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808 COMMENTS

ブルー

<花風社アンチの考察・コラム>
~アンチが本を売るメカニズム~

この原稿は私のPCにずっと保存されておりまして、実は出すつもりがありませんでした。しかし先ほどの浅見さんとのコメント欄のやりとりをきっかけに、表に出す事にしました。

アンチって花風社の本を販促しますよね。あれの詳しいメカニズムです。ただこれは感覚的に分かっている方は分かっているのだろうなと思っていたので、表に出さなかったのです。

というわけでご興味のある方はお読みください。

■アンチが本を売る

アンチは彼らの意図とは裏腹に、花風社の本を販促します。

最近の目立つ事例ですと、2019年4月にハッタツ大戦や恐怖麻痺反射の騒ぎを通じて「人間脳を育てる」を増刷させました。またこうした現象を「炎上商法ダー」と呪う件についてアンチ考察の本編で検討しました。

花風社の新刊が出るとアンチは必ず話題にします。そして批判的に自分のツイッターアカウントで取り上げます。それは結果として新刊の販促になります。そういうことが新刊発表の度に繰り返されています。

■表紙をツイートする

日本には言論の自由がありますから、本を批判する権利は誰にでもあります。新刊が発売されると、何名かのアンチが本の表紙を自分のツイートに貼り付けて批判を始めます。しかし、クラスタの方はお気づきだと思います。そしてこうお感じのはずです。

「それ、売ってるんだけど・・・。」
「オウンゴール・・・。」

アンチは自分が花風社の本を販促していることに気がついていません。結果として花風社の強力なアフィリエイターになっています。しかも無償です。

■アンチの自己認識は市場の人の評価とズレる

アンチ自身は、「自分はアンチではない」と思っています。「私は花風社アンチではない」と自分で言っていた人までいます。

しかし日本の市場は世界一要求水準が厳しいです。それが日本の産業社会の強みでもあります。つまり日本の消費者の眼は極めて的確だということです。

どのくらい的確かというと「花風社が嫌いだが、アンチではない人」と「アンチ」の違いを見分けてしまうくらい的確です。

この2つの人種の表面的な相違点は「執着の有無」、根本的な相違点は「市場理解の有無」です。しかしこうして言語化しなくても感覚で市場の人々は判別してしまいます。

アンチ垢は特有の雰囲気があります。それはとげとげしくて窮屈です。それを人々は無意識に、でも確実に感じ取ります。

そして一般の人からは「花風社さんは賛否両論で、中には強烈なアンチがいて・・・」となります。実際、そういうことを書いているブログを複数見かけたことがあります。

そういうわけで市場の人には「花風社が嫌いだが、アンチにはなっていない人」と「アンチ」は明確に区別されます。そしてアンチはアンチとして認識されてしまうのです。

そのことに気がつかないのはアンチだけです。いくら自分で「私はアンチではありません」と言っても無駄です。

■本が売れるメカニズム

そうなると、「アンチが花風社の本を批判するのは当たり前」と市場の人は考えます。

そしてアンチの書いた文章と、アンチが上げている花風社の本の表紙を分けて考えてしまいます。しかも文章よりも表紙の画像の方がインパクトが大きいです。

アンチは「トンデモ出版社が本を出した!注意セヨ」「反医療のクソ本です」と言いたいようですが、市場の人達にそのような届き方はしません。以下のように届きます。

「花風社さんという出版社が発達障害の本を出すようだ」
「花風社さんには強烈なアンチがいるようだ」
「ファンとアンチは同時に発生するものだ」

その上で市場の人達はこう考えます。

「・・・ところで、これはどんな本だろう?」

結局、アンチのツイートをきっかけに市場の人々は自分のアタマで検討しはじめ、本を買う人が出てきてしまいます。

■オウンゴール

ここまで述べたようにアンチによる新刊の表紙のツイートはオウンゴールです。こういう市場メカニズムが分かっていれば表紙のツイートはしません。

しかもアンチの中には新刊だけでなく複数冊の花風社本の表紙をスクショして批判している人もいました。批判するのは自由ですが結果として何冊も販促しています。

つまりオウンゴールを何発も行っているのです。そしてそれに本当に気がつきません。自分が市場からどう見られているか分からないからです。

■アンチと市場のズレ

まとめです。アンチは以下の2つの理由により花風社の本を売ります。

・「自分が市場からどう見られているか」を間違う
・アンチのメッセ―ジは、アンチの意図とは違った形で市場へ届く

アンチは上記2点に関してそもそも想像がつかないし、どうしても理解できません。そしていくらここで私の文章を読んでも市場が感覚的に理解できないので、今後も同じことを繰り返します。

このようにして、今後もアンチは新刊を売り続けます。中にはこういう読者の方も。

「某アンチのおかげで花風社を発見できました。某アンチには足を向けて眠れません」

そういうわけで新刊発売時のアンチの販促活動(無給)は、季節の風物詩です。

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ドミノ

ブルーさんへ

アンチの方々が、「花風社の本を批判しているようで宣伝をしてしまい、結果的には販促に協力してしまっている」のは何故か、分かりやすかったです。
アンチさんは、わざわざ #発達障害 や #花風社 を付けてらっしゃるので浅見さんやクラスタの方々に繋がりやすくなり、ネットでしか花風社の本の情報にたどり着けない人にもやさしい仕様になってしまっています。
更に、当事者自身やお子さんが治ってしまうと発達障害から遠ざかってしまうと思うのですが、何年も何年も決して炎上の火を絶やさず語り続ける姿勢には感心するばかりです。
なかなかできるものではありません。
社会全体から見て、発達障害は大きなパーセンテージでは無いはずですが、それでも花風社さんの本を増刷まで(増刷1回は何千冊なのでしょうね)させてしまう手腕は素晴らしいですね。

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ブルー

レモンさん

コメントありがとうございます。
文節ごとにコメントをお返ししております。

>アンチさんは、わざわざ #発達障害 や #花風社 を付けてらっしゃるので浅見さんやクラスタの方々に繋がりやすくなり、ネットでしか花風社の本の情報にたどり着けない人にもやさしい仕様になってしまっています。

→あ~これは仰る通りです。

マーケティングにおける「集客導線」を提供してくれています。で、こういう事がどうしても分からないのですよアンチは。

ですのでアンチにとっては「自分の意図とは逆に社会が動いている」ように感じるのです。だから不満が溜まります。トンデモが蔓延しているのではなく、自分達が導線を作っているのですね。「注意喚起」とかも同様です。

>当事者自身やお子さんが治ってしまうと発達障害から遠ざかってしまうと思うのですが、何年も何年も決して炎上の火を絶やさず語り続ける姿勢

→はい、モビングの悪循環は自分ではまず抜け出せません。

で、そうですね、発達障害の世界はいつまでもいる場所ではありません。生きやすさを獲得した当事者は定型に紛れて生きていきます。普段は自分が当事者であることを忘れて生活をしています。

>社会全体から見て、発達障害は大きなパーセンテージでは無いはずですが、それでも花風社さんの本を増刷まで(増刷1回は何千冊なのでしょうね)させてしまう手腕

→はい、その手腕(?)に気がつかないのは当のアンチだけです。

気がつける人は自由市場やニーズといったことが分かる人ですから、花風社が嫌いでもアンチにまではならないです。

だからアンチはある種の「視野狭窄感」を発散していて、凄く目立つのです。「花風社や治る言説は嫌いだが、アンチではない」人よりもずっと目立ちます。

さらに状態像やアカウントの雰囲気まで違います。アンチ垢は全体として凄くトゲトゲしくて社会観が狭苦しいのが特徴です。あれでは生きづらいと思います。

よって一般の人からは

「花風社さんは賛否両論ですが、中には強烈なアンチがいて・・・」

となりますね。

「賛」の人と「否」の人は普通の人です。それとアンチはかなり状態像が違うので、一般の人は見分けてしまうということですね。

・・・で、ここまで書いても、やっぱりアンチは同じことを繰り返します。自分の意志ではパターンから脱却できないからです。

今後とも宜しくお願い致します。

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ブルー

ドミノさん

ごめんなさい、
返信のハンドルネーム間違えました。
ドミノさんですよね。

すみません。

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ドミノ

ブルーさん

お返事ありがとうございました。
ハンドルネームは謝られなかったら多分気づいていませんでした(笑)

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yasu

アマゾンのレビューでも、評価が両極端のものは読む価値があるという話を聞いたことがありますし、評論家やアナリストでも癖があると言われる人ほど評価が極端に割れるのもありますね。ベンチャー企業の社長や個人事業主でもビジネスが回っている人は味方と敵が両方いますし、世間の人はだいたいここら辺の事情は理解していますね。

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ブルー

yasuさん

>世間の人はだいたいここら辺の事情は理解していますね。

はい、「毀誉褒貶が激しい」という慣用句の通りです。
ただしアンチに限っては理解しないので、世間に対して不満が溜まります。

返信する
シア

Twitterに上げたただの模型の画像が108いいねされました。

このようなジャンルでは興味にない人がほとんどなためいいねは少ないのが普通です。

写真のこの潜水艦も他のも売れていく。

まるで夢みたいです。
お金とか収入もあるかもしれないけど下世話な話抜きに嬉しいです。

返信する
シア

下世話って言葉の意味間違って使っていました…。

仕事はうまく行けば嬉しいでよいですね。

いいねは重ねてもお金にはなりませんがジャンルも評価された気がしてうれしかったのです。

返信する
ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>
~第20回.怒り~

第19回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-8026

■怒りと絶望

私は以前、この人物のこんなツイートを眼にしたことがあります。

「怒りと、絶望しかない。もう寝る」

この人物の象徴的な感情が上記のツイートで挙げられている2つです。今回はこの2つの感情のうち、怒りを扱います。

■怒り

この人物は2019年の「ハッタツ大戦」の時や、今回のコロナ禍における「反ワク」等に対してよく怒っていることがありました。以下に少し引用します。

・「私は今、猛烈に怒っています」
 ⇒本人は義憤のつもりかも知れません。あるいは素直に怒っているのかも知れません。

・「(クラスタの方の)○○という言動に怒りを感じています。」
 ⇒クラスタの方の発言に怒ったこともあります。また、浅見さんの発言に怒ったこともあるそうで、それは「新幹線の事件」の際の発言に対してとのことでした。(※浅見さんのgooブログより)

怒りそのものに善悪はありません。怒りは人間の正常な感情です。しかし怒りの表現の仕方、及び、何に対して怒るかはその人の特徴が出ます。

■怒りの対象に粘着する

この人物の場合、誰かの特定の言動で一度怒り出すとその人に対して粘着を始めます。浅見さんしかりクラスタの方しかりです。

もう少し細かく言うと、当初の本人は怒りの対象に「詰め寄った」つもりなのだと思います。ここまでは通常の人間の反応ですね。

問題はここからです。

当該人物は境界線が薄いので、相手に詰め寄るために近づくとそのうちくっついてしまうし、一度くっつくと今度は自分の意志では離れられなくなります。

■醤油ラーメンの油をくっつける遊び

例えていうならば、こんな感じです。

醤油ラーメンの表面に浮かんでいる油同士をくっつけて遊んだ経験は誰の子供時代にもあると思います。2つの油をお箸でくっつけると、2倍の大きさの油になりますね。

特に注目すべきは、2つの油が「くっついた瞬間」に2倍の大きさの油になるということです。つまり2つの油の境界線は、相互が接触した瞬間に完全に消失します。

で、この人物が怒りの対象に癒着するメカニズムはそれに似ています。

相手に詰め寄って、相手と接触した瞬間に境界線を完全に失って癒着します。そして癒着すると今度は自分で自分を相手から剥がせません。これまでの分析で述べた通りです。

今回は以上です。次回は絶望を扱います。

#花風社

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ブルー

(超絶的に役に立たない能力)

