ホーム全て会議室いま会議室で話していること 管理人よりメッセージ SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE 管理人より日常の連絡事項と思いつき。 レスも歓迎します! 3,201 COMMENTS 浅見淳子 2019年12月22日 おはようございます。 四時起きで仕事していました。のですでに六時間働いています。 そろそろ切り替えます。 起きたらいいニュースが入っていました。昨日長崎であった栗本さんの講座で『発達障害でも働けますか?』完売とのこと。長崎はぶっちゃけアウェイだと思いますが、栗本さんの講座は根付いていて新規の人も入ってきているみたいだし、やはりどんな地に暮らしていても治りたい人は治りたい。逆に言うと治りたくない人は治りたくない。それが鮮明に分かれることはいいことだと思います。そしてこうなるともう「うちの地域は云々」とかあほらしいのね。たくさんの化石が発掘されるかの有名なしゃちほこ県でもアルパカ世代は治せるお医者さんを発見したみたいだし。あ、鍵アカで残念ね。知りたいのに見えなくてキーって言う人はどっかの凡STを恨んでくださいませ。 さてさて、『知的障害は治りますか?』。 途中愛甲さんのおうちの事情とかもありゆっくりゆっくり進めましたが一区切りつきました。でも営業開始は年明けにしようかなと思います。実は最初、薄い本になると思っていた。だけどわりとページ数かさばりました。価格設定を決めていません。安くするつもりはないです。だってすでにあきらめた人は読まなくていい本だから。本当に治したい人が読めばいい。そんな本。 今朝思いついたキャッチコピーは ===== これまでも、治った人はいた。 これからも、治る人はいるだろう。 ===== これで行こうかなと思います。 昨日は長崎で講座が盛り上がり、今日は北関東で花風社クラスタ女子会があるらしい。 全国どこにでも治りたい人はいるから、色々な機会があるのはいいですね。 ではでは、皆様 楽しい日曜日を。 返信する ブルー 2019年12月21日 「アプローチ」 ———————————————————————————— 【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より】 建築用語。道路や広場から個々の建物へいたる取付け道路をいうが,造園の場合,敷地内の主要な建物や点景物に近づき,入るための寄りつき道,入口,あるいはそれらが秩序をもって並ぶ構成軸をたどっていく方法 (アクセス) をさす。 ⇒(ブルー意訳)平たく言えば、もともとの建築用語における「アプローチ」は敷地内の取り付け道路。個々の建物へ向かう。 —————————————————————————————– 身体「アプロ―チ」の場合、個々人の発達のヌケや困りごとにアプローチする。 例え身体を動かしていても、ヌケや困りごとにアプローチできていない場合は、(単なる)体操になってしまう。 <身体アプロ―チと(単なる)体操の違い> ★ヌケや困りごとにアプローチできているか否か 裏を返せば、ヌケや困りごとにアプローチできていれば、どのような取り組みであっても、それは身体アプローチになっている。 <内発と外発> また、身体アプロ―チは「身体の声」「身体の意思」が常に羅針盤であり、自分の顕在意識がどう思うかよりも、身体が望んでいることをやらなくてはならない。身体の中に基準がある。 そういう意味で、根本的には身体から見て、内発的作業でなければならない。 対して(単なる)体操は、基本は顕在意識が望んでいることを行う。よってフォームや回数が基準になりがちである。つまり身体の外に基準がいきがちである。 そういう意味で身体から見て、外発的作業になりがちである。 返信する ブルー 2019年12月21日 あれ?なんか妙な場所に投稿しちゃいましたね(汗) すみません・・・。 返信する 浅見淳子 2019年12月22日 ブルーさん リクエストにおこたえいただきありがとうございます😊 皆さんのご意見と同様、参考にさせていただきます! 返信する 浅見淳子 2019年12月21日 おはようございます。 昨日、元農水事務次官のおうちの悲劇に関し、浅見淳子公式見解としてブログを更新しました。 https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/646/ そこにyasuさんがコメントをくださいましたが、私も世の中の「支援につながっていれば」の声をきいていて世の中はまだ支援の限界を知らないんだな~かつての私と同じだな~と思いました。 自閉症者の自分や周囲を苦しめる行動に福祉や医療はいかに無力か。 せいぜい薬を盛ってことによると問題行動をもっと激しくするか ほとんどの医療にはこれしかできない。 周囲が我慢せよという説得を繰り返す。 ほとんどの福祉にはこれしかできない。 私は被害者となった息子さんをなんとかできた支援者がほとんど思い浮かびませんね。 昨日も話題になっていましたが 発達障害者支援法ができた当時「生涯にわたる支援」とか言ってた支援者たちがもうどこかへ行ってしまって姿が見えない。 でも社会一般はそれを知らない。 どれだけ医療や福祉が無力か、それを知らない。 だって「こびりつき脳」の苦しさを取れるのは医療でも福祉でもないもの。 中学のときのいじめを40過ぎても覚えていた被害者ですが かつて子どもの頃飼い犬が殺処分されたのを恨んで引退した厚労省の官僚を殺害した人もいましたね。 一般には不可解なこびりつき脳。それがもたらす世の中に理解されない俺ルール。 その苦しさと克服した過程を、藤家さんが書き込んでくれました。これ、魂の報告だと思います。 心してお読みください。 https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/646/comment-page-1/#comment-3319 藤家寛子 2019年12月20日 私も、かつてはひどい「こびりつき脳」を抱えていました。 祖父との思い出も、学校時代のいじめの記憶も、フルカラーの映画のように覚えていました。 一度上映が始まってしまうと、自分の力で再生を止めたり、早送りしたりするのが不可能な状態に陥りました。 特に、嫌な記憶のフラッシュバックは止まらないのです。 それを、薬でどうにかしようとしていた時もあります。 どうにもならなくて、結局はのたうち回り、自分に噛みついたり、壁に顔をぶつけて鼻血を出したりしていました。 まだ、神田橋先生や愛甲さんの存在を知る前のことです。 私の場合は、記憶を上書きすることで、トラウマをなんとか乗り越えようとしました。 支援者は、トラウマに関連する場所に近づかないことや、当時を思い出させるものをすべて処分することをすすめました。 正直、そうなると地元で生きていくのは不可能に思えました。 どの景色を見てもフラッシュバックが起こっていました。 でも、永遠に引きこもっているわけにもいきません。 だから、乗り越えることを選びました。 トラウマを抱え続ける気はなかったし、一時的に見えない状態にしても、もとからなくさない限り、生活の困難さは消えないと考えたからです。 その頃、神田橋先生や愛甲さんのトラウマ処理の方法を知っていたらどんなによかっただろうと思います。 時間はかかりましたが、トラウマはなくなり、フラッシュバックも起こさなくなりました。 それは、薬のおかげではないと思っています。 こびりつき脳が完全になくなったとは思いません。 今も、嫌なことは映像で鮮明に残りやすいし、ふとした時に思い出されて、感情が一瞬ブレたりします。 でも、記憶の処理がうまくなったので、トラウマになりません。 仮にこの先、またトラウマを抱えることになっても、処理すればいいのだ、という思いでいます。 返信する 浅見淳子 2019年12月20日 おはようございます。 この10年で花風社クラスタが治るのが、可視化されました。ここに集っている仲間はそれに勇気づけられ喜びあっているわけですが、取り残された限界集落の負け組には面白くない。そして、治せない凡医療にも面白くない。自分が手を出せない方法で自分の治せない誰かが治っているという事実が直視できなくて鍵かけろ~とか田舎の凡STが騒いでうるさいので、鬼に金棒のアルパカ世代のアルパカさん(別名DQ50上がった坊やのお母さん)が鍵アカになりました。もったいない。 どうもったいないかというと、「DQ50上がるってどういうことか」がフォローしているひとしか見えなくなってしまったこと。それをもったいないと思ったねこ母さんがアルパカさんに「スクショちょうだい」って言って、ここにも持ってきてくれました。アルパカさん、ねこ母さん、ありがとうございます。DQ50上がるってこういうことよ。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/491/comment-page-4/#comment-3306 「無対策でのぞんでもいつの間にか伸びているのが身体アプローチクオリティ」。 そうなんですよね。 犬の曲芸方面の療育が「行動変容」にこだわるのに対し、身体アプローチ(療育ではなく子育て)は人間脳以前の部分と人間脳以降の部分を土台から築いていくから。 あと昨日鍵の中でみたアルパカさんの名言に「発達検査は定期テストではなくて実力テスト」っていうのがありました。範囲が決まっていてここからここまでという対策はしない。でも日々の人育てのこたえは数値は出るよね。 もちろん検査で出ない領域もあることは百も承知。それでも数値が上がった方がいいのは、行政の扱いがそれで変わってくるからです。中にはIQ70ないと教科書を配らないなんていうふざけた現場もある。これは以前からよくあるできごと。そしてかつては教育現場にいてその後重いお子さんをたくさん生活ごと預かる立場にいた大久保さんがブログで仕組みを説明してくれて腹が立った。我々の仲間のひとりが最近同じ目にあって、そのときに大久保さんのブログを思い出した。 大久保さ~ん。すみません。当該ブログのリンクをこの記事のレスで貼っておいてくれませんか。あの教科書問題の記事。 それはそうと 発達障害は中枢神経の障害なんでしょ。 そして中枢神経はどこにあるの? ということを改めて指摘してくれたのが『人間脳の根っこを育てる』における栗本さん。 かの有名なP64の図です。 あれを見ると「なぜ身体アプローチが土台を育てるか」は当たり前なのですな。 あ、あと自己紹介のお部屋にまた新しいメンバー、enigさんが来てくれました。深刻な話題が。改めてレスつけますがとりあえず今日更新予定のこっちのブログが少しだけ関係するかも。また説明します。 ではでは。 返信する 大久保 悠 2019年12月20日 『学校に教科書がないわけない』 ⇒https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html 『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』 ⇒https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html 昨年11月に書いたブログです。 同じことが今でも繰り返されていることが悲しいですが、事実でもあります。 ですから、皆さんに知っていただき、学校とのやりとり、またより良い子育ての参考にして頂ければ、と思います。 返信する 大久保 悠 2019年12月20日 『学校に教科書がないわけない』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html 『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html *『⇒』とくっつけてしまい、リンクに飛ばなかったのでm(__)m 返信する 浅見淳子 2019年12月20日 大久保さん@函館@てらっこ塾 による 「特別支援教育の教科書問題」 これで飛びますかね。 必読です。ごらんください。 特別支援教育の理念(建前)と現場(本音)はこれほど乖離しています。 だからIQはあがるもんならあがってたほうがいい。 『学校に教科書がないわけない』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html 『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html 返信する 浅見淳子 2019年12月19日 こんばんは。 今日は色々進んだ日でした。午前中は原稿が進んだし午後からはそれ以外も進んだ。その間にも皆さん当「治そう! 発達障害どっとこむ」を盛り上げていただきありがとうございます。 飯テロコーナーには常連のうりくりおくらさんが。雑談コーナーにはyasuさんが。それぞれおうちでの脳みそラクラクセラピーですね! そしてドミノさん、さくら咲くさん、「身体アプローチと体操の違い」についてコメントありがとうございます。これは年末年始のブログ記事にしましょう。まだまだコメント受け付けています。よろしくお願いいたします! そして治った自慢にはすっかりファンの多くなった智君のまた大躍進が。ランドセル姿、楽しみですね。脳梁全欠損、で中度知的まで伸びた。堂々と一般の小学校に通うところまで伸びた。ご両親と智君自身の脳みそラクラクセラピーの賜物です。 来年も花風社は楽しいことがいっぱいになりそうです。 どうぞお楽しみに! 返信する 浅見淳子 2019年12月18日 おはようございます。 ずーっとここに取り上げたいなあ、と思いながら今日になってしまったとりをんなさんの自己紹介。 URLはこちら。 https://naosouhattatushogai.com/all/55/comment-page-7/#comment-3218 ===== はじめまして。 静岡県に住むとりをんなと申します。 小さい頃から、感覚過敏、疲れやすい、運動が苦手、小さいことでくよくよ悩む等生きづらさを感じながら生きてきました。 数年前、ネットで原始反射のことを書いた記事をたまたま見つけ、そこに書かれていた「恐怖麻痺反射が残存している人の特徴」に自分がとても当てはまることにびっくりしました。そこで原始反射について書いた本がないか探したところ、「人間脳を育てる」にたどり着きました。 それから人間脳本や黄本、芋本、根っこ本等を参考にしながら身体アプローチを始め、今年2月からは栄養療法もするようになり現在に至ります(その他にも良さそうなものは適宜取り入れています)。特に、栄養療法も取り入れてからの身体アプローチの効果がめざましく、耳の聞こえが変わり、疲れにくくなり、くよくよ思い悩むこともだいぶ少なくなりました。40代でもこんなに体が発達するのだなぁと驚いています。 どうぞよろしくお願いいたします。 ===== なんで取り上げたかったというと「身体アプローチに手遅れはない」ことを皆さんにお伝えしたかったからです。 どうしてかというと、身体アプローチはスポーツではないからです。 身体アプローチの目的は? 「やりたいことができる身体」になることです。 それは運動方面だけじゃありません。 たとえば「遅刻せずに会社に行きたい」とか 「病気のときは仕方ないとして、できるだけ欠勤しないで、しかも調子のよい状態で働きたい」とか。 そういう当たり前も実現できていない人だっているでしょう。 それよりもっと高度な、たとえば 「受験等、頑張らなきゃいけないときには頑張れるようになりたい」とかもあるでしょう。 あるいは 「季節の変動や気圧の変動にあまり惑わされることのないようになりたい」とか そしてそういう「やりたいことができるための身体育て」は、いくつになっても可能なんですよ。 よく栗本さんが「体操と身体アプローチの違いがわかっていない人が多い怒」とか言っています。 「感覚過敏を治すのはストレッチでも体操でもなく身体アプローチ」なんですよね。 体操では治らないですよね。 身体アプローチだから治るんです。 じゃあ体操と身体アプローチの違いってどこにあるでしょう? 皆さん考えてみてくださいね。 コメントも歓迎です。 私なりの答えはあります。 皆さんのお考えも聞きたいです。 返信する ドミノ 2019年12月19日 おはようございます。 ・体操は皆同じ所に効果が出る。身体アプローチはその人その人の必要な所に効果が出る。 ・体操は型が決まっている。身体アプローチは自然と気持ち良い形に変化していく。 ・体操は力を入れる。身体アプローチは体を弛める。力を入れない。むしろ抜く。 こんな違いを感じています。 浅見さんの答えが楽しみです。 返信する さくら咲く 2019年12月19日 こんにちは。 *体操は動きが決まっていて、する人が体操の型に合わせる。 身体アプローチは人それぞれに合わせて取り入れて、アレンジOK。 :*体操の目的は体を動かすこと。 身体アプローチは体を整えて、つなげて、育てる。 *体操の効果は局部的(手首だけとか、脚だけとか)。 身体アプローチは一つの方法の効果が体の方々に広がっていく。 そして次のステップにつながっていく。 身体アプローチは身体の変化がすごく大きくて、身体が自然に、楽になる感じがします。 返信する さくら咲く 2019年12月23日 追加です。 *体操は型が決まっているので有限(数に限りあり)。 身体アプローチは日常生活にいくらでもある。 例えば、鍋料理用の土鍋の重い蓋を五本の指をちゃんと使って、つかんで開ける、 戸棚にしまってあるたくさんの物の中から、自分に必要なものを見つけて取り出す、等。 返信する 金田 隆佳(かねた たかよし) 2019年12月20日 人間の機能や構造の一部分を抜き出して、「そこにはこの動きが良い」と当てはめ、それを一律に行う(やらされる)のが体操。 人間の機能や構造は理解しながら、例えば金田隆佳という個人の感覚や動き、環境などに合わせて、人間を活性化させていくのが身体アプローチ。 返信する みならい怪獣 2019年12月20日 体操は型に当てはめていく。 本人の体感は関係なし。型通りの動きができるという事が目的なので治らない。 身体アプローチは本人の状態を見て行う。 本人の感覚に合わせていく。 無理のない動き、身体が求める動きなので治る。 返信する みならい怪獣 2019年12月21日 自分のコメントに追加です。 体操は大脳新皮質の表面にだけ働きかけるだけなので、土台がいびつなままのままで仕上がりが凸凹のままになる。 身体アプローチはもっと古い脳味噌に働きかけるから、土台から育っていく。なので治る。 返信する XIA 2019年12月23日 身体アプローチは、自分の身体と対話をしながら、主体的に取り組めます。 そのため、効果がご褒美となって報酬系に働き、「やってみよう」と思えます。 「自分で(主体的に)治している・治したんだ!」と身体の声を聴きながら取り組めます。 自分の状況を、身体アプローチを手掛かりにして、変えることができる!と自信がつきます。 自分で良くなったんだという実感があります。 返信する 浅見淳子 2019年12月17日 おはようございます。 さて、たにしさんのコメントに関するお話続き。 たにしさんのコメントはこちらです。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 前回のこの連載? では愛甲さんがすでに2013年の段階で指摘していた「関係性の未発達」 縦関係にしか発達していない当事者が多い、ということを書きました。 だから横関係が理解できず「信者」や「取り巻き」としかとらえられないのだと。 そして関係性の未発達を抱えているからこそ当事者はマネージメント的立場が難しいのだと。 一方で縦にも横にも関係性を伸ばせるたにしさんは組織の中で、地域の中で、そして家庭の中で多様な役割を果たされている。 翻ってこの零歳児(実質はおっさん)とたにしさんはほぼ同世代。 その同世代としてたにしさんには「年齢相応の社会の相場観」があります。 そしてその相場観によると、どっとこむのスクショ持っていくのは決定的にまずい。 (かつて凡STもしていましたが) ただでさえまずい立場なのになぜまずさの上塗りをするんだろう、とこういう話ですね。 そしてその「社会の相場観」 何がまずいか? が元おまわりさんの説明で明らかにされたのが 『元刑事が見た発達障害』、とくに今回のことと関係あるのは第五章なんですよね。 なぜ自閉症者のメンタリティに法的リスクがあるか あれを読むとわかるわけです。 要するに強烈な甘え。 零歳児が「おむつが濡れて気持ち悪いよ~」と泣き叫ぶように「花風社クラスタが顕在化したのが気に入らん!」と泣き叫んでいる。 でもね、実際には零歳児じゃないんだから、自分の手当は自分でしないと。 それを必死に唯一自分が持っている手段で言いつのり、注目されるように@とか飛ばしてくるのは強烈な甘えなんです。 (ちなみに私は相互フォローの人しか@が飛んで来ないように設定してあります。 なんか言いたい人はここに来て書き込んでください。 ただし医療関係者は実名で。それがここのルールです。) じゃあなんでそんなに甘えん坊なんだろう? っていう話になりますね。 それはね、甘やかされているから? 誰に? もちろん支援者にです。 支援者によって接待されているとああいうことが普通になる。 そしてそれを求めていいと思い込む。 前回の裁判のとき、被告は「自閉症者を訴えるとは何事だ!」と息巻いていた。 自分は自閉症だから何をやっても訴えられないと思い込んでいた。 そこに訴状が届いて、びっくり仰天。 厚生労働省にまで言いつけに行った。 厚生労働省は取り合いませんよもちろん。 でも日本は法治国家ですから、『元刑事が見た発達障害』第五章のようなことが自分の身に降りかかれば訴訟を起こす権利はあるわけです。 