「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

仕事のお部屋

就活、職場でのこと、将来の展望・・・。
仕事にまつわること、なんでも話しましょう。

810 COMMENTS

シア

スピードが要求されるのか。
精度が要求されるのか。
ご自身やお子さんに難が見られても幕張ワークサンプルなどで見極めることができます。(最新版は手作業だけでなくOA業務の作業評価もできるんだそうです。)
スピードと精度が両方高いのは機械です…人間はどちらかに偏っているものです。
封入や組み立ては精度が要求されるので作業速度より正確で几帳面な人が必要です。
逆に商品に値下げラベル貼って行ったり品出しをしたりするのはスピード優先です。
これらは隙間仕事に多く働き口がなくなると言うことは考えにくいです。

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シア

働くって言うことをあんまりむつかしく考えない方がいいのかもしれません。
試業(試行)とかある場所もあるので飛び込んでみたら案外やれたという人もいます。
またコレのいいところは採用に至らなくとも自分の適性を試せるということです。
私が就職したころはまだそのような取り組みは少なかったんです。
確かに障碍者雇用とか時短で悪用されると言う人もいますがコンプライアンスは昔より全然いいのはES(従業員満足度の)センターとか見学してみて思いますしまた産業医も今は経験豊富な人がいますね。
また昨今人手不足で年金をもらわず先送りして働いている人も多く見受けられます。

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シア

いろんな人がいろんな事情を抱えていると思います。
支援されながらでも働ける方が社会の役に立てていないと思うよりマシです。
重複障害でもSOHOビレッジとかハローワークにあったんですが今は在宅ワークも実装されています。
民間の求人サービスでも探すことができますよ。
なかなか収入を得るのが厳しいという人もいます。
得意なことでマネタイズ…そんなに簡単ではないしたくさんお金になる見込みは運もなければいけません。
しかし一旦は福祉就労してもキーボード操作はできるのでデータ入力業務をしているとかそういう人も結構多いですし手取りもバイトに比べてそんなに悪くないですよ。

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yasu

シアさん

確かに得意なことをマネタイズ、は簡単ではないですね、ハッタツ有無に関係なく。。。
まずは、世の中で求められていることをしてお金をもらうのがスタートですかね。
需要を創造するとか、マーケットを作るという話もありますが、桁違いに難しいというか、成功確率的には低いですしね。

クリエイター(芸術系)を目指す人も結構いますけど、やはり簡単じゃないですよね。そう言えばアイムグループの代表シュガーのりさんの息子さん、クリエイター(絵画)で売り出そうと、シュガーのりさんが一生懸命サポートしていますけど、上手く行っているのかな。。。

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シア

とにかく一生懸命になれることがあると言うのは幸せではありますよね。
そのためにいろいろな困難があるんだと思うしそれをどう克服したかで技術にブラッシュアップができると思うんですよ。
私のやっていることでも「出戻り」が多いですしいろいろ経験してみることで視野が広がると言うのはあると思います。
うまく行っていたことがうまくいかなくなってじたばたしているうちにまた可能性が見えると言う感じでしょうか。
抽象的になってしまって申し訳ないです。

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yasu

シアさん

はい、それは全くその通りかと思います。特に技術はそういうところありますね。
メシダネというか、お金をもらうこと主目的とすると、まぁイヤじゃないけど成果を出せる(言われたことをきちんとこなせる)という視点も敢えて意識すると、人生楽になることもあります(^_-)-☆

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シア

yasuさん

才能が要求される仕事って言うのは「自主練」のパフォーマンスに依存する場面が大きいんですよ。
言われたこと以上のパフォーマンスを出して驚きを演出するのがコツなんだろうと思います。
プロ野球選手なら高校野球で活躍したりそれ以前ではリトルリーグで練習をして実力をアピールしなければいけません。
漫画家やイラストレーターや声優も自主練が大事で仕事を受ける前に一定の水準にまで高めていっているはずです。
そして仕事を受けてからも期待通りのパフォーマンスは「やっぱ才能(自主練)だね」という評価です。
お客さんから見たら「才能のある人に外注しよう」と言うわけなんです。
だから企業で言えば上司は仕事ができるんでしょう。
しかし外注した下請けはその分野に関する限り依頼してきた人にできない水準のことができなければいけないんです。
組織ではなく外部の人間ですから。
そして組織でも頼りになる人間と言うのは専門スキルも兼ね備えていてその部署でその人しかできない仕事を任されています。
人事でよく言われるのは「ワンポジ」であってその職場のあれこれを覚えた経理や総務のお局さんとかにも多いです。
人事なら一人一人の特性だとかその会社特有のやり方を覚えている人で企業の歯車と言えどすぐには替えが効かないような人材です。
企業組織だと「採用されてから仕事を覚えて。」「研修を受けてスキルアップ」ですがそういう受け身の世界ではないのが才能の世界です。
それでも大企業はメジャーなので学校もメジャーな場所を卒業して事務スキルができる学力や学習スタイルを確立していることは大事ではあります。
それはそれで学校でできることを証明することが必要ですからそれも才能と共通したところですが…才能云々言う人は野球やってたり音楽やってたりを学生時代にやってるわけです。
だから組織的な研修的な受け身ではない自主練的才能を身に着けていきます。

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yasu

シアさん

職人系というか、日本伝統の物づくりの世界はそうですね。究極の高品質を求める世界かと思いますが、これは芸術の世界の考え方そのものですね。これはもちろん完成された解のひとつかと思います。この流れでずっと行ければよいのですが、人間年も取りますし、技術が進歩してその製品やサービスが必要とされなくなったり、才能が行き詰まったり自分自身が情熱を持てなくなったりと、まあ人間ですから生きているといろんなことが生じるんで、それでも一定の稼ぎは出し続ける必要があるわけなんで、そこんところも頭の片隅に置いておくのは必要なんじゃないかと思うわけです😁

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ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>
本編を終えて、担当者にインタビュー4/5-②/④
~「知恵」に関する考察(1)~

・前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8266

■女性の多い環境に馴染む

Q.つまり女性の多い職場環境に馴染むにあたり、担当者さんの女性性の強さも影響しているということですか?

A.正確な所は分かりません。ただ、女性の多い環境に馴染むにあたり私が自覚していることがあります。私は職場で女性の話にかなり意識的に耳を傾けていると思います。

なぜなら女性の話を聴くことを通じて自分に「女性の知恵」を導入しないと仕事が回らないし上達しないからです。だから職場では意識的に女性の話に耳を傾けます。

かつ同僚の女性の方々のコミュニケーション能力の強さと、バランス調整力の高さにいつも救って頂きながら仕事をしています。

■知恵は男性性か女性性か

Q.あの、「女性の知恵」という言葉を使われましたが、そもそも「知恵」というのは女性性ですか?

A.例えば、生活に密着した「お祖母ちゃんの知恵袋」だとそのまま女性性なのでしょうね。また哲学では知恵は定番のテーマです。哲学という分野は私の印象では男性性が司っているように思います。

さらに「先人の知恵」となるとお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもですから、両性具有です。

つまり知恵そのものは男性性・女性性よりもさらに抽象度が高い次元にあるのではないかなあという気がします。個人の感想ですが。

Q.モンジュ、コク―ゾー・・・あ、すみません本論に戻ります(汗)。

つまり知恵そのものは男性性、女性性という次元よりも抽象度が高いところにあるかもしれないというご意見なのですね。

それと、担当者さんの勤務先はハイスペの方が多いという記事を読んだことがあります。つまり優秀なハイスペ女性の話は聴いた方が良いということでしょうか。

A.この件で重要なのは、女性の方がハイスペかどうかは関係がないということです。そもそも知的水準以前に、男性と女性は情報処理の方法が全然違うと感じています。

で、特に自閉の男性が決して分からない非言語情報を、定型の女性はすぐに分かるのですよ。これは知的水準とか、知能指数とか、出身校の偏差値とは関係がないです。純粋に情報処理の様式の違いだと思っています。

で、定型女性がすぐ分かる非言語情報は、私にとっては紛れもなく知恵なのです。教科書や論文やネットには載っていないからです。知識や理論なら今挙げた媒体に乗っています。それを勉強すればいいです。でも知恵は勉強では学べないです。私の場合はですが。

Q.言語化されていないとなると・・・。暗黙知の『知』みたいなイメージでしょうか?あるいは身体知の『知』みたいな感じですか?言語以前の領域にあるというか?

A. あ~、なんというか・・・。私にとっての知恵というのは「首を含めた首から下」を使って情報収集して初めて分かるタイプの物事です。

Q.現場の知恵というか、実践的というか、身体的というか・・・。

A.かつここで私が感じている「知恵」は知識や理論を運用する際の土台としても機能します。

私は初歩の理論や知識なら少しだけ分かる部分もありますが、なんというか知恵がないと思っています。そして知恵というのは勉強では身に付かないように感じています。

勉強で身に付くのは理論と知識です。もちろんそれらは大事ではあるのですが、人生における有効性においては理論や知識よりも知恵の方が優越すると思っています。

Q.先ほど仰っていたように、知恵は知識や理論を運用する際の土台と捉えておられるとなると、やはり知恵の方が優先順位が高くなると。

A.はい。ただし知識や理論も大事であることは変わりありません。

それでも先ほどお伝えしたように、定型の女性がすぐ分かる非言語情報というのは私にとっては知恵です。それは自閉の男性である自分がいくら「勉強」しても得られないものです。

繰り返しになりますが、私の場合に限ればいくら勉強をしたところで得られるのは知識と理論だけです。しかし定型女性の話を聴くと知恵を得る感覚があります。個人的な感覚にすぎませんが。

だから私は個人的に知恵に対して女性的なイメージを感じるのです。私は職場の女性から有形無形の知恵を借りて仕事をしていると感じています。この話は「女はバカだ」系の男性にとっては信じられないでしょうね。

なので先ほどの話で、知恵を思わず「女性性」に分類してしまっています。

※担当者インタビュー2/5
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8212

Q.なるほど、えーとまとめますと・・・。(空を眺める)

自閉スペクトラムの当事者である担当者さんが、職業人生をサバイバルする際の都合上、同僚の定型女性の方から知識や理論よりもさらに土台にある非言語情報を取り入れる必要があると。

それは担当者さんにとっては全て知恵に感じられるので、余計に知恵に対して女性的な印象を抱くようになったと。それで、先ほどの分類でも思わず知恵を女性性側に分類してしまったと。

A.はい。自閉男性の就労におけるサバイバル上の都合というのが大きいです。

(4/5-③/④につづく)

#花風社
#発達障害
#女性の知恵
#自閉の職場サバイバル

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ブルー

(追記)

ちょっと混乱する方がおられるかも知れないので念のため。

以下の表現が記事の中に並存しています。

>知恵そのものは男性性・女性性よりもさらに抽象度が高い次元にあるのではないかなあという気がします。個人の感想ですが。

>個人的に知恵に対して女性的なイメージを感じる

⇒私が陸地にいて、知恵はちょっと高い空中に浮いているとします。私だけでは到達できません。

そういう高い所にある知恵に到達するにあたって脚立を出してくださるのは、現状の職場環境だと女性の場合がほとんどです。

でも別に男性が脚立を出してもいいですよね。しかし私の場合、職場において『脚立』を出してくれる男性は直属の上司とインクルージョン担当くらいです。あとはみんな女性です。

なので知恵を女性側からイメージすることが多くなってしまった、という感じです。でも知恵そのものは男性性、女性性よりも高いところにいるのではないか?みたいな。

えっ、わけが分からない?
・・・申し訳ございませんでした。

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ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>
本編を終えて、担当者にインタビュー4/5-①/④
~担当者の職場適応~

・前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8221

恩師のエピソードの後、担当者は長々と自分の話を始めた。
これは5回シリーズの第4回なのですが、さらに記事が4つに分かれています。

■担当者の職場適応

A. 私も恩師同様、ある人から「女性性が強い」と指摘されたことがあるのです。

Q.え、担当者さんも・・・。恩師さんの薫陶を受けたからですか?