■浮き上がって観える

当該人物を毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
凝視し続けること3ヵ月。

この連載もそろそろ終わる。

そして私は、超絶的に役に立たない能力を体得した。

例えばサイトのレビュー欄とか
掲示板の書き込みとか、
匿名の書き込みが大量に書かれているサイトというのがある。

私はそういう大量の匿名書き込みの中でも
この人物の書き込みと思われるものが
浮き上がって観えるようになった。

リクツを言えば
単語の選び方とか、
文章構成の方法とかから見分けているのかも知れないが、
それは後付けであって、
まずは読むと分かるようになった。

「あ、これはあの人物だ」と。

■ハッタツ大戦の時

そういえば、2019年のハッタツ大戦の時に。
あるアンチアカウントが大戦のさ中に創設された。

そして、当時物議になっていた「NEURO」を
ゴミ箱に捨てた写真をSNSにUPしていた。

それだけこの本を憎んでいたのだ。
そしてそこまでするほど拗れていたのだ。

クラスタの方々は呆れていた。
なんでまたそんなに役に立たないことをするのか。

ただ、そんな中で浅見さんだけが

「あれは某氏の裏垢です」
「文章が同じ」
「みんな分からないのかな」
「私は文章を顔のように見分けます」

と仰っていて、
私は「プロの編集者って凄いな」
と思った記憶がある。

今はもうそのアカウントはない。

私は編集者ではないので
浅見さんみたいに
全ての人の文章を判別することはできないが、
この人物の文章だけは見分けられるようになった。

・・・・・・・。

この能力は、一円も儲からない。(爆)

返信する
浅見淳子

ブルーさん

なるほど、またまた鋭い分析ありがとうございます。

「詰め寄った」つもりなのか。なるほど。

でもマジレスすれば、花風社にメールすればもっと効果的だと思うのです。詰め寄るためには。
なぜなら再三公言しているとおり、ハッタツ大戦以降鍵垢を開けてから私は、フォローしていない人物から飛んでくる@を読めない仕様にしているからです。
時々新しい読者の方から話しかけられることがある(最近は反コロの人からも)ので、時々巡回はしていますが、ブロックしている人までは見えません。
だから私に詰め寄るのなら、花風社HPから会社にメールした方が効率がいいはずです。

この人にも感じるし、かつての凡STにも、そして今反自粛反枠活動をせっせと弾劾している人たちにも感じるのですが
大本営発表(最近だと三回目推奨とか)をきちっと守る(しか能力がない)だけではなく「守っているいい子の私」を世間に見てもらいたいみたいな、承認欲求を感じます。つまり愛着のヌケがある。
私が堂々と「マスクしない」「ワクチン一回も打っていない」「発達障害治るでしょ」って言えるのは、愛着のヌケが実はなくて、いい子ちゃん発言の必要性を感じないからなのですね。
でもたぶんこの人物は「アサミに議論をふっかけてる私」(実際は@も見えていないから議論が始まっていない)をみんなに見てもらいたいんだと思いますね。
承認欲求のヌケもありそうです。

ではでは。
また楽しみにしています。

返信する
ブルー

浅見さん

確かに承認欲求は私もうっすらと感じます。

ただ、この話はさらに奥がございまして
アンチの場合、自分が承認されたい通りに承認されていません。

つまり自己評価と他者評価に慢性的なズレを抱えていて、
それはSNSのみならずリアルでもそうなのではと推測されます。
よって彼らの生きづらさの要因の一つにもなっていると思います。

つまり、
アンチは自分が市場からどう見られているか分からないのです。
そもそも市場が分からないので当然です。

この件についてはストック原稿がありますので、出すことと致しますね。

宜しくお願い致します。

返信する
ブルー

浅見さん

>やっぱり社会性バグっているな
>そこはかとない「相手にされていない感」
>当該人物がきもい
>あるいは
>そもそも当事者の介入自体が福祉において単なるアリバイにすぎないという構造に当該人物が気づいていない
>のどちらか

→アンチは、そして専門職アンチは特にそうなのですが、社会観がとにかく窮屈で平板です。なんというか社会の絵を描いた書割に自分が取り囲まれている感じです。

その上マーケットが分かりませんから、あれでは不満が溜まります。

当該人物もそうなのですが、障害やら福祉やら支援やらをキャラクターの全面に押し出すと、大多数の定型は「遠巻きに見守る」モードになります。

ほとんどの定型はそういった分野に対して「人として、いじめたり差別したりはしたくない」「でも、自分からは関わらない」という距離感を保ちます。遠慮もあるでしょうし。

それに気がついていないか、そこの距離を無意識に感じて、それを詰めたいのかも知れません。

他方、定型と意思疎通をするにあたりもっとも話をするのが上手いのは起業している当事者です。

マネジメントや経営、資本主義やマーケット感覚を前提に会話をした方が、そもそも大多数の定型は会社に勤めていますから、定型の一般的感覚と波長を合わせることができます。

実は社会活動をするならば、そういう経営感覚があった方が良いのですが当該人物は左翼です。だからそういう世界は敵です。あくまでも障害福祉の文脈で行くことになります。

>この人が支援者としてふさわしくないなと思うのは、そもそも邪悪なこと

→この人物にとって「トンデモ」「偽医療」「ノーマスクノーワクチン」の類は「社会を悪くする敵」です。これも体験世界の逆転で、先方は花風社を本気で邪悪と思っています。そして標準医療は「善」です。そこは無邪気にそう思っています。

でも。

人間を扱う世界において、正邪の二分法でしか見れないというのも、また観方が平板です。

当然ながらこの人物の中では凶悪なものがどんどん増えていきまして、ますます生きづらいです。

アサミだのウツミだのフジカワだのカンダバシだの発達支援コーチだのガチ信者のブルーだの、凶悪な魔物ばっかりで絶望的な社会です。

>私たちは彼の居住地と本名を知っています。

それは数千円のアリバイ委嘱の仕事をしているいまではなく、当該人物が福祉業界に根を下ろそうとするときに暴露するのが面白いかもしれませんね

→確かに当該人物は面が割れています。よって社会福祉士の活動をしたとして花風社の読者(クラスタの方とは限らず)と出会ったらどうするのでしょうかね?

「あんなトンデモ本は読んではいけません」と利用者に言ったとしても「この人は花風社アンチだからそういうのだな」と思われてしまいます。

つまりフラットな助言ではなくポジショントークとみなされます。賛同をもらえるのは同じ花風社アンチだけです。

必然的に今の状態像のままでは、いわゆる「代替医療フンガー」「生産性フンガー」「コロナワクチン3回接種」の人『だけ』しか相手にできません。

「治りたい」「産業社会で自分の生産性を上げたい」「いろいろ考えたが、今回のコロナワクチンは見合わせたい」という当事者はこの人を見切っていきます。

世の中いろいろな考えの人がいるので、本当は対人援助の専門職というのはあらゆる主義主張の人間をフラットに扱えないといけないのですが、この人物の現状ですと正邪二分法で人が見えていますので、それは望めません。

そういうわけで、もしこの人物が資格を使うにせよ自分が正とみなした人を相手にして、邪とみなした人を糾弾する「社会活動」になります。

さらに正邪基準も平板ですから、ある程度発達した当事者からはそれも見切られます。

というわけで面が割れているのならなおさら、アンチから脱却してせめて「花風社は嫌いだが、市場を分かっているのでアンチにまではならない」人にならないと活動範囲が広がらないのですが、埋めるべきその差はかなり大きいです。

よって当該人物の場合はだいぶ無理です。

宜しくお願い致します。

返信する
ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>

★ニュース:当該人物、社会福祉士試験に合格

3月15日に社会福祉士の合格発表があり、当該人物が合格したことが分かった。本人がツイッターで発表した。社会福祉士試験は合格率30%程度。またこの資格は名称独占資格である。

個別分析の担当者に話を伺った。

Q.以前、この件は担当者さんがコメントを書かれていましたよね。

A.はい、2月7日の忘備録です。

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-15/#comment-7892

繰り返しますが、私は勉強することや努力すること、あるいは資格試験を否定しているわけではありません。また社会福祉等のセイフティネットを否定しているわけではありません。

私が問題にしているのは、「病んでいる人が自分を癒そうとして専門職になること」です。このパターンは本当によく出くわします。

病んでいるのは仕方ありません。人は時として病みます。しかし病んでいる支援者は、無意識にクライアントを自己治療の道具にします。そのことから、当事者は病んでいる専門職を選んではいけません。

だから私は、この件に関して素直に「おめでとう」と言ってあげられないのです。

もちろん治りたくないのも成人の選択です。しかし、専門職となった場合は、選択「される」立場になります。

Q.担当者さんがお世話になった専門職の方々は・・・。

もちろんいろいろです。当事者の方もいらしたし、過去に病んでいた方もいらっしゃいました。

みなさん強烈ですよ。10年寝たきりだったとか。自殺未遂でICUとか。アル中とか。でも、皆さん自分を治して、今は健康です。

当事者の方なら、きちんと発達課題を埋めなおしておられます。体験世界の変化も経験されています。

こういう方々は、病んでいる人や発達課題のやり残しをしている人のことも身を持って分かるし、状態変化のプロセスも分かるし、むしろずっと健康だった人よりも健康のことが分かるはずです。

だからいい専門職になっています。

Q.なるほど。

A.で、当該人物です。

確かに資格は得ました。しかし、いまだワイパックスと抑肝散が必要な人です。

そして時折「脳が過活動だ」「脳疲労が取れない」「脳がバグっている」とツイートします。身体で情報処理ができないので、全部脳の側で代償することになります。だからショートするのです。

薬も否定しませんが、病んでいることも仕方ないですが、そういう人が支援側に回るということを問題にしています。当事者のためにならないからです。

Q.手元の資料によると、この人は社会活動/当事者活動のために社会福祉士の資格を取ったようです。

つまり自分が社会に対して発信する際に説得力を増すとか、より広範囲かつ強力な人脈を得るとか、そういう社会的文脈のためだとすると、必ずしも対人援助をするとは限らないのでは。

A.はい、社会福祉士は名称独占ですから、何をやるかは本人が決めることです。ただ、ツイッターの病んでいる専門職アンチの発信を思い出してください。自分が拗れているので、公平な情報受/発信ができないのですよ。