でも前の裁判の被告も、それはそれは支援に甘やかされた人でした。 だから「自閉症者は定型発達者に何をしても許される」と思っていたんですな。 治せない支援者と治りたくない努力したくない当事者は共依存です。 どっちも社会を悪者にしていると建設的な仕事をしなくていい。自己を省みなくてもいい。 そりゃあ、社会的にダメな当事者ほど支援をかばう。 そしてだからこそ、支援と離れないと社会には出られないんです。 出にくくなるんです。 私は一般社会のつもりなんだけど、彼らから見ると一般社会と支援の社会のはざまにいる立ち位置に見える。 一般社会にはぱちんとはじかれる。でも私ならいつか翻意して「やっぱりあなたはありのままでいいよ」と言ってくれるとどこかで望んでいるのかもしれません。 でも私は決して言わない。 治した方が正しい 社会のために正しい というのが私の信念だからですね。 そして私は嫌いな人間にも主体性を認めているから「治りたくないなら治らなくていい」と言い続けている。 でも関係性の未発達を抱えているとそれが理解できないわけです。 「押しつけられている」と思い込むわけです。 それは「自分が下だ」と無意識のうちに決めつけているから。 関係性の未発達を抱えているから、社会がよけいにつらい。 自分が下の立場であることを自覚しているから。 だから匿名でしか何かを糾弾できない。そしてそのときはもれなく上から語る。 縦関係しかわからないからです。 そして自分の気にくわないことは零歳児のように泣きわめく。 そして、実物がいくらおっさんでも零歳児のように扱ってくれる人たちがいます。 そう、ギョーカイです。 彼らが支援の世界を擁護すればするほど「ああ、大人になっても支援を頼っていると社会的な相場観は同年代に大きく取り残されるな」と思うだけですね。 「どっとこむのスクショはまずいだろう」というたにしさんの持っている社会的な相場観を元おまわりさんの立場から条文も引っ張って説明してくれているのが『元刑事が見た発達障害』第五章です。 「自閉症のメンタリティの何が社会生活においてリスキーか」 知りたい人は読んでおいてくださいね。 返信する 浅見淳子 2019年12月16日 おはようございます。 『知的障害は治りますか?』 年内に営業始められるといいですね。 三部構成です。 そのうちPart1の目次がほぼほぼ固まりましたので一応as of nowで貼っておきます。 こんな感じです。 どうぞお楽しみに。 ===== Part 1 知的障害に関して改めて考えてみましょう ☆まず、整理しておきましょう。 知的障害とは、何でしょう? ☆次に確認しておきましょう。 知的障害は「絶対に」治らなければいけないものなのでしょうか? ☆実は知的障害の診断って、結構大雑把です。 ☆二次障害・三次障害が治ることによって知的な発達が促されるのを知っていますか? ☆本当に知的障害なのでしょうか? 測定されていない領域が多いですよね? ☆知的障害が治るかどうかを今考えてみる三つの理由 ☆知的障害が治るとどのようなことが起きるのでしょう? ☆行政は知的障害者の発達を本気で援助しているの? ☆知的障害と発達障害は違うのでしょうか? ☆いったん診断されても一生知的障害と言い切れない時代がやってきましたよ! ☆知的に伸びてもまだ健常者にならないのなら治そうとする努力は無駄なのでしょうか? ☆国や自治体からもらうお金は成長よりも大切なのでしょうか? ☆知的障害の人が置かれている世界を想像してみましょう。 ☆主体性を育む機会は日常生活の中にあります! ☆親の「治るはずがない」という気持ちは治るのでしょうか? 治さなければいけないものなのでしょうか? ☆医療・福祉・教育そして家庭 それぞれの役目を「弁える」のが大事。 ☆子どもの頃遅れを指摘されたけれども健常域で働いている人たち。 ☆薬や療育は本当に必要なのでしょうか? 【まとめ】 ===== 待っている間に 『脳みそラクラクセラピー』と『愛着障害は治りますか?』は読んでおいてくださいね。 その他にも読む余裕がある人は猫本こと『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』をどうぞ。 リアル治したお母さんの記録です。 ではでは。 返信する 浅見淳子 2019年12月15日 おはようございます。 「知的障害は治りますか?」原稿全部できてます。 これからゆっくりゆっくり作業。 それと、あっちのブログ五ヶ月ぶりに更新しました。 本日のお題は「限界集落」です。 よろしかったらごらんくださいませ。 たにしさん関連連載につきましては週末をお楽しみに。 その間に『元刑事が見た発達障害』第五章を読んでおいてください。 持っていない方、Kindleもあります。 ではでは。 あ、限界集落はこちら。 https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/bca03a9fdc96edae19b66d4857aa64e4 返信する 浅見淳子 2019年12月14日 おはようございます。 昨日の盛りだくさんだった当治そう発達障害どっとこむ。 皆さんありがとうございます。 この熱量はネットだけじゃないよ、ということを、リアルでクラスタの皆さんにお会いするようになったSoyanさんがおっしゃっています。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3258 ===== 花風社クラスタさん達の熱量はネット上からも伝わってきていましたが、初めて今年3月にあった花風社さんの講演会に参加させてもらい、実際にその熱量を肌で感じました。浅見社長から、確か「以前診断されていたけど、感覚過敏が治った方?」という質問があったかと思うのですが、その質問に対する挙手の多さを目の当たりにし「やっぱり治るんだ!」と衝撃を受けました。 次に参加した講演会では、治したクラスタさんと直接話してみたい、と思い、勇気を出して話しかけてみました。 そのあと直接顔を会わせる機会を何度か設けていただき、直接やりとりもし、実際に話をし、これは治すし、仕事もできる方達だ、とさらに強く感じました。 クラスタの方々は何か相談事があると、凄まじい頭の回転と問題解決能力で、明るく親身に相談に乗ってくれ、交渉力も本当に凄いです。最強のメンバーと繋がれたこと、嬉しく思っています! ===== そうなんですよね~。 この雰囲気を関西でも味わいたい方はこちらにご参加ください。 https://karadamental.com/free/20200113 そしてその座波さんに私は質問したことがあります。 いわゆる「炎上」のたびに、必ずこっち側に来る人もいる、と。 今私のこのメッセージを読んでいる皆さんの中にも、炎上がきっかけで花風社の本を読み始めた方も多い。 炎上見てこっちに来る人ってどういう人だろう? と。 そうしたら座波さんはこう答えてくれました。 「何かを変えてきた成功体験がある人なら、あ、治るかも、と思える」(大意)と。 それきいて「なるほど~」と思いました。 昨日引用した愛甲さんの言葉のように ~~~~~ 自分の環境を自分の力で変えていくことに臆病で、他人に過度な要求ばかりして、自分の足で立つことができていない人 ~~~~~ は、これまでずっとそうやって人生を送ってきた。だから不満いっぱいだし、自分でその現実が変えられるとも思っていない。無力感と被害者意識を持っています。 それに対して、仕事でも私生活でもあるいは自分なりの発達特性でも、何かを乗り越えて来た人は「あ、私もあれを乗り越えてきたからこの子も治るかも」と思える。 それを昨日のうりくりおくらさんのレスで思い出させていただきました。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/322/comment-page-13/#comment-3260 「これも一つ「治した」経験です。 自分を「治した」経験があるから、息子も「治る」と思えるのです。」 「治る」と思えるのは一つの力です。 皆さんもよく見ているように、それがどの親にも備わっているものではない。 その仕組みは今度の本で愛甲さんが説明してくれていますよ。 たにしさんからもレスをいただいていますが 実質零歳児の迷惑当事者については、また回を改めましょう。 とりあえずお手元に『元刑事が見た発達障害』をお持ちの皆さん 第五章を読んでおいてください。 零歳児がやっていることは相当まずいのがわかるでしょう。 お手元にない方はKindleにもなっていますから一秒で買えますよ。 とりあえず第五章はとても自閉症と犯罪に関係があります。 零歳児メンタリティに関係があります。 読んでみてくださいね。 ではでは。 返信する 浅見淳子 2019年12月13日 こんにちは。 昨日の夜座波さんが来てくれました。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/354/comment-page-1/#comment-3256 きょうはこのこと書こうかな、と思ったんですけど先にたにしさんの方を進めます。 ともかく大阪講演が楽しみ。 一番南からも来る人いそうですよ。 楽しくなりそうです。 お申し込みはこちらへ。 https://karadamental.com/free/20200113 ===== さて、たにしさんの提言、続き。 リンクはこちら。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 一部引用します。 ~~~~~ プロテインを料理に混ぜたらいいのでは?と自分で閃き、ビーレジェンドナチュラルを購入しました。 混ぜ込みレシピは自分で考えています。 浅見さんを真似したのではありません。 全く違います。 浅見さんやクラスタのみなさんと、美味いもの・身体に良いもの情報を交換し合って、楽しく盛り上がっているだけです。 浅見さんは料理がお上手なので、飯テロを拝見して参考にさせていただくことはありますが、この記事の主が想像されるようなことはありません。 浅見さんがプロテインレシピを考え、みなさんに推奨しているなんてことはないですね。 サプリ・プロテインについては、浅見さんも僕らも同じ消費者。 自分で選んだメーカーから自分で選んだ品を買い自費で購入して自分で試しています。 また、僕は浅見さんにお世話になっていますが「取り巻き」ではありません。 出版社の社長さんと購読者の関係。 あと、飯テロ仲間(笑) そして僕が浅見さんの掃除の師匠らしい(笑) 考え方は同じ方向性ですが、中には違うところもあるでしょう。当たり前。 浅見さんとは「取り巻き」の言葉が持つ意味の関係性ではないです。 ~~~~~ 私は最初買ったプロテイン、やがて甘みに飽きてきました。 これはわりとよくある現象ですね。 一つはタンパク質足りると、本当におやつがほしくなくなる。 それと、どんなに美味しく作ってあるものでも飽きる。 そんなわけでたにしさんやうりくりおくらさんの書き込みで「ナチュラル」ってやつがあると知り、今はこれを愛用しています。 混ぜるより普通にのむ方がずっと多いですが。甘みが少ない分飽きがきませんね。 たにしさんのおっしゃるとおり、栄養療法については私は純然たる消費者なんですよ。 『片づけられない女たち』は送り手でした。 身体アプローチも送り手です。 でも栄養療法は消費者ですね。 プロテインやサプリの情報もむしろ皆さんからいただく方が多い。 皆さんと同じように自分や家族で試行錯誤しているだけ。 それでもどうしても 「浅見が見本を示してみんながそれをまねする」という構図しか想像できない人がいる。 デマの中ではわりとどうでもいい方ですが、今回たにしさんが違和感を表明してくださったので、ここで種明かししておきましょう。 そうなのです。すでに種明かしされているのです。 なんでそんな思い込みが生じるか。 なぜなら こういう解釈をしがちなのが実は発達障害者の特性だと愛甲さんは2013年の時点で『脳みそラクラクセラピー』できちんと指摘しているのです。 すなわち「関係性の発達の遅れ」だと。 紙の本お手元にある方、P172を見てください。 まさにこの現象が「発達障害の特性」として書かれています。 そして関係性の発達がこの段階に留まっているからこそ、同年代のたにしさんのようにマネージメントの仕事は難しい。 多くの発達障害者が能力ありながらマネージメントの段階に進めない、進むと心身きついのはこの「関係性の発達の遅れ」によるものです。 そもそも想像が当たらないのです。 おそらく、方々で外している。当たるか外すかは仕事にも響いているはずですから収入をも左右しかねません。 あと、自分が縦関係しかわからないから、 フラットな付き合いであるたにしさんと浅見の関係が理解できない。 「取り巻き」にしか見えないのです。 「信者」とか「取り巻き」とか言われて多くのクラスタの皆さんは違和感を感じたと思いますが、花風社の本が好きなのはたしかだし、頭のおかしな人たちが言っていることだからスルーしてきたのだと思います。 でも今回たにしさんが違和感を表明してくれたからこの機会に説明しますが、関係性の発達が遅れていて縦関係しか理解できないと、誰かの周りに集まっている人と真ん中にいる人とは上下関係があるとしか想像できないから、「信者」「取り巻き」に見えるのですね。 たにしさんと私は読者と版元。 商取引はその都度済んでいます。 私が作って売ったものをたにしさんは買って双方ハッピー。 私としても悪質な物を無理矢理不当な値段で買わせたわけではなく、たにしさんも費用対効果に満足。 商取引関係はそこで終わり。 今後も新刊が出たら同じ事繰り返しそこで終わり。 そしてそのあとはフラットな情報交換仲間です。 そしてこの横関係が理解できないと、世の中は怖いのです。普通に一般庶民やっているだけでも(大半の私たちはそうですね)被害的になる。 いきおい「社会の理解ガー」ばかりやることになる。 しかも実物の自分では小さすぎて声が届かないことを自覚している。 それで匿名でやる。しかも上からやる。なぜなら縦関係しかわからないから。そこまでしか関係性が発達していないから。 『脳みそラクラクセラピー』のP173から引用しましょう。 ____ 愛甲 発達障害がある人の中には、指示待ち状態で、自分の環境を自分の力で変えていくことに臆病で、他人に過度な要求ばかりして、自分の足で立つことができていない人が時々見受けられますが、このような人は、まだ縦関係の人間関係しか結べていません。 ____ どんぴしゃ、でしょ? 自分の環境を自分の力で変えて行くことが怖ければ、ギョーカイの言いなりになります。 そしてそれを選ばない人がいたらそれはその人の自由なのですが、それを「自分たちが」気に入らない。自分には怖くてありえないオプションだから。 それでいい結果を得ていると喜んでいると、ますます気に入らない。 そこでその自由を駆使するなと「過度な要求」をします。 そういうことやる人たち、愛甲さんはだいたい零歳児くらいの発達だと言ってました。「おむつが濡れていて気持ち悪いよ~」と泣き叫んでいる段階ですね。それで一生懸命こっちにアピールしてくるんです。@つけたり#つけたりして必死。 今度そういうのがきたら「あ、零歳児が泣いている」と思えばいいですよ。 縦関係しか結べない、というのは教員に顕著ですね。 私は30代から発達障害の仕事しています。その頃は教員たちが年上のことが多かった。それで接していて思ったのは「この人たちは大人に対して上からでもなくへりくだるでもなく対等に接することが苦手な人たちなんだな」ということ。 最初上から来るからぱちんとやり返したら異様にへりくだったりする。「対等」が苦手な人たちみたいですね。 そしてこれも『脳みそラクラクセラピー』のP178に書いてあるように私は割合とフラットな人。 だから杉山先生もディスるし、自閉症者も刑事告訴した。 えらい先生だからディスってはいけないとか、自閉症者だから訴えてはいけないとか、そういう考えはないんですよね。 だけど縦関係しかわからない人にはギョーカイの権威をディスるなんてとんでもないんだろうし、弱者であるはずの自閉症者を刑事告訴するなんてとんでもないんでしょう。 杉山先生や「彼」がどう思っているか知りませんが私から見ると二人とも私と同じ対等な人間ですから。 そのフラットなメンタリティでクラスタの一部の皆さん、気が合ってオンオフで出会う意図があちらにもある皆さんとは仲良くしているだけですね。 長くなりましたが、要するに ・・・・・ 「取り巻き」とか「信者」とか言われるのはなぜか? ↓ 関係性の未発達を抱えた人にはそう見える。 なぜなら彼らはまだ縦関係までしか発達していないから。 異様な支援者依存もそれで説明できる。 支援者依存から脱する自由を駆使しているこっちを攻撃してくるのは零歳児が泣いてるみたいなもん。 ・・・・・ これだけ覚えておけばよいんじゃないかと思います。 といっても私がこれを理解したのも愛甲さんだけでは足りなくて、座波さんもいたからなんですけど。 座波さんの話をきいたあとに愛甲さんの本を読むとよけいにわかるのです。 だから座波さんの話は本当にきいたほうがいいと思う。 ではでは。 返信する たにし 2019年12月14日 浅見さん、僕の違和感について、言語化していただきありがとうございました。 既に6年前の御本に思いっきり書かれていましたね。 なるほどです。 本当に違和感しか感じなかったのですが、記事を拝読して、胸にストンと落ちました。 人との関係性って多種多様ですよね。 組織内では指揮命令系統が存在しますが、オフの場面では、フラットにしたほうがいい場面もあるし。 個人的な繋がりでは、フラットですね。 自由意思で自然に集まった人達の間で、上下関係を意識したことはないなぁ。年齢が上の方には、礼を逸しない程度の意識はありますが。 人との関係性もそうですし、物事の考え方にも多様性がある。 自分のスタンダードが全てではないということ。 自分の思想信条は大事にすればいい。 他人のそれには過度の関心はないし、絡みたくないし、そんな暇ない。 返信する 浅見淳子 2019年12月12日 おはようございます。 昨日は花風社クラスタ女子会でした。治る話は楽しい。と同時に、皆さんが闇の中にいた時代の話もお聞きし、単純に「眠れないと参るよなあ」と思いました。お子さんの各種特性から物理的に眠れない時代があったわけですが、今はお子さんの特性も治り、お母様の方も栄養アプローチ身体アプローチでばっちり健康です。治るっていいな、と思って帰ってきました。 大阪でも集まるチャンスあります。 どうぞお越しください。 https://karadamental.com/free/20200113 ===== さて、予告通りたにしさんからいただいた大事なコメントを見ていきましょう。 たにしさんのコメントはこちら。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 この中で「たにしさんが浅見のお掃除の師匠である」という部分を解説します。 我が家は20年来の家政婦さんにお掃除を頼んでいます。 もともと私が片づけられない女だったのと、起業当時一日14時間週七日働いていたせいです。 その頃家政婦さんは、今の私くらいの年でした。いや、もっと若かったかも。 その後も同じ家政婦さんに20年以上お願いしているわけですが、私が年を取るように、家政婦さんも年を取ります。今では後期高齢者です。仕事はきちんとしていただいていますが。 ただやはり年齢が年齢なので、時々長期離脱があるのです。 目の手術をすることにしました、とか、腕を骨折しました、とか。 うちには週に一回来ていただいていて、その他の曜日も埋まっていたようですが たいていのおうちは長期離脱されると困る。 というわけで長期離脱のたびにお客が減るらしいのです。 これはまあ、ある意味当たり前ですね。 ところがうちの場合には長期離脱があっても他を探さなかったのです。 なぜかというと、会社が軌道に乗るにつれ私の実働時間もどんどん短くなり 不得意なお掃除も試行錯誤する余裕が持てるようになったからです。 そんなわけでお掃除のやり方をネットで見たり、各種お掃除グッズを見に行ったり、情報収集をして試してみるわけです。 皆さんが「治らないかな」という情報を探すのと同じです。 その情報源の一つがたにしさんなわけです。 たにしさんは素敵な注文住宅の一戸建てに家族四人でお住まいです。 ご夫婦共に責任ある立場でフルタイムで働かれていて、たにしさんは子育てやお料理だけではなくお掃除でも家族として役割を果たされています。 その様子を見て「シンクはこう磨くのか」とか「やかんはこうやるとぴかぴかになるのだ」と学びつつ、私はそれを採り入れています。 マンション住まいの我が家はもっと手入れが簡単ですが、たにしさんのお掃除の様子が大いに参考になるのです。 いつぞやの年でしたか。たにしさんが起点になってクラスタの何人かがスチームクリーナーを手に入れましたね。私もあの年に買いました。 先日はケルヒャーのセールのお知らせをたにしさんが教えてくれました。 そんなこんなしているうちに、家政婦さんの方から「もう私は二週間に一回でいいのでは」というお話が出てきました。「いつきてもキレイだし」ということ。おまけに家政婦さんもお年を召して、働く日を減らしたくもあったのでしょう。 というわけで今は二週間に一回来てもらっています。 ADHDブームの火付け役となった『片づけられない女たち』という本に関すると、私は消費者というより送り出し側だったわけですが、あの頃の私は確実に『片づけられない女たち』の一人だったと思います。 当時あの本がメディアに多く載ったのは、マスコミの女性の中に「これは私だ」と自覚する人が多かったからだと思います。 あのときに診断でも受けに行ったら診断がついたかもしれません。 