A.というか恩師と私は多分必要なものが似ていたのですよ。恩師の側には高弟もいたのですが、まったく女性性は強くなかったですよ。むしろ男性性の強い人でした。それと、間違いなく定型発達の人でした。だから恩師の薫陶を受けた人がみな女性性が強くなるわけでもないです。

Q.「女性性が強い」と指摘された件で、思い当たることはありますか?

A.就労の話なのですが、まず私の勤務先は55%くらいが女性です。男性よりもやや女性の多い会社です。

Q.そうなのですか。

A.かつ、私自身は女性に囲まれて働いているのです。

私でいうなら直属の上司、つまりチームリーダーは男性です。しかし所属チームのサブリーダーは数名いて全員が女性です。なおかつ私は本年度から数名の小規模な別チームにも同時に所属します。これも男性は私だけで、後はみな女性。

さらに自部署にも他部署にも、定期的にやりとりがある女性社員が数名。挙句の果てには部門長も女性です。仕事上で定期的に関わりのある男性は、直属の上司とインクルージョン担当くらいではないかなと思います。あとはほとんど女性です。

まあこれは私が研究開発部署・・・つまりバックオフィスにいることもかなり影響しているとは思うのですが。

Q.まあ、バックオフィスは往々にして女性も多くなりますからね。

A.ともあれ、私は日々女性に囲まれて働いているのです。そして私はそういう環境に物凄く馴染んでいるのです。ただ、物理的に女性が傍にいるわけではないです。フルリモートで働いているので。これはチーム編成上の話です。

また、人事における360度評価において、「ブルーさんはコミュニケ―ションが取りやすい」という評価を職場の複数人の方々から頂くことがあります。主観的にも客観的にも、私は女性の多い環境に良く適合していると思います。

で、私の女性性に関してなのですが・・・

(4/5-②へつづく)

#花風社
#発達障害
#当事者の職場適応
#女性性が強い・・・のか???

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ブルー

(アンチ考察「個別分析」アーカイブ)

当該人物、鍵垢運用になっていることを確認。
(2022年4月11日 20時00分現在)

本日の午前中~昼は鍵が開いていた。
「あとがき」が終わるまでは定点観測が継続される。

#花風社
#発達障害

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ブルー

追記

鍵垢運用再開を確認。
2022年4月11日 22時03分現在

♯花風社
♯成人当事者のペアダンス

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ブルー

追記

鍵垢解除を確認
2022年4月12日 午前6時40分

♯花風社
♯雨戸的
♯成人当事者のペアダンス
♯異常中年男性が2人

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浅見淳子

ブルーさん

爆笑。
一晩に何度も開けたり閉じたりしていたのですね。
見ていたブルーさんもお疲れ様でございました。
じっと見られる気持ち悪さを彼自身も体験したのではないでしょうか。

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ブルー

浅見さん

笑って頂いて何よりです。

異常中年男性2名による
コントですね。

返信する
ブルー

さらにさらに追記。

2022年4月12日 12時15分
鍵垢解除。

実は前の「鍵垢解除」の書き込みの後、
もう一度鍵垢になっていた。
いつ解除するかなあと思っていたのだが。

・・・彼もいいかげん体感したと思うが、
自閉スペクトラムの異常中年男性に24時間凝視されるというのは
このくらい気持ちが悪いものなのだ。

しかし、それを体感したところで
他の人に対してそれをしないようにできるかはまた別問題である。
こういうのは心がけや一般的な学習では無理だ。

私は身体や末梢や、
標準的発達(発達障害ではない)からアプローチしてみたのだが。

それと。

凝視は適切に使えば社会の役に立つ。
スペシャリスタナ社がそうだ。

そして私も凝視力を仕事で使っている。
定型の人以上・・・というか
ぶっちゃけ会社で一番パフォーマンスを出している業務がある。
(「ギフト」の活用)

小さくてささやかだが、重要なお仕事だ。
よく、「この仕事はブルーさんご指名で」がやってくる。
いずれその話は詳しく書こうと思う。

なんとかと自閉は使いようである。

#花風社
#異常中年男性2名
#凝視力の使い方
#ギフト

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浅見淳子

ブルーさん

読者の皆さんがわかっているとおり、私が「治ればいいな」と思ったのは『NEURO』の冒頭マンガに描いてもらったあの四つです。

もし私が発達障害者に嫌悪感を持っているとしたら、佐藤信吾のようにしか世の中を見られない認知のゆがみがこちらに不快感をもたらすからではないでしょうか。

そして読者の多くの皆様の「治してあげたい」という気持ちの中には、智ママさんのように「つらいところを取り除いてあげたい」と同時に、佐藤信吾のような迷惑な人間になってほしくないという気持ちもあるかもしれません。

ライブしてきてくださったのでみてきたのですが、彼は私が発達障害の定義をしないでやっていたのかとか、神経発達症という言葉を使わないといったではないか、とまた的外れな批判をしています。まあ要するに積極奇異でなんでもいちゃもんつけたいのでしょうが。

けれども「定義が固まっていなければ進めない」というのが彼の信条だとしたら、彼は職場で使えない人です。そして私は発達障害者を雇うべきではないという主張をたまにしたりしますが、それは発達障害だからではなく「職場では役に立たない人間は命取りだからです。

また神経発達症という言葉も時代の変遷を経ています。
私としては「積極的に使わないけれど、他人が使っていたらのっかる」程度が現在のスタンスです。これもまた変わってくるかもしれません。

未来永劫スタンスを変えず最初の主張にこだわるとしたら、これもまた社会で使えない人になります。

彼は誰でも生きやすい社会をと言いますが、生きづらくしているのは自分自身ですね。

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ブルー

浅見さん

>私が発達障害者に嫌悪感を持っているとしたら、佐藤信吾のようにしか世の中を見られない認知のゆがみがこちらに不快感をもたらす

⇒はい、しかも他人だけではなく本人の体験世界にも不快感をもたらします。

それと、繰り返しお伝えしてきたように
アンチが何を言っているかはどうでもいいことです。
浅見さんに対するモビングも仰る通りいちゃもんですから、内容はどうでもいいです。

それと

>彼は誰でも生きやすい社会をと言いますが、生きづらくしているのは自分自身ですね。

⇒これは現在UP中の「担当者インタビュー」にて、先々少し掘り下げます。

いつもありがとうございます。
よろしくお願い致します。

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ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>
~本編を終えて、担当者インタビュー3/5~
『心理系の恩師』

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8212

担当者は、男性性と女性性というテーマについて、まずは恩師の話を始めた。

■心理系の恩師

A. 私の話の前に、ちょっと恩師の話なのですけど。私、恩師が心理系なんですね。

Q.担当者さんはたまに「どっとこむ」に恩師の方の話を書かれてますよね。

あ!心理学って女性に人気がありますよね!大学の心理学部って女の子が多いイメージがあります。それと、高校生の女の子に進路の話をすると「心理学部に行きたいです」っていう子がちらほらいます。

心理学そのものが女性性的な分野なのかな・・・。

A.それに関しては心理学の中に含まれる女性性的な分野、つまり感情やコミュニケーションといった分野が目立つからだと思います。だから高校生の女の子で心理学部に行きたがる子が出てくるのかも知れません。

その一方で心理学は統計を多用します。統計というのは私の感覚では男性性の分野です。論理と数字と計算ですから。

話を戻して、恩師はこう言ったことがあるのです。私はとても印象に残っています。

心理系の恩師:
「私は女性性が強いと思うのですが・・・」

恩師は男性です。しかもヒゲをダンディにたくわえていて、ファッションセンスも良かったです。だから雰囲気が格好良くて、日本人なのにヨーロッパのジェントルマンみたいな人でした。そんな人がこの発言です。

Q.恩師の方は当事者・・・でしたっけ?

A.本人は一度も診断を受けたことがありません。ただ、私と話をしたときにこう言っていましたね。これはどっとこむに書いたことがありますが。

心理系の恩師:
「私がもし発達診断を受けたとして、健常という結果は出ないだろう。良くてグレーとか、そんな感じではないだろうか。そしてそうでなければ、こんなに心理学やカウンセリング、コミュニケーションを学ばなかったはずだ」

「そういえば、小学校に上がる時、当時で言う『特殊学級』を検討されたことがある。母が泣いていたことを、今でも覚えている」

Q.そういう恩師さんが「私は女性性が強い」ということは・・・?

A.先ほど申し上げたように(前回参照)、自閉はどちらかというと男性性的な物事が得意で、女性性的なものを苦手としているという個人的印象があります。

で、恩師は社会的に成功していた人です。家庭にも恵まれました。

Q.つまり・・・

A.元々自閉的傾向があって男性性に偏っていた自分を、女性性が司る分野を学ぶことによってバランスをとったのではないかと。実際、恩師は自分がファシリテーターを務めた勉強会で参加者にこんなことを言っていました。

心理系の恩師:
「私は若き日の修行時代、カウンセリングの恩師にこういわれました。『キミは首から上だけで生きている』と。リクツだけで生きていたのです。その後、心理学やコミュニケーションを学び、自分の感情を感じ、身体の感覚を感じることを・・(略)」

Q.なるほど、そういうことですね。リクツというのは男性性ですね。

つまり若き日の恩師さんはご自分のバランスを取るために努力されたと。その際に女性性が司る分野、例えば感情やコミュニケーション等を学んだと。そして担当者さんはそういう恩師さんの薫陶を受けて、今があると。

A.はい。そして、バランスというのも女性性が司る事柄だと思います。対して一点特化が男性性ですね。

その上で私の場合なのですが・・・

(つづく)

#花風社
#発達障害

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yasu

心理系は女性性が強いですか。

確かに傾聴なんかは女性性と言われればそうかなと思いますが、クライアントの困りごとを解決する一手段に過ぎないわけで、これだけで解決している事例って発達に関しては多くないんじゃないかと個人的には推察しています。心理系全体が女性性に包まれた優しい分野だという認識は、私は無いです(笑)

観察してアセスメントして、統計処理するのは男性性とのことですが、昔は心理学科ってネズミを使った実験がメインで人間の心を対象にたものは少なかったのではないかと思います(今はわかりませんが)。

個人の意見としては、いわゆる人の心を相手にする仕事に就きたいのであれば、心理学部よりも医学部への進学を勧めますね。カウンセラーにもいろいろな人がいるのだろうと思いますけど、森口奈緒美さんの本に出てくるカウンセラー実習生は人のことを実験材料のネズミであるかのような目で見ていたような記述があるんですが、基本はあの路線ではないかと個人的には思っています。

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ブルー

yasuさん

コメントありがとうございます。
例によって項目ごとにコメントを返しています。

>心理系は女性性が強いですか。

→「心理系(という学問分野)」となると多分違います。

私の印象では男性性:女性性=50対50ではないかと。
女性性が上回ってしまうとそもそも学問にならない気がします。

>確かに傾聴なんかは女性性と言われればそうかなと思いますが、クライアントの困りごとを解決する一手段に過ぎないわけで、これだけで解決している事例って発達に関しては多くないんじゃないかと個人的には推察

→これは同意です。発達障害の場合は傾聴はプロセスではないかと思います。

それと・・・。
まあ、このサイトだから書いちまいますかねぇ。
クラスタの当事者の方たちもちゃんとモノを考える人達だから、
まあいいかな。

・・・成人のハッタツの言う事なんて真に受けちゃダメです(爆)

私も例外ではありません。ハッタツに傾聴といったって話半分です(爆爆)
他方、「その人の身体」がなんと言っているか、は絶対だと個人的に思います。

徒手の先生がハッタツに役に立つのって、多分
「ハッタツが何を言っているか」さらには
「ハッタツが何をやっているか」
に騙されないからだと思います。ハッタツは身体に訊いた方がいいです。

>心理系全体が女性性に包まれた優しい分野だという認識は、私は無いです

→はい、私にもありません。

他方、心理学部志望の高校生の女の子達はどうなんでしょうね?
そういう女の子と話したことがないので分かりませんが。

>個人の意見としては、いわゆる人の心を相手にする仕事に就きたいのであれば、心理学部よりも医学部への進学を勧めますね。

→そうなのですか。西洋医学に人の心を扱う分野なんてありましたっけ?