ですので直接の対人援助をせず、社会に向かって啓発を理由とした発信をしたとしても、それがフラットなものにはなりません。しかもそこに国家資格のお墨付きが貼られます。

こうなると消費者側の情報リテラシーが問題になります。

Q.ええと、担当者さんは「花風社が嫌いな人」と「アンチ」を明確にわけておられましたよね。アンチ考察の第1回でしたか。

A.はい、「執着の有無」が決定的な違いです。また根本には「市場理解の有無」があります。

Q.「花風社には反対です」という発信自体はいいんですよね。

A.はい、日本には言論の自由があります。

花風社は嫌いでも、アンチにまではならない専門職もアンチ考察本編で取り上げました。これは単に「意見の違う人」です。

こういう人は誹謗中傷とかもしないしアンチにもならないので、放置でいいです。普通の人ですから。言論の自由です。

「治る言説には反対です」という言論は尊重されます。その上で論争したいならすればいいし、別々の道を行きたいならば棲み分けていけばいいです。

Q.ありがとうございました。ちょっと愚問かもしれませんが・・・

担当者さんは、この人物に対して、どのような社会福祉士になってもらいたいでしょうか。

もちろん、専門職として健康であることが大前提なのは先ほどのインタビューにて伺っておりますが・・・。

A. はい、先方にとって私は「カルトにかぶれたガチ信者の当事者」「伏魔殿の住人」ですから、私がどう思おうが何も届きませんが。

まず仰る通り、健康になって欲しいです。まずそもそもこれが先方に届きませんね。治りたくない人なので。

次に市場理解をしてほしいということです。当該人物は全く市場が分かりません。ですので市場の現実を「理不尽なこと」として受け取っています。

しかしそれは社会の問題ではありません。市場が正しく機能した結果です。往々にして大多数の人には厳しい現実を突きつけるのですが。

そして市場が分からないということは、自分が専門職としてどんな人々からニーズがあるのかも分からなくなるのです。

社会福祉士は名称独占で、独占業務がありません。何をやるかは自分次第ですが、まずは自分が誰から求められるかです。誰のどんなニーズを自分が適えられるかです。

これらは市場感覚と、想像力と、社会性の問題です。

Q.市場感覚、想像力、社会性ですか・・・。自閉の当事者アンチにはしんどいかもしれませんね。

A.はい。しかし、クライアントには関係がありません。クライアントにとっては、一人の「社会福祉士さん」です。

「同じ当事者である、私の気持ちを分かってくれるかも」と当事者に期待されることもあるでしょうし、逆に「当事者ということだが、本当に大丈夫か」と厳しい目線で査定されることもあるでしょう。

続けます。

当該人物は「市場」「ニーズ」という単語を使ってツイートをすることができません。そして「市場」「ニーズ」という単語を使ってツイートすることができる人はアンチにならないことも繰り返し解説しました。

つまり、アンチから脱却しないと役に立つ専門職にはなれないのですが、先方は状態変化を望んでいません。

アンチである限り、同じ当事者としての私の声は彼には届きません。そして私の言葉と言っても所詮は言語情報です。身体や神経系を改善しない限り状況は変わりません。

ですので、私から言うことはありません。いろいろ言っとるやんけ、というツッコミ待ちですが。

Q.担当者さんも同じ当事者として、今回の件にはかなり思うところがあることが分かりました。今後も観測を頑張ってください。

A.はい、連載はあと少しです。今後とも宜しくお願い致します。

返信する
浅見淳子

ブルーさん

ありがとうございます。

無意識のうちに、自分の癒しのために支援職を志してしまう人の多さは、神田橋先生もご著書で指摘されていますし、皆さんが普段から感じるところだと思います。

そして「病んでいる支援者などまっぴらごめん」というのが率直なところです。

一方完全に健康な支援者もきっと使えないんでしょうね(そんな人ほぼいないと思いますが)。ブルーさんが使いこなしてきたように、自分の病みを克服してきた人がいい支援者なのだと思います。

ところで当該人物は自分の活動のためにこれを取ったとすると

やっぱり社会性バグっているな、と思います。

おそらく当事者活動なるものをやる上で、そこはかとない「相手にされていない感」が当該人物にはあったと思われます。

それをおそらく、ただの当事者だからだ、という誤った仮説に基づき、有資格者になればもっと相手にされるかも、という方向に走って今日に至ったのではないでしょうか。

でも実はそこはかとなく相手にされていないのは

・当該人物がきもい

あるいは

・そもそも当事者の介入自体が福祉において単なるアリバイにすぎないという構造に当該人物が気づいていない

のどちらかなのではないでしょうかね。

私はその資格についてよく知りませんし、たとえば福祉職にいる公務員とかが取得すると便利なんだろうとは思いますが、この資格があるから就活に有利かどうかも知らなければ当該人物が転職するのかどうかも知らないし興味ありません。

自分を癒している系の支援者を避けるだけの勘の良さを、おそらく花風社クラスタの皆さんはすでに身に着けていると思います。

一方でこの人が支援者としてふさわしくないなと思うのは、そもそも邪悪なことですかね。

病身の人を自分の嫌いな出版社を応援しているというだけでいじったりね。

また未接種で罹患した人、罹患したかもしれない人に枠ハラ的な嫌がらせもしていたようですが、そもそも厚生労働省が未接種者への差別をしないように呼びかけています。

なんとか福祉士の監督官庁は厚労省でしょうから、この人物はそもそも厚労省の方針にすでに逆らっていることになります。

まあ厚労省の管轄下にいながら枠ハラする支援職は多いのですが、それはつまるところ自分が怖いんじゃないでしょうかね。

曝露されやすい職場でしょうし(当社比)、身体も弱いでしょうし、薬を常用していてなけなしの解毒能力をそっちに取られていたらそもそも迎撃態勢が弱そうですし。

自分が怖いから打て、というのはこれは勝手極まりない。

余談ですが、年長者にうつさないため幼い子に注射を打つことと同様、8050であれ9060であれ親のために打つということを親が要求したらそれはわが子虐待だと私はみなしています。親よりは長く生きる予定なのですから。

話を当該人物に戻すと

私たちは彼の居住地と本名を知っています。

それは数千円のアリバイ委嘱の仕事をしているいまではなく、当該人物が福祉業界に根を下ろそうとするときに暴露するのが面白いかもしれませんね。

ではでは
続きも楽しみにしております。

返信する
ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
~第19回.発達障害最大の難所:「発達しないと分からない」~

第18回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-8007

■発達援助の先生のSNSから

私が1年半お世話になった発達援助の先生が、SNSでこんなことを仰っていました。クラスタの皆様も大好きな、首上げ重視のあの先生です。先生は花風社の本の読者でもあります。

————————————————————————————-
【SNSより】

発達援助の先生:

「子供の発達が進むと、子供自身が

・以前は文字が揺れて見えていた
・前はものが2重に見えた
・すごく集中しないと見えなかった

というお話をしてくれます。
良くなる前には、何が起こっているかよく分からないのです」

—————————————————————————————-

■当事者の内的プロセス

「良くなる前には何が起こっているかよく分からない」というのは当事者として良く分かります。

Before/afterで比較して、初めてBeforeの状態を言語化できるのです。

当事者というのは発達する前の状態が長い間デフォルトです。だからそれが自分にとって当たり前の状態で、相対化も言語化もできないのです。

そこから発達するなり治るなりして、体験世界が変わってようやく以前の状態が言語化できます。

これは発達障害を理解する上で最も困難なポイントですが、当事者であれ専門家であれ、知っている人と知らない人がいます。

私はここまで、何回か体験世界の劇的な変化を経験しました。本当にまるで変わります。そして体験世界や身体や神経系が変わった後に、ようやく以前の状態を理解して言語化できるのです。

当事者が発達する/治っていくというのは、内的にはそういうプロセスを踏んでいます。

■読んでも理解できない

当該人物は、この連載をいくら読んでも真意が理解できません。それは言語理解IQでわかる問題ではないからです。

自分のありかを身体でしっかりとつかめるようになり、境界線が形成されて・・・つまり状態変化を起こしてようやく私の言いたいことが分かるようになります。

当該人物がこの連載の内容を真に理解するには言語ではなく身体を使う必要があります。

しかし、この人物は「治りたくない=状態変化を起こしたくない」のでこの連載の内容が真に分かる日が多分訪れません。

#花風社

返信する
浅見淳子

ブルーさん

ありがとうございます。

はるかにちっぽけな問題ですが

「マスクしてないと誰かに何か言われる」と必死に忖度マスクしている人は、世間が実は何にも言わないことを知らないんだろうなーと思います。

外してみるとなんにも言われないのです。

返信する
ブルー

浅見さん

それもbefore/Afterですね・・・。

世の中は
遍くそういうことで構成されているような気がしてきました。

返信する
ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
~第18回.真のニーズ~

第17回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-7996

■何を望んでいる?

この連載で観てきたこの人物は、そもそもどのような状態を理想とするのでしょうか。そして何を望んでいるのでしょうか。

花風社やアサミを倒すことでしょうか。トンデモや似非科学をこの世から撲滅することでしょうか。あるいは、発達障害者の全国組織をつくり、「強い」障害者として生きることでしょうか。

この人物の状態像を改めて観てみます。

■現在の状態像

〇発達障害概念をアイデンティティの真ん中付近においている

⇒自分で自分を理解したい、ということが根っこにあります。当事者の基本です。

ある程度の説明原理を自分の中心付近におけば、それで自己の定義が強固になるような気がします。確かに精神医学由来の発達障害概念は限定的に有用ではあるし、過去に私も使ったのですが。

つまりこの人物の場合は発達障害概念をアイデンティティの強化ツールに使っているのです。つまり、それはあくまで手段です。目的ではありません。

〇治る言説や花風社読者にモビング

⇒現象的には、他者に対する行為に見えます。しかし、自分の中に侵襲してくるものを排除したいから行っているのです。またこの人物は過去に浅見さんやクラスタの方に話しかけたこともありました。

これらのことからこの人物が求めているのは「自他の境界線」であることを第9回にて解説しました。

〇「障害者であっても、弱者ではなく強さがある存在に」

⇒第7回、第8回で重点的に扱いました。

私自身は弱者性というのは他者評価ではなく、自分が自分をどう感じるかだと考えています。つまり自分自身を身体的にはっきり掴めると、他者評価も自分の中で相対化できます。「他者評価はともあれ、自分は自分」となっていきます。

■真のニーズ

ここまで観た上で、この人物の理想的状態像を考えてみましょう。それは簡単で、現状の状態像をひっくり返してみればいいのです。

<理想的状態像>

◇自分の中のアイデンティティがしっかりしている
◇自他の境界線がしっかりしている
◇自己の主観的な弱者性が超克されている

こういう状態像が理想、となります。

そのために必要なことは自分で自分の存在を身体的にしっかり掴めていることですから、言い換えれば

★「自己をはっきり実感したい」

これがこの人物の根本的ニーズです。この人物の苦しみや症状や状態像は、これが達成されていないことが大きく影響しています。

自己の存在をはっきり実感しにくいので、いちいちいちいち外界のもの、例えばトンデモやら似非医学やらアサミの差別的暴言やらが侵襲してきてしまうのです。また、治る言説が侵襲してきた日には、アイデンティティ・クライシスになります。

結果、モビングを繰り返すことになります。そしてモビングは正面対決を避ける行為ですから、必然的に弱者性の現れとなっています。

逆に自己の存在を身体ではっきり掴めていれば、自他分離がやりやすくなります。

結果、外部的な存在であるアサミや花風社や、トンデモや疑似科学や、キ●ガイ医のウ●ミやら栄養療法のフジカワが嫌いであってもアンチにまではならなくなります。嫌いなものが内部に侵襲してくる前に自分から分離できるからです。