そしてリタリンかなんかのんでいたかもしれません。 そのまま薬を飲み続け、今の規制に翻弄されていたかもしれません。 けれども私はそっちには行きませんでした。 当社比でもいいから「掃除できるようになる方」を選びました。 これはつまり、不得意の克服です。 当然得意なことをやるように順調にはいかないのですが、色々な知見に助けられて家政婦さんが「もう私はたまにしかいらないのでは」と言ってくれるくらいの水準にはなれました。 逆に言うとこうやって自分の不得意を地味に解消していかなければ、会社が続いたかはわかりません。 あのとき診断をもらい、リタリンをのみ、「私はADHDなんですできません!」とか開き直っていたら、私は今作業所に通いながらルサンチマン系のツイッターでもしてニキさんの悪口でも言っていたかもしれませんね。 そして今、ADHDのチェックリストをみても、ほとんど当てはまりません。 「これは私だ~」と思った過去はなんだったんだろうと思います。 これは『発達障害でも働けますか?』にも書きましたね。 片づけられない女のままでも働けたかもしれないけど、経営が20年続いたかどうかはわからない、と私は思っているのです。 だから、人に使われているままでいいと思う人は治らなくていいのかもしれません。 治らずにつまんない上司や少ない給料に不満を持ちながらツイッターで嫌いな出版社の悪口をリツイートしていればいいのかもしれません。 私はそれでは物足りなかったんでしょうね。 そしてリスクを取りながら発信を続け、「クラスタ」となるほどの読者層を得て、今楽しく暮らしているわけです。 まさに治るが勝ちです。 それでももちろんこれからも、克服していかなくてはならない苦手はあります。 すでに基盤ができているから焦らなくていいけど、コツコツとやっていこうと思っています。 というわけで、私はもともと『片づけられない女』であることを自覚していたのですが、その私が栄養アプローチと出会って、自分があっさり主食なしで暮らせることにびっくりしました。 そして気づきました。 ADHDって狩猟民族というよなあ。確かに群れて田んぼ作っている(治さず育てず利権を回し合っている)ギョーカイに違和感を感じるのはそのせいでもある。 そして元々が狩猟民族なら肉とか木の実とか食べていたはず。それで十分だったはず。 備蓄に便利な穀物は農耕民族の食べ物なんではないか。 狩猟民族なら狩猟民族に合った食生活をしよう。 そして読者の皆様を見渡してみても、狩猟民族系の人は本当に主食抜くのが上手です。 おまけにそれによってあっという間に治っていく。 ADHDって本来あんまり糖質のいらない人が現在の日本の食生活(朝トースト、昼パスタ、夜ご飯と味噌汁となんか。ときにはカレーとかのワンプレート)とかそういう暮らしをしているうちに感じた不具合じゃないだろうか。 いや、百パーセントそうとは言わないけど中には食べものかえるだけで相当軽減する人がいるんじゃないか。 と思っています。 今回はここまで。 たにしさんの他の提言については次回以降とします。 ではでは。 大阪を初めとする西日本の方々 座波さんの講演でお待ちしておりますね。 https://karadamental.com/free/20200113 返信する うりくりおくら 2019年12月14日 私もかつては「片付けられない女」でした。 家の中、ゴミ袋だらけだわ、謎の虫はいるわ、足場はないく床が見えないわ、冷蔵庫は恐ろしくて封印してたくらいです。 今は「片付ける女」になりました。 これも一つ「治した」経験です。 自分を「治した」経験があるから、息子も「治る」と思えるのです。 返信する 浅見淳子 2019年12月11日 おはようございます。 雑談コーナー、盛り上がっていますね。 そして昨日の夜たにしさんが、わりと大事な書き込みをしてくださいました。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 これ、きちんとレスしたいんですけど、今朝は時間がないので、今日の夜か明日以降にします。 今日は一仕事してから、花風社女子会です。ちょっと遅れていきます。 女子会は比較的新しい読者ともお会いできる機会です。 前回は花風社用語がわからないのでボキャブラリー集を作ってほしいと言われ「そうか、発信歴が長いと新規読者の人にはわからない言葉も出てくるのだなあ、と思いました。 そのときに話題になったのは「猿烏賊」(現発達負け組)。 これを自閉症児だと誤解して大騒ぎしていた人たちもいますし、別にどうでもいい人にどう誤解されようといいのですが、私が最初に使い始めたのは自閉症児の親を見たからです。 詳しくは猿烏賊を定義したこちらの記事を見てもらえばいいのですが、別に見なくてもいいです。 猿烏賊の誕生も2011年かあ。その後の身体アプローチの広がりを思えば、治った人たちの広がりを思えば、「猿烏賊」の定義を知らない人が増えても当たり前ですね。 https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/6968f627a504b9e93bb76e1f2d2f8a18 簡単に説明しますと、当時乙武さんがなんか発言し、現負け組の人たちがきっききっき騒いでいたのです。(もっと乙武さんにクリーンなイメージがあった時代。卑屈な障害関係者にとって乙武さんはつねに怨嗟の対象でした。) それを見て私が「猿山」と言ったら小暮画伯が「猿に失礼」だと怒ったのです。 なるほど~と思ってよく考えてみたら、猿をはじめとする野生動物は子どもに餌の採り方を教えますよね。じゃないと生きていけないもんね。 ところが障害児の世界には、子どもに餌の採り方を一切教えない、どころか、餌の取り方を必死に教えている親がいると「差別!」とかいって邪魔する不思議な人たちがいるのです。 つまり、「餌の採り方を子どもに教える気が最初っから1ミリもない」という意味で、野生動物にもにも及ばない親というのが人間界の障害児界にはいるんだ。 という経緯で生まれた言葉です。 でもこれが差別用語だと言われ 「そうか。変なたとえを使ったからいけないんだな」と思ったので、今度はたとえを使わずそのものずばり「発達負け組」としました。 先日の方、この説明でよろしいでしょうか。 今日もお会いできそうですね。 オフ会は楽しいです。 大阪でも出会いの場があります。 座波さんのお話が聞ける貴重な機会です。 発達障害者の自立を考えると同時に、仲間と出会う場でもあります。 どうぞふるってご参加くださいませ。 https://karadamental.com/free/20200113 返信する 浅見淳子 2019年12月10日 おはようございます。 yasuさんのおうちの治った自慢です。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/149/comment-page-8/#comment-3227 「他人の目から見ても変わった」って重要です。 自己満足ではなく、本当に明らかに治っている。 『発達障害でも働けますか?』にも通じる話ですね。 そしてそこでうちの本+藤川先生の本をご紹介くださった。 「おそらく花風社の本はこう広がっていくだろう」という神田橋先生の言うとおりになっていますね。 そしてこの担任の方はどうかわかりませんが、こういうとき一般論でいうと、保護者の方が教師より反応がよい。 それだけ自分事だからですね。 「誰かが際立ってよくなった」という事実を目にすると、それが一番強い。 そこから「何をやったの?」と広まっていく。 すでに今の親御さんたちは「自閉症協会ってあるんだへ~」みたいな世代。 それを支援者及び1世代前の保護者はわかっていないことが多い。 「みんなで啓発」の時代じゃないんです。 「各家庭で情報集めて治しましょう」の時代なんです。 この流れは止まりませんよ。 この流れを止められるものがあるとすれば、ツイッターでの活動ではないです。 「この一本の注射で治ります」みたいな医療的ソリューションしか「家庭で治そう」の動きは止められません。そしてその医療的ソリューションは多分起きない。少なくとも近々には。なぜなら発達は医療の領域では本来ないからです。それだけ人間は多様だからです。 「治そう」という動きに対し、自分たちの存在を否定されているような成人当事者がいたら、それは被害妄想ですから治した方がいいですね。 なんでそんなありえない恐怖感を感じるのか。 この「ありえない恐怖感」を勝手に振り回すっていうのが成人自閉症者の一番迷惑なところです。 なぜか? 勝手に恐怖感を感じたあげく他人の主体性を侵害するから。 主体性を侵害されてうれしい人はいないですから、そりゃあ社会で嫌われますよ。 大事なことだからまとめましょう。 怖がりは嫌われるんです。 臆病者は嫌われるんです。 なぜならその恐怖感には他人から見て根拠がないからです。 そして「家庭で治る」と自分たちが失脚するのでは無いかと怯えている支援者の皆さん。 その脅えはすでに半分当たっています。 家庭で治すことを覚えた人たちは、支援者を見限り始めていますから。 これに対抗するのもくだらない匿名のSNS活動ではありません。 支援者として切磋琢磨することです。 そして使い捨てを恐れないこと。 誰かに依存されることが自分の基盤になっていて、治っていく人を言祝いで送り出せない支援者は使い捨てられるのを恐れます。 でも本来支援者などというものは、使い捨て上等なんです。 もちろん版元も。 使い捨てでよいのです。 治ったあとも花風社の本を読んでくださるのならそれはそれで結構。 なぜならそれがその人にとって「ここちよい」からですからね。 この場と同じように。 ではでは。 返信する たんぽぽ 2019年12月10日 思います思います、使い捨て上等。 教員やってます。 こちらは囲い込まない、 子供達は依存しない。 使い捨てられたときこそ、彼らの成長を感じて嬉しくなります。 自分の仕事って渡し守みたいだなと思います。 乗ってくれる人が来たら、その人が心地よさを感じられるように一生懸命漕ぎ、 ときには一緒に波を乗り越え、 岸に着いたらもう次のお客さんのために漕ぐ。 淡々とそれをこなす日常。 お客さんが船を降りたら自分のことなんて覚えていてくれなくていい。 着いた地で新たに生き生きと生きてくれれば。 使い捨てる/られる関係ってすこぶる健全だなと思います。 返信する 浅見淳子 2019年12月11日 たんぽぽさん そうですよね。 仕事って言うのは基本的に使い捨てされる覚悟でやるものだと思います。 他者貢献ですものね。 返信する 浅見淳子 2019年12月9日 おはようございます。 「大事なのは自分の体感だよね」「援助はテーラーメイドだよね」という私の書き込みに対したくさんのコメントをありがとうございました。 花風社クラスタのレベルの高さがわかりますね。 私は藤川理論を採り入れた当初から原理主義的に展開しないと明言していました。 メガ盛りは私は最初からやらないし、やる人でもいつか終わりが来ると思っています。 でも急性期にはやった方がいい人がいるのもわかりますよ。それだけ足りなかったんだから。 一方で高タンパク低糖質はきっと一生続けると思います。そういう意味では藤川理論にはこれからもお世話になる。 なぜなら高タンパク低糖質は「きもちいい」からです。 基本は「きもちいい」であることを神田橋先生、愛甲さん、栗本さんから教えられてきたからです。 それでも原理主義にやってしまって「なんでのんでくれないのき~」っていう読者層も花風社クラスタになったんだなあ、という感じです。 それだけ裾野が広がっているのでしょう。 藤川先生はナイアシンアミドをチョコレートアイスクリームに混ぜてのませればいいとおっしゃる。 それに対して神田橋先生は何かを勧めても「オブラートにくるまなきゃのまないくらいならのませないでいい」とおっしゃる。 そのどちらを選ぶかはそれぞれの主体性ですが 私は神田橋先生を選びます。 それは神田橋先生がうちの著者だからではなく 「きもちいい」を羅針盤にするといいということを心から納得しているからです。 というわけで 子どもがいやがるものを無理矢理のませる人が花風社読者の中にいても それは私とは方針が違います。 基本はその家それぞれの方針なのですが 無理強いはお子さんがかわいそうだから 大事なことは何度でも言いますが、『発達障害は治りますか?』と『脳みそラクラクセラピー』は穴のあくほど読んでください。 それとたにしさんのこの書き込み。 何か物質をお子さんの身体に入れるときは、これが基本形だと思います。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/494/comment-page-4/#comment-3219 たにしさんがこの漢方をお子さんに与えようと思ったのは 「治った自慢」のファル子さんの書き込みを参考にしたのです。 興味ある方は治った自慢のお部屋をスクロールしてみてくださいね。 それでもファル子さんちは卒業なさったと思いますよ。 でもそのおかげもあって大学生になって、免許とって、お母さんをのっけてランチに出かけたりしているのです。 いらなくなると自然に離れるし 今いらないものはお子さん自身が拒否しても当たり前です。 ナイアシンを拒否するお子さんはそもそも鉄タンパクが足りているのでしょうか。 春ウコンもそう。 誰にでも勧めるものではない。 現にひきこもりの人には勧めません。 春ウコンは社会生活で疲れていない人にはいらないんだそうです。 そしてお子さんにあまりに効くから親御さんがのんでみるとちゃんと身体が「いらないよ」というシグナルを送ってくる。 これを最初に私に教えてくれたのは実を言うと岩永先生です。 それから何度も何度も同じ現象を聞くことになりました。 先日も鍵アカの中で言っていた人がいた。 不調の時春ウコンの噂をきき、のんでしまった。 そしたら身体が拒否した。 変だなと思った。 神田橋先生のところに行ったら、不調の原因は発達障害ではなく他のところにあると言われてそれを変えたらドンピシャだったからです。 というわけで発達障害ではなかったわけですが、今もオンでもオフでも顔を見せてくれます。花風社クラスタが「きもちいい」からですね。その方にとっては。 今度の藤川先生の本は決定版ぽいですよね。 私は是非買おうと思って、ありそうな書店に行ったら見つけきれず、でも面白そうな筋トレ本を見つけて買ってしまいました。 やってみました。気持ちよかったです。 筋トレも「きもちいい」からやりますね。 というわけでまだ入手していない藤川本はネットで買いますわ。 私にとって藤川先生の新刊は「必ず買うけど、必ず読むけど、プライオリティは低い」のです。 ではでは。 返信する 過去のコメントを表示 新しいコメントを表示 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
浅見淳子 2019年12月22日 おはようございます。 四時起きで仕事していました。のですでに六時間働いています。 そろそろ切り替えます。 起きたらいいニュースが入っていました。昨日長崎であった栗本さんの講座で『発達障害でも働けますか?』完売とのこと。長崎はぶっちゃけアウェイだと思いますが、栗本さんの講座は根付いていて新規の人も入ってきているみたいだし、やはりどんな地に暮らしていても治りたい人は治りたい。逆に言うと治りたくない人は治りたくない。それが鮮明に分かれることはいいことだと思います。そしてこうなるともう「うちの地域は云々」とかあほらしいのね。たくさんの化石が発掘されるかの有名なしゃちほこ県でもアルパカ世代は治せるお医者さんを発見したみたいだし。あ、鍵アカで残念ね。知りたいのに見えなくてキーって言う人はどっかの凡STを恨んでくださいませ。 さてさて、『知的障害は治りますか?』。 途中愛甲さんのおうちの事情とかもありゆっくりゆっくり進めましたが一区切りつきました。でも営業開始は年明けにしようかなと思います。実は最初、薄い本になると思っていた。だけどわりとページ数かさばりました。価格設定を決めていません。安くするつもりはないです。だってすでにあきらめた人は読まなくていい本だから。本当に治したい人が読めばいい。そんな本。 今朝思いついたキャッチコピーは ===== これまでも、治った人はいた。 これからも、治る人はいるだろう。 ===== これで行こうかなと思います。 昨日は長崎で講座が盛り上がり、今日は北関東で花風社クラスタ女子会があるらしい。 全国どこにでも治りたい人はいるから、色々な機会があるのはいいですね。 ではでは、皆様 楽しい日曜日を。 返信する
ブルー 2019年12月21日 「アプローチ」 ———————————————————————————— 【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より】 建築用語。道路や広場から個々の建物へいたる取付け道路をいうが,造園の場合,敷地内の主要な建物や点景物に近づき,入るための寄りつき道,入口,あるいはそれらが秩序をもって並ぶ構成軸をたどっていく方法 (アクセス) をさす。 ⇒(ブルー意訳)平たく言えば、もともとの建築用語における「アプローチ」は敷地内の取り付け道路。個々の建物へ向かう。 —————————————————————————————– 身体「アプロ―チ」の場合、個々人の発達のヌケや困りごとにアプローチする。 例え身体を動かしていても、ヌケや困りごとにアプローチできていない場合は、(単なる)体操になってしまう。 <身体アプロ―チと(単なる)体操の違い> ★ヌケや困りごとにアプローチできているか否か 裏を返せば、ヌケや困りごとにアプローチできていれば、どのような取り組みであっても、それは身体アプローチになっている。 <内発と外発> また、身体アプロ―チは「身体の声」「身体の意思」が常に羅針盤であり、自分の顕在意識がどう思うかよりも、身体が望んでいることをやらなくてはならない。身体の中に基準がある。 そういう意味で、根本的には身体から見て、内発的作業でなければならない。 対して(単なる)体操は、基本は顕在意識が望んでいることを行う。よってフォームや回数が基準になりがちである。つまり身体の外に基準がいきがちである。 そういう意味で身体から見て、外発的作業になりがちである。 返信する
浅見淳子 2019年12月21日 おはようございます。 昨日、元農水事務次官のおうちの悲劇に関し、浅見淳子公式見解としてブログを更新しました。 https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/646/ そこにyasuさんがコメントをくださいましたが、私も世の中の「支援につながっていれば」の声をきいていて世の中はまだ支援の限界を知らないんだな~かつての私と同じだな~と思いました。 自閉症者の自分や周囲を苦しめる行動に福祉や医療はいかに無力か。 せいぜい薬を盛ってことによると問題行動をもっと激しくするか ほとんどの医療にはこれしかできない。 周囲が我慢せよという説得を繰り返す。 ほとんどの福祉にはこれしかできない。 私は被害者となった息子さんをなんとかできた支援者がほとんど思い浮かびませんね。 昨日も話題になっていましたが 発達障害者支援法ができた当時「生涯にわたる支援」とか言ってた支援者たちがもうどこかへ行ってしまって姿が見えない。 でも社会一般はそれを知らない。 どれだけ医療や福祉が無力か、それを知らない。 だって「こびりつき脳」の苦しさを取れるのは医療でも福祉でもないもの。 中学のときのいじめを40過ぎても覚えていた被害者ですが かつて子どもの頃飼い犬が殺処分されたのを恨んで引退した厚労省の官僚を殺害した人もいましたね。 一般には不可解なこびりつき脳。それがもたらす世の中に理解されない俺ルール。 その苦しさと克服した過程を、藤家さんが書き込んでくれました。これ、魂の報告だと思います。 心してお読みください。 https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/646/comment-page-1/#comment-3319 藤家寛子 2019年12月20日 私も、かつてはひどい「こびりつき脳」を抱えていました。 祖父との思い出も、学校時代のいじめの記憶も、フルカラーの映画のように覚えていました。 一度上映が始まってしまうと、自分の力で再生を止めたり、早送りしたりするのが不可能な状態に陥りました。 特に、嫌な記憶のフラッシュバックは止まらないのです。 それを、薬でどうにかしようとしていた時もあります。 どうにもならなくて、結局はのたうち回り、自分に噛みついたり、壁に顔をぶつけて鼻血を出したりしていました。 まだ、神田橋先生や愛甲さんの存在を知る前のことです。 私の場合は、記憶を上書きすることで、トラウマをなんとか乗り越えようとしました。 支援者は、トラウマに関連する場所に近づかないことや、当時を思い出させるものをすべて処分することをすすめました。 正直、そうなると地元で生きていくのは不可能に思えました。 どの景色を見てもフラッシュバックが起こっていました。 でも、永遠に引きこもっているわけにもいきません。 だから、乗り越えることを選びました。 トラウマを抱え続ける気はなかったし、一時的に見えない状態にしても、もとからなくさない限り、生活の困難さは消えないと考えたからです。 その頃、神田橋先生や愛甲さんのトラウマ処理の方法を知っていたらどんなによかっただろうと思います。 時間はかかりましたが、トラウマはなくなり、フラッシュバックも起こさなくなりました。 それは、薬のおかげではないと思っています。 こびりつき脳が完全になくなったとは思いません。 今も、嫌なことは映像で鮮明に残りやすいし、ふとした時に思い出されて、感情が一瞬ブレたりします。 でも、記憶の処理がうまくなったので、トラウマになりません。 仮にこの先、またトラウマを抱えることになっても、処理すればいいのだ、という思いでいます。 返信する
