コツコツ準備」が数年単位になるからです。

ただこれも
得意としている自閉の人は一定数いるのではないかと。
それも花風社の読者の当事者には結構いそうです。

で、自閉が人生を開くには、
私自身はこれ以外の方法・・・
つまり「コツコツ年単位の準備」以外を知らないです。

他にあるのかも知れませんが、
私にはよく分かりません。

自閉が「一発逆転」やら、「ハイパフォーマンス」やらを狙うと
往々にして自爆して終了です。
そんな実行機能を持つ自閉は多くありません。

私がなぜこう言えるかというと、
過去に繰り返し自爆したからです。
そういう自爆もまた、ハッタツあるあるです。

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智ママ

あまり明るい話題ではないのですが、書きます。
息子の通う小学校に、4年時から育成級に通い始めた子がいます。
不登校で、小3時代には集団生活に馴染めず、いつも廊下で泣いていた子でした。

「あっこのお嬢ちゃん、発達障害やて。可哀想になあ。発達障害は、治らへんから、お兄ちゃんの嫁はんは、来てがなくなるで」と近所の高齢者同士が噂を広げているのを見かけて、
「やっぱりなあ・・・」と暗い思いにかられました。

学校は、不登校対策として、その子に「育成級に入れば、授業も易しいからついていけるようになるし、一番できる子になれるよ」と仲人口をきいて、発達検査を受けさせて、その子を発達ということにして、育成級にいれて、『我が校では、不登校の生徒が一人減りました』と教育委員会に報告していたのです。

その子の人生の展開は、一切考慮されません。
あるのは、『育成級に進学させて、不登校がひとり減った』と小学校が、教育委員会に報告した事実だけ。
その子のお兄ちゃんには、ワケアリでも嫁いでくれる優しいお嬢さんと、障害児が生まれる家系でも娘を嫁がせることができるくらいの、理解のある親御さんしか、お嫁さんと姻族にはなってくれません。
持ち家だと、一生、「あそこの子は発達障害児やから、深くつきおうたらあかんで?」と周囲からヒソヒソされます。
既に、『発達障害児は迷惑なまま成長しても一人前にならないから、関わらんどき』という暗黙の了解が、当地ではすぐそこにある状態です。
それでも『あっこの子(息子のこと)よりは、マシやけどな。可哀想になあ〜』と言われている我が家です。

その子のこれからの人生を考えると、もったいなくて暗澹たる思いになりますが、その子自体は、毎日登校してきているので、これでいいのか??と内心疑問に思いながらも、息子を小学校に送り迎えしています。

治ることが普通になったら、その子も社会や学校に戦列復帰して、普通に近い人生を送れるようになるのですが。
ベルトコンベアーに乗せられていくその子のことが、もったいなくてしかたがないですが、その子はご近所さんでもあるので、悩むところです。

想定していた以上に『発達障害の子は迷惑になるし、発達しないから、そんな子を出した家とは、深く付き合わないほうがマシ』という考えが、当地に根付きつつあることを知った日でした。

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智ママ

息子が毎週日曜日の朝6時15分から見る、立体的列車アニメのために、日曜日だけは6時に目覚ましをセットして寝ています。
いつものように目覚ましがなり、 iPadの操作の代わりに目覚まし解除をした息子。
私の傍らにやってきて、再度うとうとし始めました。
「そろそろ起きないと、アニメは終わるよ?」と私が寝たまま声かけをすると、慌ててTVの部屋(居間)に起きていきました。
「おかあさん、列車のアニメが始まりましたよ」とわざわざ一緒に見ようと声かけをしてきたので、
「おかあさんは、アニメを見なくても困りません。見たい息子(名前)が、困ります」
「わかりました」
と会話をして、一人でTVをつけて視聴してもらいました。
音声は聞こえていたので、途中からぎりぎり間に合ったとわかりました。
しばらくして、賑々しいエンディングロールが聞こえてきて、
「おかあさん、列車のアニメを、一人でテレビをつけて、一人で見てきました!」
と達成感溢れる声で、寝床の私に報告しに来た息子。