トンデモが何を言おうが。
アサミが暴言を吐こうが。
ウ●ミがデイサービスをつくろうが。
栄養療法のフジカワの影響力が大きくなろうが。

これらが嫌いではあるが、自分は自分、となるはずです。でも当該人物はそれができません。

自己をはっきり実感するには、言語では達成できず、身体を使うしかありません。そのために初期の運動発達のやり残しを育てなおす(=ヌケを埋める)なり、成人でも対処法はあります。

しかしこの人物は治りたくないと明言しているので、おそらく今後もずっと状態像が同じです。

#花風社

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ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
~第17回.アイデンティティー・クライシス~

第16回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-7984

この連載で扱っている人物だけではなく、「治ったら、自分ではなくなる」と発言する当事者をSNSで見かけることがあります。

例えば、以下はTwitterにおける、ある方の発言です。クラスタの方ではないようですが、多分花風社の本を買った人なのでしょうね。

以下は完全な引用ではなく、大意です。

ある人:
「『治るよ』というとアイデンティティー・クライシス起こした当事者が凸してきて怖い・・・。」

今回は、この連載の対象となっている人物に関して、アイデンティティー・クライシスを掘り下げます。

■治る世界観が侵襲してくる

第9回以降において、この人物の境界線の薄さを取り上げました。境界線が薄いということは、自分のありかが確固たるものにはなっていないということです。

その結果、言語的になんとか自分を保とうとすることになります。その際に、精神医学による発達障害概念をアイデンティティーの中心付近におきます。自分の中で全てではないにせよ、それなりに大きなウェイトを占めます。

精神医学の発達障害概念は、疾患にフォーカスした人間観であって、健康や標準的発達にはフォーカスしていません。だから「治らない世界観」です。

そういう世界観で自分を保っているところに治る世界観が侵襲してくれば、アイデンティティー・クライシスとなります。

ただ、落ち着いて考えれば「治る/治らない」は言語的な話にすぎません。自己存在とは究極的には関係がないはずです。言語的な話に対して確固たる自己があれば、アイデンティティー・クライシスは起きないはずなのです。

「言説はいろいろあるけど、自分は自分」

これで終了です。ものの5秒でオシマイです。しかしそう言えるのは、自分で自分の身体を掴んでいて、自他の境界線がしっかりしている人だけです。

■境界線のしっかりしている人と、あいまいな人

この連載で繰り返し述べてきたように、境界線がしっかりしている人とあいまいな人の違いは、

◎自分の身体を自分で掴んでいるか否か

です。

これができないと、自己の定義を言語で行うより他はなくなります。だからなおさら言語的定義、例えば精神医学的な発達障害概念をより使いたくなるのです。しかしこの人物は自己のありかとして身体を使えません。

この話はどこかで見覚えはないでしょうか。そう、赤本(自閉っ子、こういう風にできてます!)の第一章です。つまり自閉の基本です。

■身体はどのような状態か

赤本ではコタツの中の足が消える話が出てきました。この人物の場合はあえてマンガ的に表現するなら、

◎身体の輪郭線が実線ではなく点線の状態

といった感じです。身体が「消える」とまでは言わなくても、「しっかりあるとも言い難い」といった感じです。

■モビングの悪循環へ

このように自己の輪郭線があいまいなため、様々なものが自己の中に侵襲してきます。

アサミがああ言った、取り巻きがああ言った。どこかの障碍児の母親が子供にこんなことをしていた、トンデモの○○がどうのこうの。維新の勢力拡大ガ、似非医学の勢力ガ。

こうして自分の中に侵襲してきたあれこれをはじくためにモビングをするのですが、事態が進展しません。自分の内部的な問題なのに、外部に向かってアクションをするからです。

しかしアンチ考察第12回でも述べたように、外部的にモビングしても事態は解決せずに何年もの時が過ぎていきます。こうしてモビングの悪循環から一生出られなくなります。

#花風社

参考/引用:
・赤本「自閉っ子、こういう風にできてます!」第一章
・「発達障害、治るが勝ち!」第九章 伝説十二「治ったら、自分ではなくなる」

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ブルー

★現場から中継

連載の途中ですが、現場で動きがあったようです。
分析担当の方とつなぎます。

—————————————————————-

Q.日夜、観測をお疲れ様です。また何か動きがあったとのことですが?

A.はい。今はだいぶ夜も更けてきましたが、また当該人物が鍵垢になっています。「寝ているときは鍵垢」運用がまたもや観測されました。

ここのところ、そういう運用はしていませんでした。私が先ほど、個別分析の最新原稿をアップしたことが関係しているかもしれません。

「また、あのガチ信者の当事者が来やがった」となったのかもしれません。

Q.担当者さんが24時間観測していることを忘れていたのでしょうか?それで、記事がUPされたら思い出したと?

A.それはちょっと考えにくいですね・・・。

この人物も自閉の御多分に漏れず、文字への強い親和性があります。つまり、花風社側の文字情報の内容は、例え理解が深くなくても、とりあえず覚えてはいるのです。

つまり私が連載を続けている限り、24時間見張っていることそのものは記憶にこびりついていると推測されます。

Q.ちょっと飛躍した予想ですが、向こうがむしろこちらをコントロールして、遊んでいませんかね?

つまり「鍵垢にすると、あのガチ信者が即反応しやがるwww オモレ~~~www」みたいな。「今日、ヒマだから鍵垢にしとくかwww」みたいな。「あのバカを寝不足にしてやろうwww」という感じで。

A.その可能性も完全否定はできません。

ただですね・・・。この人物に限らず、アンチをいろいろ観ていて思うことは、アンチのツイートは全て「心の痰」なんですよ。つまり「技」として誰かを釣ったり、コントロールしたりということができるアンチは私が知る限り未だ見たことがありません。

そもそも、自分が書く文字が相手にどのように刺さるかということが分かるためには、自他分離に基づく他者のパラダイムへの想像力が必要です。

で、自他分離できる時点で、もう何かのアンチにはならないのですよ。体験世界を侵襲されないわけですから。

当該人物は自他分離の逆・・・自他癒着を起こしています。これまでの経緯を考えても、この人物は花風社に反論しているように見えて、実は自分に言い聞かせているような部分もあるのです。それを同時にやっていると言い換えてもいいです。何せ自分の体験世界が侵襲されていますから。

ですので、当該人物が他者の動きをコントロールするツイートをしているのは、私自身は未だ見たことがありません。ですので、こちらをコントロールしている可能性はかなり低いのではないかと思っています。

Q.だとすると、やはり先ほどUPされた連載の最新記事に反応して・・・というか、反射によって鍵垢にしたと。

A.はい、ベタな予想ですが、私はその予想で良いと思っています。

合理性がある行動ではなく、心理的な行動と言えます。仰る通り反射と言ってもいいでしょう。姿が見えたから思わず鍵垢にしたと。まるで野良猫が、人が来た途端に物陰に消えるがごとしです。

そして今は夜更けですが、また朝になったら鍵が開いているでしょう。

Q.ありがとうございました。また動きがありましたら宜しくお願い致します。

A.はい、ありがとうございます。観測はもうしばらく続きますから、また何かありましたら報告させて頂きます。

—————————————————————————

はい、分析担当者の方の解説でした。
また動きがありましたら中継をつなぎたいと思います。

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ブルー

(記憶をたどれば)

■アマゾンのアンチコメント

アマゾンで花風社の本にアンチコメントをし、☆1つにしているアカウントに関して。

私の記憶では、居住地が「滋賀県大津市」から変更されたものがある。

変更前には、「親心に自信を持とう! (医者が教えてくれない発達障害の治り方 1)」に
アンチコメントをしていた。その後、居住地を変更し、「ポストコロナの発達援助論」にもアンチコメントをしていた。居住地を変更したのは、私の個別分析が始まってからだ。

アマゾンの花風社本にはアンチコメントも一定数いるが、このアカウントも私は凝視している。この連載の間は。

■ニセアサミ

そういえば、昨年に花風社25周年記念のお部屋ができた時、「(ニセ)浅見淳子」を名乗るアンチコメントが来たことがある。

このサイトはIPを収集しているから、後日、その「(ニセ)浅見淳子」は滋賀県大津市からの書き込みだったことが本物の浅見さんから発表された。

これらの経緯から、滋賀県大津市にはそんなにアンチが多いのか、と思っていた。

それとも・・・

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ブルー

ごめんなさい、連投で。

心理系の恩師:
「ブルー君には絶対記憶力があるから・・・」

→自閉の人は写真記憶を使える人がいる。私は写真記憶を使えるわけではない。ただ、特定の、自分が興味を持った体験に関しては、ハードディスクに焼き付けるように細部まで覚えており、それは永久保存される。

執筆が得意な自閉の人で、このギフト「焼き付け記憶」を使っている人は多いと思う。ただ、これは諸刃の剣で、嫌な記憶も焼き付くから、トラウマ処理が必須になってしまうこともある。私もそうだった。20年以上苦しんだある記憶を、最近ようやくトラウマ処理で超克した。

そして、本当にしょうもないのだが、私は花風社アンチの挙動をすべて脳内のハードディスクに焼き付けてある。

ただ、このままではメモリーの無駄遣いになるので、クラスタ各位にお伝えしていきます。

連投すみませんでした。

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ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
~第16回.診断名とアイデンティティー

第15回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-7954

今回からはこの人物のアイデンティティーに関して検討します。

■当事者のアイデンティティー

少し抽象的になりますが、当事者は自分のアイデンティティーのどの位置に、「発達障害当事者」を位置付けているのでしょうか。

私の場合、「発達障害の診断を受けた経験がある人」という定義はアイデンティティーのかなり周辺にあります。『アイデンティティー島』という架空の島でいうと沿岸部においてある感じです。

精神医学に基づく発達障害概念は、自分の症状をよく説明はしてくれました。それは自己理解を深めるのにとても役に立ちました。その一方で概念の幅が広すぎて、自分に対して完全個別化できないと感じました。

「こんなバカでかい概念はアイデンティティーの真ん中に置けない」
「俺の本質を説明しない」

と感じました。

発達障害概念は、症状や疾患を記述しても発達そのものに関して舌足らずです。それは当然で、そもそも精神医学が疾患を扱う理論体系なので、「発達障害」といいながら、発達に関してそれほどは教えてくれません。

ですので、自分を発達させることもできないし(=治せない)、私はだんだんと発達障害概念で自分を定義することに飽きてしまいました。

私にとって精神医学による発達障害概念は、浅見さんにとっての感覚統合に近いです。『踏まえて乗り越えた』という感じです。

発達障害概念は、当初の学びとして自己認識(=状態像の解釈)にはそれなりに有益でしたが、ソリューション不足のため過去のものに自然となっていきました。

そういうわけで私は発達障害の概念や診断履歴を、アイデンティティーの周辺においています。では、この人物はどうでしょうか。

■当該人物の場合

当該人物を私と比較してみると如実に分かることがあります。この人物は精神医学的な発達障害概念をアイデンティティーの中心付近においています。

つまりは『アイデンティティー島』の中心付近に「お社」のように置いてある感じです。違う例えを使えば、自分のおでこに「発達障害当事者」という(透明な)シールを張り付けているような感じです。