浅見淳子 2019年12月20日 おはようございます。 この10年で花風社クラスタが治るのが、可視化されました。ここに集っている仲間はそれに勇気づけられ喜びあっているわけですが、取り残された限界集落の負け組には面白くない。そして、治せない凡医療にも面白くない。自分が手を出せない方法で自分の治せない誰かが治っているという事実が直視できなくて鍵かけろ~とか田舎の凡STが騒いでうるさいので、鬼に金棒のアルパカ世代のアルパカさん(別名DQ50上がった坊やのお母さん)が鍵アカになりました。もったいない。 どうもったいないかというと、「DQ50上がるってどういうことか」がフォローしているひとしか見えなくなってしまったこと。それをもったいないと思ったねこ母さんがアルパカさんに「スクショちょうだい」って言って、ここにも持ってきてくれました。アルパカさん、ねこ母さん、ありがとうございます。DQ50上がるってこういうことよ。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/491/comment-page-4/#comment-3306 「無対策でのぞんでもいつの間にか伸びているのが身体アプローチクオリティ」。 そうなんですよね。 犬の曲芸方面の療育が「行動変容」にこだわるのに対し、身体アプローチ(療育ではなく子育て)は人間脳以前の部分と人間脳以降の部分を土台から築いていくから。 あと昨日鍵の中でみたアルパカさんの名言に「発達検査は定期テストではなくて実力テスト」っていうのがありました。範囲が決まっていてここからここまでという対策はしない。でも日々の人育てのこたえは数値は出るよね。 もちろん検査で出ない領域もあることは百も承知。それでも数値が上がった方がいいのは、行政の扱いがそれで変わってくるからです。中にはIQ70ないと教科書を配らないなんていうふざけた現場もある。これは以前からよくあるできごと。そしてかつては教育現場にいてその後重いお子さんをたくさん生活ごと預かる立場にいた大久保さんがブログで仕組みを説明してくれて腹が立った。我々の仲間のひとりが最近同じ目にあって、そのときに大久保さんのブログを思い出した。 大久保さ~ん。すみません。当該ブログのリンクをこの記事のレスで貼っておいてくれませんか。あの教科書問題の記事。 それはそうと 発達障害は中枢神経の障害なんでしょ。 そして中枢神経はどこにあるの? ということを改めて指摘してくれたのが『人間脳の根っこを育てる』における栗本さん。 かの有名なP64の図です。 あれを見ると「なぜ身体アプローチが土台を育てるか」は当たり前なのですな。 あ、あと自己紹介のお部屋にまた新しいメンバー、enigさんが来てくれました。深刻な話題が。改めてレスつけますがとりあえず今日更新予定のこっちのブログが少しだけ関係するかも。また説明します。 ではでは。 返信する
大久保 悠 2019年12月20日 『学校に教科書がないわけない』 ⇒https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html 『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』 ⇒https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html 昨年11月に書いたブログです。 同じことが今でも繰り返されていることが悲しいですが、事実でもあります。 ですから、皆さんに知っていただき、学校とのやりとり、またより良い子育ての参考にして頂ければ、と思います。 返信する
大久保 悠 2019年12月20日 『学校に教科書がないわけない』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html 『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html *『⇒』とくっつけてしまい、リンクに飛ばなかったのでm(__)m 返信する
浅見淳子 2019年12月20日 大久保さん@函館@てらっこ塾 による 「特別支援教育の教科書問題」 これで飛びますかね。 必読です。ごらんください。 特別支援教育の理念(建前)と現場(本音)はこれほど乖離しています。 だからIQはあがるもんならあがってたほうがいい。 『学校に教科書がないわけない』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html 『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』 https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html 返信する
浅見淳子 2019年12月19日 こんばんは。 今日は色々進んだ日でした。午前中は原稿が進んだし午後からはそれ以外も進んだ。その間にも皆さん当「治そう! 発達障害どっとこむ」を盛り上げていただきありがとうございます。 飯テロコーナーには常連のうりくりおくらさんが。雑談コーナーにはyasuさんが。それぞれおうちでの脳みそラクラクセラピーですね! そしてドミノさん、さくら咲くさん、「身体アプローチと体操の違い」についてコメントありがとうございます。これは年末年始のブログ記事にしましょう。まだまだコメント受け付けています。よろしくお願いいたします! そして治った自慢にはすっかりファンの多くなった智君のまた大躍進が。ランドセル姿、楽しみですね。脳梁全欠損、で中度知的まで伸びた。堂々と一般の小学校に通うところまで伸びた。ご両親と智君自身の脳みそラクラクセラピーの賜物です。 来年も花風社は楽しいことがいっぱいになりそうです。 どうぞお楽しみに! 返信する
浅見淳子 2019年12月18日 おはようございます。 ずーっとここに取り上げたいなあ、と思いながら今日になってしまったとりをんなさんの自己紹介。 URLはこちら。 https://naosouhattatushogai.com/all/55/comment-page-7/#comment-3218 ===== はじめまして。 静岡県に住むとりをんなと申します。 小さい頃から、感覚過敏、疲れやすい、運動が苦手、小さいことでくよくよ悩む等生きづらさを感じながら生きてきました。 数年前、ネットで原始反射のことを書いた記事をたまたま見つけ、そこに書かれていた「恐怖麻痺反射が残存している人の特徴」に自分がとても当てはまることにびっくりしました。そこで原始反射について書いた本がないか探したところ、「人間脳を育てる」にたどり着きました。 それから人間脳本や黄本、芋本、根っこ本等を参考にしながら身体アプローチを始め、今年2月からは栄養療法もするようになり現在に至ります(その他にも良さそうなものは適宜取り入れています)。特に、栄養療法も取り入れてからの身体アプローチの効果がめざましく、耳の聞こえが変わり、疲れにくくなり、くよくよ思い悩むこともだいぶ少なくなりました。40代でもこんなに体が発達するのだなぁと驚いています。 どうぞよろしくお願いいたします。 ===== なんで取り上げたかったというと「身体アプローチに手遅れはない」ことを皆さんにお伝えしたかったからです。 どうしてかというと、身体アプローチはスポーツではないからです。 身体アプローチの目的は? 「やりたいことができる身体」になることです。 それは運動方面だけじゃありません。 たとえば「遅刻せずに会社に行きたい」とか 「病気のときは仕方ないとして、できるだけ欠勤しないで、しかも調子のよい状態で働きたい」とか。 そういう当たり前も実現できていない人だっているでしょう。 それよりもっと高度な、たとえば 「受験等、頑張らなきゃいけないときには頑張れるようになりたい」とかもあるでしょう。 あるいは 「季節の変動や気圧の変動にあまり惑わされることのないようになりたい」とか そしてそういう「やりたいことができるための身体育て」は、いくつになっても可能なんですよ。 よく栗本さんが「体操と身体アプローチの違いがわかっていない人が多い怒」とか言っています。 「感覚過敏を治すのはストレッチでも体操でもなく身体アプローチ」なんですよね。 体操では治らないですよね。 身体アプローチだから治るんです。 じゃあ体操と身体アプローチの違いってどこにあるでしょう? 皆さん考えてみてくださいね。 コメントも歓迎です。 私なりの答えはあります。 皆さんのお考えも聞きたいです。 返信する
ドミノ 2019年12月19日 おはようございます。 ・体操は皆同じ所に効果が出る。身体アプローチはその人その人の必要な所に効果が出る。 ・体操は型が決まっている。身体アプローチは自然と気持ち良い形に変化していく。 ・体操は力を入れる。身体アプローチは体を弛める。力を入れない。むしろ抜く。 こんな違いを感じています。 浅見さんの答えが楽しみです。 返信する
さくら咲く 2019年12月19日 こんにちは。 *体操は動きが決まっていて、する人が体操の型に合わせる。 身体アプローチは人それぞれに合わせて取り入れて、アレンジOK。 :*体操の目的は体を動かすこと。 身体アプローチは体を整えて、つなげて、育てる。 *体操の効果は局部的(手首だけとか、脚だけとか)。 身体アプローチは一つの方法の効果が体の方々に広がっていく。 そして次のステップにつながっていく。 身体アプローチは身体の変化がすごく大きくて、身体が自然に、楽になる感じがします。 返信する
さくら咲く 2019年12月23日 追加です。 *体操は型が決まっているので有限(数に限りあり)。 身体アプローチは日常生活にいくらでもある。 例えば、鍋料理用の土鍋の重い蓋を五本の指をちゃんと使って、つかんで開ける、 戸棚にしまってあるたくさんの物の中から、自分に必要なものを見つけて取り出す、等。 返信する
金田 隆佳(かねた たかよし) 2019年12月20日 人間の機能や構造の一部分を抜き出して、「そこにはこの動きが良い」と当てはめ、それを一律に行う(やらされる)のが体操。 人間の機能や構造は理解しながら、例えば金田隆佳という個人の感覚や動き、環境などに合わせて、人間を活性化させていくのが身体アプローチ。 返信する
みならい怪獣 2019年12月20日 体操は型に当てはめていく。 本人の体感は関係なし。型通りの動きができるという事が目的なので治らない。 身体アプローチは本人の状態を見て行う。 本人の感覚に合わせていく。 無理のない動き、身体が求める動きなので治る。 返信する
みならい怪獣 2019年12月21日 自分のコメントに追加です。 体操は大脳新皮質の表面にだけ働きかけるだけなので、土台がいびつなままのままで仕上がりが凸凹のままになる。 身体アプローチはもっと古い脳味噌に働きかけるから、土台から育っていく。なので治る。 返信する
XIA 2019年12月23日 身体アプローチは、自分の身体と対話をしながら、主体的に取り組めます。 そのため、効果がご褒美となって報酬系に働き、「やってみよう」と思えます。 「自分で(主体的に)治している・治したんだ!」と身体の声を聴きながら取り組めます。 自分の状況を、身体アプローチを手掛かりにして、変えることができる!と自信がつきます。 自分で良くなったんだという実感があります。 返信する
浅見淳子 2019年12月17日 おはようございます。 さて、たにしさんのコメントに関するお話続き。 たにしさんのコメントはこちらです。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 前回のこの連載? では愛甲さんがすでに2013年の段階で指摘していた「関係性の未発達」 縦関係にしか発達していない当事者が多い、ということを書きました。 だから横関係が理解できず「信者」や「取り巻き」としかとらえられないのだと。 そして関係性の未発達を抱えているからこそ当事者はマネージメント的立場が難しいのだと。 一方で縦にも横にも関係性を伸ばせるたにしさんは組織の中で、地域の中で、そして家庭の中で多様な役割を果たされている。 翻ってこの零歳児(実質はおっさん)とたにしさんはほぼ同世代。 その同世代としてたにしさんには「年齢相応の社会の相場観」があります。 そしてその相場観によると、どっとこむのスクショ持っていくのは決定的にまずい。 (かつて凡STもしていましたが) ただでさえまずい立場なのになぜまずさの上塗りをするんだろう、とこういう話ですね。 そしてその「社会の相場観」 何がまずいか? が元おまわりさんの説明で明らかにされたのが 『元刑事が見た発達障害』、とくに今回のことと関係あるのは第五章なんですよね。 なぜ自閉症者のメンタリティに法的リスクがあるか あれを読むとわかるわけです。 要するに強烈な甘え。 零歳児が「おむつが濡れて気持ち悪いよ~」と泣き叫ぶように「花風社クラスタが顕在化したのが気に入らん!」と泣き叫んでいる。 でもね、実際には零歳児じゃないんだから、自分の手当は自分でしないと。 それを必死に唯一自分が持っている手段で言いつのり、注目されるように@とか飛ばしてくるのは強烈な甘えなんです。 (ちなみに私は相互フォローの人しか@が飛んで来ないように設定してあります。 なんか言いたい人はここに来て書き込んでください。 ただし医療関係者は実名で。それがここのルールです。) じゃあなんでそんなに甘えん坊なんだろう? っていう話になりますね。 それはね、甘やかされているから? 誰に? もちろん支援者にです。 支援者によって接待されているとああいうことが普通になる。 そしてそれを求めていいと思い込む。 前回の裁判のとき、被告は「自閉症者を訴えるとは何事だ!」と息巻いていた。 自分は自閉症だから何をやっても訴えられないと思い込んでいた。 そこに訴状が届いて、びっくり仰天。 厚生労働省にまで言いつけに行った。 厚生労働省は取り合いませんよもちろん。 でも日本は法治国家ですから、『元刑事が見た発達障害』第五章のようなことが自分の身に降りかかれば訴訟を起こす権利はあるわけです。 でも前の裁判の被告も、それはそれは支援に甘やかされた人でした。 だから「自閉症者は定型発達者に何をしても許される」と思っていたんですな。 治せない支援者と治りたくない努力したくない当事者は共依存です。 どっちも社会を悪者にしていると建設的な仕事をしなくていい。自己を省みなくてもいい。 そりゃあ、社会的にダメな当事者ほど支援をかばう。 そしてだからこそ、支援と離れないと社会には出られないんです。 出にくくなるんです。 私は一般社会のつもりなんだけど、彼らから見ると一般社会と支援の社会のはざまにいる立ち位置に見える。 一般社会にはぱちんとはじかれる。でも私ならいつか翻意して「やっぱりあなたはありのままでいいよ」と言ってくれるとどこかで望んでいるのかもしれません。 でも私は決して言わない。 治した方が正しい 社会のために正しい というのが私の信念だからですね。 そして私は嫌いな人間にも主体性を認めているから「治りたくないなら治らなくていい」と言い続けている。 でも関係性の未発達を抱えているとそれが理解できないわけです。 「押しつけられている」と思い込むわけです。 それは「自分が下だ」と無意識のうちに決めつけているから。 関係性の未発達を抱えているから、社会がよけいにつらい。 自分が下の立場であることを自覚しているから。 だから匿名でしか何かを糾弾できない。そしてそのときはもれなく上から語る。 縦関係しかわからないからです。 そして自分の気にくわないことは零歳児のように泣きわめく。 そして、実物がいくらおっさんでも零歳児のように扱ってくれる人たちがいます。 そう、ギョーカイです。 彼らが支援の世界を擁護すればするほど「ああ、大人になっても支援を頼っていると社会的な相場観は同年代に大きく取り残されるな」と思うだけですね。 「どっとこむのスクショはまずいだろう」というたにしさんの持っている社会的な相場観を元おまわりさんの立場から条文も引っ張って説明してくれているのが『元刑事が見た発達障害』第五章です。 「自閉症のメンタリティの何が社会生活においてリスキーか」 知りたい人は読んでおいてくださいね。 返信する
浅見淳子 2019年12月16日 おはようございます。 『知的障害は治りますか?』 年内に営業始められるといいですね。 三部構成です。 そのうちPart1の目次がほぼほぼ固まりましたので一応as of nowで貼っておきます。 こんな感じです。 どうぞお楽しみに。 ===== Part 1 知的障害に関して改めて考えてみましょう ☆まず、整理しておきましょう。 知的障害とは、何でしょう? ☆次に確認しておきましょう。 知的障害は「絶対に」治らなければいけないものなのでしょうか? ☆実は知的障害の診断って、結構大雑把です。 ☆二次障害・三次障害が治ることによって知的な発達が促されるのを知っていますか? ☆本当に知的障害なのでしょうか? 測定されていない領域が多いですよね? ☆知的障害が治るかどうかを今考えてみる三つの理由 ☆知的障害が治るとどのようなことが起きるのでしょう? ☆行政は知的障害者の発達を本気で援助しているの? ☆知的障害と発達障害は違うのでしょうか? ☆いったん診断されても一生知的障害と言い切れない時代がやってきましたよ! ☆知的に伸びてもまだ健常者にならないのなら治そうとする努力は無駄なのでしょうか? ☆国や自治体からもらうお金は成長よりも大切なのでしょうか? ☆知的障害の人が置かれている世界を想像してみましょう。 ☆主体性を育む機会は日常生活の中にあります! ☆親の「治るはずがない」という気持ちは治るのでしょうか? 治さなければいけないものなのでしょうか? ☆医療・福祉・教育そして家庭 それぞれの役目を「弁える」のが大事。 ☆子どもの頃遅れを指摘されたけれども健常域で働いている人たち。 ☆薬や療育は本当に必要なのでしょうか? 【まとめ】 ===== 待っている間に 『脳みそラクラクセラピー』と『愛着障害は治りますか?』は読んでおいてくださいね。 その他にも読む余裕がある人は猫本こと『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』をどうぞ。 リアル治したお母さんの記録です。 ではでは。 返信する
浅見淳子 2019年12月15日 おはようございます。 「知的障害は治りますか?」原稿全部できてます。 これからゆっくりゆっくり作業。 それと、あっちのブログ五ヶ月ぶりに更新しました。 本日のお題は「限界集落」です。 よろしかったらごらんくださいませ。 たにしさん関連連載につきましては週末をお楽しみに。 その間に『元刑事が見た発達障害』第五章を読んでおいてください。 持っていない方、Kindleもあります。 ではでは。 あ、限界集落はこちら。 https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/bca03a9fdc96edae19b66d4857aa64e4 返信する
浅見淳子 2019年12月14日 おはようございます。 昨日の盛りだくさんだった当治そう発達障害どっとこむ。 皆さんありがとうございます。 この熱量はネットだけじゃないよ、ということを、リアルでクラスタの皆さんにお会いするようになったSoyanさんがおっしゃっています。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3258 ===== 花風社クラスタさん達の熱量はネット上からも伝わってきていましたが、初めて今年3月にあった花風社さんの講演会に参加させてもらい、実際にその熱量を肌で感じました。浅見社長から、確か「以前診断されていたけど、感覚過敏が治った方?」という質問があったかと思うのですが、その質問に対する挙手の多さを目の当たりにし「やっぱり治るんだ!」と衝撃を受けました。 次に参加した講演会では、治したクラスタさんと直接話してみたい、と思い、勇気を出して話しかけてみました。 そのあと直接顔を会わせる機会を何度か設けていただき、直接やりとりもし、実際に話をし、これは治すし、仕事もできる方達だ、とさらに強く感じました。 クラスタの方々は何か相談事があると、凄まじい頭の回転と問題解決能力で、明るく親身に相談に乗ってくれ、交渉力も本当に凄いです。最強のメンバーと繋がれたこと、嬉しく思っています! ===== そうなんですよね~。 この雰囲気を関西でも味わいたい方はこちらにご参加ください。 https://karadamental.com/free/20200113 そしてその座波さんに私は質問したことがあります。 いわゆる「炎上」のたびに、必ずこっち側に来る人もいる、と。 今私のこのメッセージを読んでいる皆さんの中にも、炎上がきっかけで花風社の本を読み始めた方も多い。 炎上見てこっちに来る人ってどういう人だろう? と。 そうしたら座波さんはこう答えてくれました。 「何かを変えてきた成功体験がある人なら、あ、治るかも、と思える」(大意)と。 それきいて「なるほど~」と思いました。 昨日引用した愛甲さんの言葉のように ~~~~~ 自分の環境を自分の力で変えていくことに臆病で、他人に過度な要求ばかりして、自分の足で立つことができていない人 ~~~~~ は、これまでずっとそうやって人生を送ってきた。だから不満いっぱいだし、自分でその現実が変えられるとも思っていない。無力感と被害者意識を持っています。 それに対して、仕事でも私生活でもあるいは自分なりの発達特性でも、何かを乗り越えて来た人は「あ、私もあれを乗り越えてきたからこの子も治るかも」と思える。 それを昨日のうりくりおくらさんのレスで思い出させていただきました。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/322/comment-page-13/#comment-3260 「これも一つ「治した」経験です。 自分を「治した」経験があるから、息子も「治る」と思えるのです。」 「治る」と思えるのは一つの力です。 皆さんもよく見ているように、それがどの親にも備わっているものではない。 その仕組みは今度の本で愛甲さんが説明してくれていますよ。 たにしさんからもレスをいただいていますが 実質零歳児の迷惑当事者については、また回を改めましょう。 とりあえずお手元に『元刑事が見た発達障害』をお持ちの皆さん 第五章を読んでおいてください。 零歳児がやっていることは相当まずいのがわかるでしょう。 お手元にない方はKindleにもなっていますから一秒で買えますよ。 とりあえず第五章はとても自閉症と犯罪に関係があります。 零歳児メンタリティに関係があります。 読んでみてくださいね。 ではでは。 返信する