外出の際は大人と一緒でないといけないため、いつも母親と一緒に行動しているので、
『おかあさんはおかあさん、僕は僕』が曖昧ながらも生まれては来ていたものの、
まだはっきりとは分離できていなかったようなのですが、今朝、もっと寝ていたい私が、息子に一人でTVを見ることを促したこともあって、内面世界の一部に、『僕は、僕』というジャンルができたようでした。

一人でできることが、増えていくと、親はちょっと寂しいですが、助かりますね。
これから大人に向けて、息子には、バブル時代のドラマにあった『冬彦さんと、その母親』(ドラマの題名は忘れました)路線でいては困るので、自立を促していますが、今日少しだけ進歩したようでした。

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Kei

息子さん着実に「自分」でできること、主体性、自己主張というスキルを身に着けてその快進撃が微笑ましくも頼もしく読ませていただいています。

ドラマは「ずっとあなたが好きだった」でしょうか?
わたしは見ていませんでしたが当時とても話題になりましたね?

10年以上前に子どもが通っていた園での経験も含めてわかった事ですが…

子どもに障害がある場合でも、
お母さんの生き方や子育ては割とハッキリ二分されているな…と感じていました。

例えば重度の身体障害がある子の場合でも、他の家族や子どもの為に必要(用事があるとか学校行事の参観とか)に応じて、医療の介助ケアがあるデイケアに数日間子どもを預けるお母さんと、全く利用していないお母さんと両方いました。

預けていないお母さんが、
子どもがある程度大きくなってしまうと預けることが(子どもの感情的に)余計に大変になってしまうから、もっと小さい時からそうしておけば良かった。
と言っていたのが記憶にあります。

又、知っている人ですが子どもに知的な遅れがなく身体介助も不要なのに、小学生になった男の子と外出先の女子トイレの個室に子どもと一緒に入っていたお母さんがいました。

その子が10歳くらいの時も一緒に入浴している。と言っていたので、流石にそれは良くないのではないか?と言いました。

他にも子どもの代わりに全部自分が答える親。
とか、
一人で公共交通機関を(心配で)使わせられない親。
とか、過保護過ぎるというか子どもの成長を信じていない…というよりむしろ「子どもの成長を阻んでいる親」もいるなぁ〜と感じています。

子どもは親の所有物ではありません。
いつか独り立ちします。
(同居か別居か?という意味ではなく)

一人でお風呂に入れない。自分で身の周りの準備ができない。自分の意見を自分で言えない…等々

そんな子ども(大人)にしているのが親である自分だという自覚がない人が意外といる様に感じます。

親はいつまでも子どもの世話ができるわけではない(すべきでもない)ので、できるだけ早い時期から自分でできる人になる様に育てるのが本当の意味で子どもの為だし、我が子を想う親だと思っています。

これからも外野から息子さんの成長を楽しみにしています♪

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智ママ

Keiさん
お返事ありがとうございます。

『障害児を授かっちゃったんだから、預けてレスパイトしてナンボよ』という考えのお母さんと、極力公的なことに頼らずに、自力で頑張ろうとするお母さんは、たしかにいらっしゃいますね。

そして、その中でも困ったお母さんが、
『最後の赤ちゃんだから、何かと世話を焼いちゃうの♪』と、子どもさんが障害児であっても、自分でできることをその子から取り上げて、わざわざ子供に対してしてあげることで、子どもさんの自立心を奪い、「自分は子供に尽くしてあげている母親だ」とご自分に酔って、悦に入っている母親です。

多くは、なぜか専業主婦にみられます。
兼業主婦になると、お仕事と家事と育児で忙しくなるからか、そこまで行かない方がほとんどです。ご主人とは、うまくいっていないか、ほとんど交流がないかのどちらかです。