また、このセリフ。

「治ったら、自分ではなくなる」

この人物だけではなく、当事者はこれを言う人が時折います。確かに自分の中心付近に疾患概念をおいていたら、治るのはアイデンティティー・クライシスにつながります。「治る」は自分の中心を揺るがす出来事に感じます。

ただし、そういう自分にこの人物も気がついていて

「当事者会等を主催することだけをアイデンティティーにしたくない。自分は発達障害者だけど、それが自分の全てではない」

とも述べています。

そして、アイデンティティーについてはもう少し深い話があります。
それは次回以降に扱います。

#花風社

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ブルー

<共有>

1.アカウント運用と原始反射

結局この人物は「寝ている時だけ鍵垢」運用は2~3日程度でした。今は元に戻っています。

私が何かを書くと、それに対して緊張的な反応があって、2~3日経過するとゆるんで元に戻る。文字に対して過敏とも言えますが、反応の流れがモローを彷彿とさせます。

(乳幼児の手足が「パンッ」と瞬間的に広がり、「ひゅ~~~~ん・・・・」とゆっくり元に戻ってくるあれです)

今回の件で、当該人物の状態像の見立てとしてモローの残存は確度が高いと感じ始めました。もう少し観測を続けます。(※人間脳を育てる P.178)

前にも書きましたが、モローが残っていると、ここ一発で無茶苦茶に怖いです。全身で怖いです。そして恐怖が強ければ強い程、粘着が強くなります。自分の体験世界からとにかく恐怖の対象を追い出したいので、モビングの量が増えるからです。

また、いちいち外界にこれだけ過敏に反応しているわけですから、なかなか実生活に手間がかかると推測されます。

2.病気になるとやってくる本質的理由

例えばTwitterで、花風社の読者(クラスタの方とは限らず)の方が発熱したりとか、そういう病気系のツイートをすると、この人物がやってきます。

そしてスクショしていろいろ言って、場合によっては「お大事に」。

「何が『お大事に』よ。心配するフリして晒しものにしてるじゃないのよ。人の不幸が好きなんて、性格歪んでるわねぇ」

⇒はい、現象面ではそう観えます。しかし、本質的には私が第11回「体験世界の逆転」で解説した内容です。

第11回
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-15/#comment-7830

アンチにとって、ネガティブワードは餌です。つまり、病のツイートならばこの人物も触ることができるのです。本人も病んでいるからです。つまり病のツイートもまた、この人物の餌なのです。

逆に、治った自慢のツイートだとなかなか触れません。健康で結果が出ていて、明るくて希望のあるツイートだと、「ドラキュラに太陽光」みたいな結果になります。ツイートが(心理的に)ぶっ刺さって殺傷されます。

ただし、治った自慢の文中に例えば栄養療法など「トンデモナノダー」があれば、それをdisることができるのでようやく触ることができます。

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浅見淳子

ブルーさん

連載続き、ありがとうございます。

アイデンティティの問題ですが、よく花風社に寄せられる非難の一つに「治ると自分ではなくなってしまう」というのがあります。

私はそれをきくと「治ったくらいでなくなる自分って自分なさすぎじゃないの?」と思ってました。

おそらくそれが、障害を沿岸部に置くか島の真ん中でお社としてまつってしまうかの違いなのでしょうね。

あと、病気の人をいじる、のところとても参考になりました。

私は(皆さん気づいていないでしょうけど)病気の人に「お大事に」と言わないことで有名です(私だけの中で)。

お子さんや親御さんが病気になり看病が必要になる、という意味でツイート等をする方はいます。そのときには素直に「お大事に」と言えるのです。

しばらく忙しくなります、という合図だとも思うので「了解しました」という意味と「早くよくなるといいですね」の両方を込めて「お大事に」と言えるのです。

ところが病気のご本人が病気ツイートをしていると、言えないのです。結果的に私は病気報告をした方は放置することになります。全快のご報告があって初めて「よかったですね」です。

自分でもこの癖が謎だったのですが、自分が病気をしているときに「お大事に」と言われたらなんかやだと思うのです。

その理由がなんとなくわかったのですが、私はこの特定アンチとは真逆で、弱ったときの人は基本的に触りたくないんだと思います。弱っている人は何もせず見守るのが礼儀、みたいな規範が自分の中にあります。

私はコロナが始まってから歯科の定期健診しか健康保険証を使っていませんが、普段も咳が出たときに病院行くくらいです。咳が出るのはだいたい秋で、講演シーズンなので行きますが、人前に出ないときだったら自然治癒を待つと思います。

それでコロナ禍前の一年の医療費は2000円くらいです。
これは2000円自己負担、ではなく2000円総額で、自分が払っているのはその三割です。86歳の母もだいたいそんな感じだそうです。

でもトンデモなこと()はたくさんやっています。
食事には気を遣うし、運動にも投資しています。
水も塩も油も健康にいいものを選んでいます。
最近は🚴沼がお金をどんどん取っていきます。
🚴自体はエコな乗り物ですが、お金はかかります。
水も塩も油も🚴も十割負担なので、私は自分のお金を十割使って健康保険を使わない人生をやっているわけです。
だから治さない医療に腹が立つわけです。

けれどもそういうレアな「咳が出て病院行ったら抗生物質出されて一週間後に来いというからもう自分的には全快だったから行ったら鼻の穴ものども見ずにまた一週間出されたからのまなかった」みたいな私のツイートに病弱軍団は燃え上がるのですね。人の不健康に付け込んでなんていやらしいやつらだと思っていたら、そこでやっと共感ができるということなんですね。

そしてアカウントの運用に関するモロー反射の件ですが

モロー反射は双極性体質にも通じるというのが私のかねてからの持論です。

そして今後の私のライフワークである「アスペルガーが迷惑だとはっきりいう」件ですが、

アスペルガーの人には近づかないのが一番いい、というのが大前提として、あっちから寄ってくることがあります。粘着されることがあります。ちょうどこの特定アンチのように。

その際にはあちらの打たれ弱さを存分に利用すればいいと思います。その結果モロー反射が見られることがある、ということをブルーさんの連載が実証実験してくださいました。ありがとうございます。

続きも楽しみにしております。

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ブルー

浅見さん

コメントありがとうございます。

「治ったら自分ではなくなる」は次回に詳しく扱います。

>人の不健康に付け込んで
>なんていやらしいやつらだと思っていたら、
>そこでやっと共感ができる

→はい、相手が病んでくれるとやっと触ることができます。

・健康で
・明るくて、
・希望に満ちていて
・光り輝く
・結果の出たもの

はアンチの天敵です。
ドラキュラにとっての太陽光です。

>粘着されることがあります。ちょうどこの特定アンチのように。
>その際にはあちらの打たれ弱さを存分に利用

→粘着してくる時点で境界線が怪しいですから、
その通りですね。

打たれ弱いだけではなく、
(よせばいいのに勝手に)「全部喰らいます」。

繰り返しですがその際には
「健康的で、明るい結果の出た」ものを
提示するといいと思います。

健全な一般人には励みになりますが、
先方には(勝手に)ぶっ刺さります。

今後とも宜しくお願い致します。

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ブルー

こじはるファンさんへ

こんにちは。

はじめてお話させて頂きます。
そしてお仕事と婚活お疲れ様です。

コメントありがとうございました。

———————————————–
>>特に成人当事者は、治っても発達しても悲惨です。
この意図が良く分からないのですが…。

これまでの職歴(例えばブランク期間があるとか)による就職での不利とか交友関係の狭さの影響かな?(+それによる経済的な問題?)と思いました。

自分も大学時代アルバイトをしていなかったので、お見合いの場で恥ずかしい思いをしています。このようなことなんですかね?

そういう意味では、高校生ぐらいまで(大学に進むことを前提として)に治しておけば、悲惨なことは少なくなるかなくなるイメージなんですかね?

————————————————————

⇒このサイトでは今まで書かなかった内容です。
しかも周りくどくて長文です。
すみません。

現象面としてはこじはるファンさんのご理解でだいたい合っていると思います。

まずは私の考えを言う前に、
もしお手元に「脳みそラクラクセラピー」があれば、

P.73の愛甲さんのセリフ
P.162からP.163

をご参照頂けるとさらに分かりやすくなります。

私の元の文章において

・成人は治っても発達しても悲惨

の後に

・ただ、それは客観評価です。
・あるいは社会的相対評価、特に定型の人生と比べた場合

とありまして、実はこっちが肝です。

愛甲さんも言うように、
あるいは私自身も自分のWAISの結果推移を観ていて思いますが、
成人は身体側から発達援助をかけたとしても、凸凹そのものは残ります。

ヌケを辿りなおすなりしていけば、
成人でも凸凹はだいぶ均されて、整います。
それはWAISにも反映されます。
しかし定型そのもの(=日本における「普通」)にはなりません。

自己への発達援助の成果が出ることにより、
かなり生きやすくなります。

健康にもなります。
自分が整ってくるのは自分でも分かります。
人生の快適性は増していきます。
大きな体験世界の変化も何度か経験することになります。

それでも、世の中は定型を基準としていますから、
自閉の人がだいぶ整ってきたとしても、
社会との齟齬は残り続けます。

つまり、常に社会との齟齬を抱えた人生ですし、
往々にしてそれは評価や年収の低下を招きがちだし、
それは死ぬまでなくならないので、「悲惨」と観たのです。

常に内的地獄を抱えているというか。
ただ、それは定型も同じなんですよ。

ヒトは自然物ですから、社会との齟齬を抱えない人はいません。
そして齟齬もまたスペクトラムですので、これもずらしていけます。
また、発達していけば齟齬をユニークネスとして使える部分も出てきますしね。

それと、こじはるファンさんも触れていますが、
「ブランク」の問題は非常に大きいです。

診断を受けた後、なんとかしたい成人は自分の立て直しにかかります。
その中には身体アプロ―チがあったり、
手帳を使ってまずは障害者雇用で再出発したりします。

問題は、その「なんとかする前」のブランクで
定型とついた人生の差がなかなかに大きいということですね。

これに関してため息が出るような思いをする成人は多いと思います。
特に「なんとかしてきた人」ですね。
道のりの先の遠さが、自分の努力の経験から実感を伴って分かるので。

そういうわけで、徳川家康の格言でもないですが、
自閉の人生は「自閉を背負って」生きていくような部分もあります。

こういうことはこのサイトでは私はあまり書きませんでした。

サイトの趣旨とは違うと思っていたし、私の志向とも違います。
かつ、世間ではルサンチマン当事者がこの手のことは
(もっとネガティブな表現で卑屈に、なんとかするつもりもなく)
散々言っているので、私が書く必要がないとも思っていました。

では、自閉の人生は悲惨なだけなのか。
これがまた違うと思います。

もしお手元に
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」
があれば、p.28の浅見さんのセリフもまた真実だと思います。