浅見淳子 2019年12月13日 こんにちは。 昨日の夜座波さんが来てくれました。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/354/comment-page-1/#comment-3256 きょうはこのこと書こうかな、と思ったんですけど先にたにしさんの方を進めます。 ともかく大阪講演が楽しみ。 一番南からも来る人いそうですよ。 楽しくなりそうです。 お申し込みはこちらへ。 https://karadamental.com/free/20200113 ===== さて、たにしさんの提言、続き。 リンクはこちら。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 一部引用します。 ~~~~~ プロテインを料理に混ぜたらいいのでは?と自分で閃き、ビーレジェンドナチュラルを購入しました。 混ぜ込みレシピは自分で考えています。 浅見さんを真似したのではありません。 全く違います。 浅見さんやクラスタのみなさんと、美味いもの・身体に良いもの情報を交換し合って、楽しく盛り上がっているだけです。 浅見さんは料理がお上手なので、飯テロを拝見して参考にさせていただくことはありますが、この記事の主が想像されるようなことはありません。 浅見さんがプロテインレシピを考え、みなさんに推奨しているなんてことはないですね。 サプリ・プロテインについては、浅見さんも僕らも同じ消費者。 自分で選んだメーカーから自分で選んだ品を買い自費で購入して自分で試しています。 また、僕は浅見さんにお世話になっていますが「取り巻き」ではありません。 出版社の社長さんと購読者の関係。 あと、飯テロ仲間(笑) そして僕が浅見さんの掃除の師匠らしい(笑) 考え方は同じ方向性ですが、中には違うところもあるでしょう。当たり前。 浅見さんとは「取り巻き」の言葉が持つ意味の関係性ではないです。 ~~~~~ 私は最初買ったプロテイン、やがて甘みに飽きてきました。 これはわりとよくある現象ですね。 一つはタンパク質足りると、本当におやつがほしくなくなる。 それと、どんなに美味しく作ってあるものでも飽きる。 そんなわけでたにしさんやうりくりおくらさんの書き込みで「ナチュラル」ってやつがあると知り、今はこれを愛用しています。 混ぜるより普通にのむ方がずっと多いですが。甘みが少ない分飽きがきませんね。 たにしさんのおっしゃるとおり、栄養療法については私は純然たる消費者なんですよ。 『片づけられない女たち』は送り手でした。 身体アプローチも送り手です。 でも栄養療法は消費者ですね。 プロテインやサプリの情報もむしろ皆さんからいただく方が多い。 皆さんと同じように自分や家族で試行錯誤しているだけ。 それでもどうしても 「浅見が見本を示してみんながそれをまねする」という構図しか想像できない人がいる。 デマの中ではわりとどうでもいい方ですが、今回たにしさんが違和感を表明してくださったので、ここで種明かししておきましょう。 そうなのです。すでに種明かしされているのです。 なんでそんな思い込みが生じるか。 なぜなら こういう解釈をしがちなのが実は発達障害者の特性だと愛甲さんは2013年の時点で『脳みそラクラクセラピー』できちんと指摘しているのです。 すなわち「関係性の発達の遅れ」だと。 紙の本お手元にある方、P172を見てください。 まさにこの現象が「発達障害の特性」として書かれています。 そして関係性の発達がこの段階に留まっているからこそ、同年代のたにしさんのようにマネージメントの仕事は難しい。 多くの発達障害者が能力ありながらマネージメントの段階に進めない、進むと心身きついのはこの「関係性の発達の遅れ」によるものです。 そもそも想像が当たらないのです。 おそらく、方々で外している。当たるか外すかは仕事にも響いているはずですから収入をも左右しかねません。 あと、自分が縦関係しかわからないから、 フラットな付き合いであるたにしさんと浅見の関係が理解できない。 「取り巻き」にしか見えないのです。 「信者」とか「取り巻き」とか言われて多くのクラスタの皆さんは違和感を感じたと思いますが、花風社の本が好きなのはたしかだし、頭のおかしな人たちが言っていることだからスルーしてきたのだと思います。 でも今回たにしさんが違和感を表明してくれたからこの機会に説明しますが、関係性の発達が遅れていて縦関係しか理解できないと、誰かの周りに集まっている人と真ん中にいる人とは上下関係があるとしか想像できないから、「信者」「取り巻き」に見えるのですね。 たにしさんと私は読者と版元。 商取引はその都度済んでいます。 私が作って売ったものをたにしさんは買って双方ハッピー。 私としても悪質な物を無理矢理不当な値段で買わせたわけではなく、たにしさんも費用対効果に満足。 商取引関係はそこで終わり。 今後も新刊が出たら同じ事繰り返しそこで終わり。 そしてそのあとはフラットな情報交換仲間です。 そしてこの横関係が理解できないと、世の中は怖いのです。普通に一般庶民やっているだけでも(大半の私たちはそうですね)被害的になる。 いきおい「社会の理解ガー」ばかりやることになる。 しかも実物の自分では小さすぎて声が届かないことを自覚している。 それで匿名でやる。しかも上からやる。なぜなら縦関係しかわからないから。そこまでしか関係性が発達していないから。 『脳みそラクラクセラピー』のP173から引用しましょう。 ____ 愛甲 発達障害がある人の中には、指示待ち状態で、自分の環境を自分の力で変えていくことに臆病で、他人に過度な要求ばかりして、自分の足で立つことができていない人が時々見受けられますが、このような人は、まだ縦関係の人間関係しか結べていません。 ____ どんぴしゃ、でしょ? 自分の環境を自分の力で変えて行くことが怖ければ、ギョーカイの言いなりになります。 そしてそれを選ばない人がいたらそれはその人の自由なのですが、それを「自分たちが」気に入らない。自分には怖くてありえないオプションだから。 それでいい結果を得ていると喜んでいると、ますます気に入らない。 そこでその自由を駆使するなと「過度な要求」をします。 そういうことやる人たち、愛甲さんはだいたい零歳児くらいの発達だと言ってました。「おむつが濡れていて気持ち悪いよ~」と泣き叫んでいる段階ですね。それで一生懸命こっちにアピールしてくるんです。@つけたり#つけたりして必死。 今度そういうのがきたら「あ、零歳児が泣いている」と思えばいいですよ。 縦関係しか結べない、というのは教員に顕著ですね。 私は30代から発達障害の仕事しています。その頃は教員たちが年上のことが多かった。それで接していて思ったのは「この人たちは大人に対して上からでもなくへりくだるでもなく対等に接することが苦手な人たちなんだな」ということ。 最初上から来るからぱちんとやり返したら異様にへりくだったりする。「対等」が苦手な人たちみたいですね。 そしてこれも『脳みそラクラクセラピー』のP178に書いてあるように私は割合とフラットな人。 だから杉山先生もディスるし、自閉症者も刑事告訴した。 えらい先生だからディスってはいけないとか、自閉症者だから訴えてはいけないとか、そういう考えはないんですよね。 だけど縦関係しかわからない人にはギョーカイの権威をディスるなんてとんでもないんだろうし、弱者であるはずの自閉症者を刑事告訴するなんてとんでもないんでしょう。 杉山先生や「彼」がどう思っているか知りませんが私から見ると二人とも私と同じ対等な人間ですから。 そのフラットなメンタリティでクラスタの一部の皆さん、気が合ってオンオフで出会う意図があちらにもある皆さんとは仲良くしているだけですね。 長くなりましたが、要するに ・・・・・ 「取り巻き」とか「信者」とか言われるのはなぜか? ↓ 関係性の未発達を抱えた人にはそう見える。 なぜなら彼らはまだ縦関係までしか発達していないから。 異様な支援者依存もそれで説明できる。 支援者依存から脱する自由を駆使しているこっちを攻撃してくるのは零歳児が泣いてるみたいなもん。 ・・・・・ これだけ覚えておけばよいんじゃないかと思います。 といっても私がこれを理解したのも愛甲さんだけでは足りなくて、座波さんもいたからなんですけど。 座波さんの話をきいたあとに愛甲さんの本を読むとよけいにわかるのです。 だから座波さんの話は本当にきいたほうがいいと思う。 ではでは。 返信する
たにし 2019年12月14日 浅見さん、僕の違和感について、言語化していただきありがとうございました。 既に6年前の御本に思いっきり書かれていましたね。 なるほどです。 本当に違和感しか感じなかったのですが、記事を拝読して、胸にストンと落ちました。 人との関係性って多種多様ですよね。 組織内では指揮命令系統が存在しますが、オフの場面では、フラットにしたほうがいい場面もあるし。 個人的な繋がりでは、フラットですね。 自由意思で自然に集まった人達の間で、上下関係を意識したことはないなぁ。年齢が上の方には、礼を逸しない程度の意識はありますが。 人との関係性もそうですし、物事の考え方にも多様性がある。 自分のスタンダードが全てではないということ。 自分の思想信条は大事にすればいい。 他人のそれには過度の関心はないし、絡みたくないし、そんな暇ない。 返信する
浅見淳子 2019年12月12日 おはようございます。 昨日は花風社クラスタ女子会でした。治る話は楽しい。と同時に、皆さんが闇の中にいた時代の話もお聞きし、単純に「眠れないと参るよなあ」と思いました。お子さんの各種特性から物理的に眠れない時代があったわけですが、今はお子さんの特性も治り、お母様の方も栄養アプローチ身体アプローチでばっちり健康です。治るっていいな、と思って帰ってきました。 大阪でも集まるチャンスあります。 どうぞお越しください。 https://karadamental.com/free/20200113 ===== さて、予告通りたにしさんからいただいた大事なコメントを見ていきましょう。 たにしさんのコメントはこちら。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 この中で「たにしさんが浅見のお掃除の師匠である」という部分を解説します。 我が家は20年来の家政婦さんにお掃除を頼んでいます。 もともと私が片づけられない女だったのと、起業当時一日14時間週七日働いていたせいです。 その頃家政婦さんは、今の私くらいの年でした。いや、もっと若かったかも。 その後も同じ家政婦さんに20年以上お願いしているわけですが、私が年を取るように、家政婦さんも年を取ります。今では後期高齢者です。仕事はきちんとしていただいていますが。 ただやはり年齢が年齢なので、時々長期離脱があるのです。 目の手術をすることにしました、とか、腕を骨折しました、とか。 うちには週に一回来ていただいていて、その他の曜日も埋まっていたようですが たいていのおうちは長期離脱されると困る。 というわけで長期離脱のたびにお客が減るらしいのです。 これはまあ、ある意味当たり前ですね。 ところがうちの場合には長期離脱があっても他を探さなかったのです。 なぜかというと、会社が軌道に乗るにつれ私の実働時間もどんどん短くなり 不得意なお掃除も試行錯誤する余裕が持てるようになったからです。 そんなわけでお掃除のやり方をネットで見たり、各種お掃除グッズを見に行ったり、情報収集をして試してみるわけです。 皆さんが「治らないかな」という情報を探すのと同じです。 その情報源の一つがたにしさんなわけです。 たにしさんは素敵な注文住宅の一戸建てに家族四人でお住まいです。 ご夫婦共に責任ある立場でフルタイムで働かれていて、たにしさんは子育てやお料理だけではなくお掃除でも家族として役割を果たされています。 その様子を見て「シンクはこう磨くのか」とか「やかんはこうやるとぴかぴかになるのだ」と学びつつ、私はそれを採り入れています。 マンション住まいの我が家はもっと手入れが簡単ですが、たにしさんのお掃除の様子が大いに参考になるのです。 いつぞやの年でしたか。たにしさんが起点になってクラスタの何人かがスチームクリーナーを手に入れましたね。私もあの年に買いました。 先日はケルヒャーのセールのお知らせをたにしさんが教えてくれました。 そんなこんなしているうちに、家政婦さんの方から「もう私は二週間に一回でいいのでは」というお話が出てきました。「いつきてもキレイだし」ということ。おまけに家政婦さんもお年を召して、働く日を減らしたくもあったのでしょう。 というわけで今は二週間に一回来てもらっています。 ADHDブームの火付け役となった『片づけられない女たち』という本に関すると、私は消費者というより送り出し側だったわけですが、あの頃の私は確実に『片づけられない女たち』の一人だったと思います。 当時あの本がメディアに多く載ったのは、マスコミの女性の中に「これは私だ」と自覚する人が多かったからだと思います。 あのときに診断でも受けに行ったら診断がついたかもしれません。 そしてリタリンかなんかのんでいたかもしれません。 そのまま薬を飲み続け、今の規制に翻弄されていたかもしれません。 けれども私はそっちには行きませんでした。 当社比でもいいから「掃除できるようになる方」を選びました。 これはつまり、不得意の克服です。 当然得意なことをやるように順調にはいかないのですが、色々な知見に助けられて家政婦さんが「もう私はたまにしかいらないのでは」と言ってくれるくらいの水準にはなれました。 逆に言うとこうやって自分の不得意を地味に解消していかなければ、会社が続いたかはわかりません。 あのとき診断をもらい、リタリンをのみ、「私はADHDなんですできません!」とか開き直っていたら、私は今作業所に通いながらルサンチマン系のツイッターでもしてニキさんの悪口でも言っていたかもしれませんね。 そして今、ADHDのチェックリストをみても、ほとんど当てはまりません。 「これは私だ~」と思った過去はなんだったんだろうと思います。 これは『発達障害でも働けますか?』にも書きましたね。 片づけられない女のままでも働けたかもしれないけど、経営が20年続いたかどうかはわからない、と私は思っているのです。 だから、人に使われているままでいいと思う人は治らなくていいのかもしれません。 治らずにつまんない上司や少ない給料に不満を持ちながらツイッターで嫌いな出版社の悪口をリツイートしていればいいのかもしれません。 私はそれでは物足りなかったんでしょうね。 そしてリスクを取りながら発信を続け、「クラスタ」となるほどの読者層を得て、今楽しく暮らしているわけです。 まさに治るが勝ちです。 それでももちろんこれからも、克服していかなくてはならない苦手はあります。 すでに基盤ができているから焦らなくていいけど、コツコツとやっていこうと思っています。 というわけで、私はもともと『片づけられない女』であることを自覚していたのですが、その私が栄養アプローチと出会って、自分があっさり主食なしで暮らせることにびっくりしました。 そして気づきました。 ADHDって狩猟民族というよなあ。確かに群れて田んぼ作っている(治さず育てず利権を回し合っている)ギョーカイに違和感を感じるのはそのせいでもある。 そして元々が狩猟民族なら肉とか木の実とか食べていたはず。それで十分だったはず。 備蓄に便利な穀物は農耕民族の食べ物なんではないか。 狩猟民族なら狩猟民族に合った食生活をしよう。 そして読者の皆様を見渡してみても、狩猟民族系の人は本当に主食抜くのが上手です。 おまけにそれによってあっという間に治っていく。 ADHDって本来あんまり糖質のいらない人が現在の日本の食生活(朝トースト、昼パスタ、夜ご飯と味噌汁となんか。ときにはカレーとかのワンプレート)とかそういう暮らしをしているうちに感じた不具合じゃないだろうか。 いや、百パーセントそうとは言わないけど中には食べものかえるだけで相当軽減する人がいるんじゃないか。 と思っています。 今回はここまで。 たにしさんの他の提言については次回以降とします。 ではでは。 大阪を初めとする西日本の方々 座波さんの講演でお待ちしておりますね。 https://karadamental.com/free/20200113 返信する
うりくりおくら 2019年12月14日 私もかつては「片付けられない女」でした。 家の中、ゴミ袋だらけだわ、謎の虫はいるわ、足場はないく床が見えないわ、冷蔵庫は恐ろしくて封印してたくらいです。 今は「片付ける女」になりました。 これも一つ「治した」経験です。 自分を「治した」経験があるから、息子も「治る」と思えるのです。 返信する
浅見淳子 2019年12月11日 おはようございます。 雑談コーナー、盛り上がっていますね。 そして昨日の夜たにしさんが、わりと大事な書き込みをしてくださいました。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243 これ、きちんとレスしたいんですけど、今朝は時間がないので、今日の夜か明日以降にします。 今日は一仕事してから、花風社女子会です。ちょっと遅れていきます。 女子会は比較的新しい読者ともお会いできる機会です。 前回は花風社用語がわからないのでボキャブラリー集を作ってほしいと言われ「そうか、発信歴が長いと新規読者の人にはわからない言葉も出てくるのだなあ、と思いました。 そのときに話題になったのは「猿烏賊」(現発達負け組)。 これを自閉症児だと誤解して大騒ぎしていた人たちもいますし、別にどうでもいい人にどう誤解されようといいのですが、私が最初に使い始めたのは自閉症児の親を見たからです。 詳しくは猿烏賊を定義したこちらの記事を見てもらえばいいのですが、別に見なくてもいいです。 猿烏賊の誕生も2011年かあ。その後の身体アプローチの広がりを思えば、治った人たちの広がりを思えば、「猿烏賊」の定義を知らない人が増えても当たり前ですね。 https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/6968f627a504b9e93bb76e1f2d2f8a18 簡単に説明しますと、当時乙武さんがなんか発言し、現負け組の人たちがきっききっき騒いでいたのです。(もっと乙武さんにクリーンなイメージがあった時代。卑屈な障害関係者にとって乙武さんはつねに怨嗟の対象でした。) それを見て私が「猿山」と言ったら小暮画伯が「猿に失礼」だと怒ったのです。 なるほど~と思ってよく考えてみたら、猿をはじめとする野生動物は子どもに餌の採り方を教えますよね。じゃないと生きていけないもんね。 ところが障害児の世界には、子どもに餌の採り方を一切教えない、どころか、餌の取り方を必死に教えている親がいると「差別!」とかいって邪魔する不思議な人たちがいるのです。 つまり、「餌の採り方を子どもに教える気が最初っから1ミリもない」という意味で、野生動物にもにも及ばない親というのが人間界の障害児界にはいるんだ。 という経緯で生まれた言葉です。 でもこれが差別用語だと言われ 「そうか。変なたとえを使ったからいけないんだな」と思ったので、今度はたとえを使わずそのものずばり「発達負け組」としました。 先日の方、この説明でよろしいでしょうか。 今日もお会いできそうですね。 オフ会は楽しいです。 大阪でも出会いの場があります。 座波さんのお話が聞ける貴重な機会です。 発達障害者の自立を考えると同時に、仲間と出会う場でもあります。 どうぞふるってご参加くださいませ。 https://karadamental.com/free/20200113 返信する