子どもさんは、当然ながら、『人に何でもしてもらっている状態が、普通』の家庭生活を送っているので、傲慢になり、一人では何もしようとしなくなり、身辺自立が大きく遅れてしまうので、発達も遅れがちとなり、多くは、過剰に発達の遅れを心配した母親が『大事を取って』総合支援学校に入れてしまいます。
そこで、母親から切り離されて、お子さんは、やっとしぶしぶ自立の道を歩みはじめようとするものの、なかなか進まず、小学校に進学できた子との差は大きく開いていくばかりとなります。

私は、ここで、専業主婦が悪いと言っているわけではありません。
子どもの世話をすることに溺れて、自分がないままで過剰な手伝いをしてしまう育児が、お子さんにとっては、とても有害だと指摘したいだけです。

親御さんが亡くなったら、その子はどうするんだろう?と思いましたが、
『きょうだい児(上の子)がきょうだい力を合わせて、この子の面倒をみるから、いいのよ』と涼しい顔をしているので、上のお子さんたちは、就職はともかく、結婚で相当差別されてしまうのだから、障害はそのままにしておくより、治しておくほうが絶対にいいのに。と私は内心思っていましたが、他のおうちの子なので、引き下がった覚えがあります。

うちは残念ながら授かったのが、息子一人でしたので(息子の世話を押し付けるための、きょうだい児を「ぜひぜひ最低一人は、作りなさいよ!」と多方面から言われましたが、残念ながら授かりませんでした)、親が早くいなくなることを見越して、できることを、今からせっせと増やしておく必要があります。学力も、無いよりあったほうがいいので、できるように手立てを尽くさないといけません。

まだ若い頃に生んだ子なら、『冬彦さん』もあり得たのですが、残念ながら私と息子は年が離れているので、そんなに世話を焼いて、息子をダメにする暇がありません。
自立させるのに時間がかかるからです。

自分と母親との心理的な分離ができていないと、他人との交流で困ることもありえます。
なので、「お母さんはこうしますが、あなたはどうしますか?」と毎回きちんと問いかけて、自分とお母さんは違う人なんだとわかるように言葉かけをしています。

お母さんと子どもさんが、いい距離で過ごせている方が、子どもさんに自由度があって、発達が良いようなので、マメにチェックして心理的な距離が近すぎないように気をつけて育児をしています。

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yasu

おはようございます。

「お願い」のレベル感はまさにスペクトラム(笑)
言った本人の感想レベルから、本来は強制的なものの言い方を丸めたものまでさまざま。

エスカレーターの右側(関東の場合)を空けておいて、急ぎたい人がそこを歩くという慣習がありますが、エスカレーターでは歩かず立ち止まるように自動音声と張り紙でお願いされていますけど、守る人少ないですよね。周り(お隣)がどう行動しているのかも大きなファクターかと思います。行政もこのことはよくわかっていて、だからお笑い芸人と対談したり、なんとかナビ発で熱心に情報発信して、まずは「お隣」にやってもらうのに注力しているように思います。

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yoyoyo

久しぶりの書き込みです。

先日、社内で接遇研修がありました。
その中で、お客様に何か依頼する場合「◯◯してください」「◯◯しないでください」の命令口調だと反発されやすいので、「ご協力お願いします」「ご遠慮ください」と婉曲な物言いをしましょう。という話がありました。

ある意味非常に日本的な美徳なのなかもしれませんが、「お願い」でありながら実質「強制」であるという暗黙の了解が言う人言われる人双方に存在するということでしょう。
コロナ禍における「マスク着用」「アルコール消毒」「少人数でのお買物」の〝お願い〟に対し、NOと言えず従ってしまう背景にはこんな暗黙の了解があるからなのだろうと思いました。

本来、命令できない〝お願い〟は法的根拠のない「こうしてくれるといいな」という希望であって、従うかどうかは言われた人の判断に委ねられるはずです。つまり「お願い→同意→指示に従う」「お願い→非同意→指示に従わない」の両パターンがありえます。