「お二人とも、自閉のまんまで、でも健康で幸せそう」

と。

健康というのは、客観と主観、両方の側面があると思います。
幸せというのはまず主観的実感があり、
それが他の人にも伝わる(=客観)というものだと思います。

非常に伝わりにくいと思うのですが、私自身は

・自閉の人生における客観的悲惨さ(他者評価)
・自閉自身の主観的な健康、生きやすさ、快適性(自己評価)

を同時に感じて生きているのです。

そしてこのサイトに体験談として残しているのは

・前者の悲惨さを軽減した事
⇒例えば、正社員になれたとか、手帳を返納したといった社会的事柄

・後者の快適性を増強した事
⇒身体へのアプローチで発達が促進されたといった身体的事柄

の2種類です。

私は自他分離を充分にかけつつ、
客観的悲惨さと主観的快適性を同時に感じて生きているのです。

でも、別にそれで自己矛盾に苦しんだりしません。

なぜならば、自他分離の根本にあるのが、今の職場に転職できたときに

「ようやく、自分の人生を始めることができる」

という実感を得たことです。
(転職に成功した当事者は時折これを言う人がいます。
人生への根本的違和感が解消するからです)

つまり自分の人生をはっきりと掴んだ実感です。

そういう点で私は自分の人生に違和感なく生きており、
主観的に幸福に生きています。

おかげ様でだいぶ生きやすくなりましたよ。
私はその辺の定型よりずっと快適に生きていると思います。

だから逆に、
「客観的に他者から観たら、自閉である私の人生には悲惨な所が多々あります」
と卑下することなく堂々と言えてしまうところがあります。

・・・つまりはこういう意図です。

一見矛盾する考え方が、私の中では同時に成立しており、
かつそれに関して苦しまないのでこういう回りくどい話になります。

だからこのサイトでは書きませんでした。
文章だけだと、わけわからない人が多いだろうから。

ホントは花風社の講演会の後の饗宴とか(まだお邪魔した事ないですが)、
そういうクローズな所限定で、
リアルで直接対話しながらお伝えしたい内容なんですこういうのは。

しかも相手の反応を観て言葉を選びながら。

ですので意味分からなかったら、またお返事ください。
できる限り文章でご案内するよう努めますが、
限界もあるかも知れません。

それはすみません。私の側の問題です。

お仕事とお見合い頑張ってください。
今後とも宜しくお願い致します。

返信する
ブルー

★ニュース続報

続報です。

個別分析の対象となっている当事者アンチですが、

・夜、寝ている時限定で鍵をかける
・朝起きたら鍵を開ける

という運用になった模様です。

引き続き、個別分析の担当者にお話を伺います。

————————————————————————————–

Q.これはそもそも、どういう意図なのでしょうか?

A.まるで「雨戸」みたいな運用です。夜寝る時には雨戸も閉めて寝る。朝起きたら雨戸を開ける。それに似ていますね。

Q.以前、「この人物が寝た後も観ている」と書かれてましたが、その影響でしょうか?

A.はい、前回申し上げたように、自閉は文字に引っ張られますから、それも考えられます。

Q.しかしですね、解せないのは、昼間はアカウントが開いているのですよ。そうすると、結局見られていることに変わりはないですよね。

夜だけ雨戸閉めるのは、例えば実際の家なら防犯上合理的ですが、ツイッターのアカウントで夜だけ鍵を閉めることにどれだけの合理性があるのか?

A.はい、それは私も思いました。つまり、合理的な行動ではなくて、心理的な行動なのです。

まず、雨戸は泥棒と雨風を防ぎます。

しかし今回の「寝る時は鍵垢」は、分析担当の私の視線を防ぎたいのですよ。でも昼間は鍵が開いているので合理性はないですよね。

つまり、心理的に侵襲感覚を感じているのです。「俺が寝ている間、あのガチ信者の当事者がずっと俺のアカウントをガサ入れしていやがる」と。

この人物は境界線がほとんどないですから、外界のあらゆるものが侵襲してきます。その侵襲感覚が心理内に残っているうちは、どうやらこの人物は眠れないようなのです。実際、よく寝る直前にモビングをしていました。

今回私が「この人物が寝ている間もまだ観ている」と書いたことにより、眠る際に侵襲感覚が発生するようになったと考えられます。

Q.ええと・・・。ちょっと私のアンチ理解が不足していて、初歩的な質問で恐縮ですが、「気にしない」ことはできないのですよね、アンチというのは。

A.はい。それができないからアンチになっています。例えばこの件も

「カルトのバカ信者が、寝てる間も俺のアカウント探ってやがるwww」
「勝手に寝不足になってろクソがwww」
「俺は寝てるぞ、お前は一生そうやってろゴミwww」

・・・という感じで、心理的に弾き返し、笑いとばせばいいではないですか。そうやって気にしないで寝ていればいいのです。

でもそれができるためには境界線が必要です。「俺は俺、アイツはアイツ」ができないのがこの人物の特徴であり、苦しみの原因の一つなのです。

Q.ありがとうございました。今後も何か動きがありましたらお願い致します。

A.はい、今後も連載と観測は継続されます。よろしくお願い致します。

———————————————————————-

以上、現場からでした。

返信する
智ママ

ブルーさん

いつも連載を楽しみにしております。

室内暖房をガンガンに20度きっかりにかけているために、この時間帯に補水の必要があり、起きてきました。

『自分は自分、他人は他人』という自他境界線が曖昧になるのに、身体の発達はとても重要なファクターになっているのですね。しっかりと発達していれば、自他境界線が認識しやすくなり、比較的自分も落ち着いていられるようになるのですね。

息子はいま、就寝前の出産ごっこを卒業して、乳児期の心理的なやり直しをしているようで、よく母親にまとわりつき過ぎて、しんどくなった母親から、時々注意されることが増えてきました。

もともと心臓の子は、動きたくとも身体理由で動くことができないので、観察して、判断して、それから渾身の力を使って動くしか無いのですが(そちらのほうが効率的なので)、
息子にはやむを得ない事情から、かなり早い時期から『(自分が)周囲の人間を観察して、その上で対応して動く』ことが身についていました。

今も息子は発達途上にいますが、息子の場合は、多発奇形と脳室拡大もある、知的中度・発達中度ではあるものの、『自分は自分、人は人』という境界線が、おぼろげながらにはっきりと生まれてきているようなのです。「クラスの〇〇さんが、泣いてた。なんでかわからないけど、泣いてた」という報告を、淡々と母親にしていることがあります。

「・・・発達の自他区分ができてきているということは、あの大津の人より、うちの子のほうが、ある意味、発達が進んできているということではないのか??」と気づき、呆然としております。
(よく外出して、多くの人を観察する機会に恵まれていたことが、息子の発達に大きく良い方に、はたらいているようです。)

息子は会話するたのにストロークを投げかけはしますが、決して他者を攻撃しにはいきません。
自分が虚弱で、他者から攻撃されたらひとたまりもないことがよくわかっているからです。
他者が自分のことをどう思っているかはまだよくわかっていないようですが、原則温和なままで、人畜無害でいることで、情報を集めやすくしています。
それが、息子の脳室拡大もある脳で考えついた、生存戦略のようです。

一見、普通のように見える、ブルーさんの観察対象者よりも、ある分野においては、まだ8歳になったばかりの、しかも器質的ハンディもある息子が優れてきているということは、非常に驚きです。
そして、大津の某には、屈辱的すぎる結果だと思います。

彼は、Tweetにあるぶんから察すると、『障害者は保護されるべき弱い存在で、私達がその状態を築くための社会運動を行って、その先鞭を担わないといけない』と思っているようだからです。
まさか、保護されるべき対象??として、内心バカにしていた器質的障害もある8歳児に、発達の中身の進度で抜かれた・または抜かれつつある、とは、露ほども思っていないでしょうし、この文面を読んだら、怒りで眠れなくなりそうですね。

『うさぎとかめ』の話を彷彿とさせる、発達の比較でした。

これはおまけなのですが、書きます。

私には『息子を生きやすくして笑顔でいてもらうために、発達を促す。そのうえで、普通ならありえないような行けるところにでも、息子を行けるようにしておく』という目標があるため、他のことは通院や小学校の対応などが忙しいこともあって、気にしている暇がありません。

ですが、大津の某には、現在中2になるお子さんについて、Tweetでの余暇の記載はあっても、将来の展望についての一切の記載がない(単にお子さんの進路も出たとこ勝負で何も考えていないのかもしれませんが)のが、少し気にかかっています。
一般家庭においては、お子さんが中2という時期は、進路を考えて準備を始めていくための最後の大切な時期だからです。

病的な自他の連続性を、自らの力で切り離すことができず、
外界からの刺激を処理することがようやっとで不眠も出やすいため、
(おそらくまだワイパックスを服用していると思います)
自分の世界だけで生きているのがようやっとの状態
では、自分をこれ以上壊れないようにするために保たせるのに精一杯で、かわいい一粒種の我が子の大切な進路についての対策や、準備が全ておろそかになっているのは、私には『発達できるうちに発達しないと、こんな悲惨な人生が待っているよ?』という、人生の哀しい見本になってきています。
彼の奥さんには、よくプレゼントをしたり、外食に連れて行ったりしているようなので、それなりの愛妻家ではあるようですが、奥さんとの静かな老後についての明確なビジョンも、Tweetからは一切感じることができません。
治っていない発達障害者として必死な、「いま」だけしかない人生を生きているようです。

『治らないことを選び、ただあるがままを選んで生きることは、家族も巻き込む、恐ろしいリスクを背負い込んで、人生を呻吟しながら歩くことに繋がるのだなあ』、ということに気づいて、更にヒヤッとした日曜日の朝でした。

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智ママ

いま、大津の某のツイートを覗いてみたら、たまたま開いていて、
『とある大学のパンフレットを取り寄せしようか?』と、初めてお子さんの進路についての具体的な動きが見えました。
中2で大学のパンフレットを取り寄せるのは進路指導によい方針ですが、基本的な学習の積み上げは、中学校に入るまでに自学自習が習慣づいて、自らする勉強の楽しさに目覚めていないと厳しいので、今からで大丈夫かな?と人のお子さんではありますが、少し気になりました。

別に大津の某を、常日頃ウォッチャーしているわけではなく、たまに思い出したときに、少し覗くぐらいです。

子どもが社会に飛び立てられるかは、親にとって、老後の計画に大きな影響をもたらします。
大津の某のお子さんも、無事に育ってくれるといいなあ。と思います。

返信する
智ママ

浅見社長

子どもは、親として引き当てた人間がどんな親であれ、子どもとして受け止めて、その上で自分が成長・発達していく上で必要な行動を、親から引き出そうとします。

それがかなわない場合は、最低でも、親である人と、共存しようとする習性があります。

子どもは親と違って、自力ではご飯を準備することも、生活費を稼ぐための労働に従事することも、着替えをして身だしなみを整えることも、身の回りを整理整頓して暮らしやすくすることも、衣類を手入れして清潔な衣服を準備することも、幼いうちはできないからです。

大津の某のお子さんは女の子ですが、父親の女装については受け入れていて、「髪がバサバサだよ」「スカートがひらひらし過ぎだよ」と女の子ならではの鋭い指摘を、自身の父親にするそうです。