精神科や心療内科が「心」を扱っているという認識は私個人にはありません。症状は扱いますが。それとも西洋医学&医学部教育における基礎医学のベースがあった方が心が分かりやすくなるという趣旨でしょうか?それと東洋医学ですが、「心単体」では扱わないイメージがあります。

>カウンセラーにもいろいろな人がいるのだろうと思いますけど、森口奈緒美さんの本に出てくるカウンセラー実習生は人のことを実験材料のネズミであるかのような目で見ていたような記述があるんですが、基本はあの路線ではないかと個人的には思っています

→はい、私もそう思います。恩師もそうでした。

恩師は眼が笑わない人ではなかったし、笑うと柔和な眼にはなりました。
しかし、本質的に冷徹な眼をしていました。

・・・また恩師のことを思い出しました。以下長文で恐縮ですが。

私は恩師の横顔をおぼろげに覚えています。
しかし、その横顔にある眼つきは冷徹でした。
それは今でも印象に残っています。

それとこんなことを主催する勉強会では頻繁に言っていましたね。
本人的に定番のネタとしていました。

心理系の恩師:
「私は、カウンセラーの修行時代に、こう言われたことがあります。
『○○さん(←恩師の名)、カウンセラー向いてるよ。○○さん冷たいから』」

「優しくて共感性溢れる人はカウンセラーできないです。クライアントと一緒になって泣いて、どんどん潰れていき、修行から脱落します」
「私はカウンセリングで泣くことは絶対にありません」

それからこれも。半分はネタなのですが。

心理系の恩師:
「気持ちが分かる、というのは失礼だと思います。私はほとんどそのセリフを吐きません」
「クライアントが『つらいんです』と言うならば『つらいんですね』以外に言う事ありますか。(←ちょっと突き放してユーモラスに。ここで会場の失笑が起きます。無駄に共感しないのです)」

それと。私だけと一緒にいる時にはこんなことも。

心理系の恩師:
「俺は優しさと冷たさの両方を持っている」
「多分・・・俺は『学習するサイコパス』だ」

恩師がサイコだったかは分かりません。

ただ、日本的な「察する」「オブラートにくるむ」は嫌っていました。自分ができないからです。それもまた日本人離れした雰囲気の原因になっていました。なんでも言語化してストレートにコミュニケーションする人でしたし。

つまり恩師は「共感」というのを後天的に学んだフシがありました。
それも30歳過ぎてから。

恩師はバランスの取れた人でしたが、本質は冷徹であったと思います。
ひょっとしたら本人の自己認識通り、本当にサイコだったかも知れません。

そしてポイントは「学習するサイコパス」というセリフの、
さらに「学習する」というところだと考えています。

「冷たいからカウンセラーに向いていると言われた」エピソードや
「優しさと冷たさの両方を持つ、学習するサイコ」の自己認識の話は、
恩師は自分が主催する勉強会ではよく話していて、
いわば「ネタ」にしていました。

しかし今回の「私は女性性が強いと思う」という発言は、
一回だけです。

しかもどちらかというと冷徹な本質を持つ恩師だったからこそ
私は余計にビックリしたのです。
私から観ると恩師は男性性/女性性=50対50に感じていたからです。今思えば。

つまりは女性性的な優しさや共感を、
後天的に「学習した」のではないかと。そんな気がしたという話です。

宜しくお願い致します。

返信する
yasu

ブルーさん

>・・・成人のハッタツの言う事なんて真に受けちゃダメです(爆)

傾聴が有効に機能する場面は、言われているよりも狭いように思うんですよね。ハッタツに限らず。傾聴を続けて綺麗に改善した事例を私は知りません(^^;

人によっては、コイツの話は傾聴する意味があるかを見抜いて意味無しとなったらさっさと別のアプローチに移るんでしょうが、力の無い支援者だとそういうことはできないんでしょうね。

私も心理学部志望の女子高生の知り合いはいないですが、看護師とかの医療職を目指す動機と同じようなものなんでしょうかね。

「心」をどう考えるかによると思いますが、今から学ぶのであれば物質や神経の構造に立脚した、生物学の一分野として学んでほしいと思いますね。意識というのは所詮化学反応であり、神経発火のパターンの総称だと考えているので。それに治療介入を考えた場合、投薬や手術などの侵襲的な手段が使えるのは医師のみなので、そもそもテクニックの幅広さで最初から差があります。それにガイドラインを作る側の立場に入らないと面白くないと思うので、そうなるとやはり医学部ですね。

統計(確率)の話と目の前の人物の話をきちんと区別できない支援者が結構多いのも、私が文系心理学に感じるうさん臭さの理由のひとつです。謎アセスメントをたくさん作って数値化しても意味がありませんから。

身体を見るにしろ、そうでないにしろ、ちゃんと結果を出している人は統計でものを見ないですね。愛甲さんの話を聞いていても統計の話は出てきませんし、何らかの形でガイドラインを参照しているようにも見えないんですが、実際のところどうなのかは興味あるところです。

返信する
ブルー

yasuさん

引き続き、ありがとうございます。
いくつかのトピックごとに応答しております。

>傾聴が有効に機能する場面は、言われているよりも狭いように思うんですよね。ハッタツに限らず。傾聴を続けて綺麗に改善した事例を私は知りません(^^;

→恩師は傾聴力は対人援助職の基礎技術として位置づけながらも、それ自体で何かが解決するとは思っていませんでした。私もそう思います。傾聴なしでいけるならそれに越したことはないと思います。

>「心」をどう考えるかによると思いますが、今から学ぶのであれば物質や神経の構造に立脚した、生物学の一分野として学んでほしいと思いますね。

→「構造に立脚した」は同意です。そういえば養老孟司先生は「心は脳の機能」と言っていました。構造と機能でヒトを観るのであれば、必ず機能には構造的裏付けがありますから、ワンセットで学んだ方がいいとは思います。

ここで、某専門職アンチの悪口ですが。

その人物は「人体に興味がない」とツイートしていたことがあります。その上で、自分の国家資格は発達障害も扱えて、幅が広い守備範囲なのだドヤァとやっていたことがあります。

私はこのツイートを読んだとき、ため息をつきました。本人の人間観が狭いからです。よって当事者の扱いには向きません。

>治療介入を考えた場合、投薬や手術などの侵襲的な手段が使えるのは医師のみなので、そもそもテクニックの幅広さで最初から差があります。それにガイドラインを作る側の立場に入らないと面白くないと思うので、そうなるとやはり医学部

→ふと、和田秀樹先生を思い出しました。「精神科医師にもカウンセリングが大事だ」派の人ですから、医師免許の後に臨床心理士免許を取って、本人もカウンセリングを海外まで行って学んで・・・とやっていました。

臨床心理士が医師免許をとろうとすると大変な騒ぎになります。その意味でも医学部の方がいいというのは成立するのかも知れません。いや、知りませんが(汗)

>統計(確率)の話と目の前の人物の話をきちんと区別できない支援者が結構多い

→これは本気を出して論ずると大変なことになると思いますが、そしていずれこのサイトでやるかも知れませんが。

専門職といっても、ボンクラは「当てはめ」しかできません。目の前の人物の話を本当には聴いてません。つまり本質的に傾聴ができてないわけですが。

>私が文系心理学に感じるうさん臭さの理由のひとつ

→私は文系なので、私から言ってしまいますが。

文系の学問は究極、いかに「もっともらしく(!)」するかだと思っています。どんなに数学や統計を振りかけたところで、それは究極、飾りだと思っています。

その意味で理系に比べるとどうしても「なんちゃって感」が残ります。文系心理学なんてその最たるものだと思います。

ファインマンに至っては「心理学なんてオカルトだ」って言っていたそうです。理系の人にも心理学方面に進んでいく人はいますが、拒絶する人の感覚もよく分かります。

>ちゃんと結果を出している人は統計でものを見ない

→そうですね、臨床で「エビデンス」という単語は聴いたことがありません。『ガイドライン』がなんなのかにもよりますが、まあガイドラインに「はめる」ことはしていないのでしょうね。

対人援助職的には、「全ての個々人は外れ値」ですが、こうなると個別化の世界ですから、物凄くウデの差が出てしまいます。

それと最後に。連載に関してですが。
心理系の恩師の話って前フリなんですよ。次回から私の話ですから。
それがこんなに盛り上がるとは思いませんでした。重ねて感謝致します。

つまり「心理学」や「臨床」といった分野に関して
お互いに思う所や体験がいろいろあるということを表していますね。

宜しくお願い致します。

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yasu

ブルーさん、リプライありがとうございます。

「心」の定義ですが、哲学や文学でどのように扱われているかに興味があればもちろんそれはそれで学べばよいと思うし、大学(以上)で専攻することは否定しませんけど、それでも物質や器質を基盤にした認識は必須だろうとは考えています。

治療介入を考える場合は、たくさんの武器(引き出し)が無いと実戦で戦えないと思います。和田秀樹先生は在野の治療家ですけど、心理学の流派争いに苦言を呈して、「目の前の患者を治すにはいろいろな手法が駆使できないとダメだ」と著書の中で仰っていたのを覚えています。まあ、オレはユング派だからとユングの手法しか使えなくてそれで満足な治療成績出せければ、医療者としては失格ですね。

そうすると、薬は飛び道具的な位置づけにもなり得るですね(笑)。だから卒薬や減薬が上手く指導できるかはその医療者の力量を正確に表していたりします。

>専門職といっても、ボンクラは「当てはめ」しかできません。目の前の人物の話を本当には聴いてません。つまり本質的に傾聴ができてないわけですが。

相手の話の中から、ガイドラインに当てはまるような内容をピッアップするという、頭の中でチェックシートを埋めるような人はそうでしょうね(^^; そもそもガイドラインを理解するだけで精一杯でしょうから。