しかしながら「同意」が抜けて「お願い→指示に従う」という自分で考えることを放棄している人、また、〝お願い〟すれば当然従ってもらえると思っている人、〝お願い〟に従わないことは悪と考えている人が非常に多いと気づいたコロナ禍でした。

相手に婉曲な物言い〝お願い〟で指示を出すことは交渉を円滑に進めたり、良好な人間関係を築くにあたって有効な場面も多く、それ自体は悪いこととは思いません。
そういうやり取りに慣れすぎて、自分の命や子どもの将来に関わる重要な事項についても自分で考えることを放棄する癖がついてしまわないよう、娘には自分で調べること・考えることを身につけてほしいと思います。教育の究極の目的はこういったことなのかもしれませんね。

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智ママ

重ねて投稿します。

3月3日、20時ごろ、
「おかあさん、にんしんした」と息子が告白しました。
Twitterを書いていた私が、ちらっと横を見ると、いつもお気に入りで手放さない私の短パンを、息子がトレーナーの胸のところに、ぎゅうぎゅうに押し込んで、短パンを妊娠していました。

「おかあさん。産んでも、いいですか」とまじめに母親に問いかける息子。
「そうか。生みたいだけ、生みなさい。安産だといいね」と淡々と答える、母親の私。

このセリフは、息子が15歳くらいになって、どこかのお嬢さんをついうっかり妊娠させてしまったときのために、シュミレーションして、大切にとっておいた返事だったのですが、8歳の息子の妊娠に、つい使ってしまいました。

「よかったー。じゃあ、うみますね」
それから、よりによって私が妊娠中に縫っておいたぬいぐるみと、生まれて一番に買ってあげたガラガラのミツバチを使って「あかちゃん、ぶじにうまれてきてねー」と胎教を施す、たいそう母性豊かな息子でした。

月満ちてはいませんが、時間が満ちて、赤ちゃんを生んだ息子。
「おむつを、替えましょうねー」「ミルクも、あげましょうねー」と、マメに新生児の短パンのお世話をしています。
「どこから生んだの?」ときくと「胸を切って、とりだしたの

・・・・それ、心臓の手術じゃ??とは思いましたが、「そう、お疲れさま」とねぎらって「育てるのは、お母さんも手伝ってやるから、生みたいだけ、生みなさい」と声をかけると、嬉しそうに「おかあさん、言ってくれて、ありがとう」と当地なまりで言いました。

『性別が、逆転してないか、これ?』
『普通、私が口にするのは、男親のセリフだろう?』
『息子の口にしてるのは、妊娠しちゃった娘のセリフじゃ?』
『なんで、逆転してるんだー???』
と思いましたが、「まあ、タツノオトシゴはメスから産み付けてもらった自分の子である卵を、妊娠して出産するし・・・」と、比較的、生物の種を大きく超えた、とても広い視点で、納得していました。

これの一部始終をラインで夫に知らせると、ライン通話で、あまりの予想を遥かに超える展開に、一人暮らしにも関わらず、思わず涙を流すほど笑っていた夫が、
「これは、どっとこむ案件やで!ぜひ、書いてくれ!!」「うちの息子は、吉本を超えたで」と涙を指先で拭いながら言っていました。

皆さんと、想定外斜め45度の笑いを共有できればいいな、と思って、ここに書き込みます。

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いぬこ

なんってかわいい(*´-`)
その光景、会話を想像し、生んだ短パンにめちゃ笑けたけど、かわいくてかわいくて。
生みたいだけ生めて、安産でよかったですね。
おめでとうございます。短パンちゃんもしあわせですね!

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智ママ

いぬこさん
コメントありがとうございます。

あれから一日一回、短パンを出産するようになり、出産回数では4人の子持ちになった息子でした。(毎回同じ短パンで出産して、育児もしております。)
私を超えて大家族を作るつもりなのでしょうか・・・。

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