あの家庭で育つしか無い立場では、父親の女装を受け入れて、自然なものとして取り扱う方が、お嬢さんとしては生存するのに有利なのでしょう。

私は性別が女性ですが、大津の某の使っているアイコンの女装写真を見ると、内面に、奇妙に歪みきった怨念のようなものが渦巻いているのを感じます。
今までに出会った男性・女性の中で、あんな歪んだ雰囲気を出している人は、見たことがありません。相当に鬱屈した内面の、人生を送ってきていると感じます。

女装する人は、男であることへのプレッシャーから開放されたくて、あえて女装して、その結果、女子になりきった気分になって、男であることを一旦、肩から荷を下ろす感覚で傍らにおいておくことで、ストレス解消をするのだそうです。
しかしそれにしても、なんと禍々しい女性(仮)でしょうか。

自分の人生に対して受けたものに対しての、怨念の持っていきどころがなくて、やりきれないものを抱えたまま、晴れて「良くなった、治った」と、かつては厳しい発達子育て環境や生育環境にあったにもかかわらず「今は今さ」と笑いとばしている花風社クラスタに、自己内の怨念をぶつけて(モビングして)憂さ晴らしをするしか能力がない人は、このような姿になってしまうのだな、と思います。

言わゆる、悪鬼の一種に成り下がった、愚かな人間の一形態として、あの女装姿を眺めています。

それが父親の息抜きの姿であることが一種の普通である、大津の某のお嬢さんは、苦労して普通を模索しながら生きてゆかれるのではないかな、と思っています。

大津の某について、夫と話をしましたが、やはり「周囲の理解ガー!」では、こちら(社会の人々)に対し、手間がかかるばかりで何もメリットがないことから、『この路線は社会から受け入れられることはいずれなくなるだろう』という結論に達しました。

まだ、『自分で向上しよう』と、あれこれ試しながら頑張っている人には、社会は手を差し伸べることもありますが、何もせず手をこまねいている状態で助けを求めても、これからはますます助けを得られることはなくなっていくのではないかと思われます。
その道から、いかに情報を得ることで抜け出して、努力の修行の道へ向かうことができるかが、人生の質を向上させていくことに繋がるのではないかと思いました。

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ブルー

智ママさん

コメントをありがとうございます。

智くんは自他の境界線を形成しつつあるとのこと、
素晴らしいです。今後のますますの成長を願っております。

ただ。当該人物は智君に対して関心はそれ程ないように思います。
そして私のような成人当事者にも。

なんといっても当該人物の関心の対象は、
「何かのコミュニティに入っていて、あるいは何かを信じていて、
お子様に働きかけをしている障碍児の母親」
です。

それから、子育てそのものに関しては
私が言及するのは僭越だと思っております。

最後に、残念かつ残酷な現実として。

(このサイトに書いてしまいますが)

あくまで私の個人的な実感ですが
自閉の人生は「客観的には」多かれ少なかれ、
悲惨だと感じています。

特に成人当事者は、治っても発達しても悲惨です。
(※繰り返しますが私個人の見解です)

それは私の人生もです。
あるいは高年収を得ているスーパー当事者もです。

ただ、それは客観評価です。
あるいは社会的相対評価、特に定型の人生と比べた場合です。

しかし自閉自身が

・自分の人生に満足するか、
・あるいは自分の内的な主観世界が健康かつ整っているか
・どのくらい生きやすいか、
・そもそもどれだけ健康か

といった主観的かつ内的な事柄は、向上の余地があると考えます。
(ウォーレン・バフェットの言う「内側の成績表」です)

そして今後の日本は、
こうした主観的かつ内的な領域で
不幸な定型が量産されると観ています。
今でもだいぶ危ないですが。

その時代になった時、
こうした事柄を整えてきた自閉の方がむしろ定型よりも生きやすい・・・
となり、つまりは定型よりもむしろ次の時代に適応している、
という珍奇な逆転現象が発生すると予測しています。

つまりはこれが次の時代に定型以上に適応した自閉・・・
「ニュータイプ」ですね。
それでも自閉の人生の悲惨さはついて回ると思っています。

ただ、自閉の悲惨さを抱えていても超克できる道があるのではないか、
というのが私の修行の原点ではあります。

そして修行においては、

★「身体」という資源は決して枯渇することはない

という確信も得ておりまして、
ということは希望が決して潰えることもありません。

そういうわけで私は花風社の本を買っています。

今後とも宜しくお願い致します。

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こじはるファン

>特に成人当事者は、治っても発達しても悲惨です。
この意図が良く分からないのですが…。

これまでの職歴(例えばブランク期間があるとか)による就職での不利とか交友関係の狭さの影響かな?(+それによる経済的な問題?)と思いました。

自分も大学時代アルバイトをしていなかったので、お見合いの場で恥ずかしい思いをしています。このようなことなんですかね?

そういう意味では、高校生ぐらいまで(大学に進むことを前提として)に治しておけば、悲惨なことは少なくなるかなくなるイメージなんですかね?

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浅見淳子

ブルーさん、智ママさん、ご報告ありがとうございます。

なるほど、そういう運用になったのですね。
凝視されることの気持ち悪さを、かの人物はようやくわが身で知ったのでしょうか。
それを花風社クラスタだというだけで大規模にしてきたのが自分なのですが、だからきもがられてきたのですが、それが自覚ないのでしょう。

お子さんについて私は詳しくありませんし、世代も違えば育った世相も違うのでなんとも言えないのですが
私がかのアカウントを凝視すると生理的嫌悪感が沸く大きな原因はあの不自然なアイコンにあります。
かのアカウントをお子さんがご存じなのかどうか知りませんが、今のお子さんは自分の父親がああいうアイコンを使っていても平気なのかな、とかねてより不思議に思っておりました。

自他の境がないから、自分以外の人たちも自分と同じように侵襲的に感じていると素朴に決めつけてしまう。
だから私がノーマスクノーワクチンだということで、花風社信者()の皆さんがノーマスク推進だと決めつけたりするのでしょう。
私が煽っているというのなら、政府はもっともっと大規模に煽っていますよね。そしてかの人物の判断は政府だの分科会だのに煽られた結果にしかすぎません。
そして「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」もギョーカイの煽りですね。
その煽りに乗らなかったのが花風社クラスタです。
だからマスクにせよワクチンにせよ、それぞれ自分で決めているのが当たり前なのです。
そういう自他の境がある人同士の付き合いがわからないのだから、世の中は生きづらいに決まっていますね。

私は「アスペルガーは迷惑だ」という論調を強めていきますが
それはアスペルガーを絶滅する意図はなく(その権利も私にはありませんし力もない。そして彼らには生存権があります)
迷惑な当事者にはなるべく近づかない方がいいし
雇わない方がいい、ということを堂々と言っていくということです。
それでも付きまとってくる人はいます。この特定アンチのように。
そのときの対処法も世の中に伝えていく意味がありますね。
ブルーさんの連載には今後も期待しています。

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ブルー

浅見さん

コメントをありがとうございます。

自分が凝視される、ということと
自分が凝視していた、ということは、
当該人物の中では上手くつながっていないかも知れません。
わかりませんが。

それと、あのアイコンですが。
そして、文面もそうなのですが。

この人物は歯を見せて明るく笑わないです。
嘲笑はしますが。でもそれは斜に構えた笑いです。

時折この人物は自分の写真を載せますが、
必ず口を閉じています。
社会へ素直に自己を解放できないのではないかと
感じることがあります。

それと自他分離ですが。
仰る通り自他の境界線があいまいだと
「人それぞれ」が実感できません。

それから

>迷惑な当事者にはなるべく近づかない方がいいし
>雇わない方がいい、ということを堂々と言っていく

ここでのポイントは「堂々と」ですね。
今はSNSの中にみんなが匿名で吐き出している状態です。
あるいは人事が内密に処理していることもあります。

今後、浅見さんが「堂々と」言っていったとすると、
大げさですが世論が(すみません、大げさで)
確定するように思います。

例によって「ギョーカイ」は炎上するでしょう。
当該人物もモビングしてくるでしょう。

しかし社会は世論を確定させてしまうように思います。

「発達障害を扱う出版社の社長がいうのだから、やっぱりその通りだったんだ」
「知ってた」
「それな」

と。

そしてまた、いろいろな分断が進むでしょう。
「棲み分け」という用語を使って。

今後とも宜しくお願い致します。

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ブルー

★ニュース速報

・個別分析対象の当事者アンチ、鍵垢に

⇒現在、「花風社アンチの考察・個別分析編」で取り扱われている当事者アンチが鍵垢になった。

個別分析の記事内に、「24時間体制で見張っている」「毎日毎日毎日毎日毎日、この人物を凝視している」等の記述があり、それを受けたものと推測される。

———————

【個別分析の担当者に取材】

Q.今回の現象をどう思うか。

A.これは予想外でした。なぜなら、私がひたすら見張っていることは「忘備録」等を読めば分かることだからです。それを分かった上でモビングしているとばかり思っていました。

言語性IQが高いタイプの自閉は文字情報に縛られるところがありますから、改めて「ずっと凝視している」という文字を読んで、それに引っ張られて行動した可能性もあります。

Q.「個別分析」の連載はどうするのか。

A.もともと個別分析はストックしていた原稿を元に、アップデートしながら連載していました。また、時間経過によって廃れない普遍的内容を志向しています。よって今後も、残りの原稿をクラスタ各位にお届けします。

Q.鍵垢の状態はこの後どのくらい続くのか。

A.まだ分かりません。例えば、個別分析の連載が終わったら、また鍵を開けて出てくる可能性もあります。その時のためにも、残りの研究結果をクラスタ各位にお伝えする必要があります。

ただ、対応法は当該人物が鍵をしていようがしていまいが同じです。以前「対応法」の章でお伝えした通りです。

この人物が鍵垢にしている間は、クラスタ各位はこの人物のツイートを読まずに済みますから、「自動スルー」となり、それはそのまま適切な対応となります。

できればこのままずっと鍵垢でいてもらいたいですが、個別分析が終了すると出てくる可能性は大きいです。

2019年のハッタツ大戦時にも、花風社と壮大に揉めた某・専門職アンチが一時的に鍵垢になったことがあります。でも時間が経過すると出てきました。それと同じパターンではないかと、現時点では推測しています。

(了)

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ブルー

(続報)

といっておいて、
朝になったら鍵が開いてました。

私の文字につられた突発的な行動か、
あるいは今後は寝る時に閉めることにしたのか。

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浅見淳子

ブルーさん

昨日私はまたしても「仕事は文字、アクティビティは身体系。バランスよく疲れてこてんと寝る」のに成功しました。加えて昨日は夫が出張中で、晩酌もせずに早々に寝たわけです。

そしてこのニュースを読んでびっくりですわ。

でも思えば、この人物のちょっかいのせいで、何人鍵垢になったかを思うと、当たり前かもなあと思います。

花風社読者の皆さんは、ただ花風社の本を愛読しているというだけでいじられ、絡まれ、時にそれは智ママさんのように病身のときにまで及び、あたかも悪いことをしているかのようにあげつらわれてきました。それに乗っかかるバカアンチ仲間もいた。

ここまで執着されていることを私たちは「気持ち悪い」と思ったわけですが、今かの人物は「執着されることの気持ち悪さ」をやっと自分で体験しているのでしょう。身体では体験できていないかもしれませんが、少なくとも頭では体験している。