>ファインマンに至っては「心理学なんてオカルトだ」って言っていたそうです。理系の人にも心理学方面に進んでいく人はいますが、拒絶する人の感覚もよく分かります。

心理学ではないですが、ポモ(ポストモダン)の思想もそんな感じだったらしいですね(^^; いわゆるインテリ人の知的おしゃれのアイテムです。「心の理論」の研究で有名なイギリスのサイモン・バロン=コーエン先生の著書を読んでも、器質変化や数値での測定をきちんと見ることの重要性がわかりますね。

もっともらしくする⇒もっともらしくお化粧、かと思いますけど、まあ自分自身のお気に入りを見つけたり作ったりするのは悪くないと思いますが(笑)、それで問題が解決しなかったりもっと困ったことになったとき、対処できないんですね。ここら辺は宗教信仰と近いものがあるかもしれません。

前に、うちの会社のIT部門の人と話していたとき、いわゆるパソコンおたくとかマニアってのはシステムエンジニアには向かないんですよ、みたいなことを言われたことがあります。要は自分自身でマニアックにカスタマイズした神マシンや神プログラムを作ったとしても、クライアントに喜ばれないと。まぁ誰のために仕事しているのかを考えれば当たり前ですね。

引き続き、連載を楽しみにしております。

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ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
~本編を終えて、担当者インタビュー2/5
『男性性と女性性』

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8167

担当者がトイレから戻ってきた。

Q.引き続き、宜しくお願い致します。続きなのですが、本論に上げる程は理論化や分析ができないけれども、担当者さんが気になることがあると。

■これまでの経緯

A.これまで、連載やインタビューで扱ってきたことを振り返ってみましょう。そのうち私が気になるのは、まずこのラインナップなんですね。

・障害児の母親への極端な執着
・女装

Q.はい。これらはアンチの中でも当該人物の特徴ではないかと。ちょっと他の当事者アンチも見てみたことがありますが、こういう性質を持っている人は今の所この人物だけのような。ただし私は担当者さんほどアンチを見ていないので分かりませんが・・・。

A.私は本編では女装を扱いませんでした。先ほど申し上げたように、女装そのものは表面的な問題と考えたからです。しかし女装の奥にあるものが気になるのです。

さらにこの人物は当事者同士の連携と組織化を望んでいます。それを否定はしないですよ。私はその路線を取りませんが。

例えば先日も、当該人物が別の当事者・・・この人は花風社と一切関係ない人ですが、ちょっと議論になったときにですね。

Q.はい。

A.議論の最後にこう言ったんですよ。「一緒にやっていきましょう」と。これは「同志として頑張りましょう」という意味だと私は解釈したのですが。

Q.担当者さんはあんまり他の当事者にそういうこと言わないですよね。

A.まとめると、私が気になるのは以下のラインナップです。

・障害児の母親への極端な執着
・女装
・連帯/組織化したがる(発達障害者の全国組織)

これ、何かを感じませんか。

Q.・・・(インタビュアー氏、少し考える)
えーっと・・・?女性に関することが2つ。あとは組織化・・・?

A.答えを言うと、これらは全て女性性に関連した物事です。

Q.女性性というのは「男性性と女性性」のあれですか。

A.結論から最初に言うと、私はこの人物の根底に

★女性性への渇望

をうっすらと感じるのです。でも本当かどうかは分からないです。分析では割り出せないので、私が個人的に感じているだけです。

Q.ラインナップは全て女性性に関するものということですか?ちょっと分からないので、ご説明をお願い致します。

A.まずはお手元のパソコンで「男性性と女性性」の検索をしてみてください。

Q.(パソコンを見ながら)もともと提唱したのはユングですかね・・・。あ、でももっと以前から人類では言われていたのかな。学問的にどうのこうのというよりは、物事の観方としてカジュアルに普及している感じですね。厳密な理論というよりは一つの視座として。

A.私は勝手にこのように思っております。

★男性性=理論、構造化、分析、知識。競争、闘争。技術的でリクツっぽい。メカニカル。理系、スペシャリスト、シングルタスク。

一言でまとめると「トーチャン力」。

Q.聞くところによると「自閉脳は極端な男性脳」という意見もあるとか。

A.はい、今のラインナップを得意とする自閉は多いでしょうね。対して女性性はこんな感じ。

★女性性=関係性、バランス、共感、現状維持、防衛、平和、感性、直感、統合、知恵。文系、ゼネラリスト、マルチタスク、コミュニティ、コミュニケーション。

一言でまとめると「カーチャン力」。

Q.私は自閉はまだまだ詳しくないのですが、女性性を表す単語にはちらほらと自閉の方が苦手なものが入っているような・・・。

A. はい。苦手だったり必要だったりします。で、もう一回当初のラインナップをご覧に入れますね。

・自閉症児の母親への極端な執着
・女装
・連帯/組織化したがる(発達障害者の全国組織)

「組織」は関係性で成立するコミュニティです。この人物は当事者を組織化したがり、連帯したがる。「つながり」が大事とも言っていたことがあります。

つまり関係性が欲しいわけです。そして関係性というのは、私の感覚では女性性に分類されます。

Q.なるほど、担当者さんはこの人物の特徴の中に共通して女性性への渇望を感じると。でも根拠レスだし完全に個人の感想なので、本編には上げられないわけですね。

A.はい。それに男性性と女性性というテーマは、発達障害には直接的には関係ないです。だから「どっとこむ」にも書いたことがありません。

で、ですね。この件は私自身にいくつかのエピソードがあるのです。

(つづく)

#花風社
#発達障害
#男性性と女性性
#あくまでも担当者の個人的感想

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シア

仕事ができたM先輩の話。

M先輩はもうかなり会ってないですがすごく仕事ができた人です。 女性社員でしたが一般的な人は仲のいい人同士でお昼にご飯を食べに行くと思います。 しかしM先輩は違っていたんです。 私がその職場に加わったときには既に頭角を現して時間が経ってはいましたがよく上司として付いてきなさいという教育だった。

そこで見たものは「お昼」にどこかの工場長と仕事で会うとなると「そのおじさん」と「そばを食べに行く」のです。 もちろん私も同席します。

工場長のおじさんはそばを食べながらある程度今回の仕事の状況…裏のところも知りたいと思っても知りえないことをそばを食べながらだと「すらすら話して」くれるんですよね。

飲み会の話題もありましたしそのようなお誘いもありましたがM先輩は「仕事で知り合った先方とそばを食べに行く」だけでほぼ独占的に状況を把握して情報を入手してしまっていました。 そのあいだM先輩の同期だった人たちは仲の良い社員同士でお弁当を食べに行ったりしているのです。

差がつかないはずがありません。

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ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>
~本編を終えて、担当者インタビュー1/5~
『女装を扱わなかった理由』

前回(本編最終回)はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8145

今回から、担当者インタビューを5回に渡りお届けします。

Q.連載お疲れ様でした。

A.ありがとうございます。残るは後書きだけです。もう原稿は仕上がっています。

Q.最後に少しだけ質問なのですが・・・。

A.はい、どうぞ。

Q.当該人物といえば、あの特徴的なアイコンです。でも担当者さんは、女装に関して言及しませんでしたよね? これは何故でしょうか。

A.女装をする人もいろいろで、優秀かつ見識のある女装の人もいるからです。例えばこんな動画がありますよ。優秀な女装家の方が勢ぞろいです。

<トマホークTomahawk>
高学歴を捨てたオネエ軍団に人生相談したら人生どうでもよくなったwww
【ミッツマングローブ】
https://www.youtube.com/watch?v=V4cPc5bzitc

Q.うわあ(動画を観てのけぞる)ビジュアルも人間力も、見識も凄いです(汗)。画面からの圧が凄いですね。それにしてもみなさんホント賢いなあ。

A.まあ、この人達は「ドラァグクイーン」という女装のジャンルで、当該人物とは女装のジャンルが多分違うのでしょうが。

女装家の人も含めて何かマイノリティ性を抱えた人は、最初は自分で自分を処理できなくなります。社会と自分との相克に苦しみます。で、そこから何割かの人はモノを考え、人生に取り組み、自己を再構築します。

そうすると、マジョリティの人よりも見識のある人が出来上がります。だってぼんやり生きられないから。ひたすらモノを考えて行動を起こして自覚して生きていかざるを得ないです。で、例えばああいう「乗り越えた」優秀で見識の深い女装の人が出来上がります。

動画の女装家の人達の賢さの所以は、そもそも基礎学力が高いこともあるのですが、何よりも「ぼんやり生きることはできない属性」をお持ちだったからだと思います。

ただ、全てのマイノリティ属性の人がそうなるわけではないと思います。

Q.そうですよね・・・。動画の女装家の人達はそもそも凄くアタマのいい方々です。アタマがいい人達がさらに「乗り越えていった」結果ですものね。

A.マイノリティって、日本ではかなり大変なんですよ。日本は単一民族だしムラ社会だし。マイノリティの人は「ケガレ」として疎外されてみたり。こじらせておかしくなる人もたくさんいると思います。

Q.そうですね。むしろおかしくなる人の方が多いかもです・・・。

A.この人物に話を戻します。本質的には女装が問題ではありません。さらには発達障害も本質的問題ではないです。問題なのは心も体もこじらせているところです。そう考えたので私は本編で女装を扱わなかったのです。

Q.なるほど、分かりました。

A.それとですね、インタビューをさらに延長できませんかね。時間大丈夫ですか?

Q.はい、私は大丈夫ですが・・・。さらに何かトピックでも?

A.本編には載せられないのですが、このインタビューでしゃべっておこうかなという内容がありまして。分析や理論といったレベルではなくて、あくまでも私が個人的に感じることなのですが、気になることが。

実は女装もですね、それに少し関連性はあるのですよ。

Q.どうぞどうぞ。気になるということは、何かあるのかも知れませんし。

A.ちょっと、トイレ行ってきますね。

(つづく)

#花風社
#発達障害
#女装
#マイノリティ性

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yasu

ブルーさん、連載お疲れさまでした。

女装の記事も興味深く読みました。この記事の「属性」の部分が面白かったです。
以前、2ちゃんねる創立者のひろゆき氏のYouTube動画が面白くて視聴していたことがあったのです。ひろゆき氏が視聴者からの質問に答える形式で、アルコールを飲みながらだらだらとしょうもない話(本人曰く)を、1-2時間やるというもので、雑学的にはそれなりに面白かったんですが、なんだか違和感が払拭できずにいつのまにか視聴は止めてしまいました。今から考えると、彼と私では「属性」が違ったんだなとわかりました。

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ブルー

yasuさん

私は深く考えずに「属性」という単語を使いました。
一般用語として。外見の奥にある人間の性質というような意味で。

でも、はじめてさっき辞書を引いたのですが、
属性って重い単語で、哲学的には「本質」を意味するのだそうです。
それなしではその存在を説明できない。
・・・重いですね。

でもそうすると記事の趣旨には合いますね。
「女装」というのは表面の話ですから。

でもそれをせざるを得ないのは本質的な話です。
動画の賢い女装の方々も、今回の特定アンチも。

今回の連載は当該人物の表面ではなく奥に注目してきたので
その延長線上で「属性」という単語をあてたのだと
改めて自分の意図が分かりました。

・・・というわけで改めて考えますと
yasuさんとひろゆきでは全然属性が違います(爆)