浅見淳子 2019年12月10日 おはようございます。 yasuさんのおうちの治った自慢です。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/149/comment-page-8/#comment-3227 「他人の目から見ても変わった」って重要です。 自己満足ではなく、本当に明らかに治っている。 『発達障害でも働けますか?』にも通じる話ですね。 そしてそこでうちの本+藤川先生の本をご紹介くださった。 「おそらく花風社の本はこう広がっていくだろう」という神田橋先生の言うとおりになっていますね。 そしてこの担任の方はどうかわかりませんが、こういうとき一般論でいうと、保護者の方が教師より反応がよい。 それだけ自分事だからですね。 「誰かが際立ってよくなった」という事実を目にすると、それが一番強い。 そこから「何をやったの?」と広まっていく。 すでに今の親御さんたちは「自閉症協会ってあるんだへ~」みたいな世代。 それを支援者及び1世代前の保護者はわかっていないことが多い。 「みんなで啓発」の時代じゃないんです。 「各家庭で情報集めて治しましょう」の時代なんです。 この流れは止まりませんよ。 この流れを止められるものがあるとすれば、ツイッターでの活動ではないです。 「この一本の注射で治ります」みたいな医療的ソリューションしか「家庭で治そう」の動きは止められません。そしてその医療的ソリューションは多分起きない。少なくとも近々には。なぜなら発達は医療の領域では本来ないからです。それだけ人間は多様だからです。 「治そう」という動きに対し、自分たちの存在を否定されているような成人当事者がいたら、それは被害妄想ですから治した方がいいですね。 なんでそんなありえない恐怖感を感じるのか。 この「ありえない恐怖感」を勝手に振り回すっていうのが成人自閉症者の一番迷惑なところです。 なぜか? 勝手に恐怖感を感じたあげく他人の主体性を侵害するから。 主体性を侵害されてうれしい人はいないですから、そりゃあ社会で嫌われますよ。 大事なことだからまとめましょう。 怖がりは嫌われるんです。 臆病者は嫌われるんです。 なぜならその恐怖感には他人から見て根拠がないからです。 そして「家庭で治る」と自分たちが失脚するのでは無いかと怯えている支援者の皆さん。 その脅えはすでに半分当たっています。 家庭で治すことを覚えた人たちは、支援者を見限り始めていますから。 これに対抗するのもくだらない匿名のSNS活動ではありません。 支援者として切磋琢磨することです。 そして使い捨てを恐れないこと。 誰かに依存されることが自分の基盤になっていて、治っていく人を言祝いで送り出せない支援者は使い捨てられるのを恐れます。 でも本来支援者などというものは、使い捨て上等なんです。 もちろん版元も。 使い捨てでよいのです。 治ったあとも花風社の本を読んでくださるのならそれはそれで結構。 なぜならそれがその人にとって「ここちよい」からですからね。 この場と同じように。 ではでは。 返信する
たんぽぽ 2019年12月10日 思います思います、使い捨て上等。 教員やってます。 こちらは囲い込まない、 子供達は依存しない。 使い捨てられたときこそ、彼らの成長を感じて嬉しくなります。 自分の仕事って渡し守みたいだなと思います。 乗ってくれる人が来たら、その人が心地よさを感じられるように一生懸命漕ぎ、 ときには一緒に波を乗り越え、 岸に着いたらもう次のお客さんのために漕ぐ。 淡々とそれをこなす日常。 お客さんが船を降りたら自分のことなんて覚えていてくれなくていい。 着いた地で新たに生き生きと生きてくれれば。 使い捨てる/られる関係ってすこぶる健全だなと思います。 返信する
浅見淳子 2019年12月9日 おはようございます。 「大事なのは自分の体感だよね」「援助はテーラーメイドだよね」という私の書き込みに対したくさんのコメントをありがとうございました。 花風社クラスタのレベルの高さがわかりますね。 私は藤川理論を採り入れた当初から原理主義的に展開しないと明言していました。 メガ盛りは私は最初からやらないし、やる人でもいつか終わりが来ると思っています。 でも急性期にはやった方がいい人がいるのもわかりますよ。それだけ足りなかったんだから。 一方で高タンパク低糖質はきっと一生続けると思います。そういう意味では藤川理論にはこれからもお世話になる。 なぜなら高タンパク低糖質は「きもちいい」からです。 基本は「きもちいい」であることを神田橋先生、愛甲さん、栗本さんから教えられてきたからです。 それでも原理主義にやってしまって「なんでのんでくれないのき~」っていう読者層も花風社クラスタになったんだなあ、という感じです。 それだけ裾野が広がっているのでしょう。 藤川先生はナイアシンアミドをチョコレートアイスクリームに混ぜてのませればいいとおっしゃる。 それに対して神田橋先生は何かを勧めても「オブラートにくるまなきゃのまないくらいならのませないでいい」とおっしゃる。 そのどちらを選ぶかはそれぞれの主体性ですが 私は神田橋先生を選びます。 それは神田橋先生がうちの著者だからではなく 「きもちいい」を羅針盤にするといいということを心から納得しているからです。 というわけで 子どもがいやがるものを無理矢理のませる人が花風社読者の中にいても それは私とは方針が違います。 基本はその家それぞれの方針なのですが 無理強いはお子さんがかわいそうだから 大事なことは何度でも言いますが、『発達障害は治りますか?』と『脳みそラクラクセラピー』は穴のあくほど読んでください。 それとたにしさんのこの書き込み。 何か物質をお子さんの身体に入れるときは、これが基本形だと思います。 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/494/comment-page-4/#comment-3219 たにしさんがこの漢方をお子さんに与えようと思ったのは 「治った自慢」のファル子さんの書き込みを参考にしたのです。 興味ある方は治った自慢のお部屋をスクロールしてみてくださいね。 それでもファル子さんちは卒業なさったと思いますよ。 でもそのおかげもあって大学生になって、免許とって、お母さんをのっけてランチに出かけたりしているのです。 いらなくなると自然に離れるし 今いらないものはお子さん自身が拒否しても当たり前です。 ナイアシンを拒否するお子さんはそもそも鉄タンパクが足りているのでしょうか。 春ウコンもそう。 誰にでも勧めるものではない。 現にひきこもりの人には勧めません。 春ウコンは社会生活で疲れていない人にはいらないんだそうです。 そしてお子さんにあまりに効くから親御さんがのんでみるとちゃんと身体が「いらないよ」というシグナルを送ってくる。 これを最初に私に教えてくれたのは実を言うと岩永先生です。 それから何度も何度も同じ現象を聞くことになりました。 先日も鍵アカの中で言っていた人がいた。 不調の時春ウコンの噂をきき、のんでしまった。 そしたら身体が拒否した。 変だなと思った。 神田橋先生のところに行ったら、不調の原因は発達障害ではなく他のところにあると言われてそれを変えたらドンピシャだったからです。 というわけで発達障害ではなかったわけですが、今もオンでもオフでも顔を見せてくれます。花風社クラスタが「きもちいい」からですね。その方にとっては。 今度の藤川先生の本は決定版ぽいですよね。 私は是非買おうと思って、ありそうな書店に行ったら見つけきれず、でも面白そうな筋トレ本を見つけて買ってしまいました。 やってみました。気持ちよかったです。 筋トレも「きもちいい」からやりますね。 というわけでまだ入手していない藤川本はネットで買いますわ。 私にとって藤川先生の新刊は「必ず買うけど、必ず読むけど、プライオリティは低い」のです。 ではでは。 返信する
おはようございます。
四時起きで仕事していました。のですでに六時間働いています。
そろそろ切り替えます。
起きたらいいニュースが入っていました。昨日長崎であった栗本さんの講座で『発達障害でも働けますか?』完売とのこと。長崎はぶっちゃけアウェイだと思いますが、栗本さんの講座は根付いていて新規の人も入ってきているみたいだし、やはりどんな地に暮らしていても治りたい人は治りたい。逆に言うと治りたくない人は治りたくない。それが鮮明に分かれることはいいことだと思います。そしてこうなるともう「うちの地域は云々」とかあほらしいのね。たくさんの化石が発掘されるかの有名なしゃちほこ県でもアルパカ世代は治せるお医者さんを発見したみたいだし。あ、鍵アカで残念ね。知りたいのに見えなくてキーって言う人はどっかの凡STを恨んでくださいませ。
さてさて、『知的障害は治りますか?』。
途中愛甲さんのおうちの事情とかもありゆっくりゆっくり進めましたが一区切りつきました。でも営業開始は年明けにしようかなと思います。実は最初、薄い本になると思っていた。だけどわりとページ数かさばりました。価格設定を決めていません。安くするつもりはないです。だってすでにあきらめた人は読まなくていい本だから。本当に治したい人が読めばいい。そんな本。
今朝思いついたキャッチコピーは
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これまでも、治った人はいた。
これからも、治る人はいるだろう。
=====
これで行こうかなと思います。
昨日は長崎で講座が盛り上がり、今日は北関東で花風社クラスタ女子会があるらしい。
全国どこにでも治りたい人はいるから、色々な機会があるのはいいですね。
ではでは、皆様
楽しい日曜日を。
「アプローチ」
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【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より】
建築用語。道路や広場から個々の建物へいたる取付け道路をいうが,造園の場合,敷地内の主要な建物や点景物に近づき,入るための寄りつき道,入口,あるいはそれらが秩序をもって並ぶ構成軸をたどっていく方法 (アクセス) をさす。
⇒(ブルー意訳)平たく言えば、もともとの建築用語における「アプローチ」は敷地内の取り付け道路。個々の建物へ向かう。
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身体「アプロ―チ」の場合、個々人の発達のヌケや困りごとにアプローチする。
例え身体を動かしていても、ヌケや困りごとにアプローチできていない場合は、(単なる)体操になってしまう。
<身体アプロ―チと(単なる)体操の違い>
★ヌケや困りごとにアプローチできているか否か
裏を返せば、ヌケや困りごとにアプローチできていれば、どのような取り組みであっても、それは身体アプローチになっている。
<内発と外発>
また、身体アプロ―チは「身体の声」「身体の意思」が常に羅針盤であり、自分の顕在意識がどう思うかよりも、身体が望んでいることをやらなくてはならない。身体の中に基準がある。
そういう意味で、根本的には身体から見て、内発的作業でなければならない。
対して(単なる)体操は、基本は顕在意識が望んでいることを行う。よってフォームや回数が基準になりがちである。つまり身体の外に基準がいきがちである。
そういう意味で身体から見て、外発的作業になりがちである。
あれ?なんか妙な場所に投稿しちゃいましたね(汗)
すみません・・・。
ブルーさん
リクエストにおこたえいただきありがとうございます😊
皆さんのご意見と同様、参考にさせていただきます!
おはようございます。
昨日、元農水事務次官のおうちの悲劇に関し、浅見淳子公式見解としてブログを更新しました。
https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/646/
そこにyasuさんがコメントをくださいましたが、私も世の中の「支援につながっていれば」の声をきいていて世の中はまだ支援の限界を知らないんだな~かつての私と同じだな~と思いました。
自閉症者の自分や周囲を苦しめる行動に福祉や医療はいかに無力か。
せいぜい薬を盛ってことによると問題行動をもっと激しくするか
ほとんどの医療にはこれしかできない。
周囲が我慢せよという説得を繰り返す。
ほとんどの福祉にはこれしかできない。
私は被害者となった息子さんをなんとかできた支援者がほとんど思い浮かびませんね。
昨日も話題になっていましたが
発達障害者支援法ができた当時「生涯にわたる支援」とか言ってた支援者たちがもうどこかへ行ってしまって姿が見えない。
でも社会一般はそれを知らない。
どれだけ医療や福祉が無力か、それを知らない。
だって「こびりつき脳」の苦しさを取れるのは医療でも福祉でもないもの。
中学のときのいじめを40過ぎても覚えていた被害者ですが
かつて子どもの頃飼い犬が殺処分されたのを恨んで引退した厚労省の官僚を殺害した人もいましたね。
一般には不可解なこびりつき脳。それがもたらす世の中に理解されない俺ルール。
その苦しさと克服した過程を、藤家さんが書き込んでくれました。これ、魂の報告だと思います。
心してお読みください。
https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/646/comment-page-1/#comment-3319
藤家寛子
2019年12月20日
私も、かつてはひどい「こびりつき脳」を抱えていました。
祖父との思い出も、学校時代のいじめの記憶も、フルカラーの映画のように覚えていました。
一度上映が始まってしまうと、自分の力で再生を止めたり、早送りしたりするのが不可能な状態に陥りました。
特に、嫌な記憶のフラッシュバックは止まらないのです。
それを、薬でどうにかしようとしていた時もあります。
どうにもならなくて、結局はのたうち回り、自分に噛みついたり、壁に顔をぶつけて鼻血を出したりしていました。
まだ、神田橋先生や愛甲さんの存在を知る前のことです。
私の場合は、記憶を上書きすることで、トラウマをなんとか乗り越えようとしました。
支援者は、トラウマに関連する場所に近づかないことや、当時を思い出させるものをすべて処分することをすすめました。
正直、そうなると地元で生きていくのは不可能に思えました。
どの景色を見てもフラッシュバックが起こっていました。
でも、永遠に引きこもっているわけにもいきません。
だから、乗り越えることを選びました。
トラウマを抱え続ける気はなかったし、一時的に見えない状態にしても、もとからなくさない限り、生活の困難さは消えないと考えたからです。
その頃、神田橋先生や愛甲さんのトラウマ処理の方法を知っていたらどんなによかっただろうと思います。
時間はかかりましたが、トラウマはなくなり、フラッシュバックも起こさなくなりました。
それは、薬のおかげではないと思っています。
こびりつき脳が完全になくなったとは思いません。
今も、嫌なことは映像で鮮明に残りやすいし、ふとした時に思い出されて、感情が一瞬ブレたりします。
でも、記憶の処理がうまくなったので、トラウマになりません。
仮にこの先、またトラウマを抱えることになっても、処理すればいいのだ、という思いでいます。
おはようございます。
この10年で花風社クラスタが治るのが、可視化されました。ここに集っている仲間はそれに勇気づけられ喜びあっているわけですが、取り残された限界集落の負け組には面白くない。そして、治せない凡医療にも面白くない。自分が手を出せない方法で自分の治せない誰かが治っているという事実が直視できなくて鍵かけろ~とか田舎の凡STが騒いでうるさいので、鬼に金棒のアルパカ世代のアルパカさん(別名DQ50上がった坊やのお母さん)が鍵アカになりました。もったいない。
どうもったいないかというと、「DQ50上がるってどういうことか」がフォローしているひとしか見えなくなってしまったこと。それをもったいないと思ったねこ母さんがアルパカさんに「スクショちょうだい」って言って、ここにも持ってきてくれました。アルパカさん、ねこ母さん、ありがとうございます。DQ50上がるってこういうことよ。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/491/comment-page-4/#comment-3306
「無対策でのぞんでもいつの間にか伸びているのが身体アプローチクオリティ」。
そうなんですよね。
犬の曲芸方面の療育が「行動変容」にこだわるのに対し、身体アプローチ(療育ではなく子育て)は人間脳以前の部分と人間脳以降の部分を土台から築いていくから。
あと昨日鍵の中でみたアルパカさんの名言に「発達検査は定期テストではなくて実力テスト」っていうのがありました。範囲が決まっていてここからここまでという対策はしない。でも日々の人育てのこたえは数値は出るよね。
もちろん検査で出ない領域もあることは百も承知。それでも数値が上がった方がいいのは、行政の扱いがそれで変わってくるからです。中にはIQ70ないと教科書を配らないなんていうふざけた現場もある。これは以前からよくあるできごと。そしてかつては教育現場にいてその後重いお子さんをたくさん生活ごと預かる立場にいた大久保さんがブログで仕組みを説明してくれて腹が立った。我々の仲間のひとりが最近同じ目にあって、そのときに大久保さんのブログを思い出した。
大久保さ~ん。すみません。当該ブログのリンクをこの記事のレスで貼っておいてくれませんか。あの教科書問題の記事。
それはそうと
発達障害は中枢神経の障害なんでしょ。
そして中枢神経はどこにあるの?
ということを改めて指摘してくれたのが『人間脳の根っこを育てる』における栗本さん。
かの有名なP64の図です。
あれを見ると「なぜ身体アプローチが土台を育てるか」は当たり前なのですな。
あ、あと自己紹介のお部屋にまた新しいメンバー、enigさんが来てくれました。深刻な話題が。改めてレスつけますがとりあえず今日更新予定のこっちのブログが少しだけ関係するかも。また説明します。
ではでは。
『学校に教科書がないわけない』
⇒https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html
『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』
⇒https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html
昨年11月に書いたブログです。
同じことが今でも繰り返されていることが悲しいですが、事実でもあります。
ですから、皆さんに知っていただき、学校とのやりとり、またより良い子育ての参考にして頂ければ、と思います。
『学校に教科書がないわけない』
https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html
『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』
https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html
*『⇒』とくっつけてしまい、リンクに飛ばなかったのでm(__)m
大久保さん@函館@てらっこ塾
による
「特別支援教育の教科書問題」
これで飛びますかね。
必読です。ごらんください。
特別支援教育の理念(建前)と現場(本音)はこれほど乖離しています。
だからIQはあがるもんならあがってたほうがいい。
『学校に教科書がないわけない』
https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_89.html
『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』
https://terakkojyuku.blogspot.com/2018/11/blog-post_15.html
こんばんは。
今日は色々進んだ日でした。午前中は原稿が進んだし午後からはそれ以外も進んだ。その間にも皆さん当「治そう! 発達障害どっとこむ」を盛り上げていただきありがとうございます。
飯テロコーナーには常連のうりくりおくらさんが。雑談コーナーにはyasuさんが。それぞれおうちでの脳みそラクラクセラピーですね!
そしてドミノさん、さくら咲くさん、「身体アプローチと体操の違い」についてコメントありがとうございます。これは年末年始のブログ記事にしましょう。まだまだコメント受け付けています。よろしくお願いいたします!
そして治った自慢にはすっかりファンの多くなった智君のまた大躍進が。ランドセル姿、楽しみですね。脳梁全欠損、で中度知的まで伸びた。堂々と一般の小学校に通うところまで伸びた。ご両親と智君自身の脳みそラクラクセラピーの賜物です。
来年も花風社は楽しいことがいっぱいになりそうです。
どうぞお楽しみに!
おはようございます。
ずーっとここに取り上げたいなあ、と思いながら今日になってしまったとりをんなさんの自己紹介。
URLはこちら。
https://naosouhattatushogai.com/all/55/comment-page-7/#comment-3218
=====
はじめまして。
静岡県に住むとりをんなと申します。
小さい頃から、感覚過敏、疲れやすい、運動が苦手、小さいことでくよくよ悩む等生きづらさを感じながら生きてきました。
数年前、ネットで原始反射のことを書いた記事をたまたま見つけ、そこに書かれていた「恐怖麻痺反射が残存している人の特徴」に自分がとても当てはまることにびっくりしました。そこで原始反射について書いた本がないか探したところ、「人間脳を育てる」にたどり着きました。
それから人間脳本や黄本、芋本、根っこ本等を参考にしながら身体アプローチを始め、今年2月からは栄養療法もするようになり現在に至ります(その他にも良さそうなものは適宜取り入れています)。特に、栄養療法も取り入れてからの身体アプローチの効果がめざましく、耳の聞こえが変わり、疲れにくくなり、くよくよ思い悩むこともだいぶ少なくなりました。40代でもこんなに体が発達するのだなぁと驚いています。
どうぞよろしくお願いいたします。
=====
なんで取り上げたかったというと「身体アプローチに手遅れはない」ことを皆さんにお伝えしたかったからです。
どうしてかというと、身体アプローチはスポーツではないからです。
身体アプローチの目的は?