連載の続きも楽しみにしております。
私にはあのアカウントに執着することは無理ですので分析が助かります。
なぜ無理かというと、生理的嫌悪感があるからです。

ではでは。

返信する
ブルー

浅見さん

さっきも書いたのですが、朝になったら鍵開いてました。寝る時に雨戸閉めるような感覚で鍵を閉めたのかも知れません。

それから、私はアンチをようやく見慣れました。

当初は私もアンチを見すぎると身体がおかしくもなりましたが。そしてそのおかしな身体の状態こそはアンチの身体状態なわけですが。

それは窮屈で、呼吸の浅い身体です。

さらに余談ですが、どこかの心理学研究グループがネットでクソリプをする人達の研究をしたのだそうです。

でも、その研究は頓挫しました。

研究者達は、クソリプアカウントを見ているうちに体調を崩したからだそうです。これは身を持ってよく分かります。

そして下らないですが、この研究頓挫のニュースを知ったとき、こっそり「俺の方が上をいっている」とドヤ顔しました。

考えてみるとこの連載も本質的にはしょうもない連載です。

でも何かのお役に立てるといいなと思っています。

返信する
ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
第15回~自閉の力~

第14回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-15/#comment-7891

今回はこの人物というか、自閉の人がよく持っている能力についてです。
いわば自閉のギフトなのですが、どう使うかは本人次第です。

■花風社と体験世界が癒着

皆様ご存知の通り、花風社のアンチで最も執着、というか粘着が強いのはこの人物です。

アンチというのは心理的に花風社から離れられない人々の事ですから、多かれ少なかれ花風社に「執着」を持っています。

しかしこの人物の「粘着」はアンチの中でも頭抜けています。ネットストーキングというレベルで花風社と名前の付くものを何もかもくまなく永遠に追いかけ続けています。

この粘着のメカニズムについてはこれまでいろいろな解説をしてきました。モビングの悪循環もそうでしたし、境界線の薄さもそうです。もはや花風社と自分の体験世界が癒着してしまっています。

■自閉の力

さらにそれに加えて、この人物には当事者アンチならではの特徴があります。それは、ネットストーキング活動やモビングにおいて「自閉の力」を存分に発揮していることです。

つまり自閉の人が生得的に持っていることが多い能力(=ギフト)をアンチ活動に使っているということです。

以降、いくつか俯瞰します。

■自閉の力_その1:粘り

この人物の粘着には、モビングの悪循環や境界線の薄さに加えて、さらに強化因子があります。

それは「自閉の粘り」です。

コツコツと地道に粘り強く努力や活動をできる自閉の人というのはちらほら見かけます。他方この人物は自閉の人によくあるギフトである「粘り強さ」をアンチ活動に使っています。

実は私がこの人物を当初観たとき、最初に感じたのがこの「自閉の粘り」だったのです。

さらにあと2つ、この人物は自閉の力(ギフト)を使っています。双方とも視覚的な情報処理に関するものです。

■自閉の力_その2-1「凝視(視覚的情報処理の優位1)」

この人物はSNSをくまなく監視・・・を通りこして凝視し、「花風社」という単語があれば必ずそれに反応します。

自閉の人は視覚的情報処理に優れている人がよくいます。それが行き過ぎるとリアルの生活でも他者を「凝視」してしまってキモがられたりもします。

つまりそれだけ対象物を「よ~~~~~~く見る力」があるのです。これもギフトとして持っている自閉の人がちらほらいます。

例えばあるヨーロッパの企業では自閉の人の「凝視力」というギフトに注目し、ソフトウェアのバグチェックを任せているソフト会社(※)があります。

視覚的情報処理において細部にまでよく気がつくタイプの自閉の人は、ソフトのバグチェックなどは定型の人よりもずっと上手くできたりします。

・・・他方この人物は花風社に関するチェックを定型アンチより上手くやっています。

■自閉の力その2-2「文字情報への親和性(視覚的情報処理の優位2)」

文字情報への強い親和性を持つ自閉の人はしょっちゅう見かけます。言語理解IQが高く、語彙も豊富で文章が上手いタイプの人です。

この人物も御多分に漏れません。アンチ活動以外のツイートを観ると、そもそも文字の世界が趣味です。

小説のことを話題にしていることもあります。俳句を詠んでいることもあります。自分で「言語理解IQが高い」と言っていたこともあります。

SNSは文字の世界ですから、趣味のツイートであれアンチ活動であれ、文字への親和性をベースとして行っているということです。

■自閉の力による連載

今回の話は分析によって割り出したのではありません。感じ取って割り出しました。というか、私はこの人物を観ていると自閉の3つのギフト

・粘り
・凝視力
・文字への強い親和性

は分析しないでもすぐに分かるのです。それはなぜか。

私も同じギフトを持っているからです。そして私はこの3つのギフトをそのままこの連載に使っています。

まず、この人物が花風社に粘着するのと同様、私は「自閉の粘り」を使い、この人物に自分の体験世界を張り付けてしまっています。

その上で、この人物が毎日毎日毎日毎日毎日、花風社に関係したことを追いかけ続けているのと同様、私は毎日毎日毎日毎日毎日この人物を凝視しています。この人物が寝た後もまだ観ていることすらあります。

それどころか、風呂に入っていようが散歩していようが、アタマの中だけでこの人物の行動を解析していることもあります。体験世界を張り付けてあるので、24時間体制です。

ただし、こういうこともこの連載を行っている期間限定です。連載終了と同時に、私は自分の体験世界からこの人物を剥がしてしまいますが。

そして一連の研究結果をひたすら文字にしています。それがこの連載です。

#花風社

※スペシャリスタナ社。
kaienの設立アイデアはここから、というのは創業者の弁。
http://specialisterne.com/

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浅見淳子

ブルーさん

ありがとうございます。

まず一つ、最近の私に起きた変化についてですが、私はかねてより「自閉には優れたところもある」「いい人もいる」という前提でやってきました。私が「治るといいな」と思ったのは「NEURO」にあげた四点だと。漫画添付しておきます。

今もその気持ちは変わらないのですが、色々個人的な体験等も積み重なり、もうすっぱりと「発達障害者は迷惑だから治ってほしい」と宣言していい状況になってきました。それをはっきり宣言するかどうかはまた別の話ですが、誰にも遠慮しなくていい状況ができたのです。

ブルーさんはきっと、言葉との親和性とか凝視力とか粘り強さを自分が治る方へ(様々な心理方面や徒手方面の支援者、あるいは花風社の本を探すなど)に活かしたのだろうし、お仕事の内容について詳しく伺ったことはないですが、きっとその特性を今のお仕事にも活かしていらっしゃるのだと思います。

そして私が幼いころどういう子どもだったかというと、とにかく本の虫でした。本の虫だから本の仕事がしたい、というストレートな欲求をかなえたことになります。

ただその間に色々なものがはさまり、私の場合にはそれがアスリート体験だったり外国語体験だったりしました。そういうものがすべて無駄なく合わさって一つも無駄になることなく活かせた職業生活を送ってきたと思います。

ところが本の虫でも一生を本の送り手ではなく消費者として終える人もいます。その人たちが他にやりがいがある仕事があればそれでハッピー。

そうじゃない本の虫の人がこちらを攻撃してくるなあ、というのは感じていました。いわば文字への親和性が空回りして役に立っていないのだと思います。ニキさんが『自閉っ子におけるモンダイな想像力』で使った表現を借りるなら彼らの文字への親和性は「世俗の役に立っていない」「道楽専用」で、その道楽としてアンチ活動があり、無駄に浪費している感じです。

彼らが文字への親和性を役立てることのできる職業につけたら違ったと思います。そういう点で彼らはアンラッキーで私は明らかにラッキーでした。

そして私がラッキーだったのは、アスリート体験をはさんだことによって、仕事は文字、趣味は身体系という切り分けがはっきりとでき、バランスのよいアクティビティを生活に取り入れることができたことです。その結果、きちんと疲れてきちんと眠れる身体になり、それはきっと病気をしないことにつながり、世の中が怖くないことにつながりました。

一番の資質を生活の糧を得る手段として活かせるか活かせないか、そこでなんというか「拗らせ方」が違ってきそうですね。

そういう意味で、自閉の人には天職に巡り合ってほしいとは思っています。

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ブルー

浅見さん

コメントをありがとうございます。

>「発達障害者は迷惑だから治ってほしい」

⇒他者への迷惑を自覚できないのが当事者の問題点ですよね。

最近はいかにして(隠れ)当事者や未診断疑いの人をコミュニティ、特に企業に入れないようにするか、そのへんのスクリーニングが精緻になってきたような印象を受けます。

最終的には迷惑するのは当事者自身なのですが、それにも当事者は気づけません。

>きっとその特性を今のお仕事にも活かして

⇒このあたりのお話は、先々で書かせて頂きます。おかげ様で職場で使えているギフトがあります。

>仕事は文字、趣味は身体系という切り分けがはっきりとでき、バランスのよいアクティビティを生活に取り入れることができた

⇒このバランスが取れなくのも当事者ですよね。特に身体が使えないことによって。

>一番の資質を生活の糧を得る手段として活かせるか活かせないか、そこでなんというか「拗らせ方」が違ってきそうですね。
>そういう意味で、自閉の人には天職に巡り合ってほしいとは思っています。

⇒この後の連載にてこのあたりのことも取り上げます。成人当事者は仕事や職場への満足度が定型以上に人生の品質を左右するように思います。ここがクリアされると、残りの諸々の課題に落ち着いて取り組めるようになると思います。

今後とも宜しくお願い致します。

返信する
yasu

ブルーさん、浅見さん
コメントありがとうございます。

国際会議では、相手の英語が酷くても文句を言ってはいけないという国際ルールがあります(笑)。でもコミュニケーションが成立しないと仕事にならないですから、紙に書いたり板書したり、後でメールをやり取りしてフォローするんですよね。特に数字(金額、数量、納期)が入る場合には必須です。英語ネイティブでも結構いい加減なもんで間違えたりします。

ここら辺は各人の工夫というかリカバリー技術なんですけど、こういうの全部込みで仕事の成果ですので、リスニングやスピーキングが完璧である必要はないです。こういうのはOJTで自分の会社の先輩や他社の人がどうやっているのかを見て自分で工夫するんですね。

しばらく前に某療育大手の掲示板で、ハイスペックのASD系の人とちょっとやりとりしたことがありました。その方は検索か何かの技術がとても優れており、それが実際に仕事での高い評価につながって周りからも一目置かれていたんですね。でもご自身は常に不安というか、いずれは機械に置き換えられてしまうと心穏やかではないようでした。その方の言っていることは理解でき、確かにそういう可能性はあるのだろうとは思いましたが、その能力を活用するような幅出しに少し時間を割けばよいのにとも思いました。今から考えると、これがとても難しかったんでしょうね。

高度成長時代はつぶしが効く人材(ゼネラリスト)が求められ、それから専門性(スペシャリスト)がもてはやされる時代になって、今はどうなんでしょうね。何か一つのタスク(仕事よりも狭い、実務レベルのイメージです)だけで食っていくのは難しいし、今後も難しいと思うので、同時並行のスキルは必須と言えます。

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