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浅見淳子

ブルーさん

ありがとうございます。

動画も見ました。
私はテレビも見ないからいわゆるおねえ芸人?の人もよくしらないのですが、あのミッツさんという方は近所の出身らしくご当地番組に出てきたのでなんとなく知っています。

さて、ここ、なるほどと思いました。

=====ブルーさん引用

女装家の人も含めて何かマイノリティ性を抱えた人は、最初は自分で自分を処理できなくなります。社会と自分との相克に苦しみます。で、そこから何割かの人はモノを考え、人生に取り組み、自己を再構築します。

そうすると、マジョリティの人よりも見識のある人が出来上がります。だってぼんやり生きられないから。ひたすらモノを考えて行動を起こして自覚して生きていかざるを得ないです。で、例えばああいう「乗り越えた」優秀で見識の深い女装の人が出来上がります。

動画の女装家の人達の賢さの所以は、そもそも基礎学力が高いこともあるのですが、何よりも「ぼんやり生きることはできない属性」をお持ちだったからだと思います。

=====

これ、あらゆるマイノリティに当てはまりますよね。

今回、女装の話が出て私自分で気が付いたのですが、自分の中の「女嫌い」をいつの間にか乗り越えていたようです。
若いころからずっと女性が嫌いでした。
なぜなら足を引っ張るからです。
一方で助けてくれる人はつねに男性でした。

「女性が嫌い」と愛甲さんに言ったら「自分の性を否定している」みたいに精神分析的な深読みをされて戸惑ったこともあったのですが、自分が女であることにはなんの違和感もないのです。むしろ女であることが得な時代を生きてきたかもしれません。たんに男の人は助けてくれるけど女の人は足を引っ張る、という体験を二十代から積んできただけだと思います。

そして気が付いたら女嫌いを克服していたのは
・尊敬すべき女性たちにたくさん出会った。
のが大きいと思います。
その中には障害児を育てているママたちが多く含まれます。その人たちはそれこそマイノリティであることを乗り越えてきたわけですね。

一方で幸か不幸かアンチには当該人物を含め男の腐ったような男も多く、男だからってすぱーんとしているとは限らないとわかったこともあり、性別でどうこう思わなくなったと思われます。

女装にカテゴリーがあるのはよく知りませんがたしかに当該人物は動画の人たちほど徹底してはいません。

そもそもあのアイコンが気持ち悪いのは女装だからでしょうか。
そこもあやしいです。
あのアイコンが無理だから当該アカウントを見ないという人も多いですが、それは女装だからでしょうか。
違うかもしれません。
苦手な漫画家の絵を見せられたような感じかもしれません。
「ウシジマくんの絵が苦手」みたいなのと同じかもしれません。
あるいはよくお水系の人が出しているプリクラみたいなものへの苦手さと似たものかもしれません。

そうなると私が苦手なのは女装じゃないかもしれないですね。

あと、属性の話ですが、

その属性が大きく隔たっているのになぜか執着されてきたことがきもさの大きな要因かもですね。
属性が相当違うことに、当該人物は気が付いていない気がします。

では、続きも楽しみにしております。

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ブルー

浅見さん

マイノリティ性から来る様々な相克を乗り越えた人というのは、なんとなく共通の雰囲気があるような気がしています。毒気の抜けた感じというか。ある種のスッキリ感というか。

だから

>アンチには当該人物を含め男の腐ったような男も多く、男だからってすぱーんとしているとは限らない

→アンチはスッキリしてませんのでその通りですね。四六時中Twitterに心の痰を吐いています。

それと、あのアイコンは当初は私も苦手でした。それを訓練(爆)して、最近では必要に応じて凝視しています。世界中でこんなことできるのは私だけだと思います。自慢にもなりませんが。

その上で振り返ると、浅見さんが挙げておられるような要因も一理あるとは思います。確かにあのアイコンは不自然です。でもその不自然さは女装だからではないのでしょうね。多分。

当該人物は様々な心身症状を呈しています。あるいは発達障害とも診断されています。ただ、それらは全て「症状という表現」であり、発生源があると考えています。

当事者の場合「発生源」は細かく観ればいくつもあるのが通例ですが、それが何か分からなくても例えば花風社のアプローチで解決していくことは可能です。その結果として「症状という表現」も消えていきます。すなわち治ります。

つまり、あのアイコンの不自然さは女装由来ではなくて「発生源」由来で、だから多くの人に違和感として届いているのではないかと思っています。そして本人が女装しなくても届いていると思います。

つまりはこの人物は女装してもしなくても多分キモいのです。そしてそれもまた、当事者あるあるです。我々が自覚すべきことです。この件はコメント欄でいろいろと会話になりましたが。

後、属性ですが、

>属性が相当違うことに、当該人物は気が付いていない気が

発達障害を扱う人はみんな同じ属性(であるべき?)と思っているかも知れませんね。体験世界の逆転の項でも述べたのですが、先方と花風社の読者は属性が逆です。だから侵襲感覚に襲われるのですが。

インタビューはもう少し続きます。宜しくお願い致します。

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yasu

そう言えば、「特性」って言葉もありましたね。
特別支援の現場でよく使われます(笑)

ご紹介いただいた動画見ましたけど、まぁ当たり前ですけどか、(自分は可哀想だから)世の中が何かをやってくれるべきだ、という考え方はゼロですね。

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浅見淳子

yasuさんのご指摘通りです!

賢い女装の人たち

=====yasuさん引用
まぁ当たり前ですけどか、(自分は可哀想だから)世の中が何かをやってくれるべきだ、という考え方はゼロですね。

=====

たしかに!

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ブルー

<花風社アンチの考察:「個別分析」>
第22回(本編最終回)「推測:過去の傷?」

第21回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-17/#comment-8085

今回で本編は最終回です。

当初この内容は分析不十分として本編で扱わない予定でした。しかしその後、この人物がヒントとなる事をつぶやいたので、情報をつなげて本編格上げとします。それでも分析不十分ですが限られた情報から推測を行います。

■プロテスタントの母

まず、この人物自身のツイートから。

—————————————————————————
(引用:部分)

母は「カルト」では無かったけれど、プロテスタントの信者で、子供時分には毎週礼拝に行かなければならなかった。

楽しいはずの日曜日を「礼拝」に捧げざるを得なかった私は、カルト宗教にもニセ科学にも、似非医療にも噛みつく大人になりました。

—————————————————————————-

実はこのツイートは、これだけでは日本語になっていません。礼拝の何がそんなに不満なのか。あるいは母親に言いたかったことは何か。なぜ礼拝と似非医療が結びつくのか。

いちいちツイートは引用しませんが、この人物は宗教そのものには興味が強いです。ただそれはあくまで興味の対象というだけで、本人は信仰そのものを持ちません。

推測するに、

◇「科学と違った、もしくは思想的に極端とされる」信念体系を持つコミュニティ」

に何かを惹起されるらしいのです。

■障害児の母親への執着

さらに、そういう「信念体系」を持つコミュニティに、自分の母親が入っていました。そして皆様お気づきでしょうが、この人物が最も執着するのは「障害児の母親」です。

確かにクラスタのお父様に文句を言っていたこともあります。あるいは浅見さんに執着していることもあります。成人当事者には・・・まあ同じ当事者なので関心があるという程度です。また、花風社の著者の専門職に対しても「トンデモに堕ちた人」という扱いで批判していたこともあります。

しかし何といっても執着のメインとなる対象は「障害児の母親」です。これは花風社アンチの中でも際立った特徴です。確かに花風社クラスタで最も大きい割合を占めるのは自閉症児や凸凹キッズのお母様です。

浅見さんはそういうコミュニティのファシリテーターだからこの人物が付随的に目をつけているだけで、「浅見さんそのもの」に興味があるかといったら多分違うと思います。

■何を抱えているのか

この人物は「コミュニティに入っている母親」に対して何を抱えているのでしょうか。自分の母親に言いたいことがたくさんあったにも関わらず言えなかったのかも知れません。クラスタのお母様を見ると、そういうものが噴出するのかもしれません。

「『何かを信じる』前に、子供を見て」
「『何か』よりも子供自身を優先して」

かつてのそういう思いが、自分の中から吹き上がってくるのかもしれません。

■心理学の理論を当てはめる

少し心理学的なリクツを当てはめてみます。

例えば、この人物は交流分析でいうところの母親からのストローク(プラス側)をもう少し母親からもらいたかったのかも知れません。

プラスのストロークは、本質的には相手の存在を認める作業ですから、自己の存在に根本的なぐらつきを抱えているのかもしれません。つまり基底欠損みたいな状態かも知れません。

いや、わかりませんが。

あるいは「母親に言いたいことを言えなかった」という点ではゲシュタルト療法でいうところの「未完了」を抱えているということもあり得ます。つまり自閉症児の母親に対するモビングは歪んだ自己治療でもあるかもしれません。

いや、わかりませんが。

ともあれもしこういった課題を抱えているのなら、それらを解決するには実人生においてそれをやり直すなり、信頼のおける専門家にゲシュタルト療法や家族療法等の心理療法を依頼する事が考えられます。

■実人生で傷を癒す

そして、「実人生においてそれをやりなおす」に関して当該人物は、子育てでそれを行ったらしいツイートがあります。

(ここから引用開始)

———————————————————————————

新聞広告で入ってた、ちょっと距離あるスーパーでの「駅弁祭り」のチラシを見て、どれを食べたいかとかを妻君と娘さんと話してて、買うつもりは無いたわいもない話だった。午後になって、別のスーパーに買い物に行った時に娘さんが「駅弁祭り」のお弁当が本当は欲しいと言って、涙目になって。

—————————————————————————

これは、自分が子どもの頃に適えられなかった希みだったと、瞬間的に気付いて、娘さん連れて、「駅弁祭り」やってるスーパーまで車を走らせました。

午後遅くなので、当然に売り切れで。それでも娘さんは納得していて。

これでね、子供の頃の私の気持ちも、何だか救われたのです。

—————————————————————————-

娘さんには知らせないけれど。
悟らせないけれど。

子供を育てることで、自分の幼い頃の傷を癒すことはあります。
それが正しいか、間違いかは分からないけれども。

——————————————————————————

(引用終わり)

ここでは娘さんを使って過去の傷を癒すことの正誤や善悪には言及しません。

また考えてみると母親に対して感情面で何かを抱えるというのは、話を広げればおそらく全人類がそうではないでしょうか。問題は抱えたものに各人がどう対処するかではないかと考えます。

そして当該人物はどうも抱えたものへの対処の中に、障害児の母親への執着が含まれていそうな気配を醸し出しています。しかし実際の所は分かりません。この件は分析不十分につき、これ以上深堀りができません。

ただこれは当該人物の顕著な特徴だし、花風社クラスタで最も多くの割合を占めるのは自閉症児や凸凹キッズのお母様なので本編格上げとしました。

そして本編はこれで終了です。ここまでお読み頂きましてありがとうございました。

■今後:ボーナスコンテンツがあります

今後なのですが、ボーナスコンテンツとして担当者(←私)へのインタビューが5回シリーズであります。実は本編で扱えなかったことがあります。結論が出せなかった物事です。それをインタビュアーに対して語っています。

その後、後書きで完全終了です。宜しくお願い致します。

#花風社
#発達障害
#本編はこれにて終了です

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浅見淳子

ブルーさん

本編最終回、ありがとうございます。
お疲れさまでした。
ボーナスステージも楽しみにしております。

当該人物が治そうとする母親に対し、ありのままを認めないで子どもをいじろうとしている、ととらえ自分を子どもの身において被害者意識を持っていることには気づいていました。
でも私から見ると真逆なのです。