「やりたいことができる身体」になることです。
それは運動方面だけじゃありません。
たとえば「遅刻せずに会社に行きたい」とか
「病気のときは仕方ないとして、できるだけ欠勤しないで、しかも調子のよい状態で働きたい」とか。
そういう当たり前も実現できていない人だっているでしょう。
それよりもっと高度な、たとえば
「受験等、頑張らなきゃいけないときには頑張れるようになりたい」とかもあるでしょう。
あるいは
「季節の変動や気圧の変動にあまり惑わされることのないようになりたい」とか
そしてそういう「やりたいことができるための身体育て」は、いくつになっても可能なんですよ。
よく栗本さんが「体操と身体アプローチの違いがわかっていない人が多い怒」とか言っています。
「感覚過敏を治すのはストレッチでも体操でもなく身体アプローチ」なんですよね。
体操では治らないですよね。
身体アプローチだから治るんです。
じゃあ体操と身体アプローチの違いってどこにあるでしょう?
皆さん考えてみてくださいね。
コメントも歓迎です。
私なりの答えはあります。
皆さんのお考えも聞きたいです。
おはようございます。
・体操は皆同じ所に効果が出る。身体アプローチはその人その人の必要な所に効果が出る。
・体操は型が決まっている。身体アプローチは自然と気持ち良い形に変化していく。
・体操は力を入れる。身体アプローチは体を弛める。力を入れない。むしろ抜く。
こんな違いを感じています。
浅見さんの答えが楽しみです。
こんにちは。
*体操は動きが決まっていて、する人が体操の型に合わせる。
身体アプローチは人それぞれに合わせて取り入れて、アレンジOK。
:*体操の目的は体を動かすこと。
身体アプローチは体を整えて、つなげて、育てる。
*体操の効果は局部的(手首だけとか、脚だけとか)。
身体アプローチは一つの方法の効果が体の方々に広がっていく。
そして次のステップにつながっていく。
身体アプローチは身体の変化がすごく大きくて、身体が自然に、楽になる感じがします。
追加です。
*体操は型が決まっているので有限(数に限りあり)。
身体アプローチは日常生活にいくらでもある。
例えば、鍋料理用の土鍋の重い蓋を五本の指をちゃんと使って、つかんで開ける、
戸棚にしまってあるたくさんの物の中から、自分に必要なものを見つけて取り出す、等。
人間の機能や構造の一部分を抜き出して、「そこにはこの動きが良い」と当てはめ、それを一律に行う(やらされる)のが体操。
人間の機能や構造は理解しながら、例えば金田隆佳という個人の感覚や動き、環境などに合わせて、人間を活性化させていくのが身体アプローチ。
体操は型に当てはめていく。
本人の体感は関係なし。型通りの動きができるという事が目的なので治らない。
身体アプローチは本人の状態を見て行う。
本人の感覚に合わせていく。
無理のない動き、身体が求める動きなので治る。
自分のコメントに追加です。
体操は大脳新皮質の表面にだけ働きかけるだけなので、土台がいびつなままのままで仕上がりが凸凹のままになる。
身体アプローチはもっと古い脳味噌に働きかけるから、土台から育っていく。なので治る。
身体アプローチは、自分の身体と対話をしながら、主体的に取り組めます。
そのため、効果がご褒美となって報酬系に働き、「やってみよう」と思えます。
「自分で(主体的に)治している・治したんだ!」と身体の声を聴きながら取り組めます。
自分の状況を、身体アプローチを手掛かりにして、変えることができる!と自信がつきます。
自分で良くなったんだという実感があります。
おはようございます。
さて、たにしさんのコメントに関するお話続き。
たにしさんのコメントはこちらです。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243
前回のこの連載? では愛甲さんがすでに2013年の段階で指摘していた「関係性の未発達」
縦関係にしか発達していない当事者が多い、ということを書きました。
だから横関係が理解できず「信者」や「取り巻き」としかとらえられないのだと。
そして関係性の未発達を抱えているからこそ当事者はマネージメント的立場が難しいのだと。
一方で縦にも横にも関係性を伸ばせるたにしさんは組織の中で、地域の中で、そして家庭の中で多様な役割を果たされている。
翻ってこの零歳児(実質はおっさん)とたにしさんはほぼ同世代。
その同世代としてたにしさんには「年齢相応の社会の相場観」があります。
そしてその相場観によると、どっとこむのスクショ持っていくのは決定的にまずい。
(かつて凡STもしていましたが)
ただでさえまずい立場なのになぜまずさの上塗りをするんだろう、とこういう話ですね。
そしてその「社会の相場観」
何がまずいか? が元おまわりさんの説明で明らかにされたのが
『元刑事が見た発達障害』、とくに今回のことと関係あるのは第五章なんですよね。
なぜ自閉症者のメンタリティに法的リスクがあるか
あれを読むとわかるわけです。
要するに強烈な甘え。
零歳児が「おむつが濡れて気持ち悪いよ~」と泣き叫ぶように「花風社クラスタが顕在化したのが気に入らん!」と泣き叫んでいる。
でもね、実際には零歳児じゃないんだから、自分の手当は自分でしないと。
それを必死に唯一自分が持っている手段で言いつのり、注目されるように@とか飛ばしてくるのは強烈な甘えなんです。
(ちなみに私は相互フォローの人しか@が飛んで来ないように設定してあります。
なんか言いたい人はここに来て書き込んでください。
ただし医療関係者は実名で。それがここのルールです。)
じゃあなんでそんなに甘えん坊なんだろう? っていう話になりますね。
それはね、甘やかされているから?
誰に?
もちろん支援者にです。
支援者によって接待されているとああいうことが普通になる。
そしてそれを求めていいと思い込む。
前回の裁判のとき、被告は「自閉症者を訴えるとは何事だ!」と息巻いていた。
自分は自閉症だから何をやっても訴えられないと思い込んでいた。
そこに訴状が届いて、びっくり仰天。
厚生労働省にまで言いつけに行った。
厚生労働省は取り合いませんよもちろん。
でも日本は法治国家ですから、『元刑事が見た発達障害』第五章のようなことが自分の身に降りかかれば訴訟を起こす権利はあるわけです。
でも前の裁判の被告も、それはそれは支援に甘やかされた人でした。
だから「自閉症者は定型発達者に何をしても許される」と思っていたんですな。
治せない支援者と治りたくない努力したくない当事者は共依存です。
どっちも社会を悪者にしていると建設的な仕事をしなくていい。自己を省みなくてもいい。
そりゃあ、社会的にダメな当事者ほど支援をかばう。
そしてだからこそ、支援と離れないと社会には出られないんです。
出にくくなるんです。
私は一般社会のつもりなんだけど、彼らから見ると一般社会と支援の社会のはざまにいる立ち位置に見える。
一般社会にはぱちんとはじかれる。でも私ならいつか翻意して「やっぱりあなたはありのままでいいよ」と言ってくれるとどこかで望んでいるのかもしれません。
でも私は決して言わない。
治した方が正しい
社会のために正しい
というのが私の信念だからですね。
そして私は嫌いな人間にも主体性を認めているから「治りたくないなら治らなくていい」と言い続けている。
でも関係性の未発達を抱えているとそれが理解できないわけです。
「押しつけられている」と思い込むわけです。
それは「自分が下だ」と無意識のうちに決めつけているから。
関係性の未発達を抱えているから、社会がよけいにつらい。
自分が下の立場であることを自覚しているから。
だから匿名でしか何かを糾弾できない。そしてそのときはもれなく上から語る。
縦関係しかわからないからです。
そして自分の気にくわないことは零歳児のように泣きわめく。
そして、実物がいくらおっさんでも零歳児のように扱ってくれる人たちがいます。
そう、ギョーカイです。
彼らが支援の世界を擁護すればするほど「ああ、大人になっても支援を頼っていると社会的な相場観は同年代に大きく取り残されるな」と思うだけですね。
「どっとこむのスクショはまずいだろう」というたにしさんの持っている社会的な相場観を元おまわりさんの立場から条文も引っ張って説明してくれているのが『元刑事が見た発達障害』第五章です。
「自閉症のメンタリティの何が社会生活においてリスキーか」
知りたい人は読んでおいてくださいね。
おはようございます。
『知的障害は治りますか?』
年内に営業始められるといいですね。
三部構成です。
そのうちPart1の目次がほぼほぼ固まりましたので一応as of nowで貼っておきます。
こんな感じです。
どうぞお楽しみに。
=====
Part 1
知的障害に関して改めて考えてみましょう
☆まず、整理しておきましょう。
知的障害とは、何でしょう?
☆次に確認しておきましょう。
知的障害は「絶対に」治らなければいけないものなのでしょうか?
☆実は知的障害の診断って、結構大雑把です。
☆二次障害・三次障害が治ることによって知的な発達が促されるのを知っていますか?
☆本当に知的障害なのでしょうか? 測定されていない領域が多いですよね?
☆知的障害が治るかどうかを今考えてみる三つの理由
☆知的障害が治るとどのようなことが起きるのでしょう?
☆行政は知的障害者の発達を本気で援助しているの?
☆知的障害と発達障害は違うのでしょうか?
☆いったん診断されても一生知的障害と言い切れない時代がやってきましたよ!
☆知的に伸びてもまだ健常者にならないのなら治そうとする努力は無駄なのでしょうか?
☆国や自治体からもらうお金は成長よりも大切なのでしょうか?
☆知的障害の人が置かれている世界を想像してみましょう。
☆主体性を育む機会は日常生活の中にあります!
☆親の「治るはずがない」という気持ちは治るのでしょうか?
治さなければいけないものなのでしょうか?
☆医療・福祉・教育そして家庭
それぞれの役目を「弁える」のが大事。
☆子どもの頃遅れを指摘されたけれども健常域で働いている人たち。
☆薬や療育は本当に必要なのでしょうか?
【まとめ】
=====
待っている間に
『脳みそラクラクセラピー』と『愛着障害は治りますか?』は読んでおいてくださいね。
その他にも読む余裕がある人は猫本こと『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』をどうぞ。
リアル治したお母さんの記録です。
ではでは。
おはようございます。
「知的障害は治りますか?」原稿全部できてます。
これからゆっくりゆっくり作業。
それと、あっちのブログ五ヶ月ぶりに更新しました。
本日のお題は「限界集落」です。
よろしかったらごらんくださいませ。
たにしさん関連連載につきましては週末をお楽しみに。
その間に『元刑事が見た発達障害』第五章を読んでおいてください。
持っていない方、Kindleもあります。
ではでは。
あ、限界集落はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/bca03a9fdc96edae19b66d4857aa64e4
おはようございます。
昨日の盛りだくさんだった当治そう発達障害どっとこむ。
皆さんありがとうございます。
この熱量はネットだけじゃないよ、ということを、リアルでクラスタの皆さんにお会いするようになったSoyanさんがおっしゃっています。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3258
=====
花風社クラスタさん達の熱量はネット上からも伝わってきていましたが、初めて今年3月にあった花風社さんの講演会に参加させてもらい、実際にその熱量を肌で感じました。浅見社長から、確か「以前診断されていたけど、感覚過敏が治った方?」という質問があったかと思うのですが、その質問に対する挙手の多さを目の当たりにし「やっぱり治るんだ!」と衝撃を受けました。
次に参加した講演会では、治したクラスタさんと直接話してみたい、と思い、勇気を出して話しかけてみました。
そのあと直接顔を会わせる機会を何度か設けていただき、直接やりとりもし、実際に話をし、これは治すし、仕事もできる方達だ、とさらに強く感じました。
クラスタの方々は何か相談事があると、凄まじい頭の回転と問題解決能力で、明るく親身に相談に乗ってくれ、交渉力も本当に凄いです。最強のメンバーと繋がれたこと、嬉しく思っています!
=====
そうなんですよね~。
この雰囲気を関西でも味わいたい方はこちらにご参加ください。
https://karadamental.com/free/20200113
そしてその座波さんに私は質問したことがあります。
いわゆる「炎上」のたびに、必ずこっち側に来る人もいる、と。
今私のこのメッセージを読んでいる皆さんの中にも、炎上がきっかけで花風社の本を読み始めた方も多い。
炎上見てこっちに来る人ってどういう人だろう? と。
そうしたら座波さんはこう答えてくれました。
「何かを変えてきた成功体験がある人なら、あ、治るかも、と思える」(大意)と。
それきいて「なるほど~」と思いました。
昨日引用した愛甲さんの言葉のように
~~~~~
自分の環境を自分の力で変えていくことに臆病で、他人に過度な要求ばかりして、自分の足で立つことができていない人
~~~~~
は、これまでずっとそうやって人生を送ってきた。だから不満いっぱいだし、自分でその現実が変えられるとも思っていない。無力感と被害者意識を持っています。
それに対して、仕事でも私生活でもあるいは自分なりの発達特性でも、何かを乗り越えて来た人は「あ、私もあれを乗り越えてきたからこの子も治るかも」と思える。
それを昨日のうりくりおくらさんのレスで思い出させていただきました。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/322/comment-page-13/#comment-3260
「これも一つ「治した」経験です。
自分を「治した」経験があるから、息子も「治る」と思えるのです。」
「治る」と思えるのは一つの力です。
皆さんもよく見ているように、それがどの親にも備わっているものではない。
その仕組みは今度の本で愛甲さんが説明してくれていますよ。
たにしさんからもレスをいただいていますが
実質零歳児の迷惑当事者については、また回を改めましょう。
とりあえずお手元に『元刑事が見た発達障害』をお持ちの皆さん
第五章を読んでおいてください。
零歳児がやっていることは相当まずいのがわかるでしょう。
お手元にない方はKindleにもなっていますから一秒で買えますよ。
とりあえず第五章はとても自閉症と犯罪に関係があります。
零歳児メンタリティに関係があります。
読んでみてくださいね。
ではでは。
こんにちは。
昨日の夜座波さんが来てくれました。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/354/comment-page-1/#comment-3256
きょうはこのこと書こうかな、と思ったんですけど先にたにしさんの方を進めます。
ともかく大阪講演が楽しみ。
一番南からも来る人いそうですよ。
楽しくなりそうです。
お申し込みはこちらへ。
https://karadamental.com/free/20200113
=====
さて、たにしさんの提言、続き。
リンクはこちら。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243
一部引用します。
~~~~~
プロテインを料理に混ぜたらいいのでは?と自分で閃き、ビーレジェンドナチュラルを購入しました。
混ぜ込みレシピは自分で考えています。
浅見さんを真似したのではありません。
全く違います。
浅見さんやクラスタのみなさんと、美味いもの・身体に良いもの情報を交換し合って、楽しく盛り上がっているだけです。
浅見さんは料理がお上手なので、飯テロを拝見して参考にさせていただくことはありますが、この記事の主が想像されるようなことはありません。
浅見さんがプロテインレシピを考え、みなさんに推奨しているなんてことはないですね。
サプリ・プロテインについては、浅見さんも僕らも同じ消費者。
自分で選んだメーカーから自分で選んだ品を買い自費で購入して自分で試しています。
また、僕は浅見さんにお世話になっていますが「取り巻き」ではありません。
出版社の社長さんと購読者の関係。
あと、飯テロ仲間(笑)
そして僕が浅見さんの掃除の師匠らしい(笑)
考え方は同じ方向性ですが、中には違うところもあるでしょう。当たり前。
浅見さんとは「取り巻き」の言葉が持つ意味の関係性ではないです。
~~~~~
私は最初買ったプロテイン、やがて甘みに飽きてきました。
これはわりとよくある現象ですね。
一つはタンパク質足りると、本当におやつがほしくなくなる。
それと、どんなに美味しく作ってあるものでも飽きる。
そんなわけでたにしさんやうりくりおくらさんの書き込みで「ナチュラル」ってやつがあると知り、今はこれを愛用しています。
混ぜるより普通にのむ方がずっと多いですが。甘みが少ない分飽きがきませんね。
たにしさんのおっしゃるとおり、栄養療法については私は純然たる消費者なんですよ。
『片づけられない女たち』は送り手でした。
身体アプローチも送り手です。
でも栄養療法は消費者ですね。
プロテインやサプリの情報もむしろ皆さんからいただく方が多い。
皆さんと同じように自分や家族で試行錯誤しているだけ。
それでもどうしても
「浅見が見本を示してみんながそれをまねする」という構図しか想像できない人がいる。
デマの中ではわりとどうでもいい方ですが、今回たにしさんが違和感を表明してくださったので、ここで種明かししておきましょう。
そうなのです。すでに種明かしされているのです。
なんでそんな思い込みが生じるか。
なぜなら
こういう解釈をしがちなのが実は発達障害者の特性だと愛甲さんは2013年の時点で『脳みそラクラクセラピー』できちんと指摘しているのです。
すなわち「関係性の発達の遅れ」だと。
紙の本お手元にある方、P172を見てください。
まさにこの現象が「発達障害の特性」として書かれています。
そして関係性の発達がこの段階に留まっているからこそ、同年代のたにしさんのようにマネージメントの仕事は難しい。
多くの発達障害者が能力ありながらマネージメントの段階に進めない、進むと心身きついのはこの「関係性の発達の遅れ」によるものです。
そもそも想像が当たらないのです。
おそらく、方々で外している。当たるか外すかは仕事にも響いているはずですから収入をも左右しかねません。
あと、自分が縦関係しかわからないから、
フラットな付き合いであるたにしさんと浅見の関係が理解できない。
「取り巻き」にしか見えないのです。
「信者」とか「取り巻き」とか言われて多くのクラスタの皆さんは違和感を感じたと思いますが、花風社の本が好きなのはたしかだし、頭のおかしな人たちが言っていることだからスルーしてきたのだと思います。
でも今回たにしさんが違和感を表明してくれたからこの機会に説明しますが、関係性の発達が遅れていて縦関係しか理解できないと、誰かの周りに集まっている人と真ん中にいる人とは上下関係があるとしか想像できないから、「信者」「取り巻き」に見えるのですね。
たにしさんと私は読者と版元。
商取引はその都度済んでいます。
私が作って売ったものをたにしさんは買って双方ハッピー。
私としても悪質な物を無理矢理不当な値段で買わせたわけではなく、たにしさんも費用対効果に満足。
商取引関係はそこで終わり。
今後も新刊が出たら同じ事繰り返しそこで終わり。
そしてそのあとはフラットな情報交換仲間です。
そしてこの横関係が理解できないと、世の中は怖いのです。普通に一般庶民やっているだけでも(大半の私たちはそうですね)被害的になる。
いきおい「社会の理解ガー」ばかりやることになる。
しかも実物の自分では小さすぎて声が届かないことを自覚している。
それで匿名でやる。しかも上からやる。なぜなら縦関係しかわからないから。そこまでしか関係性が発達していないから。
『脳みそラクラクセラピー』のP173から引用しましょう。
____
愛甲 発達障害がある人の中には、指示待ち状態で、自分の環境を自分の力で変えていくことに臆病で、他人に過度な要求ばかりして、自分の足で立つことができていない人が時々見受けられますが、このような人は、まだ縦関係の人間関係しか結べていません。
____
どんぴしゃ、でしょ?