発達障害を治す道は楽しいものです。
親子のつながりも深まります。
そして皆さん時期がくると上手に子離れされています。
親子遊びにもいつか終わりがくることを知っているからこそ今このときが貴重なわけです。輝くような時間なわけです。

そして私から見るとなぜこんなに楽しくて、そしてお子さんが将来ラクになり、好きな道を選ぶことを選ばない人がいるのか、そっちの方がギョーカイに洗脳されたカルトに見えます。
でもそれも各々の判断としてリスペクトしています。
人は自由だからです。マスクも注射も自由なように、何を選ぶかは自由です。ただ自分の選択の責任を取るだけです。

子どもを治そうとせず、社会に理解を求める物乞い活動をするのは愛かもしれません。
でも少しでも機能を上げておいてあげたいと思うのも愛。選択肢を増やしておきたいと思うのも愛です。
その一方の愛しかこの人物は理解できないようなのがずっと不思議です。
次の本のことだからまだ明らかにはしませんが
現在進めている取材でその謎を解こうと思っています。

親子関係で背負った痛みを次世代で癒そうとすることなどはみんなやっていることだと思います。
だからブルーさん同様、私も是非は論じません。
ただ私は、あのアイコンでああいうツイートを繰り返し我々に粘着している父親をお嬢さんが誇らしく思うのかどうか、そっちが疑問です。
でも私はもうアラカンなので、感覚が古いかもしれません。
私だったら父親のああいうアイコンは見たくありません。

また、あの人物にとってギョーカイの大本営発表を受け入れ、生まれつきの脳機能障害で一生治らないことを受け止め、社会の理解を待っている親はいい親なのかもしれませんが
そういう親が育てた子どもが将来作業所(今後貧しくなっていくジャパンにまだそういう支援組織があれば)で工賃15000円をもらいながら(そのときは20ドルくらいになっているかもしれませんね)、昔は発達障害という診断が出たけど治ってしまって海外にわたりお金を稼いでいる当事者の存在を知れば、「なぜ自分の親は自分を治す道を選んでくれなかったのだろう」と思い、そのころSNSで「社会の理解が―」をやっている親に粘着してストーカーするかもしれません。

人は選択を繰り返します。そしてそれは自由です。
他人の自由を認めることが社会性だと思います。
でも彼はそれができない。
だから私も読者(信者)を支配下に置いていると勘違いしている。
それはもしかしたら、彼が通った教会のありようが先着一名様でこびりついてしまったのかもしれませんね。
自閉頭のやっかいなところの一つが先着一名様だと思います。

それと、自分の傷は自分で治してほしいと思います。
八つ当たりは迷惑です。
もっともこれは、そらパパ騒動以来アンチに回ってきた障害児保護者の多くに思ったことですが、本当に自分の傷は自分で癒してほしいと思います。

とりとめないですが、今の感想はこんな感じです。

返信する
ブルー

浅見さん

コメントをありがとうございます。
そしてここまでいろいろとありがとうございました。

この人物も含めてアンチは人や社会の感じ方が平板です。
まるで書割を眺めているのかのごとしです。
だから本人が生きづらくなるのですが。

それとは対極に
様々な人が様々な選択肢を取っていく社会観というのは
おそらくこの人物のCPUでは処理しきれません。

だからいつもいつも2次元的な対立軸の世界観で社会や人を見ます。
標準医療VSトンデモとか、VS反ワクとか。

かつ『正しい』考え方が1個入力されるともう後は全部間違いです。
そして一度自分に傷を受ければそれは一生です。
先着1名様のこびりつき脳です。

浅見さんのコメントを読んで改めて感じますが、
障害児の母親への執着もまた、この人物固有に思えて
実は「自閉あるある」がその強化因子になっているように思います。

今後はボーナスコンテンツを順次お届けいたします。
宜しくお願い致します。

返信する
こじはるファン

>昔は発達障害という診断が出たけど治ってしまって海外にわたりお金を稼いでいる当事者の>存在を知れば、「なぜ自分の親は自分を治す道を選んでくれなかったのだろう」と思い、そ>のころSNSで「社会の理解が―」をやっている親に粘着してストーカーするかもしれません。

花風社の体操の本が出る前に社会に出てしまった(2012年)者ですが、
療育センターの心理士の言うことばかりをうのみに聞いていた母を色々言いたくなります。
母自体はもっともギョーカイ活動はしてませんでしたし、若干疑問には思っていたようですが…。
コミュニケーション力はどうでもいいと心理士が言っていたのをうのみにしていましたので…。
社会の理解がーをやっている親はむかつきます。
(ついでに言うと実家がお金持ちかつ治す&働く気のない当事者は嫌いです。)

返信する
こじはるファン

ちょっとこれtwitterで引用されてしまったので、補足すると、
母の家庭・親戚に発達障害当事者が多く(働いて自立していた)、
治さなくてもなんとかなるという意識があったと思います。

それと母は、友達と一緒につるむ人(=リア充)を良く思っていません。
母に友達はいましたが、その友達も変わった人で、就職できる奴(リーマンショック直後だったので)は頭がおかしいと言ってくる人でした。
勉強ばかりしていれば後はなんとかなるという意識の人で(自分がそれでできたかというと大したことありませんが)、飲み会をお金を使ってばかりというイメージを持っていました。
クリスチャンの人は信用できるが、それ以外は信用できないという歪んだ考えを持っていることも影響したのかな?と思います。
(自分自身はクリスチャンは人それぞれで信用できるかできないかで分けてますし、
最近、キリスト教界に、発達障害者はありのままでいいというギョーカイの考えが広がってて腹立たしいですが)

智ママさんが触れてましたが、夫婦の仲が悪いとギョーカイ寄りの考え方になるとのことですが、まさに家ですね。随分と嫌な思いをし、母だけここ1年以上連絡を取っていないです。(姉と母の仲も悪いです。)世間からかえって生きづらくなる子育てを姉にもしていたので。

知り合いのお子さんが検査結果シロだったのですが、おばあさんが、ギョーカイ寄りの考えに触れ、安堵感を覚えていらっしゃるので、今後が心配です。
ちゃんとすれば、療育センター出身の私よりいい未来が待っているはずなのですが…。

返信する
浅見淳子

こじはるファンさん

ご説明ありがとうございます。
治らなくても働けるのは本当ですよね。
偏り方とか色々関係してきますが。

それと、リア充が嫌いっていうひともいるでしょうね。

返信する
こじはるファン

母側の親戚がすごく体力があり器用な人だったというのが大きいです。
祖母も発達障害の気があると言われていますが、体力がすごくあったので、
やってこれたのだと思います。農家でした。
だから意識が低いというのもあると思います。
100%ギョーカイというわけでもありませんが、かなりギョーカイ寄りです。
飲み会好きの人をお金がかかるだけといって見下すし、大学に入った時は、
飲み会ばかりするなとか友達はいなくてもいいと言ってくる人でしたから。
授業に出ない人のことがむかつくようです。

花風社の体操をやって4年経過しますが、体力がつき、残業をこなしても昨日は普通にデートし、休日であるにもかかわらず、睡眠時間7時間未満(コーヒーの力もありますが)で乗り切っています。

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浅見淳子

こじはるファンさん

そこなのです!
体力!
私は多少友だちいなくても体力あればなんとかなると思ったのが最初だったのですよ。「治そう」の。

ニキさん藤家さんにも体力さえあればいいと思ったのです。
そして専門家に話をきいていくうちに、むしろそれは障害特性から出るものだと説明を受け、だったらそこ治ればいいね、だったのです。

自閉症じゃなくなってほしい、ではなかったのです。
体力着けようよ、だったのです。

私自身、たいして愛想もよくないのに上司にはかわいがられてばかりした。
なぜかというとよく働くからだと思います。
なぜよく働くかというと体力があるからだと思います。
だから体力があれば多少欠点があろうと社会に受け入れられると思ったのです。

昔は農家が多くて、基礎体力は自然に養われていたと思います。
飲み会に出る人を見下すとかは、そういうところの情報交換で得するということを知らないと、無駄に見えるんでしょうね。

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こじはるファン

健常者がどう育つかも分かっていなくて自分が大学を卒業して就職しようとしている頃には、いいところに行く人は浪人して当たり前(大学入試ではなく入社試験ですよ!!)と言う母親でしたから。

ブルー

(忘備・当該人物のツイートをフルコピペ)

寝る18分前のツイート。吐き出さないと何しろ眠れない。

———————————————————————————————————————
親御さん自身が「発達障害」への抜き難い嫌悪感や差別意識があって、
「我が子の障害を治そう」と無茶苦茶するのは見てしんどいし怒りを感じる。
「発達障害治るが勝ち」とか。トンデモを商売にして煽る輩には、怒りしか湧かない。
「障害」があってもなくても「生きやすい」社会を。
#発達障害
—————————————————————————————————————–

⇒「見てしんどい」がポイントその1。怒りはその後に発動する。
⇒「親御さん自身」がポイントその2。「成人当事者自身」ではない。

⇒ポイントという程ではないが、このツイートには #花風社 がない。
栄養療法実践者や、その他諸々の事を試す親御様全体を見てということである。
「商売にして煽る輩」は2次的な対象物である。

そして私はこの人物が治そうとする親御様に対して
「見てしんどい」とツイートするのを初めて見た。
だからここにぶら下げ、アーカイブする。

そしてこのコメントの上部にある本論では
なぜ「しんどく」なるかの推測を書いている。

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智ママ

ブルーさんへ
毎回、アンチ考察を読んで、非常に勉強させてもらっています。
文章が投稿されるのが楽しみです。

往々にして、人はある物事に批判的になるとき、自分の世界観がポロッと出てしまうものです。

私は明らかに『発達障害を治そう』派に入るかもしれませんが、発達障害の一次的なもの(感覚過敏・ありえない恐怖感など)が、息子が人生を楽しむ(大好きな散歩をする)のを阻害しているように感じたので、「何とかして取り外してあげたい、良くしてあげたい」と思い、Twitterと本を頼りに、試行錯誤を始めました。
そこには、息子の発達障害に対しての差別はないと思います。

かの女装癖の方には、根本的に、自らを苦しめる発達障害への嫌悪感や差別感があるようですね。
発達障害の一次に苦しめられて、自らをうまく生きられていないのですから、当然と言えば当然なのですが、それでも『発達障害を軽減させよう(治そう)』とはアイデンティティをかけているだけに、彼の魂をかけてでもしないのでしょう。

治っていない発達障害は、認知の歪みを生み、それが、巡り巡って他者との交流も、仕事やプライベートなど様々なシーンで当事者を疎外する方向にはたらき、知らず知らずのうちに孤立して、嫌われものになっていくのですが、果たしてそれが本当に当事者にとって『幸せ』な状態なのか?と母親としては思います。

仲間と協力して物事を成し遂げた体験は喜びを生み、交流も生むからです。

私自身も人との交流が得意とは決して言えないので、うまく表現するのは難しいですが、『発達障害は治ったもん勝ち』というのは、本当にあると感じています。
今の息子は、散歩に出るたび、感覚過敏で、恐怖系パニックばかり起こしていた2歳児の頃より、圧倒的に幸せそうだからです。