自分の環境を自分の力で変えて行くことが怖ければ、ギョーカイの言いなりになります。
そしてそれを選ばない人がいたらそれはその人の自由なのですが、それを「自分たちが」気に入らない。自分には怖くてありえないオプションだから。
それでいい結果を得ていると喜んでいると、ますます気に入らない。
そこでその自由を駆使するなと「過度な要求」をします。
そういうことやる人たち、愛甲さんはだいたい零歳児くらいの発達だと言ってました。「おむつが濡れていて気持ち悪いよ~」と泣き叫んでいる段階ですね。それで一生懸命こっちにアピールしてくるんです。@つけたり#つけたりして必死。
今度そういうのがきたら「あ、零歳児が泣いている」と思えばいいですよ。
縦関係しか結べない、というのは教員に顕著ですね。
私は30代から発達障害の仕事しています。その頃は教員たちが年上のことが多かった。それで接していて思ったのは「この人たちは大人に対して上からでもなくへりくだるでもなく対等に接することが苦手な人たちなんだな」ということ。
最初上から来るからぱちんとやり返したら異様にへりくだったりする。「対等」が苦手な人たちみたいですね。
そしてこれも『脳みそラクラクセラピー』のP178に書いてあるように私は割合とフラットな人。
だから杉山先生もディスるし、自閉症者も刑事告訴した。
えらい先生だからディスってはいけないとか、自閉症者だから訴えてはいけないとか、そういう考えはないんですよね。
だけど縦関係しかわからない人にはギョーカイの権威をディスるなんてとんでもないんだろうし、弱者であるはずの自閉症者を刑事告訴するなんてとんでもないんでしょう。
杉山先生や「彼」がどう思っているか知りませんが私から見ると二人とも私と同じ対等な人間ですから。
そのフラットなメンタリティでクラスタの一部の皆さん、気が合ってオンオフで出会う意図があちらにもある皆さんとは仲良くしているだけですね。
長くなりましたが、要するに
・・・・・
「取り巻き」とか「信者」とか言われるのはなぜか?
↓
関係性の未発達を抱えた人にはそう見える。
なぜなら彼らはまだ縦関係までしか発達していないから。
異様な支援者依存もそれで説明できる。
支援者依存から脱する自由を駆使しているこっちを攻撃してくるのは零歳児が泣いてるみたいなもん。
・・・・・
これだけ覚えておけばよいんじゃないかと思います。
といっても私がこれを理解したのも愛甲さんだけでは足りなくて、座波さんもいたからなんですけど。
座波さんの話をきいたあとに愛甲さんの本を読むとよけいにわかるのです。
だから座波さんの話は本当にきいたほうがいいと思う。
ではでは。
浅見さん、僕の違和感について、言語化していただきありがとうございました。
既に6年前の御本に思いっきり書かれていましたね。
なるほどです。
本当に違和感しか感じなかったのですが、記事を拝読して、胸にストンと落ちました。
人との関係性って多種多様ですよね。
組織内では指揮命令系統が存在しますが、オフの場面では、フラットにしたほうがいい場面もあるし。
個人的な繋がりでは、フラットですね。
自由意思で自然に集まった人達の間で、上下関係を意識したことはないなぁ。年齢が上の方には、礼を逸しない程度の意識はありますが。
人との関係性もそうですし、物事の考え方にも多様性がある。
自分のスタンダードが全てではないということ。
自分の思想信条は大事にすればいい。
他人のそれには過度の関心はないし、絡みたくないし、そんな暇ない。
おはようございます。
昨日は花風社クラスタ女子会でした。治る話は楽しい。と同時に、皆さんが闇の中にいた時代の話もお聞きし、単純に「眠れないと参るよなあ」と思いました。お子さんの各種特性から物理的に眠れない時代があったわけですが、今はお子さんの特性も治り、お母様の方も栄養アプローチ身体アプローチでばっちり健康です。治るっていいな、と思って帰ってきました。
大阪でも集まるチャンスあります。
どうぞお越しください。
https://karadamental.com/free/20200113
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さて、予告通りたにしさんからいただいた大事なコメントを見ていきましょう。
たにしさんのコメントはこちら。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243
この中で「たにしさんが浅見のお掃除の師匠である」という部分を解説します。
我が家は20年来の家政婦さんにお掃除を頼んでいます。
もともと私が片づけられない女だったのと、起業当時一日14時間週七日働いていたせいです。
その頃家政婦さんは、今の私くらいの年でした。いや、もっと若かったかも。
その後も同じ家政婦さんに20年以上お願いしているわけですが、私が年を取るように、家政婦さんも年を取ります。今では後期高齢者です。仕事はきちんとしていただいていますが。
ただやはり年齢が年齢なので、時々長期離脱があるのです。
目の手術をすることにしました、とか、腕を骨折しました、とか。
うちには週に一回来ていただいていて、その他の曜日も埋まっていたようですが
たいていのおうちは長期離脱されると困る。
というわけで長期離脱のたびにお客が減るらしいのです。
これはまあ、ある意味当たり前ですね。
ところがうちの場合には長期離脱があっても他を探さなかったのです。
なぜかというと、会社が軌道に乗るにつれ私の実働時間もどんどん短くなり
不得意なお掃除も試行錯誤する余裕が持てるようになったからです。
そんなわけでお掃除のやり方をネットで見たり、各種お掃除グッズを見に行ったり、情報収集をして試してみるわけです。
皆さんが「治らないかな」という情報を探すのと同じです。
その情報源の一つがたにしさんなわけです。
たにしさんは素敵な注文住宅の一戸建てに家族四人でお住まいです。
ご夫婦共に責任ある立場でフルタイムで働かれていて、たにしさんは子育てやお料理だけではなくお掃除でも家族として役割を果たされています。
その様子を見て「シンクはこう磨くのか」とか「やかんはこうやるとぴかぴかになるのだ」と学びつつ、私はそれを採り入れています。
マンション住まいの我が家はもっと手入れが簡単ですが、たにしさんのお掃除の様子が大いに参考になるのです。
いつぞやの年でしたか。たにしさんが起点になってクラスタの何人かがスチームクリーナーを手に入れましたね。私もあの年に買いました。
先日はケルヒャーのセールのお知らせをたにしさんが教えてくれました。
そんなこんなしているうちに、家政婦さんの方から「もう私は二週間に一回でいいのでは」というお話が出てきました。「いつきてもキレイだし」ということ。おまけに家政婦さんもお年を召して、働く日を減らしたくもあったのでしょう。
というわけで今は二週間に一回来てもらっています。
ADHDブームの火付け役となった『片づけられない女たち』という本に関すると、私は消費者というより送り出し側だったわけですが、あの頃の私は確実に『片づけられない女たち』の一人だったと思います。
当時あの本がメディアに多く載ったのは、マスコミの女性の中に「これは私だ」と自覚する人が多かったからだと思います。
あのときに診断でも受けに行ったら診断がついたかもしれません。
そしてリタリンかなんかのんでいたかもしれません。
そのまま薬を飲み続け、今の規制に翻弄されていたかもしれません。
けれども私はそっちには行きませんでした。
当社比でもいいから「掃除できるようになる方」を選びました。
これはつまり、不得意の克服です。
当然得意なことをやるように順調にはいかないのですが、色々な知見に助けられて家政婦さんが「もう私はたまにしかいらないのでは」と言ってくれるくらいの水準にはなれました。
逆に言うとこうやって自分の不得意を地味に解消していかなければ、会社が続いたかはわかりません。
あのとき診断をもらい、リタリンをのみ、「私はADHDなんですできません!」とか開き直っていたら、私は今作業所に通いながらルサンチマン系のツイッターでもしてニキさんの悪口でも言っていたかもしれませんね。
そして今、ADHDのチェックリストをみても、ほとんど当てはまりません。
「これは私だ~」と思った過去はなんだったんだろうと思います。
これは『発達障害でも働けますか?』にも書きましたね。
片づけられない女のままでも働けたかもしれないけど、経営が20年続いたかどうかはわからない、と私は思っているのです。
だから、人に使われているままでいいと思う人は治らなくていいのかもしれません。
治らずにつまんない上司や少ない給料に不満を持ちながらツイッターで嫌いな出版社の悪口をリツイートしていればいいのかもしれません。
私はそれでは物足りなかったんでしょうね。
そしてリスクを取りながら発信を続け、「クラスタ」となるほどの読者層を得て、今楽しく暮らしているわけです。
まさに治るが勝ちです。
それでももちろんこれからも、克服していかなくてはならない苦手はあります。
すでに基盤ができているから焦らなくていいけど、コツコツとやっていこうと思っています。
というわけで、私はもともと『片づけられない女』であることを自覚していたのですが、その私が栄養アプローチと出会って、自分があっさり主食なしで暮らせることにびっくりしました。
そして気づきました。
ADHDって狩猟民族というよなあ。確かに群れて田んぼ作っている(治さず育てず利権を回し合っている)ギョーカイに違和感を感じるのはそのせいでもある。
そして元々が狩猟民族なら肉とか木の実とか食べていたはず。それで十分だったはず。
備蓄に便利な穀物は農耕民族の食べ物なんではないか。
狩猟民族なら狩猟民族に合った食生活をしよう。
そして読者の皆様を見渡してみても、狩猟民族系の人は本当に主食抜くのが上手です。
おまけにそれによってあっという間に治っていく。
ADHDって本来あんまり糖質のいらない人が現在の日本の食生活(朝トースト、昼パスタ、夜ご飯と味噌汁となんか。ときにはカレーとかのワンプレート)とかそういう暮らしをしているうちに感じた不具合じゃないだろうか。
いや、百パーセントそうとは言わないけど中には食べものかえるだけで相当軽減する人がいるんじゃないか。
と思っています。
今回はここまで。
たにしさんの他の提言については次回以降とします。
ではでは。
大阪を初めとする西日本の方々
座波さんの講演でお待ちしておりますね。
https://karadamental.com/free/20200113
私もかつては「片付けられない女」でした。
家の中、ゴミ袋だらけだわ、謎の虫はいるわ、足場はないく床が見えないわ、冷蔵庫は恐ろしくて封印してたくらいです。
今は「片付ける女」になりました。
これも一つ「治した」経験です。
自分を「治した」経験があるから、息子も「治る」と思えるのです。
おはようございます。
雑談コーナー、盛り上がっていますね。
そして昨日の夜たにしさんが、わりと大事な書き込みをしてくださいました。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-16/#comment-3243
これ、きちんとレスしたいんですけど、今朝は時間がないので、今日の夜か明日以降にします。
今日は一仕事してから、花風社女子会です。ちょっと遅れていきます。
女子会は比較的新しい読者ともお会いできる機会です。
前回は花風社用語がわからないのでボキャブラリー集を作ってほしいと言われ「そうか、発信歴が長いと新規読者の人にはわからない言葉も出てくるのだなあ、と思いました。
そのときに話題になったのは「猿烏賊」(現発達負け組)。
これを自閉症児だと誤解して大騒ぎしていた人たちもいますし、別にどうでもいい人にどう誤解されようといいのですが、私が最初に使い始めたのは自閉症児の親を見たからです。
詳しくは猿烏賊を定義したこちらの記事を見てもらえばいいのですが、別に見なくてもいいです。
猿烏賊の誕生も2011年かあ。その後の身体アプローチの広がりを思えば、治った人たちの広がりを思えば、「猿烏賊」の定義を知らない人が増えても当たり前ですね。
https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/6968f627a504b9e93bb76e1f2d2f8a18
簡単に説明しますと、当時乙武さんがなんか発言し、現負け組の人たちがきっききっき騒いでいたのです。(もっと乙武さんにクリーンなイメージがあった時代。卑屈な障害関係者にとって乙武さんはつねに怨嗟の対象でした。)
それを見て私が「猿山」と言ったら小暮画伯が「猿に失礼」だと怒ったのです。
なるほど~と思ってよく考えてみたら、猿をはじめとする野生動物は子どもに餌の採り方を教えますよね。じゃないと生きていけないもんね。
ところが障害児の世界には、子どもに餌の採り方を一切教えない、どころか、餌の取り方を必死に教えている親がいると「差別!」とかいって邪魔する不思議な人たちがいるのです。
つまり、「餌の採り方を子どもに教える気が最初っから1ミリもない」という意味で、野生動物にもにも及ばない親というのが人間界の障害児界にはいるんだ。
という経緯で生まれた言葉です。
でもこれが差別用語だと言われ
「そうか。変なたとえを使ったからいけないんだな」と思ったので、今度はたとえを使わずそのものずばり「発達負け組」としました。
先日の方、この説明でよろしいでしょうか。
今日もお会いできそうですね。
オフ会は楽しいです。
大阪でも出会いの場があります。
座波さんのお話が聞ける貴重な機会です。
発達障害者の自立を考えると同時に、仲間と出会う場でもあります。
どうぞふるってご参加くださいませ。
https://karadamental.com/free/20200113
おはようございます。
yasuさんのおうちの治った自慢です。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/149/comment-page-8/#comment-3227
「他人の目から見ても変わった」って重要です。
自己満足ではなく、本当に明らかに治っている。
『発達障害でも働けますか?』にも通じる話ですね。
そしてそこでうちの本+藤川先生の本をご紹介くださった。
「おそらく花風社の本はこう広がっていくだろう」という神田橋先生の言うとおりになっていますね。
そしてこの担任の方はどうかわかりませんが、こういうとき一般論でいうと、保護者の方が教師より反応がよい。
それだけ自分事だからですね。
「誰かが際立ってよくなった」という事実を目にすると、それが一番強い。
そこから「何をやったの?」と広まっていく。
すでに今の親御さんたちは「自閉症協会ってあるんだへ~」みたいな世代。
それを支援者及び1世代前の保護者はわかっていないことが多い。
「みんなで啓発」の時代じゃないんです。
「各家庭で情報集めて治しましょう」の時代なんです。
この流れは止まりませんよ。
この流れを止められるものがあるとすれば、ツイッターでの活動ではないです。
「この一本の注射で治ります」みたいな医療的ソリューションしか「家庭で治そう」の動きは止められません。そしてその医療的ソリューションは多分起きない。少なくとも近々には。なぜなら発達は医療の領域では本来ないからです。それだけ人間は多様だからです。
「治そう」という動きに対し、自分たちの存在を否定されているような成人当事者がいたら、それは被害妄想ですから治した方がいいですね。
なんでそんなありえない恐怖感を感じるのか。
この「ありえない恐怖感」を勝手に振り回すっていうのが成人自閉症者の一番迷惑なところです。
なぜか? 勝手に恐怖感を感じたあげく他人の主体性を侵害するから。
主体性を侵害されてうれしい人はいないですから、そりゃあ社会で嫌われますよ。
大事なことだからまとめましょう。
怖がりは嫌われるんです。
臆病者は嫌われるんです。
なぜならその恐怖感には他人から見て根拠がないからです。
そして「家庭で治る」と自分たちが失脚するのでは無いかと怯えている支援者の皆さん。
その脅えはすでに半分当たっています。
家庭で治すことを覚えた人たちは、支援者を見限り始めていますから。
これに対抗するのもくだらない匿名のSNS活動ではありません。
支援者として切磋琢磨することです。
そして使い捨てを恐れないこと。
誰かに依存されることが自分の基盤になっていて、治っていく人を言祝いで送り出せない支援者は使い捨てられるのを恐れます。
でも本来支援者などというものは、使い捨て上等なんです。
もちろん版元も。
使い捨てでよいのです。
治ったあとも花風社の本を読んでくださるのならそれはそれで結構。
なぜならそれがその人にとって「ここちよい」からですからね。
この場と同じように。
ではでは。
思います思います、使い捨て上等。
教員やってます。
こちらは囲い込まない、
子供達は依存しない。
使い捨てられたときこそ、彼らの成長を感じて嬉しくなります。
自分の仕事って渡し守みたいだなと思います。
乗ってくれる人が来たら、その人が心地よさを感じられるように一生懸命漕ぎ、
ときには一緒に波を乗り越え、
岸に着いたらもう次のお客さんのために漕ぐ。
淡々とそれをこなす日常。
お客さんが船を降りたら自分のことなんて覚えていてくれなくていい。
着いた地で新たに生き生きと生きてくれれば。
使い捨てる/られる関係ってすこぶる健全だなと思います。
たんぽぽさん
そうですよね。
仕事って言うのは基本的に使い捨てされる覚悟でやるものだと思います。
他者貢献ですものね。
おはようございます。
「大事なのは自分の体感だよね」「援助はテーラーメイドだよね」という私の書き込みに対したくさんのコメントをありがとうございました。
花風社クラスタのレベルの高さがわかりますね。
私は藤川理論を採り入れた当初から原理主義的に展開しないと明言していました。
メガ盛りは私は最初からやらないし、やる人でもいつか終わりが来ると思っています。
でも急性期にはやった方がいい人がいるのもわかりますよ。それだけ足りなかったんだから。
一方で高タンパク低糖質はきっと一生続けると思います。そういう意味では藤川理論にはこれからもお世話になる。
なぜなら高タンパク低糖質は「きもちいい」からです。
基本は「きもちいい」であることを神田橋先生、愛甲さん、栗本さんから教えられてきたからです。
それでも原理主義にやってしまって「なんでのんでくれないのき~」っていう読者層も花風社クラスタになったんだなあ、という感じです。
それだけ裾野が広がっているのでしょう。
藤川先生はナイアシンアミドをチョコレートアイスクリームに混ぜてのませればいいとおっしゃる。
それに対して神田橋先生は何かを勧めても「オブラートにくるまなきゃのまないくらいならのませないでいい」とおっしゃる。
そのどちらを選ぶかはそれぞれの主体性ですが
私は神田橋先生を選びます。
それは神田橋先生がうちの著者だからではなく
「きもちいい」を羅針盤にするといいということを心から納得しているからです。
というわけで
子どもがいやがるものを無理矢理のませる人が花風社読者の中にいても
それは私とは方針が違います。
基本はその家それぞれの方針なのですが
無理強いはお子さんがかわいそうだから
大事なことは何度でも言いますが、『発達障害は治りますか?』と『脳みそラクラクセラピー』は穴のあくほど読んでください。
それとたにしさんのこの書き込み。
何か物質をお子さんの身体に入れるときは、これが基本形だと思います。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/494/comment-page-4/#comment-3219
たにしさんがこの漢方をお子さんに与えようと思ったのは
「治った自慢」のファル子さんの書き込みを参考にしたのです。
興味ある方は治った自慢のお部屋をスクロールしてみてくださいね。
それでもファル子さんちは卒業なさったと思いますよ。
でもそのおかげもあって大学生になって、免許とって、お母さんをのっけてランチに出かけたりしているのです。
いらなくなると自然に離れるし
今いらないものはお子さん自身が拒否しても当たり前です。
ナイアシンを拒否するお子さんはそもそも鉄タンパクが足りているのでしょうか。
春ウコンもそう。
誰にでも勧めるものではない。
現にひきこもりの人には勧めません。
春ウコンは社会生活で疲れていない人にはいらないんだそうです。
そしてお子さんにあまりに効くから親御さんがのんでみるとちゃんと身体が「いらないよ」というシグナルを送ってくる。
これを最初に私に教えてくれたのは実を言うと岩永先生です。
それから何度も何度も同じ現象を聞くことになりました。
先日も鍵アカの中で言っていた人がいた。
不調の時春ウコンの噂をきき、のんでしまった。
そしたら身体が拒否した。
変だなと思った。
神田橋先生のところに行ったら、不調の原因は発達障害ではなく他のところにあると言われてそれを変えたらドンピシャだったからです。
というわけで発達障害ではなかったわけですが、今もオンでもオフでも顔を見せてくれます。花風社クラスタが「きもちいい」からですね。その方にとっては。
今度の藤川先生の本は決定版ぽいですよね。
私は是非買おうと思って、ありそうな書店に行ったら見つけきれず、でも面白そうな筋トレ本を見つけて買ってしまいました。
やってみました。気持ちよかったです。
筋トレも「きもちいい」からやりますね。
というわけでまだ入手していない藤川本はネットで買いますわ。
私にとって藤川先生の新刊は「必ず買うけど、必ず読むけど、プライオリティは低い」のです。
ではでは。