自らの一部である発達障害を憎んで恨んで生きるのは、自らを呪いながら生きているのとほぼ同じなので、非効率ですし、不便が多い生き方です。
『うん、だから、その状態において(その状態にあることを受け入れておいて)、いま、貴方は、何をする?(能動的に自分の人生にはたらきかけていく)』となって、現実に対処していかないと、生きるのは難しいですが、その道を閉ざした彼には、ここの境地は全く理解できない範疇かもしれませんね。

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ブルー

智ママさん

コメントをありがとうございました。

成人当事者が言うセリフで時折見かけるのが

「障害は障害であって個性ではない」

というものがあります。自分や他人を困らせたら障害です。
個性からは困り事は出ません。

ということでお子様の困り事を取り除いてあげたいというのは
親御様は当然に思うことではないかなあと思います。

それとピンポイントで恐縮ですが、少しヘリクツをこねますと

>治っていない発達障害は、認知の歪みを生み、それが、巡り巡って他者との交流も、仕事やプライベートなど様々なシーンで当事者を疎外する方向にはたらき、知らず知らずのうちに孤立して、嫌われものになっていく

⇒自己認知が足りなかったり、関係性に困り事が多いとそうなります。当事者自身も人が苦手になります。定型は当事者を阻害し、当事者は人から離れます。

ただ、健康を得てきた自閉なり、内向的な人が自己認知の上でお一人様を選ぶのは自由の一形態と考えます。

つまり状態像が健全か、かつ自己の選択によるのか知らず知らずなのかで話が逆になると感じております。

そういえば小説家の村上春樹さんがこんなことを言っていました。

「自由と孤独は闘って勝ち取るもので、勝ち取っていない孤独は人を蝕む」

と。自由業で内向的で、ご自分の才能を個人的な生活を守ることで発揮しておられる方ならではの見解です。自閉もこれに当てはまる人は多いのではないかと推察しています。

宜しくお願い致します。

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智ママ

ブルーさん
お返事ありがとうございます。

自分が健全な状態で、満たされているときに、自身の性格や状態に沿って自ら選んだ孤独は、プラスのものを生み出しますが、逆に、満たされていないときに人に働きかけると、えてして、発達の人は誤作動を起こして、トラブルを生んでしまうようです。

息子は、通常は普通のやり取りで済むのですが、息子の内心に寂しさや不満があって、それを紛らわせるために母親に話しかけることで気を紛らわせようとするときがあります。
話しかけたあと、二人の間での話題が自分の中にはまったくないことに気づいて、苦し紛れに「おかあさん、えーと。えーと・・・今日は、月曜日ですか?」というレベルの、聞いても仕方がないことを何回も聞くことがあり、こちらはだんだんバカにされているような気になってきて、不愉快に感じるときがあります。(これは、息子の中の発達が暴れたようなものだと思っていますが、こちらに対応するゆとりがないときは、『少し静かにしてて・そーっとしておいて』とキツめにいうことも多々あります)

内心に、寂しさやかまってほしい欲求が大きくあると、そうなるようです。

寂しさは、動物の本能みたいなもので、群れを作るためには大切な感情ですので、これが息子に出ているということは、ありがたいことではあるのですが、この感情に引きずられてしまうと、行動が誤作動を起こして、大変なことになってしまいがちです。

人として寂しさを感じることができるのは、息子が成長している証ですので、『ああ、また息子のなかの何かが暴れてきたんだな』とみていますが、そろそろ相手の様子を読み取ってそれに対応する手法を学ばないと、息子と親密になった人が辟易してしまうことになるので、少し引くことも教えないとかな?と思っています。

人好きな息子が、大人に『おひとりさま』を楽しむようになれるのは、まだまだ先のようです。

お返事、ありがとうございました。また一つ、勉強になりました。

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ブルー

■アンチが本を売る&どっとこむに人を呼ぶ実例

この定点観測もあとわずか。
しかし、先日は本当に鮮やかで感動すら覚えた。思わず投稿。

◇2022年3月20日
私がどっとこむに「アンチが本を売るメカニズム」を投稿

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-8068

◇3月21日
その記事に対するコメント欄のやりとりで、クラスタの方とのやりとり。

クラスタの方:
「アンチさんは、わざわざ #発達障害 や #花風社 を付けてらっしゃるので浅見さんやクラスタの方々に繋がりやすくなり、ネットでしか花風社の本の情報にたどり着けない人にもやさしい仕様に」(略)

ブルー:
「仰る通りです。マーケティングにおける集客導線を提供してくれています」(略)

◇3月25日(金)

当該人物は期末ではあれど、週末の晩で少しヒマができたのか。浅見さんの「マスクを外したい人へのプチ連載」へモビング。

もちろん#花風社と#発達障害をつけて。

当該人物はこのサイトの書き込みは隅から隅まで読んでいるはずなのに。私とクラスタの方の「集客導線」のくだりも読んだはずなのに。つまり眼に文字が入っても、マーケットが感覚的に理解できないのだ。

当該人物が浅見さんのプチ連載にモビング・ツイートをすると、まず別の当事者アンチが返信で花風社HPの「ポストコロナの発達援助論」紹介ページへのリンクを貼っていた。

アンチが見事に本の集客導線を作っている。これは当該人物が誘発させている。スマッシュヒットだ。

さらに、別の専門職かつ当事者アンチが当該人物のモビング・ツイートを取り上げて反応。これは、どっとこむへの強力な集客導線を作っている。

なぜなら、当該人物のフォロワー数は700強。それに対して先ほどの専門職かつ当事者アンチはフォロワーが1.3万。そしてアンチというのはノイジーマイノリティだ。1.3万人のうち、大半は「何かのアンチ」ではない。好き嫌いを持つ普通の人だ。

つまり、自分の18.5倍の宣伝能力を持つ人にどっとこむを宣伝させている。これも当該人物が誘発している。スマッシュヒット2だ。しかもそれをまた自分のTLに並べている。

■分析

ネットマーケティング的には、サイトのアクセス向上はコンテンツマーケティングか、広告やアフィリエイターを使うことが基本である。

グーグルも良質のコンテンツを載せているサイトを検索上位に持ってきたいらしい。そしてそれが検索エンジンの本来の姿だ。(※なお今回のコロナ禍の「GAFAの言論統制」は除く)

だからSEOの王道は、みんなに支持される品質の高いコンテンツをサイトに載せることだ。どっとこむなら、なんといってもクラスタ各位や当事者の方の「治った自慢」だ。

まあ、治った自慢の場合はグーグルのクローラーが直接反応はしないかもだが、治りたい方の「心理的クローラー」には絶対に引っかかる。

次が広告及びアフィリエイターだ。アンチがアフィリエイターとして極めて優秀なのは皆様もお気づきの通りだ。それは本だけではなくこのサイトに対してもである。

結果として、どっとこむをもっともアフィリエイト(無償)してきたのはおそらく当該人物だ。

もちろんクラスタ各位も治りたい方に対して、善意でアフィリエイトなさってきた。「治る情報が満載のサイトがありますよ~^^」と。いろいろな方をどっとこむに招いてきた。

しかし、過去をさかのぼれば、浅見さんのツイッターアカウントに対するモビングなり、どっとこむの書き込みをスクショで持っていってモビングするなり、それを他のアンチが取り上げるなり、もっとも頻度多くどっとこむを宣伝してきたのは間違いなくこの人物である。

そして25日にもまた貢献した。他のアンチもぬかりなく呼んで導線を広げた。

■マーケティング・サイクル

結果としてこの人物は以下のマーケティング・サイクルを回している。

1. どっとこむの書き込み(特に治った自慢)により侵襲感覚発生

2. 浅見さんのアカウントや、どっとこむの書き込みをスクショしてモビングする。ここで1つ目の集客導線を作っている。

3. さらにそれを他のアンチがリツイートするなり、返信をするなりする。2つ目以降の集客導線をいくつも作る。自分よりフォロワーの多いアンチにつながると、さらに導線を強化できる。また他のアンチが本の宣伝をしたり、花風社HPへの導線まで作ったりする。

4.それらをきっかけにして新しい方がどっとこむにやってくる。

5.どっとこむへ来てくれた新しい方が、花風社の本を買い、治る方が増える。

6.新たに治った方は「治った自慢」に投稿する。あるいはTwitterで治った報告をする。

7.当該人物が新しい治った自慢なり、Twitterでの新たな治った報告を目撃する。それにより侵襲感覚発生。つまり1へ戻る。

以下無限ループ・・・。

■回し車から出られない

クラスタ各位の心の声:
「それって・・・↓」
https://www.youtube.com/watch?v=DLXdUc5Rptk

→動画の猫ちゃんは自分の意志で「回し車」から降りることができます。しかしこの人物は「回し車」から出られません。繰り返し解説してきたように、境界線が薄いため侵襲感覚の発生を自分で防ぐことができないからです。

「どっとこむ」にとって、最優秀のアフィリエイターは永久に当該人物です。

でも私は礼を言いません。本人はアサミシャチョーのトリマキになぜ礼を言われるのか、分かる日は多分こないからです。

#花風社
#発達障害

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ブルー

花風社アンチの考察:「個別分析」
<担当者インタビュー>

Q.お疲れ様です。そろそろ連載も終盤戦ということで・・・。

A.はい、次回で本編最終回です。その後にあとがきで終わりです。

Q.ここまでお疲れ様でした。では最近は何か変わったことはありましたでしょうか。

A.はい、今月はモビングの件数が大きく減っています。

Q.えっ、それはひょっとして担当者さんの連載の影響で・・・

A.違います違います。確かに自閉は文字に引っ張られます。しかし、モビングは自分ではやめられません。ということは外部的要因なのですよ。

Q.というと?

A.理由はシンプルです。今月は当該人物の職場が期末だったのです。だから忙しかったのです。本人がそう言っていました。「明日のために早く寝ます」と言って早めに就寝する日もありました。

Q.あ~、単純なことですね。単にTwitterする暇がないと。

A.はい。夜更かししていると花風社関係者を見てしまいます。そうすると侵襲感覚に
襲われて、モビングしないと眠れない・・・となっていたわけですが、そもそも早く寝ればいいわけです。

Q.うーむ、モビングは自分ではやめられないけれど、外部の強制力があるとやめられると。

A.はい、だから毎月この人物だけ期末にならないかと。

Q.えーと(汗)毎月期末というのは、今月のような業務量を年間通じて確保することがもしできれば、本人はモビングしないで済むし、かつたくさん働けていいじゃないか・・・ということですよね?

A.はい、そうなんです。クラスタの別の当事者の方も仰っていたではないですか。
「モビングしてないでもっと働けばいいのに」と。「当事者は貧困問題に直面する人もいるだろうが、この人は実家が太いのか」と。確かにクラスタの当事者の方の仰る通りになりました。

Q.モビングは侵襲感覚から発生するとのことで、本人もつらそうに感じるのですが、やはり仕事している方が精神衛生上良いということですね。

A.はい。ただしブラック企業とかそういう話はまた別です。そしてこの件は既にニキさんが見事に言語化しているのです。「自閉っ子、閑居して不善をなす」。

Q.つまり、自閉の当事者の方はやることがはっきりしていた方がいいのですね。その「やること」は仕事が望ましいと。

A.はい。そして花風社の本でも既に考察されています。(本棚から青い表紙の本を取り出す)例えば「続・自閉っ子、こういう風にできてます!」のP.103です。特にここの浅見さんのセリフです。これはそのまま当該人物です。そしてこのセリフは当該人物がTwitterを始める前の時代のセリフです。(2008年。当該人物は2010年からTwitterを使用)

Q.(該当ページを読んで)ああ~ホントだ!

A.さらにそこから連携して(本棚からさらに本を取り出す)「自閉っ子と未来への希望」のP.222です。ページ中盤の「それに仕事が忙しくなったニキさんも」から後ろのくだり。

Q.(該当ページを読んで)なるほど・・・。自閉の方は働いている方が安定するのですね。もちろんブラック企業とかの問題は別にして。

A.これらのことから、自閉の人が働く重要な目的の一つとして「不善をなさないため」ということがあると思います。定型の人もそれはそうなのですが、自閉の人はなおさらということです。

Q.そもそもニキさんの格言も「小人閑居して不善をなす」のパロディですものね。つまり昔から人はそうなのですね。ブラック企業とかは別として、基本は働いている方が自閉の人は安定すると。

A.はい。だからこの人物が忙しいといいことづくめですよ。まず本人の精神衛生にいいです。花風社を見ているヒマがないですから。そして忙しく働いていますから社会のためにもなっています。そして花風社クラスタもモビングされずに済みます。本人、社会、花風社クラスタと、「三方よし」です。

Q.だから、「この人だけ毎月期末ならいいのに」と仰ったのですね。

A.はい。本人は「当事者活動」ができなくて少し不満かも知れませんが。そして忙しくて少ししんどいかも知れませんが。実際「低収入でつらい」とツイートしていたこともあるのですが。

それでもこの人物も、そして私自身もそうですが、自閉が最も社会の役に立つのは働いている時です。これは定型の人も含めて社会人として基本的なことですが、忘れないでいたいことです。

なお念のため歯止めをかけますが、この話は現状において身体がつらいコンディションのために働くことができない当事者を否定するものではありません。これも明確に述べておきます。

あとは、当事者活動他、社会活動を否定しているわけでもありません。私はこの手のものを否定したことは一度もありません。

ただ自閉が社会において最も役に立つのは、定型同様「働いている時」だという話で、それはこの人物であれ私であれ例外ではないということです。

働いていれば社会の役に立つし、ヒマを持て余して不善をなさないです。当該人物の今月の状態はそれを教えてくれています。私も当事者として改めて勉強になりました。

それと個別の例外事例は省いています。

・ブラック企業から脱出できないとか、
・自閉が職場のお荷物になっていて、「職場カサンドラ」を量産しているとか、
・あるいは自閉が20社も30社もクビになっていてそれどころじゃないとか、

そういう個別事例はいったん棚上げして、原則論だけを述べています。

Q.何より働くと、金額の大小はともあれ給与がもらえますしね。

A.はい。自分で自分に払う人もいるでしょうし、勤務先からもらう人もいるでしょう。おカネが発生するということは、いろいろ例外はあれど、原則的には社会の役に立っているということです。

Q.なるほど、分かりました。インタビューは以上です。ありがとうございました。

A.ありがとうございました。

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ブルー

<花風社アンチの考察「個別分析」>
~第21回.絶望~

第20回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-16/#comment-8057

今回はこの人物だけではなく、アンチに特徴的な感情である絶望について扱います。

■絶望

「絶望しかない」

この人物はこれも時折つぶやきます。絶望も当該人物の象徴的感情です。そしてそれは花風社アンチ共通でもあります。

この人物は市場メカニズムが分からないため、社会の事象をいちいち「理不尽な現実」に感じます。しかしそれは良くも悪くも、市場原理通りに起きている事象群です。それが分からないので、突破口が見つからずに絶望します。

■私の場合:外の世界に希望はない

ここでこの人物の「絶望」を分かりやすくするため、あえて私自身の「希望」に関して述べます。これは私の個人的考えです。

私は、自分に対して何もしないままでは市場経済と資本主義において弱者という立場に留まり続けることだと感じました。また他にもいろいろな経緯・・・つまり黒歴史を経て、自分をなんとかしようと思いました。

身体アプローチをしていて感じることですが、当事者の希望は身体から出るように思います。社会の側にはありません。また、何かの理論やメソッドの中にもありません。つまり、自分の外の世界には希望はないというのが私個人の考えです。

確かに腕のいい専門家はいます。有効な発達援助の理論やメソッドもあります。花風社の本など、治る系/発達援助系の書籍もあります。そもそもヒトの発達理論は何かの裏技ではなく、ヒトに普遍的なものです。だからヒントとなる物事は世の中にいくらでもあります。

しかしそれらを活かすためには自分の身体を動かさなくてはなりません。よって外の世界には希望はないという個人的考えに至りました。

■成人の選択

ハーバード大学には「希望という感情は絶望の後にしかやってこない」という研究があるのだそうです。そしてこれは人間のいろいろな感情の中でも、希望だけが持つ特徴なのだそうです。ネットで検索してみてください。いろいろと記事が読めます。

つまりこの研究によれば、当該人物は実は希望の一歩手前にいるのです。しかし、この人物は治りたくない=状態変化を起こしたくない人なので、希望が来ることはありません。つまりは絶望を自分で選んでいるのです。

それもまた成人の選択で、皮肉ではなく私はそれを最大限尊重しています。私からこの人物に対して「こうすると発達して楽になるよ」は余計なお世話だし、そもそも先方にはガチカルト信者からの誘惑に聞こえます。

希望と絶望は共に人間の感情で、優劣や善悪がありません。ここでは希望が良くて絶望が悪いと言って『いない』ことによくよく注意してください。ここでは価値判断を省いて話をしているつもりです。

■状態像の違いを生むもの

この連載に登場する2人の成人当事者・・・つまり書いている人と書かれている人は現時点で2人とも40代です。

つまり特性や遺伝的要因や、出身地や育ってきた環境の影響もさりながら、本人がどう生きてきたが根本的に状態像を決める年代です。そしてこの人物と私の当事者としての根本的な違いは、

◇選んだ感情が違う

ということと考えます。状態像の違いはここから派生しているというのが私の見立てです。

#花風社
#2人の成人当事者

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浅見淳子

ブルーさん

いよいよ終わりに近づいてきたのですね。
今回もとても楽しませていただきました。

「市場の現実がわかっていない」件
考えてみました。
私とて、胸を張って市場の現実がわかっている、とは言い切れません。
手探りして手探りしてやってきた感じです。

ただ、市場の現実がわかっていないからこの人物を含むアンチが実質的に花風社の営業をただでやってしまうこととか、そういうことは理解できました。
改めて市場の原理とは何か、考えてみました。

もちろん一元的には言えないことですが
たとえば私は自分と主張の違う人や本が受け入れられることには全く焦りを感じていません。
それだけ人間の多様性をわかっているし
主張の違う人のあとにも市場が残っていることを身をもって体験してきたからだと思います。

でもこれは市場でガチンコ勝負した結果わかってきたことなのかもしれません。
そして市場でガチンコ勝負したことのない人(ニートや底辺労働者だけではなく医療や福祉のような補助金産業従事者もそこに含まれます)はそれがわからないのかもしれませんね。
ですから花風社を支持する人がいるというだけで絶望してしまうのです。

そしてブルーさんは希望を選ばれた。
絶望を選ぶ当該当事者の選択も尊重された。

他人の選択を尊重するのは言うまでもないことです。
その大前提をおそらくこの人物はわかっていなくて、我々が彼の選択を非難していると思っている。彼が我々の選択を非難するように。
でも他人の選択を尊重するのは当たり前のことなのです。
私とて、彼に希望を選べとは言っていないのです。

ただ、私は当事者ではなく、ブルーさんや彼よりも年長者でもあります。
そして好みがあります。
私は絶望を選ぶ人が嫌いで、希望を選ぶ人が好きです。
その好き嫌いは当然私企業である花風社の出版物に反映されます。

それが差別だと思うのなら、それは彼が私に甘えている。
当該人物のことだけではないでしょうが、愛甲さんは花風社アンチは浅見さんに甘えていると言った。
そういうことなのでしょう。

私は一民間人ですから、偏愛する権利があるのです。
そして絶望を選ぶ人は嫌いで、希望を選ぶ人が好きなのです。
自分が好きな希望を選ぶ人を応援することに自分の時間と労力を費やしたいのです。
絶望を選ぶ人は選べばいいと思います。こちらに絡んでこなければいいだけなんだけど、この人物はそこが迷惑だったのです。

昨日電車の中で奇声の人がいました。
みんな無視していました。
一人ご婦人がぽつりと「頭おかしい人だ」とつぶやいていましたが、それ以外はみんな無視です。
私も無視しました。でも障害を全く知らない人と無視に至る理由は違うと思います。私はあの奇声が自己治療だと知っているから無視します。

この人物の場合には、こちらへの執拗な働きかけがありました。
奇声をもろにこちらにぶつけてきた。
だから迷惑でした。
そして迷惑だというこちらの言を彼は差別に置き換えましたが、それは卑怯ですね。差別ではないです。迷惑を迷惑と言っているだけです。あえて言えば「あんたは好みじゃない」と言っているだけです。そして好みを持つ自由は私にはあるのです。

あと一回とあとがきですね。
楽しみにしています。

返信する
ブルー

浅見さん

コメントをありがとうございました。

浅見さんのような経営者の方でさえ分かり切れない、市場の現実の奥深い所について一会社員の私が分かるわけもありません。

ただ、過去に売れない営業マンであったりとか、就活や転職活動という経験を通じて市場に身を晒していた経験だけはあるので、そこに市場が「ある」事だけは認識できます。

そして市場の中で自分が選ばれたり落選したり、あるいはモノを売ったりとか、そういう経験だけはあります。そもそも定型の人材市場から弾き飛ばされた経験もあります。

しかし当事者アンチや専門職アンチ(医療・福祉系他)はそもそも市場そのものを認識できない様子だし、市場原理的なものに対して「悪」という価値判断を行って社会に不満を抱えているようです。ですのでアンチ考察では繰り返しそれを書いてきました。

また仰るように資格職に就くプロセスにおいて一度も市場を認識しないで過ごした人は多そうです。そもそも資格の発祥自体が市場原理の回避のためにあります。最近は専門職にも競争原理が入ってきている様子ですが。

そして当事者に至っては、市場に身を晒しても分からないことがありそうです。自分が上手くいっていないことは分かるのでしょうが。市場は抽象度の高い目に見えない情報ですから、当事者の中でも市場の中にいながら市場が分からない人は一定数いると思われます。

そして距離感覚がバグっていて自他分離に失敗していれば「私は私、他人は他人」ができませんから、他人の選択の尊重はできません。また自分の選択が侵襲されているようにも感じます。

この人物はよく差別という単語を使いますが、裏をかえせば「個人『差』がなくて結果平等で」「『別』れていなくてみんな一緒」という社会観を理想としています。自分で言うように左翼だからです。

政治思想の是非は好きにすればいいと思っています。しかし自分の嫌いなコミュニティにも執拗に働きかけるということは、好きなものにも嫌いなものにも適切な距離をとれずにくっついてしまうということです。やはり距離感覚の発達や自他分離にやり残しを感じさせます。

悪い意味の甘えを感じさせるのも多分それで、つまりは自他分離を土台とした自立が課題になっているということではないかと思います。

宜しくお願い致します。

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